資料T 意見陳述書 (V)


(2) これらマスコミ報道について、弁護人らは、「戸塚ヨットスクール存立の背景、情緒障害児の存在という大きな社会問題と切り離して個々の末梢的な『しごき』の事実を報道しているため、全体として、読者、視聴者に誤った印象を与えてしまっているのではないか」という点を最も恐れております。

 これは、先にも触れたものではありますが、1つの例を挙げて申し上げますと、本年6月から7月にかけて、28歳になる成人の訓練生が捜査当局に保護されたという記事がある新聞に掲載されました。この青年は狂暴でしばしば親に暴力をふるい、手の付けようがないので、親が思いあまって戸塚ヨットスクールへ預けたものです。戸塚ヨットスクールでも、当初は、この青年の処置に窮したので、格子戸の中へ入れていたことは事実であります。

 ところで、捜査当局が戸塚ヨットスクールへ捜査に行った際、この青年から救助を求められました。捜査当局は、当初この青年を格子戸の中から外へ出させたものの、戸塚ヨットスクールの合宿所からは連れ出そうとしなかったのです。しかし、しばらくして、再度捜査当局が合宿所を訪れたとき、再度この青年から「救け」を求められたため――他の事情もあって――今度は面子にかけて、この青年を親元へ返そうと必死の努力を始めたものです。しかし、捜査当局が親元へ連絡をとっても、親は、この青年を引きとって立派に更生させる自信がなかったので、良い返事をしなかったのですが、捜査当局の再三の忠告、圧力に抗しきれず、両親は、最終的にこの青年を連れ戻すこと(但し、その行先は実家ではなく精神病院であるが)に同意したものでした。ところが、捜査当局が親と連れ戻しの交渉をして日時が経過する間に、この青年は、ヨット訓練に興味を覚え、今度は逆にヨットスクールで今しばらく訓練を受けたいという希望を述べるまでになっており、この青年の希望を知っていてヨットスクールのコーチたちは、迎えに来た親にその旨を伝えて説得したものでした。しかし、親は、結局この青年を連れ戻し、捜査当局の助力を得て精神病院へ収容したものでした。この青年は、精神病院で検査を受けたり、再入院したりしているが、戸塚ヨットスクールでみせたような「ヨットの訓練を受けたい」という自主性を完全に喪失し、現在では虚脱状態で、廃人同様の生活を送っているのであります。こうした事実関係からすれば、この青年に対して戸塚ヨットスクールがとった措置は、妥当で相当なものであったと評価すべきであり、この青年はヨット訓練を通して、初めて自分の意思で自分の人生を切り開こうと決意するに至ったものであります。逆に、捜査当局は、この青年が、ヨットスクールに入校する以前にどような生活を送っていたかを全く無視し、この青年が戸塚ヨットスクールに「拘束」されているのがけしからんという単純な、形式的な見解の下に、親を「説得」してこの青年を精神病院へ送ったものであります。

 この時のある新聞の見出しは、「救助求めた成人訓練生、警察、10日ぶり保護」というものでありました。また、この新聞は、この青年が、その後どのような生活を送っているかについては報道していません。このようなマスコミ報道に接した時、読者、視聴者が、戸塚ヨットスクールに対して抱くであろうイメージは、容易に想像し得るところです。勿論、戸塚ヨットスクールの全てがあらゆる意味で善であり、マスコミ報道の全てが誤っているとまで、弁護人は主張するつもりはありません。しかし、戸塚ヨットスクールが存立した背景を理解しなければ、とうてい本件の全体像を理解することはできないと思料するものであります。戸塚ヨットスクールについては、膨大なマスコミ報道が存在しますが、断片的な報道を寄せ集めても、戸塚ヨットスクールの真実の姿をつかむことはできないものであります。

(3) ところで、弁護人らは、マスコミの一連の戸塚批判キャンペーンは、現実とは異なった戸塚ヨットスクール像を創り上げてしまっており、これが一般の読者、視聴者に浸透してしまったのではないかと恐れるものです。そして、裁判所におかれましても、その例外ではないのではないかと恐れているものであります。マスコミが創り上げた戸塚ヨットスクール像の代表的なものの例を挙げてみますと、次のようなものが存在します。

@ 戸塚ヨットスクールの生徒たちは不法に監禁されている善良無垢な被害者である。
A 生徒たちは、日常的に、戸塚宏やその他のコーチたちの理由なき暴力にさらされている。
B 戸塚ヨットスクールは、金儲けを唯一の目的とし、そのためには手段を選ばない営利企業である。
C 戸塚校長は、生徒たちに理由なき暴力をふるっても何の良心の痛みも感じないし、生徒が死亡した時も涙も流さなかった冷血鬼である。

D 戸塚校長は、自分の罪も認めようとせず、また、法的な手段を駆使して自分の罪を逃れようとする無法者である。
E また、あるいは、戸塚校長は、高額な所得を得ていながら、他のコーチらの弁護料も支払おうとしない厚顔無恥な男である。
 このような例を挙げれぱきりがありません。

 しかし、こうした大新聞を中心としたマスコミが創り上げた戸塚ヨットスクール像は、事実と相違し、誤ったものであると断言し得るものであります。これは、今後裁判が進行するに従って明らかとなっていくものでありますが、もし仮りに、裁判所がこのような誤った観念をもって、本件の一連の戸塚ヨットスクール事件の審理を進められるとすれぱ、いくら被告人や弁護人が努力しても、結局、裁判所の心を動かすことはできないと思われるのであります、刑事裁判において最も重要なことは、事実関係の確定であり、真実の発見であります。どうか裁判所におかれましては、この裁判に「白紙」の状態で臨んで頂きたいと切望する次第であります。

二 本件審理につき、被告人、弁護団が裁判所に対して要望すること。
(1)
 以上の弁護人らが詳細に述べた通り、本件における警察、検察庁の取調べ経過は著しく異常であり、更に重大なことは、本件各公訴事実について、訴因の不特定、重要証拠の不開示という、各公訴事実についての争点すら全く明確化し得ない、という極めてあいまい模糊たる状態のもとで、審理が強行されようとしております。その主たる理由は、既に第1回の公判で明確化された通り、弁護側において、刑事訴訟法の基本原則である被告人側における防禦権の確保の観点から、証拠開示、釈明などの点で、公正且つ誠実に公訴を遂行せられるよう、強く要望しているにもかかわらず、かたくなにこれを拒否し、それ自体極めてあいまい且つ危険な概念である「集団的犯罪理論」、言い換えれば共謀共同正犯論をフルに活用し、被告人ら各自が具体的に何をしたというのか、その点についてはこれを全くあいまいにしたまま、被告人らが「集団的犯罪」という大枠の中で、これに関与しているというのみで、被告人らにとって当然の権利である裁判上の防禦権の行使を、むしろ妨害遮断し、極論すれば被告人、弁護人側の防禦不充分の間隙を縫って、被告人らをして有罪に追い込みたいとする、検察の態度は許されないものと言わなけれぱなりません。

(2) 本件戸塚ヨットスクール事件に関する昭和57年12月以降における捜査、摘発については、世上様々な評価がなされており、真に本件の摘発ないし事件化を憂うる識者の議論の1つとして、「警察や検察は、本来刑事警察が単独で踏み込んではならない分野に、新聞にあおられて踏み込んでしまった……」とする意見があります。このことは言うまでもなく、戸塚ヨットスクールの役割が、色々な賛否の評価を受けながらも、現在の混迷した教育の在り方の中から生まれた、このまま放置することのできない痛切な病理現象である、情緒障害児等の社会的不適応児に対する教育を模索しつつながらも真摯に考え、且つその実践に取り組み、現に相当な効果をもたらした一面を評価する立場からは、戸塚ヨットスクール問題は一国における教育の在り方を再検討するという点から総合的に取り上げられるべき案件であり、これを犯罪の側面のみから取り上げることは、広い視野に立って見た場合、捜査権力は、あるいは、大きな誤りを犯しているかもしれないことを示唆しているものと言わなければなりません。

(3) 本件審理の開始に先立ち、我々弁護人は裁判所からの、本件事件の重大性に鑑み公判前の打ち合せをしたいとの申入れを受け、第1公判に至るまで5回に及ぶ打ち合せに参加し、弁護人らとして及ぶ限り誠実に、公判審理に応ずべき方針等を明確にしてきましたが、これもひとえに弁護人らとしては、本件が被告人らにとってはもとよりのこと、社会的にも重要性を持つ案件であると認識し、実際の公判も先の事前準備に従って円滑に行なわれるものと信じたからであり、更に具体的に申し上げれば"昭和58年10月21日に行なわれた第5回の事前打ち合わせ会においては、第1回公判期日の予定としては、その予定時間が午前中の2時間であることから、起訴状の朗読と黙秘権の告知、更に弁護側からは証拠開示に関する意見の陳述(主張)とできうる範囲での求釈明の申立を行なう旨の申し合わせがなされたのでありますが、実際に、第1回公判にのぞんで審理に入り、弁護側が証拠開示に関する意見の陳述を開始するや、裁判所、検察庁共々、上記意見の開陳を「簡略に」「簡略に」と、しばしば制限に及ばれたことは、前記事前打合せにおける申し合わせにも反することであり、また、先程来、被告人の中からも意見が出された通り、まことに遺憾ながら、少なくとも被告人、弁護人の側から見れば、裁判所の姿勢が、いわゆる検察寄りではないかとの疑問を持たせるものであり、今後は、上記のような点について充分慎重な配慮をされるよう要望せざるを得ません。

(4) 裁判所は本件の審理につき、現段階では検察官に対し、これ以上証拠開示を示唆する考えもないし、釈明を命ずる考えもないとの結論を繰り返し述べられております。しかしながら、たとえ先例があるからといって、全てこれに拘束されると言うべきいわれはありません。弁護人らとして裁判所にお願いしたいことは、裁判所は公判廷における被告人、弁護人の主張、言い分についても、充分に耳を傾けられ、円滑なる審理の遂行をはかられたいという点であります。特に証拠開示、求釈明については、第1回公判において、弁護人らが詳細に述べた通り、学識者の意見として、その開示を被告人の防禦権を確保するため当然のこととする意見もあり、まして、具体的事案において、被告人らのため防禦を尽くし、公正なる審理を受けさせるべき立場にある弁護人らが、証拠開示を繰り返し要求することは当然のことと言わねぱなりません。むしろ、検察側において、少なくとも人証関係の供述調書その他の重要証拠を速やかに開示され、且つ、弁護人らの求釈明事項に対し、更に具体的に釈明されることこそ、本件各公訴事実に関する争点を明確化し、審理の促進をはかる上で、是が非でも必要なことと言わねばなりません。

(5) 昭和58年10月4日、検察側は記者会見を行い、戸塚ヨット事件の捜査は事実上終了した旨を公表し、更に「公正な裁判を妨害する者は法に従って検挙、処罰する」と述べ、その趣旨は、1つの新聞によれば「スクールの後援会などが、検察側証人の元訓練生らに口封じや証拠隠滅工作をした場合は強制捜査する」というのであり、また他の新聞によれば、「証拠隠滅、偽証、証人威迫をしたり、教唆したりすれば何人でも直ちに検挙、処罰する」というのであります。

 裁判所主宰のもとに、原告側たる検察官、被告側たる被告人、弁護人立会いのもとに、今まさに公判審理が開始されようとするに先立ち、裁判の公正さを担うのは、独り、当事者の一方である検察官のみの役割であるかの如き発言は極めて異例なものであり、はしなくも、検察側自らが、戸塚ヨット事件捜査ないし公判維持の異常さを問わず語りの内に表明したものと言うほかはありません。

 第1に、いかなる公判審理においても、訴訟関係者が公正な裁判に向けて努力すべきことは、当然のことであって、ことさら口にすべき事柄ではありません。しかしながら、「審理ないし裁判の公正さ」なる言葉は、一定の価値評価にもとづいて成り立つ言葉であり、どんな状態が公正な裁判であり、どんな状態が公正な裁判でないかは、当然のことながら、相対的な価値評価の問題であって、唯一無二の絶対的評価はありえず、まして相対立する当事者が互いに攻撃防禦を繰り返しながら審理が進められてゆく具体的裁判の場において、その公正さの評価については、相対立する当事者の置かれた立場、主張、価値評価の基準の相違によって、異なった結論の導かれるのが自然であって、少なくとも当事者の一方が、その裁判の公正さについて評価して、これを、他に押しつけ、場合によっては、自己が有する権力を発動するぞ、とあらかじめ警告するが如きは、逆に、被告人、弁護人の立場からすれば、今後本件公判が果たして公正に行なわれるかどうかについて、極めて強い危惧の念を抱かしめるものであります。

 第2に、検察側は、本件捜査の過程において、スクールの後援会などが元訓練生などに口封じその他の証拠隠滅をはかったとし、前述の如く、公判の開始に先立って、今後このような工作をしたものがあれば、何人でも直ちに強制捜査権力を行使するとしております。このことは、敢えて申し上げるならぱ、被告人、弁護人らの今後の公判活動に対する重大な干渉にほかならないものと断言せざるをえません。戸塚ヨット事件の捜査に関し、昭和55年11月以降、検察側は大量の人員を動員して証拠の蒐集をはかり、特に昭和57年12月以降は元訓練生やその父兄その他の関係者に対する、執ような捜査が行なわれるようになりました。たとえ入校当初は厳しい訓練に反撥した訓練生でも、やがてヨットスクールでの訓練の内容を理解し、自己の情緒障害を克服して卒業したということになれば、校長、コーチらスクール関係者と訓練生、父兄らとの間に、強い人間関係あるいは信頼関係の生まれてくることは当然の理であります。ところが、本件の捜査に当って、捜査陣を先の如き関係者間の人間関係を無視し、ひたすら、校長、コーチらの断片的な外形行為に関する事実の蒐集を敢行しようとした余り、中には、元訓練生父兄らの強い反撥を買ったやに聞き及んでおりますが、その非は、上記の如きヨットスクール及びその関係者らのつながり、人間関係を無視し、ひたすら捜査を強行しようとした捜査側にあるのであって、この点を省みず、いわば捜査権力の行使をちらつかせ、しかも、記者会見の席上わざわざこれを発表するなど、いかに公判維持が検察官の使命であるとはいえ、著しく行き過ぎの感を与えるものであり、公判の開始に先き立って、あらかじめ、被告人、弁護人らの立証活動に対する不当干渉にもなりかねない発言をされるなど、被告人、弁護人らにおいては強い危殆感を拭い去ることができません。

(6) 検察側は、前述の通り本件各公訴に関し、昭和57年12月以降、大量の人員を動員して証拠の蒐集をはかり、また、被告人らに対しては長期の勾留期間を通じ、いわゆる密室における取り調べを積み重ねるなど、攻撃側としての準備万端を整えられ、しかもその手の内については、本公判廷で明らかな通り、その大部分を公開せず、その温存をはかろうとしております。これに対し、被告人、弁護人側の立場に立ってみれば、被告人の大部分は既に身柄を拘束されてから9ヶ月を経過し、しかもこの間、長期に渡って、各代用監獄に分散留置され、弁護人との打合わせもままならないという状況にあり、更に、3回に及ぶ保釈の申請はいずれも却下され、防禦の手段を講じようにも講じようがありません。以上の通り、本件公判における検察官と被告人、弁護人との関係は、余りにもアンバランスであり、このような中で、公判が強行されようとしております。そこで被告人、弁護人らとしては、裁判所に対し、第1に、是非とも、上記の如き当事者双方間におけるバランスの是正をはかるため、被告人、弁護側に対し、充分なる準備の時間、発言の機会、立証の時間を与えられ、もって、公平な公判審理を行なわれるよう、繰り返し強く要望申し上げ、第2に、本件各公訴提起に見られる如く、物事の一面のみを見て、他面をことさら見ようとはせず、あるいは木を見て森を見ずといった、偏頗に堕することなく、本件各公訴事実がこれらと一体不可分の関係にある社会生活状況の中で、如何に評価されるべきかについて、慎重に御審理頂くよう要望するものであります。


第六 本件の社会的性質とその背景
 昨年6月13日の戸塚被告人の逮捕以来、弁護人らが偶々同人の弁護人であることを知った人々から、多くの意見が寄せられた。

 その一部は、例の通り、あのような極悪非道の人間の弁護をすることは許せないといった趣旨の非難であり、嫌がらせ電話の数も多かった。

 しかし、その一方で、多くの激励もあった。弁護費用にとカンパを申し出た人があり、「お役に立たないかもしれませんが…」との手紙と共に情緒障害児問題を特集した4年も前の新聞記事のコピーを寄せられた母親があった。

 このような、文字通り賛否入り乱れる多くの意見を聴く中で、弁護人らが知り得た1つの事実があった。

 それは、戸塚ヨットスクールに近い立場にある人々、即ち、情緒障害児問題について何らかの関わり合いを持ったことのある人ほど好意的であり、比較的冷静であるのに対し、マスコミの報道以外に事実を知らず、この問題について殆んど知識のない人々に限って感情的であり、批判が強いということであった。

 そして好意的意見を寄せた人々の多くが、自ら情緒障書児問題を身近に見聞し、その苦しみを知り、あるいは自ら体験した人々であった。

 弁護人は、マスコミの報道によって、戸塚ヨットスクールが営利のみを目的とする組織的暴力集団であるとの世論が形成されつつある中で、皮肉にもなお、戸塚ヨットスクールに対して根強い擁護論があることを知る結果となったのである。

 弁護人らが、戸塚批判の嵐が吹き荒れる中における、このような意見に意を強くしたことは事実であるが、むしろ、弁護人らがそれ以上に痛感したことは、情緒障害児問題の持つ社会問題としての深刻さであり、その大きさであった。

 即ち、この問題で苦しんでいる家庭が、一般の人々の想像するよりは、はるかに多く存在すること、その苦悩や惨状が我々の想像を絶するものであること、そして、それが現在の社会の中で決して特殊な例外的家庭ではなく、いつ一般の人々の家庭に起こるかもしれないという危険にさらされている、ということであった。

 検察官は、この事件を営利を目的とする暴力集団によるものと決めつけ、戸塚ヨットスクールは、情緒障害児の治療を看板に掲げた営利目的の「株式会社」に過ぎないと、ことある毎に喧伝し、一部の報道によれば、「捜査結果からみると、治ったのかなと考えられる例がほんの2、3例あるだけで、目が見えなくなった人が色々治療して治らなかったのに電柱にぶつかったり、転んだ拍子に治ることがあると言い張るようなもの」などと述べたとさえ伝えられている(朝日ジャーナル'83.11.11)。

 「株式会社」即ち、「営利目的」と直ちに断定する驚くべき短絡思考は論外としても、情緒障害児問題のもつ深刻さについて何の知識もなく、かつ、謙虚に知ろうともしないまま戸塚ヨットスクールを「何々組」といった類の暴力団と同様の組織的暴力集団と位置づけることによって、この問題に関する論争をことさらに回避し、意図的にこの事件の倭小化を図ることによって、早期に被告人らを断罪しようとしている検察官の態度に、弁護人らは強い憤りを覚えるものである。

 しかし、検察官がいかに強弁しようとも、戸塚ヨットスクールが情緒障害児問題に真正面から真剣に取り組んだ、我が国では数少ない集団であり、かつ、数多くの子供達を立ち直らせた実績を有する組織であったことは紛れもない事実であり、この事実を否定することは不可能である。

 そして、本件の30件を超える各公訴事実は、何れも、これに対する取組の過程の中で発生したものである。

 従って、本件の審理に際して最も肝要なことは、この深刻な社会問題――ノンフィクション作家の上之郷利昭氏をして現代社会が生み出した「心のガン」とまで言わしめた情緒障害児問題――について、裁判所が最低限の基礎知識を持った上で審理にあたられることが必要不可欠であり、これなくして妥当な結論を導くことは不可能だということである。弁護人らは審理の開始にあたりまずこの点を裁判所に強く要望するものである。

 さて、情緒障害児問題について、その深刻な実情の一端は被告人らの述べた通りであるが、更に敷延すれば次の通りである。

 まず注目すべきは、情緒障害児の数の多さである。

 「文部省学校基本調査」によると、全国の中学校生徒の総数が約500万人前後であるのに対し、学校ぎらいによる長期欠席生徒数は、昭和41年度が12,286名であり、一時その数は7千名台に減少したものの、昭和53年度には再び10,429名に増加し、昭和55年度には13,581名にまで増加しており、その増加傾向は現在も続いていると言われている。

 これに小学校児童の学校ぎらいによる長期欠席児童の数を加算すると、その数は、昭和41年度に16,716名にも達するのであり、更に、最近高年齢化が専門家の間で語られている高校生のそれを加えると、その数が一層増大するであろうことは明らかである。しかるに、これに対する全国11ヶ所にある厚生省の情緒障害児短期治療施設は戸塚被告人も述べた通り、僅かにその収容人員は、500名に過ぎないというのである。

 しかし、情緒障害児は上記に述べた登校拒否、学校ぎらいのみではない。

 情緒障害児短期治療施設の関係者用に厚生省が作成した手引書(情緒障害児短期治療施設心理療法・生活指導等の実際)によれば情緒障害は次のように分類される。

 第一は、非社会的問題行動、この中に緘黙、登校拒否、孤立・内気、小心などがある。
 第二は、反社会的問題行動、即ち、反抗、乱暴、盗み、持ち出し、怠業、授業妨害など。
 第三は、神経性習癖、即ち、チック、爪かみ、夜尿・遺尿、偏食・拒食、吃音など。
 最近重要な社会問題となっている中学生の校内暴力は上記のうち第2のカテゴリーに含まれるものであり、彼らもまた、情緒障害の1つなのである。

 戸塚ヨットスクールへ入校した訓練生の殆んどは上記のような少年たちであり、しかもその多くは極めて重症の情緒障害児だったのである。

(1) 例えば、戸塚ヨットスクールに中学3年生の男の子を預けたことがある母親の1人は、「事故が続いても戸塚ヨットスクールを訪れる親が絶えないと聞きますが、その気持は本当によく分かるんです」と前置して次のように述べたという。

 「小さい時から我がままいっぱいに育てたせいか、いわゆる登校拒否になりましてね。もう、朝になるのが嫌でした。学校へ行きたくない、と部屋にこもったっきり出てこない。何とか引っ張り出しても、今度はトイレの中にこもってしまう。トイレのドアを外側からぶち破ったこともしばしばでした。会社に行っている主人に電話をかけようとすると電話線を切ってしまう。揚句の果ては火をつけられたこともあったくらいです。もちろん暴力もありました。

 もう、これ以上はどうしようもない。このままの状態が続けば、私が息子を殺すか、息子に私が殺されるか、どちらかだというところまで追い込まれました。それほどひどかったんです。死んでくれても構わない――正直いって、それぐらいの気持でした」


(2) また、ある父親は、最近次のように訴えている。

 「中学に入った頃から、息子が登校拒否になり、家庭内で暴力もふるうようになった。児童相談所や神経科の医師、心理学者など、考えつくところには当たってみましたが、効果は、全くありませんでした。学校?とっくに見放されています。

 そのうち、私は胃潰瘍になるし、女房はノイローゼですよ。完全に家庭崩壊の一歩手前です。それで、戸塚ヨットスクールに預けようと思いましたら、この騒ぎ。どうすれぱいいんでしょう?私や女房に悪いところがあれぱ認めます。しかし、そうこうしていくうちに息子は、どんどん悪くなっていくんです。1日も早くなんとかしなけれぱ、息子はダメになってしまう。
 家の中はメチャクチャです。

 どこに入れても治る見込みがないから、現実に治った子を持つ親が勧める戸塚ヨットスクールに頼るしか、方法がないんです。そうじゃありませんか。病気を治してくれるなら、正直いって、どこでもいい。どこか、いい所があったら教えて下さい」