資料U 国会衆議院法務委員会議録 (T)


≪資料U≫

第102回 国会衆議院法務委員会議録 第13号

昭和60年4月10日(水曜日)
    午前10時17分開議

 出席委員
   委員長  片岡 清一君
      理事 太田 誠一君  理事 亀井 静香君
      理事 高村 正彦君  理事 森   清君
      理事 天野  等君  理事 岡本 富夫君
      理事 三浦  隆君              
         石原慎太郎君  上村千一郎君
         衛藤征士郎君  宮崎 茂一君
         稲葉 誠一君  小澤 克介君
         日野 市朗君  中村  巖君
         橋本 文彦君  伊藤 昌弘君
         柴田 睦夫君  林  百郎君

 出席国務大臣
           法 務 大 臣 嶋崎 均君

 出席政府委員
           法務大臣官房長 岡村 泰孝君
           法務省刑事局長 寛  榮一君
           法務省矯正局長 石山  陽君
           法務省保護局長 俵谷 利幸君
           法務省人権擁護局長 野崎 幸雄君
           法務省入国管理局長 小林 俊二君


○片岡委員長 裁判所の司法行政、法務行政、検察行政及び人権擁護に関する件について調査を進めます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。
石原慎太郎君。

○石原(慎)委員 私は、法務委員会に出席するのは生まれて初めてでございまして、覗いたこともございません。法律、司法に関しては全くのど素人でございますが、この質問を致しますために、友人の弁護士だけではなくて、友人には裁判官、検事もおりますので、色々相談しお知恵も拝借致しました。その中のある人が触らぬ神に祟りなしだということを言われましたが、私は言わんとするところの意味がよく分かるような気が致しました。しかし、日本を真に開かれた、より自由が保障された社会として安定させていくために、むしろ素人の方が同じようにほとんど素人である大衆国民を代表する場合もあるのじゃないかと思って、敢えて質問させて頂くわけでございます。

 私たちが触ってならないのは自由そのものでありまして、これを棄損する可能性のあるものがあったらこれを正しく防いでいかなけれぱならないと思うわけでございまして、特に社会工学的に非常に規制力のあります行政、立法、司法に法律から外れたところでタブーがあってはならないと思いますけれども、大臣、この点を基本的にいかがお考えでしょうか。

○嶋崎国務夫臣 ただ今のお話はその通りだと思っております。

○石原(慎)委員 私が色々聞きましたら、これは正確な数字がどうか知りませんが、日本の起訴された事件の有罪率は人によったら99%、ほとんどの人が90%コース、一方アメリカでは30%である、つまりこれはかなりの起訴された事件のうちの有罪率の格差だと思いますけれども、アメリカと日本を比べた場合に、民主主義のお手本として我々が考えていたアメリカと日本にかなりの格差があると思いますけれども、大臣、この点についていかがお考えでいらっしゃいますか。

○寛政府委員 有罪率、裏を返せば無罪率でございますが、日本の場合、一般刑事事件全体で無罪率はたしか0.2%、ですから有罪率は99.8%ぐらいになりましょうか、であると承知致しております。アメリカのパーセントが30%かどうかは詳しくは存じておりませんが、相当高いということは一般的に言われておるわけでございます。その差異は、アメリカと日本の法制度の違いに基づくのが主要な原因であろうかというふうに考えておるわけでございます。

○石原(慎)委員 たしかアメリカは半分以下と聞きました。日本におりますアメリカのある著名な新聞記者2人にこの話をしましたら、彼らは肩をすくめてホリブルと申しました。恐ろしい、君ら日本人は不安を感じないのか。法制度の違いはあるかもしれませんけれども、彼らの言うところは、要するに裁判官も検事も共に人間である、完璧な人間がいない限り、そういう人間が扱う裁判でそれだけの数字が出てくるというのは非常に恐ろしいということを言っておりました。私は、裁判というものの実態は必ずしもこういった数値で左右されるものではないと思いますけれども、しかしこれは民主主義というものの成熟度をはかる非常に大事な鍵、メジャースティックじゃないかと思います。

 私、本当に素人ですが、ある事件をきっかけにこういう問題に関心を持ち出して色々調べましたら、日本の場合には裁判の運行に色々問題があって、とにかく煩しいし自由になりたいから執行猶予がつくなら控訴もせずに受けてしまおう、またそれを勧める弁護士もいたりして、一種のあきらめで刑を甘受する人が非常に多い、そういう実態があるのに実は驚きました。法務省には御異論があると思いますが、これは私の印象と申しましょうか体験として申し上げておきます。

 三権分立ということになっておりますけれども、この立法府にしろ、私も政府におりましたが、行政府にしろ、とにかくマスコミを含め縦横無尽に批判にさらされているわけで、それは開かれた自由な社会として妥当なことです。そういったやや行き過ぎの批判とかマスコミの動向もありますけれども、それが相互に作用し合ってチェック・アンド・バランスされていると思うのですが、どうも司法だけが一種の聖域化されている感じが致します。

 それで、そういうもののチェック機関として裁判官弾劾裁判所というのですか、これは鬼頭判事補の事件で知りましたけれども、また検察官適格審査会なるものがあるそうでありますが、こういうものが、ある大きなきっかけで開かれたという例を実は私、耳にしないのですが、これは今まで戦後度々開かれておるのでしょうか、どのくらいの頻度で開かれておるのでしょうか、お聞き致します。

○岡村政府委員 最近10年間の例で申しますと、平均致しまして毎年1回開かれております。51年以降現在まで10回開催されております。

○石原(慎)委員 私は、現在係争中のある事件を踏まえて質問をしているわけでございます。

 実は、予算委員会でこれに先立ってある質問を致しました。敢えて申しますけれども、それは例の戸塚ヨットスクールの事件でございます。戸塚君は私の友人でもありますし、日本の誇る本物の超一流のヨットマンでありまして、真のスポーツマンであります。これは私の友人関係でございますけれども、私がこの事件を非常に注目して裁判の動向に関心を持たざるを得ないのは、これは予算委員会で文部大臣との応答の中で話したことでありますけれども、これはただの事件ではなくて、今日、日本の中学、高等学校の児童生徒において、いわゆる情緒障害児というものの数が世界に比して異常に多いのです。これは16年前に中央児童福祉審議会でしたか、既に警告を発しているのですけれども、文部省は全く無為無策できまして、いたずらに増えるぱかりで、今本当に手をやいている。これは日本の民族史の中で初めて出てきた子供たちでありまして、対処の方法が分からない。私、これはどうして出てきたと思いますかと文部大臣に聞きました。松永さんは昔検事であり弁護士であった人ですけれども、じっと考えて、これは私個人の意見ですけれども、私は日本の若いお母さんがいかぬと思いますと言われた。これは実に名言、至言でありまして、私はその通りだと思いました。残念なことに、次の日の新聞にはそれは1行も書かれなかった。私はお母さんたちに対する大きな警告になったと思うのですけれども、これは取り上げられませんでした。

 いずれにしろ、この情緒障害児に対する対策というのはどうにも立てられないし、臨時教育審議会でも一向にこれが俎上に上ってこない。ところがこの情緒障害児がヨットスクールで奇跡的に直っていたわけです。周囲の人は、皮肉なことに今日彼を罪人、被疑者として扱っている警察の人たちも、これを非常に評価し、部分的には協力もして下さっていた。ところがこういう事件になりました。

 もともとこの学校は、普通の人にヨットを教えるために開設しました。そこに親が手に負えぬ子供を強引に入れた。子供も何となく海が好きだったのでしょう。そこにいるうちに直ってしまった。それが口から口へ伝わって、とうとう情緒障害児専門の学校になってしまったのですが、校長以下、コーチたちにすれば何も好きこのんでやっているわけではないので、素人相手に、普通のまともな子供相手に学校をやっておる方がずっと楽だ。だけれども、そういう社会的な希求もあって、彼らも意を決して学校の方針を切りかえて、そういう子供たち専門の学校になっていったわけです、必然的に。ところが、戸塚君自身も何で子供がこんなに直るのかよく分からなかった。彼は理科系の学校を出た非常に優れた人物ですから、自分で論理的に考えていったのですけれども分からない。これは非常に効果があることだけは確かだから、国家のベースでもっと一般的に実験をして、もっと広くデータを拾って体系づけてもらいたいということを言っていた。その矢先にあの事件になりました。

 彼は幸か不幸か既に2年近く拘置所の中にいるわけです。その間、彼は勉強家ですから色々な勉強をした。同時に、日本の京都大学等々、大脳生理学で非常に新しい発見がありましてこれが分かってきた。ここでくどくど申しませんけれども、人間の脳幹という部分に非常に不思議な分泌物があって、これが作用して、子供に限らず大人を含めて人間の知情意を形成しているという分子生物学の新しい発見でありまして、アメリカのある泰斗は、今や人間の精神の問題は分子生物学の手のうちに入ってきたと言っても差し支えない、これは多くの哲学者や文学者に余りいい印象を与えないかもしれないけれども、科学的にはそれが立証されるだろうということを言っているわけですが、人口当たりの数が世界で1番多い情緒障害児について、政府を含めて、学校の先生も全く手をこまねいて等閑視している。その間、どんどん少年たちの荒廃は進み、日本の教育は6・3・3制を何割に直したところでどうにもならないところまで揺るぎがきているわけです。

 ですから私は、戸塚個人の問題は友人として憂慮致しますけれども、それ以上に政治家として、教育に関心ある市民として、この戸塚君の体験が暗示しているものが正当に評価され、例がいいか悪いか分かりませんが、私はやや丸山ワクチンに似ているなという感じがするのですけれども、ここから文部省なりあるいは学校なりが大きな啓示を酌み取って、それを国家の責任で体系化して、日本の教育というものを根本的に考え直していく大きなきっかけがここにあると思う。

 係争中の事件ですから、皆さん御意見はおっしゃらないでしょうし、これから先は私も論評を控えますけれども、全体の成り行きからすると、本質論が非常にゆがめられ、隠され、すりかえられた形で裁判が行われている。しかも、その裁判の前の準備もそういう形でしか行われていないというところに、戸塚君個人の自由の問題以上に日本の教育が蘇生する可能性が阻害されていると思うので、素人ながら諸先生の前でたどたどしくこういう質問を行うわけでありますので、そういう前提があるということを大臣並びに政府委員の方々に御了承頂いてお答えを願いたい。

 私は、決して司法に立法府で干渉するつもりもありませんし、してもらいたいと思っておりません。ただ、係争中の事件だからといって我々は一歩離れたところで見るというのが大体今までの慣習のようですけれども、ある場合、色々な事実が歴然としている時に、三権分立と言いながら、立法府なら立法府で法務委員会があるのですから、ここで議論され、こういう問題を規正というと行き過ぎかもしれませんけれども、我々が見届けた上で、色々な判断を大所高所でなさる必要があるのじゃないかな。また同時に、こういう議論を通じて国民が何が行われているかということを熟知する、そして日本の自由民主主義社会というものがどこまで成熟しているのか、していないのかということを国民自身が知る必要があるのではないかと思うわけでございます。しかし、一般論としてお尋ね致しますから一般論としてお答え願いたいけれども、ただ、どこにそういう証拠があるのだと言われましたら私はいつでも提出致しますが、証言者もいるでしょうけれども、私なりに調べた事実をもとにして、一般論的な質問をし、一般論的な答えを願いたいと言っているということをひとつ御理解願いたいと思うわけでございます。

 問題は大きく分けて4つほどございます。よく言われることですけれども、被疑者の長期勾留と保釈の問題、第2は証拠隠滅あるいは証拠開示、証拠に関わる問題、第3は裁判の運営のための正当な手続、公正な手続の問題、第4は拘置所のあり方の問題でございます。どうも建前とするとこれは裁判所、裁判官の責任下にあると言われておるようですし、また検察官はやや警察官に似て特殊でありますけれども行政官の範疇に加えられるために、行き過ぎがあるにしても、それをチェックするのは裁判官の責任ということのようで、確かに警察官がある場合には少し行き過ぎをしてでもやってくれませんと犯人も挙がりませんし、検察が一種のプロとして非常に意気込んで激しい責め方をするのは頷けますけれども、行き過ぎがあった時にこれをチェックするのが裁判官だと思います。ですから、全ての責任は裁判官に体系的には集約されるのかもしれませんが、事実を調べていくととてもそれで済まない、裁判官の目の届き切れないところで色々歪みがある。これを単に裁判官1人の責任で問うて済むのかなという疑問を私は抱かざるを得ないわけでございます。

 長期勾留の問題に入りますけれども、私が予算委員会で質問致しましたら、周囲の与野党の予算委員の諸兄が等しく驚きました。それは何で驚くかというと、単純な問題で、何だ、戸塚はまだぶち込まれているのか、あんな事件でまだいたのかということです。いかにも長いじゃないか、これはおかしいぞということが、ざわざわという形で与野党の委員の中から起きました。現にもう2年近くになりますが、その間十数回保釈の申請がされましたけれども、全部却下されました。

 それは主な理由は1つでありまして、刑事訴訟法60条と89条に言われております証拠隠滅のおそれがあるということでありました。それなら、いかなる証拠をいかにして被疑者側が隠滅するおそれがあるのかということをしきりに弁護側が聞いたわけです。恐らく他の裁判でもこれがあると思います。その場合に一般論として、色々検察側の都合もあるでしょうけれども、これは可及的速やかに、いかなる意味で証拠隠滅のおそれがあるかということを分かりやすく検察が、あるいは裁判官を通じて弁護側に伝えるという責任があるのではないかと私は思います。できるだけ早くそれを答える責任があるのではないかと思いますけれども、いかがでございましょうか。

○寛政府委員 今、石原委員の御指摘にも関連致しますが、何分現在係属中の事件でございますので、その過程における個々の裁判あるいは検察、被告側双方の立証の問題等についての論評は差し控えたいと考えております。

 今御指摘の被告人、多数ございますが、戸塚宏氏を中心に申し上げたいと思いますが、戸塚氏に対しましては、2名に対する傷害致死事件、それから2名に対する監禁致死事件、死者4名でございますが、その事件を含めまして合計13の事実で起訴されて現在審理中のわけでございます。そして、その間において被告人側から保釈の申請が2月頃までの段階で9回でございますが、その後なされておるかどうか詳細承知しておりませんが、いずれも裁判所によって却下されております。

 その却下されております理由は、今先生の御指摘にもございましたが、刑事訴訟法第89条で、いわば権利保釈の例外事由が列挙してございます。その1号と4号でございます。1号と申しますのが「被告人が死刑又は無期若しくは短期1年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したものである時」ということで、本件の場合、今申し上げました傷害致死あるいは監禁致死が2年以上の懲役ということで、犯罪がたくさんございますが、その中で重罪という類型に入るということでこの1号が該当するわけでございます。その理由としては、こういう重い犯罪については有罪になった場合には重刑も予想されるということなどから、定型的に逃走のおそれがあると認められるということであると言われております。それと、4号の「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある時」ということで、裁判所はこの89条の1号、4号という理由で保釈申請を却下致しておるわけでございます。

 御承知のように、裁判所の決定には、本件保釈申請を却下する、その理由のところに89条の1号、4号と書いてあるわけでございまして、それ以上に、1号がどうして当たるあるいは4号の罪証隠滅は具体的にこういうことであるというような理由は付されておりません。また、付する必要もないとされておるわけでございます。

○石原(慎)委員 証拠の隠滅がどういう形で行われるおそれがあるかということを具体的に説明する必要がないわけですね、本来は。しかし、それは非常に問題がありまして、色々な問題がそれから出てくると思うのですけれども、私、今あえて89条の1号についてはお聞きしなかったのですが、どうしてもこの問題を踏まえますと一般論といっても個人の名前を挙げざるを得ないのですけれども、1人だけ分離して検事の調書に同意して、自分で罪を検事の言う通り認めた竹村コーチも、戸塚君と同じ罪状で傷害致死で起訴されていた。それで、1年以上というと、この人の求刑は2年何カ月で、結局判決は一審は2年で執行猶予2年ということでありました。となると、これまた致死という一種の殺人の容疑で起訴されていた人ですから、そういう意味では、分離された被告だけが、保釈ということに関しても、1回目の公判で自分の罪状を認知する以前、起訴状に捺印した瞬間に保釈されるという非常に不思議な現象が起こっているわけでありますが、係争中の事件ですから余り細かいことは聞きませんが、私はこれはどうもおかしいと思う。

 私がここで一方的に物を言うこともまたこれは議事録に残って国民の目にさらされるので、それが必要だと思いますから、お答えがなくても敢えて私は言うべきことを言いますが、私、専門家に聞きましたら、これは一般論として、大体殺人という非常に重罪の容疑の人は保釈されにくい、しにくい、されないという慣例がございますそうですが、実際に専門家から見てそういうことが慣例として定着しているという傾向があるのですか。

○寛政府委員 裁判所の判断、個々具体的なケース、ケースでその事案の真相と言いますか、事案の内容、色々なその他の事情を総合的に判断して裁判が決定されるわけでございます。その間に慣例的であるとかいうようなものの入る余地はないものと考えております。

 それから、今御指摘の竹村コーチの件でございますが、何か起訴状に捺印するとか検事の言う通り認めて保釈されるということでございますが、そういうわけではございませんで、確かに傷害致死についての訴因もございますが、ずっと統一公判をしておりましたところを、ある段階で竹村コーチの方から分離の請求があり、裁判所が分離を認めて、分離裁判になった、そこで竹村氏の方が個別に裁判を受けた。その過程で裁判所は、罪証隠滅のおそれは、89条にいうおそれというものは認められなくなったという判断で保釈が許可されたものでございまして、検事の言う通りにしたとかしないとかということとは全く関係がないものというふうに考えております。

○石原(慎)委員 竹村コーチの場合には89条の1号は適用されなかったわけですか、保釈に関して、それまでの勾留の理由として。

○寛政府委員 特に確かめておりませんので断定は致しかねますが、恐らく1号、4号ということで保釈が却下されておったかと思います。そして、分離され、保釈になった時の段階では、1号によって保釈を拒むという理由もない。90条とか91条とか、色々な裁量的な規定がございます。裁判官はその裁量の方法を考え、色々な諸般の情勢を考慮した上で、保釈相当という結論を出されたものというふうに考えております。

○石原(慎)委員 そこら辺が非常に、個々の事例でありますけれども、私たち素人には不思議な気がするのですが、要するに、同じように他の被告、つまり検事の起訴理由を認めないでいる他の相被告と1人離れてそれを認めた瞬間に、つまり同じ訴因で起訴されていながら、1人の人間だけが1号も適用するおそれがなくなった、必要性がなくなったということで保釈されるというあり方そのものに、何となく妙じゃないか、何が中で行われているのだろうかという疑義を持たない国民はまずいないんじゃないかと私は思います。

 ただ、今局長は大事なことを言われましたが、慣例がないということ、大変結構なことです。私は、慣例というのは所詮法律ができた後人間が補足して作るものですから、それが定着するということは、あるとすれぱ非常に不可思議なことですし、けしからぬことで、本来殺人容疑の人でも無罪の推定という原則のもとに行われている自由主義社会の裁判でありますから、慣例が定着するということはその基本的な人権というものに抵触するので、そういう傾向があったらひとつ法務省の責任でそういうものにブレーキをかけて頂きたいと思います。

 私はこの問題に非常に関心を持ったのですが、やはり民社党の前の委員長の春日一幸先生もこれに非常に強い関心を持たれまして、先生は何かこの問題に対する質問書と言いましょうか、一般論としてされたのですけれども、色々お考えになって、まだ質問書を提出されてないようですが、私、これは春日先生から頂きまして、何かの参考にしてくれということで拝見しましたが、大変大事なことを聞いておられるわけでございまして、質問書が正式に出る前に、春日先生の質問を法務委員会で横取りして申し訳ないのですけれども、ついでですから、大事なことなので、制度上の問題としてお聞き致しますけれども、要するに、被告人の勾留についての権利保釈制度を設けられておりますが、この制度には大幅な除外事由がありまして、その実態は、いわば例外的保釈制度になっていると思われる。したがって、この除外事由を整備して、特に証拠隠滅のおそれの項を削除するなどして、母法である英米法にあるがごとく、勾留は被告人の出頭確保のための制度として、かつ、保釈の請求があれば原則としてこれを許さなけれぱならないこととするように、我が国の現行制度を根本的に改正する必要があると考えるかという質問がございますが、私も極めてこれに同感致しますけれども、この点、法務省の見解はいかがでございましょう。

○寛政府委員 お尋ねの現行制度でございますが、現行制度はそれなりに現在有効に機能し、かつ、有益に働いておるというふうに考えております。したがいまして、これらの制度を根本的に検討し直すとか改めるとかというようなことは現在考えておりません。

○石原(慎)委員 その他、これは色々大事な質問がございますですね。

 基本的に、戸塚事件もそうでありますけれども、他の一種の確信犯と言いましょうか、政治事件で被疑者となった行為者が、その行為を正当な行為と自覚し認識して行われた類型の犯罪においては、一般の犯罪とは性格上異なっているので罪証隠滅のおそれも乏しいと考えられますが、そういう認識があれば保釈の可否に非常に大きな影響を持ってくると思いますけれども、そういう一種の確信犯というのでしょうか、今申し上げた性格の犯罪を結果として犯してしまった被疑者に、一般の犯罪と違って罪証隠滅の可能性というのは非常に少ないと私は常識的に思いますけれども、法務省は、そういう見解を持たれる可能性はありますか、今お持ちになっておられますか。

○寛政府委員 いわゆる確信犯というものは定義はなかなか難しいと思いますが、政治あるいは信条等によって、自己の行う行為が正当であるという確信のもとに客観的に違法と見られる行為を行った場合とでも定義するのか、色々言われておりますが、いわゆる確信犯というものが一般に罪証隠滅のおそれがないというふうには直ちに結びつかない、やはり罪証隠滅のおそれというのは、個々の具体的な裁判の過程と言いますかその場において、当該刑事訴訟で争っております事実に関し責任を問われている被告人との関係において、人証、物証その他の証拠に対し何らかの働きかけをするとか、その他隠匿するとかというような罪証隠滅の具体的な危険があるかないかを判断することになろうかと思います。

 したがいまして、これもあくまで抽象的一般論として申し上げますれぱ、例えば、ある人が確信的な意図によって殺人を犯した、裁判になりました場合に、その殺害という行為あるいはその前後の行為も全て詳細に捜査官に明らかにし、それが客観的事実に符合しておる、ただ、彼の言わんとするところは、自分のやった行為は現在の法には触れるかもしれないけれども、こういう目的等でやったのであって正当であるという主張だけをしております場合には、具体的な訴訟の場において罪証隠滅のおそれというものはほとんどないのではないかというふうに考えます。

 ところが、いわゆる確信犯でありましても、やはり具体的な裁判の場において客観的な行為と言いますか、事実関係等を争うということがありますれぱ、その点について罪証隠滅のおそれがあるかないかが判断されますので、本人が、おれは正しいことをある確信に基づいてやったといかに力説しましても、罪証隠滅のおそれというものは当然出てくる場合があろうかと思います。

○石原(慎)委員 その点はよく分かりました。

 次に進みますけれども、この証拠隠滅と色々関連のある証拠開示の可否の問題でありますが、色々大事な証拠を検察側は持っていらっしゃるようであります。一般的に申しましても、何か事件があって捜査陣が踏み込んで家宅捜査をする。本来、そこで押収していった証拠なるものは1つ1つアイテムとして記述されるべきものだそうですけれども、どうもガサ入れを受ける方も動揺しているものだから、捜査側が書類ダンボール1箱とか2箱という形で中に何があるか、とにかく押収された方も覚えていない。ところが、その中に検察側にとっても非常に有力な証拠があるかもしれないと同時に、被疑者の方にも逆に非常に有力な証拠があるかもしれないけれども、それにも全く物理的に手が届かない状況になるわけであります。

 そういうシチュエーションは今まで随分色々な裁判についてあったと思うのですが、今回行われた、私が踏まえてお話をしている事件でもその傾向がどうもありまして、例えぱきっかけになりました小川君という少年の死亡事件も、検察がとったお医者さんの調書が3通あるということだけは分かっているのです。それぞれお医者さんの意見が違うんだということも分かっています。お医者さんに聞いても、もう検事に話したから言いたくないということで、いかなる理由で小川君が死亡したかという見解が医学的に専門家によって違うということは非常に大事な問題でありまして、弁護側がどういうふうに違うかということを知ろうとしてもその開示が行われない。それだけじゃなしに、全ての押収された証拠の開示がない。起訴のもとになっている検察側の証拠が開示されない。なぜ開示しないのかということを再三聞いてきたのですが、その答えがなかったのですが、最近、我々が聞くと非常におもしろい答えを検察側が弁護士と裁判官との打ち合わせの中でされたようです。それは、弁護人に証拠を開示する、弁護人が被疑者にそれを接見の時に話をする、報告する、被疑者がそれを手記にする、マスコミがそれを発表する、そして他のマスコミが相乗効果で大騒ぎして、その証拠の中に出てくる人物、特に少年たちのところへ押しかけて、親は動転して、調書にとられた証拠をさらに法廷で証言するべき出廷を拒否するおそれがあるということでありまして、こうなってくると、一体開かれた裁判か開かれた裁判でないのか、まことに判じがたいことになります。

 これは実際に行われた回答ですからお調べ頂けば分かることだと思いますけれども、どうも証拠を捜査側だけが、検察側だけが握っていて、開かれた裁判として弁護人は実のある弁護をしようといっても、これは片手縛った拳闘というか、片手よりも両手縛った拳闘みたいなもので、つまりこっちが打ってくるのを、おまえは両手を縛ったまま反撃せずにうまく逃げ回れみたいな裁判になるんじゃないか。どうもそういうおそれがあると思うのですが、一般論として、公判が始まったら、できれぱその事前に速やかに弁護人に検察側の証拠の開示が行われるべきだ、それが公正な、つまり裁判の維持に不可欠の条件であり、また被疑者が保障されている人権というものを守る、防衛の権利の保障のために絶対必要条件の1つであると私は思うのですけれども、この点大臣、いかがお考えですか。