第四章 拘置所日記(T)


59年12月27日
朝…ゴマメ、ミソ汁(里イモ、トウフ)
昼…カレーライス、福神漬、ゆでタマゴ1個、ミカン1個
夕…アジの塩焼き、貝柱(カマボコ)のフライ、レバー・ホウレン草・モヤシの炊め物、漬物
願い事…面会用メモ携行願い、発信(2通)、宅下げ願い(パンフレット、新聞コピー等)、更新願い(「幸福論」等)
AM10:15…運動(徒歩3,300歩、腕立て伏せ100回)
PM1:45…血圧測定170/100(!)
PM2:00…差し入れ(『プレジデント』『週刊宝石』『航空情報』他写真5枚)
PM2:50…面会(石原慎太郎氏とその秘書の栗原氏、妻の幸子 約30分間)
PM4:00…差し入れ(衣類)

*     *     *

 なんと、石原慎太郎氏が面会に来てくれた。この忙しい時期に、忙しい人が来てくれたのだ。感謝にたえない。ここへ来るのには半日は潰さねばならないだろうに、ありがたいことだ。
 石原氏はこちらへ向かう新幹線の車中で、春日一幸氏と一緒だったそうだ。春日氏も我々に深い理解を示してくれている由、実に元気づけられる思いがする。
 石原氏は、
「今さらながら自分も驚いている、ともかく頑張れ」
と激励してくれた。我々の件を通して改めて、日本の裁判制度を見直す気になったと言う。

 刑事裁判といえば、従来はごく少数の"悪いやつ"を懲らしめる正義の府、という捉え方がなされてきた。しかし、マスコミの過当競争の中で"悪役"に仕立てあげられた者をも"いけにえ"として裁かねばならなくなってきているのだ。
 我々は、その"いけにえ"の1つにされた。
 自分の顔見知り、関係者がそのような境遇に陥れられ、石原氏もやむなく腰を上げざるを得なくなったわけだ。文春に掲載された彼の論文「戸塚宏 もうひとつの暗黒裁判」は法曹界にかなりの波紋を与えたようで、判事や検事、両者がかなりナーバスになってきたと聞く。この攻撃はジワジワと効いてきそうなので楽しみだ。また、氏は香山健一氏にも我々の指導方針について機会あるごとに話してくれている。私からの香山氏への手紙も、わざわざ届けてくれる。

 石原慎太郎氏は私にとって、ヨットの大先輩である。私がヨットを始めた頃、既に当時の日本のヨットマンの頂点にいた人物だ。私が大学に入りたての時、石原氏は香港―マニラ間で行われる「サウスチャイナ・シー・ヨットレース」に参加。これが日本籍ヨットが海外レースに出場した最初のことだった。
 当時、私は大学のクラブのスナイプ級(ディンギーと呼ばれる2人乗りの小型艇)でヨット訓練に励み、ディンギーのシーズンオフ(その頃は救助艇が整っておらず、ウエットスーツも買えなかったので、ヨットにもシーズンオフがあった)には、先輩の持っていた21フィートのクルーザー(大型艇)"チタT"に潜り込ませてもらい、1年中ヨットだけの生活を送っていたのだ。

 石原氏がサウスチャイナ・シー・レースに参加した艇は、35フィートの新船"コンテッサU"だったが、21フィート級で大型艇だと思っていた私にとって、その艇は想像を絶する大きさのヨットだった。"コンテッサU"はその後も長く、日本の外洋レース界の花形として活躍し、10年後に沖縄復帰を記念して行われた「沖縄―三崎レース」出場を最後に大レースからは遠ざかった。
 が、その頃の石原氏のもう1つの所有艇"コンテッサV"はロサンゼルス―ホノルル間で行われる「トランス・パック」レース用に作られたもので、常時ホノルルに置かれていた。"コンテッサV"は2度「トランス・パック」に出場しており、2度目のレースの時には、我々も"チタU"で出場したという関わりがある。
 レース中、我々は"コンテッサV"と日本語で言葉を交わし合ったものだが、「トランス・パック」のレース史上、艇と艇が日本語でやりとりしたのは初めてのことだったと思う。

 そんなこともあり、私が乗り込んでいた"チタ"(T〜V)は当時、ヨット界で活躍した艇であったので、石原氏の書くヨットに関する文章の中には、時々、あの頃の私が登場している。もちろん、無名でである。
 つまり、私は同じ時期に、同じ海でヨットレースをやった石原氏の仲間の一員だ、と言うことができる。
 海の仲間の絆は強い。

 私の窮状を石原氏の知るところとなり、昔のヨット仲間を捨ておけない、という気持ちもあったのだろう、石原氏は「戸塚ヨット事件」裁判の現実を国会で論議するべく、質問に立ってくれたのだ。
 その時、与野党の議員たちから、
「まだ戸塚は閉じ込められているのか」
という驚きの声があがったそうだ。
 自民党の若手議員からも、
「こんな無茶がまかり通っているのは検察官諮問委員会が有名無実の状態になっているからだ。この諮問委員会を実質的なものとして復活させねぱだめだ」
との声も聞かれたという。

 私は以前から慎太郎氏には「悪いのは裁判官」と、何度も口を酸っぱくして話してきていた。が、無論、我々が見舞われている現状を招いたのは検察側の意図によるものである。政府与党の若手議員の中から、こういう意見が出てきたということだけでも、我々が徹底して抵抗姿勢をとってきた甲斐があるというものである。
 世の中、そう急に変わるものではない。しかし、変化は徐々に進んでいく。我々も、その遅々とした変化に、わずかでも影響を与えている、と思えば、これから先も闘い続ける勇気が湧いてくる。

60年1月1日
朝…丸餅2個、ミソ汁(野菜)、大根ナマス、タクワン、折詰(小鯛塩焼き、レンコン酢、キュウリ、昆布巻、ゴマメ、タマゴ焼き、キントン、紅白カマボコ、筆ショウガ、ウィンナ、黒マメ、白マメ、ワラビ、何かのフライ、ミカン半分)、白飯
昼…鶏と野菜の煮物、大豆昆布佃煮、澄まし(タマゴ、ナルト)
夕…スキヤキ、タクワン
特食…羊羹2切れ、あられ、バナナ
年賀状来信…24通
一日中ラジオ放送があり、うるさい。

*     *     *

 ここへ来て2度目の正月だが、何の感激もない。昨年と比べると非常に冷静で「好きなようにしやがれ」という開き直りがあるように思う。
 朝食に出た折詰は見事なほど昨年と同じだが、正月の三が日は白飯となるのがありがたい。何よりもこの白飯が1番、うまい。また大きな丸餅2個も三が日ずっとつくし、大晦日から正月三日までは、毎日「特食」が出る。
 大晦日 飴1袋 ミカン2個
 元旦 羊羹2切れ あられ1袋 バナナ
 2日 ぜんざい 梅干し ミカン2個 リンゴ1個
 3日 栗マンジュウ 菓子パン リンゴ
といった塩梅である。昨年同様、食べ過ぎで苦しい。正月の間は日曜日と同じで運動時間もなく、面会もない。全然体を動かさないのに、食べる物だけ普段より多いから、腹がきつくなってしまうのは致し方あるまい。それでも残らず食べる。

 昨年の正月、山口コーチが手紙をくれたのが思い出される。「今年こそは出たいものだ」と、彼は書いてきた。
 その時、私はまさか今年中にここを出られないほど「日本の民主主義」も腐り切ってはいまいと思っていた。そこまで裁判所も馬鹿ではあるまいと思った。
 なのに、我々はなんと2度目の正月を、ここでこうして迎えたのだ。

 昨日の大晦日は「紅白歌合戦」の聴けるように、午前零時までラジオが鳴っていた。元旦は休日のため起床は午前8時。睡眠時間は8時間になるわけである。いつもは本就寝が午後9時、起床は午前7時だ。だから10時間も睡眠時間がある。この時間に本を読むことは"違反"だそうで、仕方なく考えごとをしているか、うつらうつらしているかしかない。まったくもったいない話である。
 今年も正月用にパズルの本を2冊差し入れてもらったが、やってみると結構面白く、原稿を書く合間を縫って1つずつ解いていく。答えを見たい誘惑が強く、それを抑えるのが大変である。

 面会は年内が12月28日まで、明けると三が日はなし。この間は房内に座りっ放しで、運動時間もない。餅に始まって食事の量は多いし、間食もたくさんあるので腹が重い。正月は腹の張る季節というわけだ。人間、動かないことが1番良くないようである。
 つまり、自由に動けないということが、人間にとって最も辛い仕置きだ、と言うことができるのだ。

 正月といえば思い出すのが57年の正月のことだ。
 河和の公民館を借りて迎えた最後の正月なわけだが、河和で正月を迎えるようになってからは不思議と晴天に恵まれることが多く、この時も美しい初日の出を拝むことができた。
 海の上で初日の出を見ようと、スクール自慢のカッターを引っ張り出し、500mほどの沖に碇(いかり)を降ろして待っていた。そのうちに子供たちがヤード(帆桁)の上にあがって遊び始めたのはいいが、みんなで舟を揺すっているうちに次第に揺れが大きくなってしまい、とうとう舟は横倒しになったのだ。
 カッターはマストの先を海面にほんの少し突き出した格好で沈没してしまったのだが、この"事件"に際して、私のとった行動には、自分で言うのも変だが、実に私自身、考えさせられるものだった。

 カッターに乗っていたのはコーチ2名と子供が10名。中には私の長女(当時7歳)が混じっていた。
 舟が横倒しになると同時に、私には自分の子供しか見えなくなり、自分の子供の声しか聞こえなくなった。そして、すぐに私はそこまで泳いで行って子供を自分の背中に乗せ、私はホッと一息ついたのである。
 そこまで行ってようやく私は、
「他の子供は?」
と思ったのだ。
 その事実に気がつき、私は私自身にゾッとした。
 幸いにして、そこに乗り込んでいた子供たちは訓練生活の長い子ばかりだった。中には、このハプニングに大喜びで泳いでいる者もいたくらいで事無きを得た。日頃の"かざぐるま"訓練でひっくり返り慣れていたから、冬の海に投げ出されても何ともなかったわけである。訓練の浅い子供たちであったら、ただでは済まなかっただろうと思う。

 その夜、私は自分のとった興味深い行動について、じっくりと考え直していた。
 カッターが倒れてから、自分の背中に娘を乗せるまでの行動は思い出せるのだが、その時私の頭の中がどうなっていたのか、意識がどうであったか、全く思い出さないのだった。
 つまり"無意識"だったのだ。
 意識的行動は大脳新皮質から命令として出てくるものだ。ところが無意識的行動の一部は、こうした命令系統とは違って引き起こされている。それだから行為中の頭の中を思い出すことができないのだ。
 その命令は新皮質ではなく辺縁系で構成された精神、すなわち「本能」によって出されていた、ということであろう。とっさの行動とは、そういうメカニズムになっているらしい。
 そこに私の娘がいたから娘を第一に助けようとした。娘がいなければ、そこにいる1番弱い子を助けようとしただろうし、また自分が命の危険を感じるような状況であったとしたら、自分が助かろうとする行動をとったに違いない。

 この話をすると、
「そんなことだからオマエは……」
と、眉をひそめる人も多かった。実に理性的な反応と言うべきだろう。
 しかし、現代社会では生命の危険や、明日をも知れぬ深刻な不安状況といったものから隔絶されたところに人々が暮らしている。そこでは誰も、理性に優先してしまう「とっさの行動」をとる必要がない、天災、事故、病気といった危機的状況に追い込まれない限り、誰もが常に自分の行動を「理性的」に行っていると言える。が、だからといって「とっさの行動」を否定したり、非難したりすることができるだろうか。

 「高級レストランで上等のワインを飲みながら飢えた民衆を憂える」サロン談議で、飢餓問題を解決できないのと同様、火事場から遠く離れた場所にいて、燃えさかるビルの中から自分ひとり、命からがら逃げ出してきた人の行動をとやかく言うことはできまい。飢えの問題を解決するには、飢えに苦しんでいる人たちの現場へ行かなければ、その問題を解決するどころか、本当に考えることすらできないのだ。
 情緒障害児の問題が、まさにこれと同じケースだと言える。
 情緒障害とは一体何か。その障害に冒された子供たちとはどんな子供たちか。

 彼らの問題を真剣に考えるためには、彼らの真の姿と、彼らの周囲にいる肉親たちがどう考え、悩み、対処しているかという「現場」にまで足を運ばなければなるまい。
 彼らの問題を専門に扱う医師や施設に、その問題を押しつけるだけで「問題解決」と思い込み、専門外というレッテルを貼られた人間がこれに関わると批判する。これでは「問題解決」になるはずがない。しかも、批判されている人間こそが、専門家と言われる医師たちよりも深く「現場」にどっぷりと浸っているというのに、である。

 情緒障害と言われるその「情緒」とは、大脳新皮質に関わるものでなく、その辺腐系より生じる原始的な感情のことを指す言葉である。いわば本能的感情とも言える。人間はその原始段階の「情緒」あるいは「情動」といったものを、新皮質を通して、いわゆる「感情」に変調していると言われる。すなわち、様々な「感情」のルーツが、こうした「情動」なのである。
 情緒障害児は、そこの根っこのところがおかしくなっている。
 したがって「感情」をコントロールすることもできず、それによって喚起される「行動」も理性で抑制することができなくなってしまっている。どうしてそうなるのか、それが情緒障害児問題の、真の「問題」のありかだと、私は思うのだ。

 人間社会では往々にして「理性は高級、本能は低級」という見方をする。しかし、本能がなければ理性も成り立たない。優劣、高級か低級かを比較する前に、本能は理性に先行している、という冷厳な事実がある。そのことを抜きに、人間の行動を考えたりできるものではないのである。
 人間は20億年の進化の末にできあがった。だから不要のものがあれぱ既に退化したりなくなったりしているはずだ。いま我々にあるものは肉体も精神も「必要だからある」のである。それなのに"本能"はみっともない、"怒り"は否定する、"恐怖"はダメ、とごく簡単に否定してしまう。特に「愛」を強調する進歩的と称する人たちはそうだ。その態度が情緒障害児の大量生産を助長したのではないか。

 人間の感情はその進化の順序に従って、
DNA→脳幹→辺縁系→新皮質
と次第に変調・増幅されて生じる。したがって情緒障害児の異常な精神を考える時に新皮質の部分ばかり考えていてもダメである。
 DNAが狂っていては手のほどこしようはない。このレベルは一応正常と考えて話を進めざるを得ない。我々は次の脳幹、辺縁系の両方がおかしいのが情緒障害だと思っている。この両方が未熟あるいは能力不足なのだ。だからこそトレーニングしてやれぱよい。これがヨットスクールのやり方なのだ。


 脳幹や辺縁系が未熟なのは子供の生活が心身ともにあまりにも「文明的」だからであり、それだから能力不足になる。「理性的部分」にかかった過剰な圧迫が、ルーツあるいは土台となっている「本能的部分」を酷使しているからくたびれて能力不足になる。情緒障害児は社会が文明化、複雑化してきた歴史の中で大きく問題になってきたという点からも、文明病の一種と言わなければなるまい。
 文明が理性の象徴とすれば、その繁栄の陰に圧迫された本能、情緒障害がシャム双生児のように寄り添っている。陋劣(ろうれつ)なもの、低級なものと退けてしまっていては、いつまでも解決にはならない。臭いものに蓋をしたところで、それは一時しのぎに過ぎない。臭いを解消したければ、臭いの元から断たなきゃダメ、なのである。
 嫌なものを見ずに解決はない。情緒障害児問題は、あくまで「現場」で解決していかねばならないと、私は信じている。

60年3月18日
朝…ゴマメ、ミソ汁(里イモ、油アゲ)
昼…ハヤシライス、ゆでタマゴ1個、福神漬、リンゴ
夕…テンプラ(イワシ、レンコン、サツマイモ)、ホウレン草、角煮
願い事…面会用メモ携行願い、更新願い(『五輪書』、「戸塚宏 もうひとつの暗黒裁判」コピー等)、廃棄願い(『舵』=ヨット雑誌)、宅下げ願い(月刊『現代』『文藝春秋』)、発信(『週刊プレイボーイ』用原稿22枚)
午前中…『プレイボーイ』人生相談用の原稿書き
PM1:15…入浴
PM1:40…来信(2通)
PM3:15…面会(幸子)
PM3:45…保安課長来房(雑誌の宅下げを理由もなく認めないというのでケンカする)

*     *     *

 月刊誌、週刊誌の宅下げは、原則として認められないようである。自分たちのことが掲載されている記事や、それに関連する記事、参考にしたいと思う記事を保存しておくために宅下げを申請すると、
「理由なし」
というセリフがおうむ返しに返ってくる。
 また、そのような不当な扱いに抗議すると、
「嫌なら購入も差し入れも認めない」
と、こうなる。

 『文藝春秋』に掲載された石原慎太郎氏の論文「戸塚宏 もうひとつの暗黒裁判」に対する論議が、同誌の次号に特集されたので、これを保存しようと思って願い出たところ、保安課長が私の房までやって来て「それは認められない」と言った。
 「そんなに保存したいのなら書き写しておけぱいいじゃないか」
と言うのである。私は、この議論の不毛さに頭を抱えながらも反論した。
「活字になっていなければ意味がないことが分からんのか?」
「それならもう1冊買えばいい」
 なんたる問答。なんたる論理だろう。手足をもがれたような状態で自由を奪われている私に、
「もっと無駄な金を遣え」と強制しているのだ。

 月刊誌や週刊誌といえども私の私有財産じゃないか。国家というのは、「私有財産を守るためにある」というのが真実じゃないか。その国家が、我々の私有財産を守るどころか侵しているのだ。しかしこんなことを言ったって彼らには分かりはしまい。日本はお役人のためにある国だ。

 検察があくまで我々を拘置して保釈を認めないでいる理由は、色々とあろう。その中には、こんな狭い所に閉じ込めておいて、長期間の運動不足や圧迫感から健康面、精神衛生面から我々を破綻(はたん)させようという狙いの他に、単純に、物理的に、経済面から破滅させようとの目論見も含まれているのである。
 生業を奪い、収入の途を閉ざし、しかも費用をかけさせる。裁判が長びくことで我々の弁護士費用は多大なものになっている。その上日常的な細々とした生活費さえも浪費させようという陰湿な狙いだ。
 このような悪魔の意向を汲(く)んで、裁判所、拘置所等が一丸となって協力態勢を組み、我々に襲いかかってくる。これほどまで畳みかからなけれぱ、強大な権力をもってしても我々を屈伏させることができないと思っているようだ。
 敵は焦っている。

 週刊誌を廃棄させるのは、その冊数があまりにも多く、当局でチェックする事務が繁雑を極めるからだろう。その点は理解できる。理解した上で、我々は当局側に協力さえ惜しんではいないのである。
 我々のように同じ容疑で逮捕され、大勢で収監されている場合には、1冊の雑誌を我々の間でぐるぐる回し読みすれぱいい。我々の経済的理由から見ても、当局側の作業面から見ても、その方が合理的であることは明らかなはずだ。  そう提案しても、到底これは認められはしない。理由は、例によって、
「証拠隠滅のおそれがある」
ということだそうだ。

 集英社の『週刊プレイポーイ』から人生相談の回答者をやってもらえないか、という依頼を受けた時、私はいささか迷った。
 我々の闘いを茶化したり、単に好奇の目でとらえられる危険を感じないわけにはいかなかったからである。
 しかし『プレイボーイ』が若者読者の大きな支持を受け、毎週80万近いという発行部数を誇っている点は捨てがたい。そう考えて引き受けることにしたのだった。

 私がそのページを使って広く伝えたいと思ったのは、情緒障害を含めたいわゆる心身症、神経症に類別される"文明病"は、精神的な理由からだけでなく生理的な根拠があって引き起こされている、という考え方である。長い間、私が実際に毎日つき合ってきた重度の情緒障害児たちは、いずれも「心の病」を治療してくれるはずの精神病院からさえ見放された子供たちだ。専門医がどうして彼らの「心の病」を治してやれなかったのか?それは「心の病」の病因が大脳新皮質で発現される心にあるとしか考えていないせいじゃないだろうか。
 私は、その病因を、心という人間的なものにではなく、もっと動物的、さらには生物的なところにあると考えている。そして、その淵源は、全ての理性的思考をコントロールするとされる大脳新皮質にではなく、むしろ精神の「素」を作る"脳幹"にこそあるのではないか、と考えているのである。つまり"脳幹"の疾患が情緒障害の病因であり、治療のアプローチはこの"脳幹"のトレーニングから入るべきだ、ということなのだ。
 私はこの考えを「脳幹論」と呼んでいる。


 80万読者を相手に、私が人生相談の形を借りて主張したかったのは、この「脳幹論」に基づいた様々なケースに応じた考え方だったのである。その考え方を広く世間一般に理解してもらうことができれぱ、私たちが「戸塚ヨットスクール」で長年に渡って築きあげてきた訓練のノウハウが、まったくのでたらめや気まぐれから出たものでなく、ある意味で納得のいく考え方にのっとったやり方であったことを分かってもらえる、と思ったのだ。

 オーストリア、ウィーンの動物行動学者コンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz)は、ノーベル賞受賞学者で"近代行動学の父"と呼ばれているが、その業績は、動物の行動を研究することで本能的行動を人間の営為と比較し、近代から現代にかけての文明万能の考え方に警鐘を鳴らした点にある。
 人間性を特徴づける理性的行動をあまりにも高級視する反面、動物的本能的性向を低級なものと決めつける危険性を唱えた最初の比較行動学の権威。ローレンツの考え方は、そのまま私の「脳幹論」のバックボーンを支えてくれている。人間性は原始的動物性から連続した延長線上にあり、動物性の基盤なくして人間性の完成もあり得ない。私の言う「脳幹論」は、この動物性、本能性の基盤を、しっかりと作れ、と主張するものなのだ。

 文明の高度に発達した現代社会は、自然界の動物が置かれている状況とは対極に位置していて、そこに暮らしている唯一の「動物」である人間には過剰とも言える安逸を保障している。この点が、人間と動物との最大の違いなのである。
 文明のぬるま湯に浸った人間には、肉体的精神的な行為が不足になりがちで、存在を成立せしめている膨大な数の細胞の1つ1つに最低限必要な負荷がかからなくなるおそれが生じている。そして、その負荷が不足してしまった時、細胞は不用性萎縮を起こす。使わないものは縮んでしまう。自然界では当然の現象が起こるのである。無駄なものは要らない。
 この不用性萎縮が脳幹や辺縁系に起こったケースが、いわゆる情緒障害を引き起こす――というのが、私の推論である。


 情緒障害児を扱った者は誰でも気づくのが、無気力、登校拒否、家庭内暴力、非行といった精神的な障害を直すためにきているはずの子供たちが、高血圧、偏頭痛、失神発作、血液異常、アレルギー、胃腸潰瘍、肝炎、腎炎、糖尿病、不眠、皮膚炎……等の心身症もあわせもっているということである。そしてヨットトレーニングで両方が直ってしまうという事実は、ともに機能的な障害であり、原因は同じということを示唆する。また強迫神経症や不安神経症も直るのを見ると情緒障害なるものも神経症なのではないかと思われる。
 また、少々理屈っぽくなるけれど、人間は動物なのだからその進化を考えれば人間に備わっているものは全て行動のためにある。肉体、精神の両方がだ。これは精神至上主義の人には耐えられないことかもしれないが、仕方のない事実である。

 情報――情報処理――行動
 これが動物の行動パターンであり、情報処理の部分が精神が受け持つ部分であり、「精神的行動」とも言えるだろう。そうすると最後の行動は「肉体的行動」ということになる。
 精神的行動は脳でなされるが、これはいきなり新皮質でするのではなく、
DNA→脳幹→辺縁系→新皮質
と順次、変調・増幅され、人間らしい精神になる。だから精神障害児が精神的に異常に見えても、新皮質(いわゆる大脳)のせいであるとは断定できず、むしろ心身症を伴っている事実からも脳幹をこそ疑うべきだと思うのだ。化粧映えが悪いのは化粧の仕方が悪いのでなく素顔が悪いのだということになる。

 脳はコンピュータに例えられる。人間の脳はハードウエアとしては、メインフレームコンピュータなど足下にも寄せつけぬ素晴らしい能力(ハードウエアは「能力」と考えると分かりやすい)を持っている。その能力を発揮させるのがソフトウェアである。能力(ハードウェア)の発揮(ソフトウエア)という具合になる。
 さて人間のソフトウエアはどうなっているのだろうか。実はソフトウエアを創るのが教育にほかならない。この教育が悪いから問題児が多発するのだ、という考えが現在、マスコミで騒ぎ立てられている教育改革を進めさせている。果たして問題はそんなことなのだろうか、というのが我々の脳幹論のモチーフなのだ。

 コンピュータと人間の違いは生きているかどうか、ということだ。
 脳というハードウエアは生きている限り「使わなければ萎縮する」という宿命から逃れることはできない。特に精神の素を作り、肉体のホメオスタシス(恒常性)を司る脳幹は、文明がもたらした精神的肉体的な過度の安逸によって萎縮し、その能力が下がっていると考えられる。
 この脳幹の弱った状態のところへ、マスコミによる情報のたれ流しという精神的過負荷がかかるため、脳幹の機能はすぐパンクしてしまい、その結果が心身症、神経症であるという仮説を我々は考えている。

 腹が減ると怒りっぽくなる。疲れると怒りっぽくなる。暑さが続くと食欲がなくなる。風邪は万病のもと……、このように脳幹のオーバーワークは他のことで肉体、精神のバランスを崩すという形で現れてしまう。これらは脳幹の機能には限度があり、1つのことにかかりっきりになると、他がおろそかになってしまうことを示している。情報たれ流しによる精神的ストレスの持続、虚弱脳幹、この2つが重なれば情緒障害のできあがりに結びつく。大人にもある、病気がち、不定愁訴、うつ状態、はしゃぎすぎ……全て同じことだと言えるだろう。まず脳幹をトレーニングすることが何よりも大切である。

 ヨットで太平洋を横断するとすればどのような準備をするだろうか。まず、ハードウエアとして丈夫で整備のいき届いたヨット、そしてソフトウエアとして、ヨット操縦法、航海術、整備の腕、豊富な経験等が必要である。
 今の教育は、水漏れが激しく、マストは折れそう、セールは破れそう、エンジンはいつ止まるか分からず、舵は壊れかけている。そしてヨットの操縦ができず、整備の腕はゼロ、経験もなく、ただ航海術のみ机上で修得させ(これのみが出世の役に立つと考えている)、子供たちをいきなり外洋へおっぽり出すようなものになり果てている。子供の航海にどこまでも母親がついて行きたくもなろうというものだ。