Q61 戸塚校長は以前逮捕されたと聞きますが、本当ですか?

本当です。今から17年前の1983(昭和58)年6月13日に校長が、そしてその前後にコーチのほとんどが逮捕されました。

Q62 どうして逮捕されたんですか?

直接のきっかけはコーチ達が暴走族をつかまえた事件(暴行容疑)でした。しかし、警察が本当に追求したかったのは1980(昭和55)年に起きた「吉川事件」、1982(昭和57)年に起きた「あかつき号事件」と「小川事件」です。

Q63 それはどんな事件ですか?

1つ目の「吉川事件」は、昭和55年10月30日に入校した吉川君(21歳、無気力)が、入校直後の11月4日に亡くなったものです。

2つ目の「あかつき号事件」は昭和57年7月10日に入校した水谷君(15歳、登校拒否)と、同月24日入校の杉浦君(15歳、家庭内暴力)が、同年8月14日奄美合宿の帰りに、航行中のあかつき号から行方不明になったものです。

3つ目の「小川事件」は、昭和57年12月5日に入校した小川君(13歳)が、やはり入校直後の同月12日に亡くなったものです。

Q64 事件から逮捕まで随分間があるようですが…?

吉川君の死因は「出血性肺炎」でしたし、水谷君と杉浦君は誰もその落水などを見ていませんでしたから、未だに状況がよく分かりません。
ところが、小川君の事件をきっかけにして、当時の世論は『体罰反対』という方向に流れていき、戸塚ヨットはその槍玉に上がりました。まずサンデー毎日が「戸塚つぶし」のキャンペーンを始め、他のマスコミもこれに便乗しました。こうした世論に押された形での逮捕だったわけです。

Q65 取調べはどのように行われたんですか?

校長やコーチ以下、卒業生や訓練生に至るまでが次々に逮捕されました。彼らは愛知県下の各警察署に分散留置され、弁護士と会うこともままならず、外の様子も知らされないまま、取調べは全て警察側ペースで行われました。来る日も来る日も朝から晩まで、「これを認めればすぐ出してやる」とか「ここでしゃべったことは単なる調書に過ぎない」などと甘い言葉をささやかれ、巧妙に自白を迫られたのです。

Q66 勾留期間はどのくらいだったんですか?

短い人で5ヶ月、長い人(校長とコーチ)は3年以上にも及びました。このため、スクールは「一時閉鎖」に追い込まれました。

Q67 拘置所の生活はどんなものだったんですか?

狭い部屋で、トイレ・洗面・就寝時以外は同じ場所に座り続けなければいけない生活です。日照時間は1日たったの30〜40分。気分転換は3度の食事だけですが、とんでもなくマズイ物が多かったようです。

Q68 検察側の主張を聞かせてください。

吉川君と小川君については、校長やコーチらの『暴行』による『外傷性ショック』が原因で『死亡』した「傷害致死」にあたるとしています。
また、水谷君と杉浦君については、校長やコーチらの『監視』による『監禁』が彼らを追い詰め、結果的に『死亡』へ導いたもので、「監禁致死」だとしています。(これらを『訴因』と言いいます。検察は『訴因』をはっきりさせる義務があり、弁護側はその『訴因』に誤りがあることを反証していきます。訴因が証明されれば有罪、されなければ無罪でなければなりません。)

Q69 判決はどうなったんですか?

逮捕から9年以上が経過した、1992(平成4)年7月27日前後、名古屋地裁で第一審判決(小島裕史裁判長)が言い渡されました。求刑を大幅に下回る懲役3年、しかも執行猶予付の有罪判決でした。内容的には実質無罪と言えるものです。

Q70 判決後は?

同じ年の8月5日、名古屋地検が量刑不当で控訴し、翌日戸塚ヨット側も「無罪」を訴えて控訴しました。

Q71 なぜ「無罪」だと言えるのですか?

裁判所の役目は、検察側の提示した『訴因』が正しいかどうかを判断することです。その為、弁護側もその『訴因』を突き崩すための努力をします。ところが、第一審判決はその『訴因』が間違っていることを認めながら、別の理由で「有罪」としたのです。これは『訴因の逸脱』です。そして『訴因』が違うのならば「無罪」です。

Q72 どういうことですか?

まず、「吉川事件」。裁判所は検察側の主張した『外傷性ショック』を否定し、弁護側主張の『出血性肺炎』を死因と認めました。それなのに、『暴行』も間接的原因だから「有罪」だと言うのです。

次に「小川事件」。検察側の主張は「吉川事件」と同じですが、裁判所はその死因は弁護側の主張する「低体温症」の可能性も認め、どちらか判断できないが『暴行』も間接的原因ということでやはり「有罪」としました。

さらに「あかつき号事件」においては、『監視』はなかったと認めながら、逃げ道がないという点で『監視』なき『監禁』であるとし、「有罪」としたのです。

Q73 第二審はどうなりましたか?

第一審判決から4年半後の1997(平成9)年3月12日、名古屋高裁で判決が言い渡されました(土川孝二裁判長)。戸塚校長は懲役6年、執行猶予なしの実刑判決でした(その他3人のコーチが実刑)。

Q74 なぜ量刑が増えたんですか?

名古屋高裁は弁護側の主張する「第一審判決の訴因逸脱」を全く受け入れませんでした。それどころか、第一審を覆して「吉川事件」も「小川事件」もともに死因を『暴行』による『外傷性ショック』と断定し、「あかつき号事件」も『監視』という手段を使わなくても『監禁』状態に変わりないと判断されたのです。非常に感情的な判決だと思います。

Q75 上告したんですか?

当然です。高等裁判所は、第一審判決に誤りがなかったかどうかを判断する場です。第一審判決は明らかに『訴因の逸脱』を行っていますから、『訴因』変更で差し戻しにするか、無罪にするか、どちらかにすべきだと主張しました。

Q76 最高裁はどうなりましたか?

上告から5年後の平成14年2月25日、「上告棄却」の決定が下されました(福田博裁判長)。理由は、「弁護側の主張は単なる法令違反や事実誤認の主張で、上告理由に当たらない」というものです。これにより高裁の判決が支持されることになり、戸塚校長とコーチ3名が収監されました(平成14年3月29日より)。

Q77 それにしても、なぜ死亡事故が続いたんでしょうか?

こうした事故は、もちろんあってはならないことです。しかし、常にその危険があることもまた事実です。戸塚ヨットが相手にしている「情緒障害児」は、全く予測できない異常な行動を取ることがしばしばあります。そうした子ども達を、24時間体制でケアしているのは戸塚ヨットしかありません。そして、それほどに複雑な心の病、親や先生ですら手がつけられない子ども達を600人以上直してきたことも事実です。一般常識では理解しづらい「情緒障害児」、この実態を知らずに、死亡事故の原因を議論することはできません。

Q78 スクールには本当に罪はないの?

スクールは自分達に何の責任もないなどとは言っていません。人が死んだという事実を厳粛に受け止め、反省も謝罪もしています。罪名が「業務上過失致死」ならここまで争うこともなかったでしょう。しかし、検察側はあくまで「傷害致死」という主張を崩しませんでした。つまり、故意に暴力をふるって子どもを死なせたと言うのです。それだけはどうしても認めるわけにはいかなかったのです。

Q79 これからスクールはどうなるんですか?

今までと何ら変わりはありません。戸塚ヨットが行っている教育は科学的なものであって、戸塚校長の名人芸ではないのです。だからどのコーチが行っても同じ成果を出すことができます。
そのような成果を積み重ねることで、戸塚ヨットの教育法の普遍性に気づいてもらいたいと思います。

Q80 「世論」は変わりますか?

事件が起きて19年経った今、非行や登校拒否は激増するばかりです。この事実を正面から捉え、冷静な分析と思考を重ねれば、戸塚ヨットの方法論が科学的に正しいものであることは必ず理解されるはずです。そして、その科学的真理を理解する人が1人づつ増えていけば「世論」も変わるに違いない。私達は、そう確信しています。