第三章 拘置所生活案内(下)


 法廷では、私が顔を上げっ放しにしていたのと検事が朗読をトチったことをからめて、翌日の新聞には、
「(起訴事実の)あまりの残酷さに検事絶句、胸張る戸塚」
という大活字が躍っていました。まったく低級なこじつけです。
 中には傍聴席にいた記者が、
「後ろから見ていても戸塚が(起訴状朗読を聴いていて)奥歯をかみしめるのが分かる」
とレポートしている記事もありました。かみしめてもいないのに「分かる」とはどういうことか。大新聞の報道とは主観と想像で作りあげるもののようです。

 初公判はこのような、ただのお祭り騒ぎのイメージしか残っていません。
 それなのに20回以上を数えた近頃の裁判では傍聴席もガラガラ。新聞にも「今後の裁判の行方を見守りたい」と書いてあった割には、ズイブンのお見限りです。そもそも新聞記者は午前中に検察側の主訊問が終わると、さっさと帰ってしまいます。午後、弁護側の反対訊問で同じ証人がメロメロになるところがおもしろいのに、自分に都合の悪い取材はしないのです。とんだ報道ファッショです。ふだんファッショ反対を叫んでいるのは、自分たち以外のファッショは許さぬということなのでしょう。

 検察側も私が態度を変えるとは思わなくなったのか、取り調べはあきらめたようです。拘置所へ移ってからは、時おり検事が雑談をしに来るだけになりました。この時には必ず新聞の切り抜きを携えてやって来ます。
 「罪を認めろ」
「争うべきでない」
「黙秘は裁判を長期化させるだけ」
などと一方的なことを書きたて、「戸塚ヨット」の悪名をより一層あおろうとする記事ばかりを丹念に集めて持ってくるのです。
 ご苦労なことです。

 ある日、海上保安庁が取り調べに来たことがありました。合宿先から帰る船内から行方不明になった訓練生の事件についての調べです。
 この取り調べに対し、私は合宿地である奄美大島へ行くまでのことを話し、その後のことについては黙秘しました。この調べのために、神戸海上保安庁からわざわざ遠路、名古屋拘置所まで来てもらい、少々気の毒に思ったからだったのですが、私が少しでも口を開いたとあって、次の日の新聞には、
「戸塚、ついに黙秘を解く」
と、思い入れたっぷりの記事が出ていました。
 その記事につられてしまったのか、それから検事がやってきて調書を作ろうとしましたが、私の態度は変わっておらず、お互いにどうして取り調べが行われることになったのかが察しられたので双方で大笑いしたものです。

*        *

 初公判までに、検事が何回かやってきました。言うことはいつも、
「罪を認めろ」
ということです。

 例によって新聞の切り抜きを持参していましたが、それは"戸塚離れ"を表明した加藤コーチについての報道でした。
 新聞記事に掲載されている談話で、加藤コーチは、
「初公判で戸塚さんが罪を認めなければ、私は戸塚さんとは縁を切る」
と発言していました。
 検事は、でかでかと取り扱われたその記事を切り抜いて持ってきては、私に迫りました。
「志を同じうしていたはずのコーチもこう言っているんだぞ」
と。
 ところが、その加藤コーチが、自分の初公判で罪を否認したのです。それには検察もマスコミもあわてたことでしょう。「戸塚離れ」発言がいかに捏造(ねつぞう)されたものか、あるいは正常ではない状態でなされたものであるかが分かろうというものです。

 検事が拘置所へやって来ることもあれば、逆に呼び出されることもあります。
 ある日、私は山田主壬検事に呼び出しを受け、地検へ出頭させられ、他の件について事情聴取されました。その"別件"に関しては簡単に済ませてしまい、検事はやがて"本題"に立ち入った話をし始めたのです。
 しかし、言い回しが婉曲で、なかなか要領を得ません。遠回りな言い方しかしないので、私もイライラしてきました。それでも何となく、言おうとしていることは分かりました。
 「要するに」と私は説きました。「申し訳ないが、あなたのしゃべっていることはよく分からない。よく分からないが、一言で言えば私の弁護土を変えろと言っているんではないですか?」
ハッキリ言って欲しい、と私が言うと、検事は、
「まあ、そういうことだ」
と答えました。

 何を考えているんでしょうか。
 検事と被告。法廷闘争を展開する敵同士です。被告にとって数少ない頼りになる味方は弁護士をおいていないのです。それなのに、検事が被告に対して、
「おまえの味方は手強いから変えてくれ」
と相談を持ちかけている。あまりの無茶苦茶さに声も出すことができません。これは一体何なのでしょうか。
 自分の旗色が悪いので、闘っている当の相手に味方を裏切ってくれと頼んでいるようなものではないですか。
 それも、今そんなことを頼んでいる相手に対して無茶なことをやりたい放題にやってきた後に、です。都合が悪くなると、こんなでたらめなことを申し入れてくるという、その神経が理解できません。


 検事は"取引"を求めてきたのかも知れません。
 が、これでは取引にも何にもなりはしない。
 これこれの利益を与えるから、こちらにこれだけの見返りをくれ、というのが"取引"です。
 検事の提案は私に無条件に損をしろ、という一方的な"無心"をしているに過ぎません。まったく、どういう神経なのでしょう。頼めば何でも自分の思い通りになると思っているわけです。

 こんなものが裁判なのか。
 これが法廷闘争というものなのか。
 そのアホらしさに、そしてそんなアホらしさの中で毎日の生活を生きることで闘っている自分の境遇に、私は絶句するほかはありませんでした。

 検察側は、何しろ私たちを有罪にしたてあげ、自分たちの行為を正当化しなければならないのでしょう。自分たちの権威を守り、自分たちの利益を保ち、自分たちの欲望を満たすことが、最重要関心事なのです。当面の敵である被告たる私や、私と共に闘っているコーチたちのことなど、実は眼中にないのかも知れません。もちろん、その私たちが逮捕されて以来、どのような処遇を受け、どのような生活を送ってきたかなど、全然思い及ぶこともないのでしょう。とにかく有罪判決を勝ちとること。自分たちの立場を安泰にするためには、そのことだけが全てなのです。そして、それを得るためにはどんなことでも平然とやってのけてしまうのです。

 それは「戸塚ヨットスクール」へやってくる子供たちと同じ精神構造と言わねばなりません。
 自分も社会の一員であり、自分の行動や願望を社会生活の規範の中に調和させていかねばならないという基本的な生活姿勢を持ち得ない子供たち。学校生活、社会生活から落ちこぼれ、通常の人間の行動規範から脱落した子供たち。そのことによって感情や意欲が<いびつ>になってしまった情緒障害児たち……自分に都合のいい一方的な言い分しか認めず、自分の持てる力でしか物事を解決できない連中。全く同じです。


 山田検事は、弁護士の所へも再三電話を掛けてきて、いつも一方的に自分の利益ばかりを主張するということでした。弁護士は呆れて私に教えてくれました。

*        *

 58年12月23日に行われた第2回公判では、私たちが意見陳述をやりました。初公判で罪状認否を行わなかったので、その代わりに、ここで私たちの態度をハッキリと示したわけです。
 被告全員が自分の文章を朗読、提出し、
「検察側の証拠が開示されない以上罪状認否はできる段階ではない」
旨を申し述べました。
 この時、山ロコーチは痛烈な裁判批判をしましたし、翌年になって分離、警察の言い分を認めて保釈されたT君も、当時はまだ元気がよかったものです。

 横田コーチは実に気の毒な立場にあります。
 彼はもともと小川君事件には全く無関係だったのに、傷害致死2件、監禁致死事件と、暴行など数件、さらには"強制ワイセツ罪"にも問われていたのです。
 これは横田君が、風呂場で全裸になっている女子訓練生に暴力を振るった上いたずらを働いた、という容疑ですが、その根拠となったのが「暴行を受けた」という女子訓練生の一言だけなんです。しかもその子は「しゃべることがほとんどウソばかり」ということに困った保護者が、それを矯正して欲しいとスクールに連れて来た子なのです。

 また、暴走族傷害事件で既に横田君は逮捕されていました。その後私も逮捕拘置され、世の中の目という目が「戸塚ヨット」に向けられ、非難が集中していた時期に、その子が警察に訴え出たというものです。本当に彼女が"自発的に"訴えたかどうかも怪しい。
 それが単なる想像でないのは、横田君が強制ワイセツで再逮捕、起訴された後に、当の彼女が検事のところへ来て、訴えを取り消したいと申し出たことでも分かるはずです。
 被害を受けたとされる本人が告訴を取り下げると言っているのに、検察は「ダメ」と言い、横田君はその罪に問われたのです。本末転倒としか言いようがありません。

 冒頭陳述の時、検察側は横田君のこの「強制ワイセツ」について、あまりにも不自然だと気がついたらしく、起訴状を重要な点で修正しています。つまり、横田君の「強制ワイセツ」事件は、彼を拘置しておくための"手段"に過ぎなかったことが分かります。


 横田君は暴走族に対する傷害"事件"で逮捕されたわけですが、その後検警察が「戸塚ヨット」つぶしに展開した「小川真人君傷害致死事件」とは関係がなかったために、そのままでは保釈せざるを得なかったのです。しかるにさらに私たちを叩きつぶそうとして立件を策していた他の傷害致死"事件"2件でも横田君を連座させようとしており、その件でも再逮捕するまでの"つなぎ"として、この「強制ワイセツ」を別件としてデッチあげ利用したわけです。
 有罪に持ち込むには手段を選ばず検察側のやり方はルールを無視した、実に情緒障害児的なものです。

 公判で審議されるべき私たちの容疑は、57年12月に死亡した小川真人君に対して加えられた「傷害」が違法であったかどうか、また他の何件かの類似の事故においても、私たちの行為が違法であったかどうか、という点にあります。私たちが日常的に行っていたスクールでの「訓練」のやり方が、そのまま「傷害致死」という罪状を成立させ得るかどうか、ということができます。

 「戸塚ヨットスクール」を主宰し、指導する立場にある私が、スクール内で起きた「事故」に対し全面的責任を負わねばならないのは当然です。事実、51年に最初のスクールを開設して以来、一貫して厳しいヨット訓練活動を続けてきた中で、3人の死者、2人の行方不明者を出してしまった悲しい、残念な「事故」が起こっています。
 その事実に間違いはない。そして、それに関する責任一切を免れようという気持ちはありません。起きてしまった事故の、私に対する責めを逃れようなどというつもりは、これっぽっちもないのです。
 その責任の所在、そしてそれが刑事責任にあたるかどうか、その点を明らかにする裁判をやり、法のもとに審判を受けなけれぱならないのなら、私は逃げも隠れもしない。むしろ自分から進んで客観的事実を明らかにしたいと思っていました。この姿勢は、逮捕される前も、2年間以上も拘置された後の今も、全く変わっていません。スクール内で起きたことの全責任は、私が負うものです。これは変わりようのない「事実」と同じ性質の事柄なのです。


 しかし、事実上、私たちが直面している公判では、そうした容疑を審議する方向で進んでいるとは言えません。というよりも、裁判を進める基本的なスタート地点にさえ立てないでいる、と言った方が正確でしょう。
 人間が人間を裁く際、最も留意されなければならないことは、その裁きの基準が可能な限り公正であることだと思うのです。しかるに、私たち被告は不当にも悪意に満ちた予断と偏見の中で公判という場に晒(さら)され、一方的な訴えを受けているのが実状です。
 私に責任がないと言いたいのではない。私は公正な審判を受け、当然の責任なら負うべきであると考えているのです。

 私たちが問われているのは刑事裁判です。そして罪名は「過失」も「業務上」もつかない「傷害致死」「監禁致死」なのです。これは「犯意」を持って傷害を負わせ死に致らしめた、あるいは監禁して死に致らしめた、ということなのです。
 この無茶苦茶な罪名を押し通すために検察はどんどん深みにはまっていきました。

 まず、ヨットスクールは初めから子供をいじめ殺すことを「目的」とした所でなくてはなりません。そのために私たちを暴力団であると決めつけました。しかし都合の悪いことに、この暴力団は株式会社であり、自由経済の下でちゃんと営業をしており、しかも顧客は自由意志でやってきます。そこで今度は私たちを詐欺集団にしなければなりません。実はヨットスクールは全く効果がないのだと宣伝を始めました。統計をでっちあげ、それを実証したつもりでいるのですが、そのでっちあげがどのようにして作られたかが、皮肉なことに検事側の証人によって次々に暴露される始末です。
 しかし、「おまえたちは初めから犯罪をしていたのだ」となんくせをつけられ、誰が「ハイその通りでございます」と認めるでしょう。私たちは自分たちの生活を犠牲にしてまでも、問題児のために尽くしてきましたし、驚くほど重症の子供に対しても信じられないほどの成果をあげてきたのです。

 さらに検察側が私たちのやったことを治療でも教育でもないと断言するためには、正しい治療、正しい教育についての確かな理論が必要です。そんなものがあるくらいなら問題が起こらず、ヨットスクールはただのスポーツクラブとして存在していたでしょう。彼らは正しい物差しを持たずに計ろうとしているのです。


 監禁致死にいたっては、「死体なき致死事件」です。本来なら死体なき殺人事件でさえも刑事事件としては成立しないのに(ところが日本の裁判官はこれを成立させてしまうことがあります)、子供の自由意志で逃走したものを、私たちがそうさせるように仕向けたとしているのです。海へ逃げたものやら陸へ逃げたものやら、自殺なのか逃走なのか、あるいは殺人の可能性だってあるのです。このように罪状がろくにないのに、平気で刑事事件にし、あきれたことに裁判所もホイホイと逮捕状を出してしまうのです。この「文化果つる国」が日本であり、日本の刑事裁判の現状です。全て裁判官の責任です。

 私たちの裁判は検察、裁判所ともこの基本的な問題点に無理矢理目をつぶって進められております。同じような証人をワンサと並べて、質は悪いけど量で押しまくり、なしくずしに有罪にしてしまおうとしています。

 分離してしまったT君はすでに判決が出ております。この判決が大問題になることが分かっているので、弁護団はこの事件の記録の閲覧を求めました。驚いたことに、裁判所と検察が協力してこの記録を隠してしまったのです。誰でも見ることのできるはずの裁判の記録をです。

 マスコミが騒げぱなるべく重い罪にして、成績をあげようとする検事、全力をあげて検察とマスコミの意図に添おうとする裁判所。この民主主義の否定の実態を見ていて、それを攻撃するどころか、逆に応援する「権力の片腕」マスコミ、何という文明国なのでしょうか。

 こうした暗黒裁判と呼ぶしかない権力の愚行の犠牲になって身動きできない期間が2年以上にも渡ったとしたら、どうでしょう。どんな人でも泣きたくなるはずです。まったくの無為の日々。長い人生とはいえ、丸々2年間が全然何の意味もなく"消されてしまう"とすれば、誰だって情けない、腹も立つ。中には精神に異状をきたしたり、神経をやられておかしくなってしまう人が出てきても不思議じゃありません。

 私たちが向かい合っている毎日の現実は、まさにそうした事態なのです。日々の生活は単調で、気の遠くなるような時の流れがゆっくりと過ぎていき、私たちはその真ん中にじっと座り込み、想像を絶する退屈を持て余し、次第に衰えていく自分たちの肉体を抱えています。証拠隠滅のおそれがある、という全く理由にならない理由で強いられている拷問の日々。目に見える私たちの日常は飽きのくるほどのんびりしたものですが、それは外見上のことで、実際は緊急事態と言うべきものです。こう言っている私自身が、いつおかしくなるかもしれません。
 それが緊急事態でなくて何でしょうか。

 私が逮捕され、58年当時のマスコミを賑わせた「戸塚ヨット事件」は無事に一件落着した、と思っている人が多いはずです。マスコミが告発し、マスコミが事件を作りあげ、マスコミが解決したような騒動でした。世間大方では既に私は"過去の人"になっていることと思います。

 「ある場所に"スクール"を名乗る強制訓練所があった」
「そこでは"シゴキ"の名のもとに訓練生を虐待し、逃げ出さないよう監禁する方法がとられていた」
「そのようなスパルタ方式が"情緒障害児"の矯正には特効薬的効きめがあると偽って"顧客"を集め、多額の入校費用を吸いあげて暴利を貪(むさぼ)っていた」
「常軌を逸した暴力路線はとうとう行き着くところまで行き、訓練生が相次いで殺される事件が発覚」
「捜査を進めていた当局によって主謀者を始めその一味が一網打尽にされ、未曾有の残酷集団は壊滅、事件は無事に解決した。メデタシ、メデタシ」

 多くの人が新聞やテレビ、雑誌の報道から情報を得て、私たちの"事件"のてん末をこのように組み立てているのではないかと思うのです。私は徹底して悪役を演じ、凶悪な一味の首魁(しゅかい)として登場してくるはずです。マスコミは悪者を非難し、攻撃することで新聞や雑誌の売り上げ部数を伸ばし、テレビの視聴率を上げようとします。そのことにかけては専門職がそれこそゴマンと揃っているのですから、個人がどう反論しようと太刀打ちしようもありません。まんまと私は大悪党になりおおせました。

 が、今ちょっと考えてみましょう。マスコミの言う悪党集団の"一味"はみんな官憲の手によって逮捕されました。そして"犯人"たちはどうなったのでしょう?
 マスコミが大騒動をするほどの極悪人たちのことです。おそらくはその重い罪に見合う報いを受けたことでしょう。死刑?無期懲役?
 どうも違います。"重犯罪人"であるはずの私たちは「しばり首」にもなっていないし、刑務所で服役してもいない。「未決囚」として2年余の長きに渡って拘置所に拘置されたままなのです。そしてこの先、この状態が何年続くかも知れません。
 このことは何を物語っているのでしょうか?

 それは「戸塚ヨット事件」そのものが「一件落着」などしていないのと同時に、マスコミや検警察が描いてみせたほど単純な「凶悪猟奇事件」でもなかった、ということを示しています。
 そして何よりも、「被害者」である情緒障害児の問題が、「解決」どころか、全く手つかずの状態で放置されたままであるということを示しているのです。


 私たちが現在、一体どのような境遇にあるのか、どのような闘いを余儀なくされているのか、私たちが何の不安も感じずに暮らしている国の検察や警察、裁判といったものがどのようなものなのか、考えてみる必要はないでしょうか。
 以下に掲げるのは、58年の12月に行われた第2回公判で私が行った被告人の冒頭陳述です。面白くもない文章です、本当に。朗読した本人が言うのだから、間違いない。しかし、2年も前に私がこの冒陳で述べた状況と、現在も何ら変化がなく、むしろ裁判が長期化して事態は悪化する一方であることを考えると、私たちが直面している状況、引いては我が国の裁判事情、検察警察の本性というものがどういうものであるかを知るためには、大いに参考になる一文ではあると思うのです。

*        *

意 見 陳 述 書

傷害致死等

被告人  戸 塚 宏
外 七 名

   昭和58年12月23日

石被告人  戸 塚 宏

名古屋地方裁判所刑事第四部  御 中

  1.  私がこの事件で逮捕されたのは本年6月13日のことであり、既に身柄の拘束は6ヶ月以上に及んでいます。

  2.  その間、捜査当局は戸塚ヨットスクールを組織的・計画的・常習的暴力集団と決めつけ、これを閉鎖に追い込むことを目的として犯罪捜査の名のもとに常軌を逸したとしか言いようのない行為を執拗に繰返しました。
     例えば
    @スクール関係者の殆どが逮捕勾留され、一言の弁明もできないことをよいことに自らに都合の良い情報のみを、虚構の事実をまじえてマスコミに流すことによる世論操作がなされました。
    A私の後任としてスクールの責任者となった加藤忠志コーチに対しては、過去数年間、全く問題にもならなかった、訓練生を同行した行為を理由とする逮捕勾留が行われ、そのむし返しがありました。
    Bまた、その後を引継いだ境野貢コーチの逮捕に至っては、3年前の昭和55年11月に発生したものであり、同コーチは、当時参考人として警察の任意捜査に協力し、事情聴取を終了していた行為を被疑事実とするものでありました。

  3.  これとは別に、捜査当局は、愛知県下の各警察署に各コーチを分散留置し、弁護人との接見を妨害する一方、各コーチに対して連日長時間の取調を行い自白を強要する中で、スクール、及びその責任者である私に対する、多くの虚構の事実を交えての誹謗・中傷を行うことにより、私と各コーチを離反させ分離裁判に追い込もうとする分離工作も執拗に行いました。
     小川君に対する傷害致死事件で逮捕しながら、遂に起訴すらできなかった奥山コーチに対して、
    「戸塚は弁護料さえ支払わない」と全く事実に反する誹謗を行ったことなどはその典型であろうと思います。
     また、私共の弁護人に対するいわれのない誹謗・中傷を行うことによって、他の弁護士に代えさせようと各コーチに迫った事実も、数多く明らかになっております。

  4.  更に、私の聴き及ぶ限りにおいて、参考人である場合は捜査当局の事情聴取に応ずるか否かは、刑事訴訟法上本人の全く自由な意志によるものだとのことであるにも拘わらず、捜査当局はこの原則を頭から無視し、スクールでの訓練を終わり、やっと元気に登校することができるようになった子供の通学先の中学校へ押しかけ、授業中に校長室で強引に事情聴取を行い、保護者の立会を拒否し、訓練を終わった生徒の自宅へ押しかけ、そっとしておいて欲しいと願う両親の切なる希望を無視し、調書が気に入らないから調べ直すと称してつきまとい、遂にはその少年を家出にまで追込んだり、事情聴取に応じない時は少年院に送り込んでやると脅迫した捜査員さえあります。また、本人の意志を無視してスクールから連れ出し精神病院へ送り込んだ事実もあり、支援者に対しても、嫌がらせのため、その実家付近で必要もない聞き込みを行った例もあります。

  5.  この席でその全てを語ることはとうていできませんが、小川君の死亡以来、過去1年に及ぶ捜査当局の行為が、先に述べた如き理不尽な行為の繰返しであったことを、そして、今後この法廷に提出されるであろう証拠の多くが、先に述べたような状況のもとで作られて来たものであることを、裁判所におかれては何よりもまず御銘記頂きたいと考えるものであります。

  6.  次に、私は多くの被疑事実により起訴されております。もとより、お亡くなりになった方には大変お気の毒に思いますし、私自身1番残念なことと考えています。また、そのいづれについても自らが真に行ったこと、関わったことについて事実を曲げて申し開きをしようなどとは一切考えておりません。
     むしろ、可能な限り自らの信ずるところを、この事件における審理の場で率直に披歴し、そのための主張・立証の努力を弁護人の協力のもとに続けたいと逮捕以来終始考えて参りましたし、その考え方は今も変わるところはありません。また、この気持ちは、ここに出廷している他のコーチの諸君も、皆同様であろうと考えます。
     ところが、本件の第1回公判に臨んだ検察官の態度は、私共のこのような意志を完全に裏切ったものであり。密室における取調に際し、同コーチに対して居丈高に臨んだ態度とは全く逆のものであって、私共をガッカリさせるに十分なものでありました。
     まず、検察官は前述のような手段で収集したであろう膨大な証拠のうち、重要な部分をひたすら隠し続け、私共及び弁護人に閲覧さえ許そうとしなかったのであります。
     また、不明確を極める公訴事実に弁護人の求釈明に対し、殆ど答えようともしなかったのであります。
     私は法律のことはよく分かりませんが、絶大な権力を欲しいままに行使し、しかも先に述べたような手段を弄して証拠を収集しながら、これによって収集した証拠の重要な部分を、殆ど被告人や弁護人に閲覧もさせず、その防御権を妨害することによって、不意討ち的手段により、早期に私共を断罪しようとするが如き態度は、姑息極まるものであって、仮にも、公益の代表者のとるべきフェアな態度であるとは、とうてい考えられないのであります。
     もし、検察官がフェアな態度で事前に証拠を開示し、弁護人が事前に提出していた求釈明に対しても真摯にこれに応じていたならぱ、私は、公訴事実の全てについて第1回公判において詳細かつ明確な罪状認否を行うつもりであり、これによって本件の争点はより明確となった筈であり、迅速かつ実質的な審理が可能となった筈であります。
     しかるに、自らが公益の代表者であることを忘却した、検察官の前述のような姑息な態度によって、罪状認否を含まないこの意見陳述を行わざるを得ないことを私は心から残念に思うものであります。
  1.  さて、私は昭和50年に沖縄海洋博を記念して行われた、第2回太平洋横断レースに優勝した後の、昭和51年秋頃から同52年春までの間に、全国8ヶ所に「戸塚宏ジュニアヨットスクール」を開設しました。
     これは、「欧米のヨット先進国なみの実力を持つヨットマンを育てる」ことを目的としたものであり、ひいてはこのヨットスクールに参加する少年たちに「ヨットを通じて頑健な肉体、独立心、連帯感、集中力、がまん強さなどを培わせようとするものであり、また、自然と触れ合い、自然の持つ美しさ、その厳しさを体験することによってより自然を大切にする心を育て、自然の偉大さを知る機会を与えよう」(「開校のあいさつ」より)というものであり、その期間は1年間、月2回であり、冬期及ぴ夏期には、2泊3日合宿も行いました。
     私が、私自身の夢を子供たちに託すべく開設した「戸塚宏ジュニアヨットスクール」は、その後、順調な発展を続けていたのでありますが、たまたま、昭和52年4月、名古屋校に小学校5年生の情緒障害児が入校しました。この少年は極度の学校嫌いで、それまで児童相談所に行ったり専門施設に預けられるなどしたのでありますが全く効果がなく、思いあぐねた父親の意思で入校することになったものでありますが、入校後数ヶ月で上記症状は完全に回復し、毎日登校するようになったのであります。そして、この事実が次第に知れわたるところとなったため、情緒障害児を持つ全国の両親から私のもとへ問い合わせが殺到し、多くの情緒障害児が、以後上記ヨットスクールへ入校するようになったのであります。そして、その多くが回復した結果、上記ヨットスクールにおける訓練がこれらの情緒障害児の回復にも著しい効果があることが結果として実証されることとなったのであります。

  2.  先に述べた通り、私は、偶然の出来事が契機となり、かつこのような子供を抱えた家族の悲痛な訴えを聴かさせるに及んで、むしろ、当初の自らの意思とは異なった方向へ歩み出さざるを得ない結果になったのでした。そして、入校を希望される多くの人々の要望に応えるため、昭和52年12月には情緒障害児のための特別合宿というコースを併設したのであります。
     その間、私は私なりに我が国における情緒障害児の実情について、色々調べてみました。
     それによって私が知り得たことは、結論から先に申し上げるならぱ、まことに深刻な情緒障害児の実情でした。即ち、情緒障害児とは情緒的不安定ないし緊張によって不適応な情緒反応を示し、様々な問題行動、神経症的反応ないし、病的反応を呈する子供を言い、吃音児、神経性習癖児、緘黙(かんもく)児、登校拒否児、非行児、夜尿児、などがその代表的なものであると言われております(黎明書房 講座情緒障害児第4巻「登校拒否児」刊行のことぱから)。文部省の統計によりますと、情緒障害が原因の大部分を占める登校拒否児(学校嫌い)の長期欠席者は、小・中学生で約1万2千人(52年)ですが、統計は氷山の一角と言われており、国では47年から10年計画で情緒障害児特別学級の設置をはじめ、53年までに約千の学級が全国に開設されているとのことであり、この種の行政的対応としては、かつて例のない急激な増え方であると関係者はその数字をあげています。
     ある意味で社会問題とも言えるこうした実態に対して、指導、教育、治療面での対策は、「実態も指導方法も、解明されていない面が多く、研究中」(文部省初中局特殊教育課)という状態で、文部省でもこの問題について専門的にデータを集め研究する部門として「情緒障害教育研究室」を53年から発足させた段階であり、本格的な対策は模索の域を出ていなかったのであります。
     また、当時、行われていた社会的な対応としては、自治体の福祉事務所の中にある家庭児童相談所や、全国153の主要都市に設置されている児童相談所の窓口で、相談から指導、治療へのアドバイスを行っているのがほとんどの例でありますが、この面でも、心理判定員など専門指導者は数が少なく、雑多な相談事項の一部として扱われている例が多いし、治療が必要と判断されても、その専門施設は公共のものでは情緒障害児短期治療施設が全国で11ヶ所、収容人員は500人ほどという現状で、とてもさぱききれない状態であり、名古屋市の例では、電話相談に月間千件を越える登校拒否児の相談があると言われています。
     ほかに、大学病院などの心理医学専門の医師の指導も行われていますが、根本的に情緒障害への対応という面での方法論は確立されておらず、相談員、心理判定員、セラピスト(心理療養師)、精神神経科医といった分野の人々が、それぞれの立場で、様々な治療上の苦労をし、試行錯誤を繰り返しているのが現状であり、自治体で1ヶ月程度の合宿治療を行っているところもあるとのことであります。
     私が、自らの調査によって、当時知り得た事実は以上のようなものであり、現に、登校拒否児に代表される多数の情緒障害児が発生し続けているのに、これに対する行政機関の対策はまことに不十分なものであり、むしろ無きに等しいと言って過言でないと言えるようなものでした。

  3.  そして、私の主宰するスクールヘ入校を希望する子供の殆んどが、僅かに存在する上記のような相談所や施設をめぐり歩き、はかばかしい結果を得られないまま思いあぐねて、私のスクールの門を叩いた人々でした。
     自ら体験した者にしか、このような子供を持った家庭の悲惨さを理解できないとは思いますが、その実情は私にとっても想像を絶するものでありました。その全てをここで語ることは不可能ですが、殆どの親は子供の暴行により受傷しており、中には子供の暴力により両親とも骨折したり、半身不随になった親さえありました。そして、両親の多くが、1度は子供を殺して自分も死ぬことまでを覚悟した経験を持っておりました。
     このような親に対し児童相談所の係官は「あなたは、15年かかってこのような子供にしたのだから、これから15年かけて治すよう努力しなさい」と言ったとのことでした。
     また、全ての施設は両親が子供を施設まで連れて来るよう要求し、自ら出向いてくれるところは1ヶ所もなかったとのことでした。
     私共のスクールでは、上記のような実態の中で、御両親の何とか連れに来て欲しいとの切実な願いを拒絶し難く、昭和54年頃から子供を家まで連れに行き、保護者の承諾を得てスクールまで連れてくることに踏み切ったのでした。
     その間、警察・検察庁からこれが犯罪にあたると注意や警告を受けた事実は只1度もなく、むしろ警察官が子供の所在地まで同行してくれたり、斧をもって暴れ回る子供を、パトカーでかけつけた警官が私共に協力してスクールの車に押し込んでくれたような事実も数多くありました。
     ところが、本件の捜査が始まるや一転して、捜査当局はこれを逮捕監禁罪であるとして私共及び支援者を逮捕し起訴したのであります。

  4.  次に、戸塚ヨットスクールについて、捜査当局は、これを組織的暴力集団であると頭から決めつけ、専ら殴る蹴るの暴行を朝から晩まで訓練生に加え続けたかの如く主張し、私が逮捕されて以来のマスコミの報道も、大なり小なりこれと軌を一にするものであります。
     しかし、上記のような主張や報道がいかに虚構に満ちたものであり、真実に反するものであるかは、スクールにおける毎日の訓練のスケジュールを一見すれば明らかなところであります。
     即ち、戸塚ヨットスクールにおいては毎日午前8時から12時までと、午後1時から5時までは、専ら海上におけるヨットによる帆走訓練を行っており、陸上における訓練はその準備運動として午前6時から7時まで行われるラジオ体操、ランニング、体力トレーニングのみであります。
     そして、体罰を加えることがあるのは、この準備運動の行われる1時間に限られるのであり、海上におけるヨットの帆走訓練が日課の中心でありその時間帯における体罰などは極めて少ないのであります。
     もともと、戸塚ヨットスクールは、その名称からも明らかなとおり、海上におけるヨットによる訓練を中心とするものであり、これを抜きにした訓練などはおよそ考えられないのであります、捜査当局や一部のマスコミが、好んで喧伝する所謂シゴキによって情緒障害児が回復する筈はないのであります。一口に言えば、子供をヨットに乗せて沖へ連れ出し、孤立無援で海や風という自然と闘わせることによって精神力を鍛え、やり遂げた満足感により自信をつけさせようとするのが私共の採用している方法なのであります。
     そして、ヨットによる訓練は英国の王室内及び貴族がその子弟の教育のために数百年も前から採用している優れた方法でもあります。
     戸塚ヨットスクールが、あたかも所謂シゴキのみを行う施設であるかの如く主張し報道することは、極端に事実を歪曲した誹謗・中傷以外の何ものでもないことを強調したいと思います。

  5.  情緒障害児を回復させるための教育には、種々の方法があろうと私は考えております。
     もとより私は教育の専門家ではありませんし、私自身が行ってきた方法は、現実の体験の中から生まれてきた実践的なものであり、教育学や心理学の専門家の主張されるような高遠な理論に裏打ちされたものではありません。
     しかし、戸塚ヨットスクールへ入校したことによって回復した多くの子供がいることは、紛れもない事実であり、否定し難い真実であります。
     これまで教育や心理学の専門家と称せられる人々をはじめ多くの人々が私共のスクールのやり方に強い批判を加えられました。勿論、教育や心理学について門外漢でしかない私の方法に批判があることは当然であり、批判は批判として謙虚に受けとめるに決してやぶさかではないつもりです。
     しかし、他人の方法に厳しい批判を加える以上、批判者自身も自らの積極的な代案を、換言すれば情緒障害児を回復に導くためのより優れた青写真を示すべきであろうと考えるのであります。
     批判のみによって、この深刻な社会問題は、決して解決されないのです。しかし、今まで戸塚ヨットスクールに対して、多くの批判はあっても、誰一人として積極的に私の採用している方法に代わる具体案を示された人はありませんでした。
     このような事実に、社会問題としていち早く取組まなければならない筈の国や県の態度も上記と同様でした。
     私は、このような態度は少なくとも責任ある者のとるべき態度であるとはとうてい考えられないのであります。

  6.  最後に、情緒障害児問題の持つ深刻さの故に私共のスクールでは一時入校希望者が殺到し、設備や体制の面で不十分な面が生じたことは事実であります。
     しかし、私及び各コーチは、そのような状況の中で情緒障害児の問題に全力をあげて正面から取組んで参りました。決して営利のみのための手段でなかったことも事実であります。
     しかし、私共の真意とは全く逆に、捜査当局は意図的に営利目的のみの組織的暴力集団という名で世論操作を行い、その現象面のみを取りあげ断罪しようと意図しているのであります。自ら直ちに取組むべき深刻な社会問題を放置しながら、これに必死に取組もうとした微力な人間を、専ら批判するのみに終始し、遂には捜査権の行使の名において強制力を用いこれを抹殺しようとする態度に対し、私は限りない憤りを覚えるものであります。私が6月13日の逮捕以来完全黙秘を続けたのも、私共の行動に一片の理解も示さず、上記のような自らの一方的評価を私に押しつけようとした、捜査当局の不公正な態度に対する抗議のためのものであります。
     どうか裁判所におかれてはこの事件の社会的背景、及び本質が奈辺にあったかという点についても、充分目を据えた公正な立場で、審理されるよう切望する次第であります。