第四章 拘置所日記(U)
60年3月19日
朝…ナットウ、梅干し、ミソ汁(モヤシ、トウフ)
昼…卵丼、アジ塩焼き、大根おろし、シューマイ、煮豆
夕…ピラフ、中華スープ、紅ショウガ
願い事…面会用メモ携行願い、発信願い(2通)
AM11:20…面会(幸子)
PM1:15…保安課呼び出し(昨日速達発信済み『プレイボーイ』用原稿の件。昨日の朝に速達で出したのに、まだ所内にあったため、そのことでモメる)
PM2:20…差し入れ(衆議院予算委員会議筆録16号、大量の間食品=甘納豆、菓子、羊羹、牛肉缶詰、パイナップル缶詰)
PM6:10…来信(3通、うち1通は石原慎太郎氏より)
* * *
昨日の朝、速達で出した原稿がまだ所内にある。
しかも、内容を一部削除しろ、と言う。
検閲は証拠隠滅や、所外の証人に対する強迫を防ぐためのもののはずである。しかるに、ただ単に検察や拘置所にとって都合のよろしくないことが書かれていると、これに引っかかってしまうのだ。曰く、
「管理運営上問題がある」
何でもこのセリフで押し切ってしまう。
そこで、
「具体的にどんな問題があるのか」
と訊いてみた。返答はいつもの通り。
「答える必要はない」
さらに、
「どうして答える必要がないと思うのか」
と問えば、またまた、
「法律には答えねばならないとは書かれてないからだ」
と返ってきた。100年経ってもこう答え続けているがよかろう。
石原慎太郎氏から手紙が来た。
東京の消印は14日で、受け取りは19日。別の便りは神奈川の消印18日である。慎太郎氏の手紙は1日で着くところを5日間もかけて届いているわけだ。偶然ではない。
こういう重要な手紙に限っていつも遅れるのである。今日に始まったことではない。
そういった手紙が"どこ"を巡って遅れて届くのか、保安課長は、
「遅れたのは郵便局のせいだ」
とおっしゃる。それはつまり、法務省のせいではなく、郵政省のせいだというわけだ。
郵政省の皆さま、どうして大事な手紙だけを選んで配達を遅らせているのですか。教えて下さい。
だが考えてもみろ。私が保釈されない理由は「証拠隠滅のおそれがある」ということだけである。「逃亡のおそれがある」といっても、我々にはこの先やりたいこと、やらねぱならないことが山ほどある。あほらしくて逃げる理由も暇もない。それに逃亡のおそれ、なるものは拘置が1年も続いてから、なぜか裁判所が付け加えてきたものに過ぎない。私が拘置所に閉じ込められている唯一の理由は「証拠隠滅のおそれ」これ一点であると言える。そのたった1つの理由だけで、私は完全に自由を奪われるぱかりでなく、拘置所内での不当極まる扱いを受け続けているのだ。
私の現在の立場は刑事被告人である。だが裁判で争っている以上、私は罪人ではない。にもかかわらず、2年以上の長きに渡って完全に自由を束縛され、何をするにも「願い事」をしなければならぬという屈辱的な生活を強いられているのである。
保釈の身になれば、裁判の審判がどう出ようと、それまでは立場上現在と変わりがないのに、なんら一般人と変わりない生活が送れるはずだ。それなのに、私はそれができない。その理由が「証拠隠滅のおそれがある」という一点だけなのだ。しかも、検察側の言う「証拠」である証人たちの調書は全部とり終えているというのに、である。
2年以上も前に起訴されて以来、通常なら私は保釈されて普通の生活に戻っていたはずである。だが、現実には十年一日のごとき拘置所の中で、様々な"不思議"と出遭いながら極めて"不自由"な生活を余儀なくされている。
健康診断に関しても、実に"不思議"な目に遭わされた。
監獄法では、3か月に1度(年齢によっては月に1度)は収監されている者の健康診断をせねぱならないことになっている。
私は入所以来、ずっと健康診断を要求し続けてきたのだが、最初にそれを受けることができたのは、なんと入所して1年が経った頃だった。
拘置所に移監される前、1か月余り入れられていた警察署の代用監獄では、週に1度健康診断が行われ、その頃の私の血圧は130〜125/85〜75と、正常だった。ところが、拘置所生活1年を経て測った血圧は、178〜107と急上昇していたのだ。
口惜しさをこらえてじっとしている、運動ができない、閉所にこもり、日光を浴びないでいる、という状況が人間にどのような影響を与えるか。精神面はもちろん、肉体的な面に大きな変化が表れてくる。
無論、全てが悪い方に変化する。
皮膚はガサガサになって張りが失われ、水の弾きが悪くなる。
歯ぐきのあちこちが痛くなり、歯自体も弱くなったみたいに頼りなくなる。
体の各部の関節が痛み出し、特に手足の指の関節はリュウマチ症状を呈してくる。
髪の毛はどんどん抜け落ちる。
ちょっと動くと心臓が激しく打ち、動悸(どうき)を感じるようになる。
目が弱り、視力が極端に低下する。
ぎっくり腰になりやすくなる。
体表のあちこちに妙な発疹が現れ、頭にデキ物ができる。
これら全ての症状が、単に「証拠隠滅のおそれがある」と一方的に決めつけられただけで、私の身の上にふりかかっているわけである。
これは拘置ではない。既に刑罰になっている。
症状を訴えようとしても、まともに話を聞こうともしない。自分の金で治療しようとしても、薬品類の購買は許されていない。症状は悪化するほかない。
肉体的衰えが精神に及ぼす影響は大きい。誰だってそうである。検察が我々の保釈を認めようとしないのは、身体の弱った我々が根負けして、検察の言いなりになって供述するようになるのが狙いなのである。「証拠隠滅のおそれ」があるから保釈しないのではなく、「検察側に都合のいい証拠」となる証言を我々から得たいために保釈を許さないのである。
彼らはただ気長に待つだけでいい。しかし、我々は毎日をただ送るということだけで、既に大きな苦痛になっている。これでは"根比べ"にもなっていないではないか。あまりにもアンフエアな"根比べ"だ。
遂に、明後日から降圧剤を服(の)むことになった。血圧の上昇が危険な状態にまで近づいたということだ。
なんとも口惜しいではないか。
60年4月3日
朝…ノリ佃煮、ミソ汁(ネギ、ワカメ)
昼…けんちん汁、辛子和え(キャベツ、モヤシ、竹輪)、アミ佃煮
夕…メンチカツ、ネギ入りタマゴ焼き、澄まし、漬物
願い事…面会用メモ携行願い、宅下げ願い(本1冊)、発信願い(2通)、2号願箋(『私が直す!』ゲラ刷りコピー)
AM9:50…運動(徒走2000歩、徒歩3000歩、腕立て伏せ500回、腹筋100回、上体捻り10回のところで時間切れ)
AM11:10…面会(幸子)、日本外洋帆走協会の雑誌『オフショアー』から我々の裁判のことについての原稿依頼があったこと、締め切りは15日の由。雑誌『全貌』に連載中の論文「幸福論」の出版に関する問い合わせがあったとのこと。
* * *
2号願箋というのは、パンフレットやコピー、新聞、雑誌の切り抜き等を仮出しする時の「願箋」のことである。拘置所が我々収監者の私物を"領置"しており、その物品の種類によって仮出しする時の「願箋」の号数が違ってくるらしい。慣れない職員は、こっちが「2号願箋」を要求してもキョトンとしている。何のことか分からないのである。
そういえば、今日、イラン人が入所してきて、職員たちはテンテコマイをしていた。職員も大変といえば大変である。
2号願箋を出したのは、飛鳥新社から私の逮捕直後に出版された自著『私が直す!』が、角川文庫に収められることになったので、追加原稿を書いた分のゲラが送られてきたのを仮出しする目的だった。
また、雑誌『全貌』に連載していた私の論文「幸福論」が出版されそうだという話を面会の時に妻から聞かされた。「幸福論」は私の主張する「脳幹論」を補強するために書いたもので、いわば前者はソフトウエアに関する内容、後者はハードウエアについて、と言っていいだろう。
『週刊プレイボーイ』に連載されている「熱血戸塚宏の人生相談」は、正直に言って依頼を受けた時は迷った。軽佻浮薄(けいちょうふはく)の時代と言われ、"軽チャー文化"などと呼ばれている最近の風潮。その最先端を行くような若者雑誌が、以前から"トツカマスク"なるキャラクターを登場させていたことは知っていた。
が、何といっても80万人の読者を持つ雑誌であることは無視できず、私は自分の信じることをより多くの人に伝えることを第一義と考え、依頼をお引き受けすることにしたのだった。
持論である「脳幹論」の立場から問題を考察、徹底して信念を貴く姿勢から様々な読者の悩みに回答していくことが、私の基本的な態度である。「プレイボーイ」誌はそこのところをよく理解してくれ、文章も手際よくまとめられている。
薄っぺらな若者向け週刊誌だなどと少しでも考えた私が間違っていた。なかなかどうして、この雑誌はしっかりしている。軟体動物を装った脊椎動物、ガッチリした1本の線が通っていなければ、80万部という莫大な発行部数に耐えられるものではない、ということが分かった気がする。また、その背スジが通っているからこそ、多くの読者の支持を勝ち取ることができたのだろう。
自著の文庫化といい、雑誌連載分の単行本化の話といい、獄中で原稿を書く他することのない私にとっては、まさに救われるふうなニュースである。私の考えと、これまで実践してきたことを少しでも多くの人に知ってもらうことが、これから先いつまで続くとも知れない我々の"闘い"を展開する上で、どんなにか励みになることか。とにかく明るいニュースだった。
"外界"から私に宛てたニュースを運んできてくれるのは、来信以外ではほとんど、妻の幸子である。時にはただの雑談に終わることもあるが、幸子は私と"外界"の間をメッセンジャーのように往復してくれ、2日と空けずに拘置所へ足を運んでくる。
市内の自宅から拘置所までは、車で20分ほどだ。近いとはいえ、差し入れ、面会は私だけではない。他の7人のコーチの世話もある。2年間で何回足を運んでくれただろうか。
それより何より、どんな事情にせよ、「傷害致死」の刑事被告人を夫に持ち、一家の大黒柱を拘置所に閉じ込められたままになった妻という立場が、何とも辛い。
それでも幸子はグチひとつこぼさず尽くしてくれる。
子供を抱え、一家を支えるべき私を失いながら、家庭を切り回し、子供を学校へ送り込んでから拘置所へ通う毎日。私の信念に従い、我々の裁判闘争を擁護し、大きな力となってくれている妻。
考えてみれば私と連れ添ってきた14年間というもの、現在我々一家が見舞われている最悪の状況ほどではなかったにせよ、幸子にとっての生活は苦しいことばかり多くて、楽しみの少ない日々だったと思う。
ヨットに血道をあげ、満足に家にも居ない夫が、やがて情緒障害児の問題に真正面から取り組むようになり、家庭とは名ばかりの親子の場は、そのまま訓練と事件の連続の場となってしまった。
感謝して感謝し尽くせるものでないことは分かっている。
そして、遂には今のような状況に巻き込んでしまったことを残念に思う。申し訳ない気持ちで一杯だが、これも謝って済むというものでないことも承知している。
大変な自信家だと言われもするし、他人の意見に耳を貸さない男だとも呼ばれた私である。自分では気がつかなくとも、周囲は私のことをそう見ているのかも知れない。そんな男と一緒にやってきた妻の苦労を、私は本当には分かってやっていないのかも知れない。
それでも、おまえは尽くしてくれている。毎日のように、捕われの夫のもとに足を運び、風車に立ち向かうドン・キホーテのように、権力に歯むかおうとしている頑固な男のために、おまえはせっせと差し入れを持ち、メッセージを届けにやってきてくれる。並大抵なことじゃない。
私に敢えて「自信家」の称号を許してもらうなら、幸子、おまえが私や、私のスクールのコーチたちが挑もうとしているこの"闘い"の助けとなってくれるのは、我々と一緒に訓練の現場を体験してきたからにほかならない、と確信する。情緒障害の子供たちと面と向かい、つき合い、彼らを鍛え、彼らを立ち直らせてきた我々の現場を、同じように体験し、彼らが生き生きとした表情を取り戻していく過程を見てきたからに違いない、と私は信じている。
我々は間違っていない。
そのことを私が信じているのと同じように、おまえも確信しているからなのだ。
だが、私がこれまでのことをおまえに心から感謝し、また謝ることができるのは、まだまだ先のことのようだ。おまえに礼を言う前に、私は、私やおまえが持っている信念を貫き通さなけれぱならないからだ。これは私の闘いであり、そして同時に、おまえの闘いでもあるのだから。
60年4月22日
朝…角煮、ミソ汁(ネギ、トウフ)
昼…オカラ、酢の物(イカ、キュウリ、キャベツ、ニンジン)、ノリ佃煮
夕…焼きソバ、中華スープ、紅ショウガ
願い事…宅下げ願い(本1冊、『ニキーチン夫妻と七人の子供』)、面会用メモ携行願い、領置願い(手紙1通)、廃棄願い(コピー)、仮出し願い(本1冊『金魂巻』)、2号願箋(『週刊トピック』春日一幸氏の政治日記コピー、石原慎太郎氏の手紙コピー)、発信2通
AM10:15…面会(幸子、T君=日曜スクールの生徒)
AM10:50…来信(3通)
土曜日のため、昼からは何もなし。午後は晴れたのだが、午前中は雨だったので運動は中止になってしまった。
* * *
我々は雨で運動できなかったが、昼には雨が上がり、今日はプロ野球の開幕戦が行われた。
第1戦、中日は小松でヤクルトに勝った。3対2だ。
面会の時、T君が進路相談にやってきた。彼は今年の高校入試に失敗してしまったため、この1年間を何とか有効に使いたい、と言ってきたのだ。
近頃はこういう発想のできる受験生はいまい。そういう考えを容れる受験生の両親もいまい。普通なら、受験に失敗するや否や、翌年の入試に向けて、子供は勉強に追いまくられ、親は追い立てるに違いない。
どうすればいいかと相談を受け、私は、
「カツオ船にでも乗り込んだらどうだ」
と答えた。
T君のハードウエアは、我々のトレーニングでできている。これからはその基礎構造の上にソフトウエアを作り、磨いていくことだ。T君もご両親も少しびっくりしたようだが、知人に頼み、乗船させてもらった。
人間の肉体・精神のソフトウエアの基本は第一次産業で得られる。人間といえども動物であるかぎり、まず生きること、種族を保存することが、存在理由の第一、第二になる。
そしておそらく彼には農業、牧畜より漁業の方が向いているだろう。
この「ソフトウエアの基本」をがっちりと創っておかなけれぱ、「自分は何のために生きるのか」と自問することを目的化する、懐疑主義の哀れな文化人になってしまう。
T君からの手紙によると、カツオ船でのT君は、他の新入りが脱落していく中で1人たくましく成長し続けているようだ。彼にとってこの1年はロスどころか貴重な1年になっている。T君もご両親も、そして私も彼の今後に新たな希望と欲が出てきた。「かわいい子には旅をさせろ」とはよく言ったものである。
宅下げした『ニキーチン夫妻と七人の子供』は、ソ連の子育ての本であるが、非常に面白かった。
実践の記録であり、事実が全てだという力強い説得力がある。
世界のどんな親もが、このような子育て、教育をすることができれば、我が「戸塚ヨットスクール」も、単なるスポーツクラブでいられたのだ。情緒障害児を立ち直らせる場としての存在になど、なる必要はなかったのである。
この本の中には、物知り顔した学者や評論家が口にする屁理屈に固めた理論なんか足元にも及ばない「実践」が書き込まれている。子育ての実際の場、としての迫真力がある。
とはいえ、やはりこの本も私たちと同様、非難の嵐を潜り抜けてきたようだ。
今日受け取った手紙のうち1通は、広島拘置所に収監されているKさんからのものである。捜査・裁判のいい加減さに対する不満と一緒に、Kさんの不満は健康管理に対して向けられており、これが40数枚にも及ぶ便箋に綴られていた。
Kさんの健康に対する不安はかなりのもので、こんな風に書いてきた。
「自分は再生不良性貧血であり、このままではあと1年の寿命とも言われている。拘置所の医師に相談しても、3年は大丈夫などと言って治療もしてくれない。私はまだ若い。死にたくない。何とかならないだろうか」
驚くべき書面である。Kさんはまだ28歳。この文面がもし事実なら、大変なことであり、大至急調査をする必要があろう。
私はしばしば拘置所の職員とモメる。
それは拘置所が我々の人権を過剰に抑圧しており、そうすることが当たり前であるかのように考えているからである。
我々が拘置されている"理由"は、「証拠隠滅のおそれがある」というものなのだ。裁判が終われば無罪になる可能性も持った人間に対し、その"理由"とは全く関係のない部分でも自由が奪われ、人権が抑圧されているのは理不尽だ。
健康管理に関する当然の権利も蹂躙(じゅうりん)され、拘置所の医者は、収容者をロクに診察しもしないし、相談してもトンチンカンな答えしか返ってこないのもいるくらいだ。そして何より信じられないのは、医者までもが拘置所のシキタリに調子を合わせて、えらく威丈高なのである。収容者を人間扱いしていないところがあるのだ。だから、私は医者ともしょっちゅうケンカしている。
Kさんの場合は、そうした例の最もひどいケースだろう。被告の健康、いや命までも、そんなものはどうでもいい、といった感がある。
Kさんは裁判官に宛てても窮状を訴える手紙を出しているそうだが、ナシのつぶてだそうだ。裁判官あてに訴えるのは見当違いであろうが、内容が内容だけに誰も無視できないものだ。裁判官は法廷でだけ威厳を保っていれぱいいとでも言うのだろうか。被告が自分にかけられている容疑についてどうこう言ってくるというのではない。拘置所で受けている待遇によって、自分の命が危険にさらされているということを訴えているだけである。検察の一方的な訴えは聞くが、被告の哀訴など聞く耳持たん、ということか。
一体どうなっているのだ。