精神科医・日向野春総氏の発言(H12.2.8 産経新聞朝刊・社会面)

「最近の親は業務的におやつを与え、ゲームを買ってやり、それを愛情と錯覚していることが多い。手をつないで話しながら歩くといった、ぬくもりのある関係がなかったのではないか」
「モノを買ってもらった記憶は22〜23歳で消え、心の交流がない子供の心は真っ平らになる。その頃になって母親は『裏切られた』と思う。そういう子供は自分同様に、弱い相手を連れてくる。それが子供(を監禁したり殺害したりする)ということになったのではないか」
「岡村容疑者の『今の学校にうらみがある』というのは象徴的なせりふだ」
「心に不安のある子供は、忘れたはずのつらい記憶が入ったパンドラの箱が突然開き、はじけて(事件を起こして)しまうことがある。心の箱を事前に開け、整理して閉めるのはどんな名医でも極めて難しい」


例え、幼児期に愛情を持って育てたとしても、こういう子供はできます。原因は人間性ができていないためです。

「親の愛情」と言いますが、いったい何を指していうのでしょう。手をつなぐことが、その1つの確認だと言いたいのでしょうが、うち(戸塚ヨット)に来た生徒の中には愛情たっぷりに育った者もたくさんいました。むしろ「溺愛」です。
これは、「小さい頃に親から殴られた子供は一生心に傷を持ち、問題が起こりやすい」などというのと同じで、フロイトの亜流に過ぎません。
「愛情」などという得体の知れないものに原因を求めるのが、そもそも無理なのです。

『今の学校にうらみがある』というのは、岡村容疑者が「学校」という狭い世界にしか生きていなかったことの証明です。つまり、彼にとっての「社会」=「学校」だっただけのことです。
さらに、「学校」という、成績でのみ優劣が決まる世界の中でしか、彼は優越感を見出すことができなかったでしょう。
彼の成績が落ちたのは高校入学後ですから、もし本当に「学校」に恨みがあるなら、狙われるのは高校であり、殺すなら高校の先生のはずです。

神戸のサカキバラにしても、こんな事件を起こす子供はみんな共通して「人のせい」にします。それはつまり、実力がないということなのです。

(戸塚 宏)