「2月5日、京都府警山科署捜査本部より重要参考人として任意同行を求められた岡村浩昌容疑者(21歳)が、逃走の末、飛び降り自殺をした」


予想外の結末を迎えたこの事件ですが、警察を責めても仕方ありません。ああいう若者を育てた者こそ責められるべきでしょう。それは、日教組・マスコミ・腰抜け文部省・カウンセラー・文化人、そして彼らに反発できなかった我々日本男児です。

こういった事件を起こす人間に共通しているのは
 1、人間性の未熟(本能の弱さ)
 2、徳育の欠如
です。

まず、第1の原因は、幼い頃危険な遊びをしていないということ。
『危険を感じる』ということは脳に強い負荷を与えます。この負荷に応じて脳が鍛えられ、人間の本能が強くなるのです。本能が弱いままで育った人間は「罪の意識」が小さく、自分の犯罪を自分で止めることができません。人間性の未熟なことを「気の小さい人間」「小さな人間」「小者」と言うのです。

そして、第2の「徳育の欠如」の原因は、もちろん教えられなかったということもあるでしょうが、教えられていても行動していなければ同じです。
徳育の欠けた人間は往々にして己を知らず、わがままで、恥知らずで、虚栄心が非常に強く、へりくつをこね、進歩しようとせずに何でも人のせいにします。

これらの解決法として、1はうち(戸塚ヨット)に入れるのが一番早道でしょう。スクールで行っている脳幹トレーニングは、本能を強くし、「人間性を高める」からです。
しかしこれは、なるべく早い時期、若い時に行わなければなりません。
このような問題行動は急に起こるものではないのです。彼(岡村容疑者)は高校時代に不登校気味だったようですが、本当は小学校の頃から何らかの兆候が現れていたはずです。その頃にうちに入れていてくれれば、このような事件は起こさずに済んだでしょう。

まず脳幹トレーニングで人間性を高め、その後徳育を身につけさせれば間違いはなかったはずです。
そのどちらをも否定する戦後民主主義や人権思想の根本には、キリスト教的な“創造論”が隠されています。
戦後、我々がアメリカから押しつけられたのは憲法だけではないのです。

「人間は生まれながらにして自由であり…理性と良心を授けられ…」(世界人権宣言第1条)

理性と良心が既にあるなら、教育は不要です。
元来、日本では自由も権利も尊厳も平等も理性も良心も全て「自分で創る」ものでした。それを「神から生まれながらに与えられている」とするキリスト教の思想が、我々に当てはまるわけがありません。もし本当に与えられているのなら、今回のような犯罪など起こらないでしょう。
岡村容疑者には、これらの人間性が欠けていたからこそ、今回のような事件が起こったのです。まず、「人間性を創る」こと、これが“教育”の基本です。

(戸塚 宏)