(H12.8.28 「広島・全日空ホテル」にて)

「報道のあり方を考える」講演会
――歪められる真実――

「マスコミが作った教育荒廃(後)」  戸塚 宏


フリースクールも「精神」が分かっていない

 それからフリースクール。あんなもののどこがいいんでしょう。有名なのが「東京シューレ」です。以前、あそこの先生が2人接触してきました。1人はメールで、もう1人は直接乗り込んで来て。直接乗り込んで来る人の方が、やっぱりはっきりしています。メールでくる人は、ちょっと弱々しいところがありますね。面と向かっては言えないことを、メールで言っているわけですから。メールの人が言ってきたのは、先程の女子大生と同じことです。ただ、男でしたから、さらに生意気ではありましたが(笑)。
 まず、「私は、ヨットスクールを認めないわけではありません」――彼が認めたところでどうなるんでしょう。「私は、ことによっては、相談に来た親達にヨットスクールを推薦しようと思います」――彼に推薦されたってしょうがありません。一体自分を何さまだと思っているんでしょう。そして最後に「返事が欲しい」――何が返事ですか。
 しかし、私は返事を出してあげます、「大変ありがたいことです」と。そんなことは思っていませんが、これは礼儀というものです(笑)。
 「色々とお教え頂きたいんですが、もしかしたら私達のことも誤解されているかもしれません。今から、メール交換しながら、色々やっていきましょう。ただし、お互いに考えていることが違ってはいけません。だから言葉を合わせておきましょう。まず第1に、我々は子供の精神を扱うわけですから、精神の定義だけはしっかりしておかないといけません。あなたの考える精神の定義を述べて下さい」と言うと、彼はもう、びっくりしてしまって…。「(今まで)考えたこともありませんでしたが、不可解で、曖昧模糊としたものです。限りなく自由なものです」という返事が返ってきました。
 そこで私は、「もう1度勉強し直して、また返事を下さい」といってやります。さらに、「あなたの言っていることは科学じゃない。そんなことで、あなたは親からお金をとれるんですか。親は何を期待して、あなたにお金を払うんですか。効果を、成果を期待してお金を払うんですから、子供をちゃんとしてやらないといけません。しかし、そのちゃんとしてやる人間が、1番もとになる精神とは何かも分からずに、何とかできるはずがないでしょう。だからもう1度勉強し直して下さい」と。

 このように、人を攻撃ばかりしている人というのは、自分が攻撃されるとものすごく弱いんです。彼らは、いわゆる「いいこブリッコ」ですよね。常にいい方の立場に立って、悪いと言われている方を攻撃してくる。しかし、悪い方はものすごく強くなっています。散々やられるんですから。攻撃をされていないことが、今の子供が弱い原因ですよ。だから、いじめは必要なんです。
 「いじめ」というのは、「暴行」と非常によく似ています。これらはどこが違うんでしょう。さらに、「体罰」と「暴行」とはいったいどこが違うのか。「いじめ」の定義、「体罰」の定義、「暴行」の定義は…。
 「いじめ」というのは、「力」なのか「暴力」なのか。「技術力」「知力」「学力」…、高い方がいいに決まっていますね。強い方がいいに決まっています。『力は正義なり』ですから。

「正しく、強く、安定した理性を創る」のが教育

 我々は、ウィンドサーフィンをやっていますから技術力と体力です。技術力と体力とを、営々と、何年もかかって進歩させていくんです。その結果、10mの風が吹く荒れた海で、ウィンドサーフィンを"自由自在"に操ることができます。これが「自由」です。だから、自由は「創る」ものなんです。決して「ある」ものではありません。もし「ある」ものだったら、何の練習もせずにウィンドサーフィンに乗れるはずです。
 我々は、へたな奴が荒れた海に出ようとすると、「やめろ」と言って止めます。「お前には無理だ」と。ところが、うまい人、"自由自在"に乗れる人は、そういう海でもウィンドサーフィンに乗れる「権利」があります。権利は「創る」ものですね。
 皆がその人を、「あいつはたいしたもんだ」と認めます。これを「尊厳」と言います。尊厳は「創る」ものですね。
 ウィンドサーフィンの技術、これは「理性」の一部です。「技術」は「理性」なんです。だから、理性も「創る」ものですね。「生まれながらにして」はありません。この人はウインドーサーフィンの「技術」がある、つまり「理性」があると言えます。
 うまいから、他でひっくり返っている人を助けることがあります。「良心」があるということです。
 さらに、これだけできれば、他の人と「同胞の精神」でもって、接することができます。
 さて、『世界人権宣言』で言っていることは嘘じゃないですか。
 努力せず、トレーニングせず、いったい何ができるでしょう。「技術が高い」ということは、「価値がある」ということです。「理性が高い」ということは、「人間的な価値がある」ということです。人間的な価値を高めるためには、理性を創らないといけません。それも、「正しい」理性をです。
 「教育」の定義ができますか。教育の定義は、「"正しく・強く・安定した"理性を創ること」です。「正しく」というのは「知育」、「強く」というのは「感情」の教育、感情を強くしないと何も起こりませんから。「安定した」というのは「意志」です。人間の精神が「知・情・意」で成り立っている限り、知も情も意もトレーニングして強くしなければ、人間が強くなったとはいえません。精神が強くなったとはいえないんです。

マスコミ人は弱い

 マスコミの人間を見ればよく分かりますが、あれほど弱い人間はいません。
 1番惨めだったのが、小中陽太郎です。以前対談をした時、訳のわからないことばかり言うので、頭にきて立ち上がったんです。すると、何もしないのに椅子から転げ落ちました(笑)。後で本人が言うには、「殴られると思って…」だそうです。「そういえば殴ってもよかったなあ」と思いました(笑)。そういう弱い人間、自分の言うことに自信があるわけでもなんでもない人間が、マスコミの世界では発言力を持っています。
 テレビに出てくるアナウンサーにしろレポーターにしろ、「ああこれはいいなあ」と思える人がどれくらいいますか。「何だこの子供は」とか、「この人は、どうしてこんなに顔が曲がっているんだろう」とか、いろいろ気がつかれるはずです。悪口ばかり言っている人は、顔が段々曲がってくるでしょう。あれは、本人が1番、内心、悪いことをしていると分かっているからです。だから、大島渚のように、顔がゆがんでくるんです(笑)。

 それから、「現場イジメ」。これをよくやります。彼らは、自分達が実際のことをやれば、現場の人間にはかなわないと知った上で、それでも自分達の方が上だと示したいがために、現場をいじめるんです。「事故が起きたから」と言いますが、現場以外のどこで事故が起きますか。事故は現場でしか起こりません。彼らがテレビでしゃべっていて、事故が起こるわけはないでしょう。長いことかかって殺すことはあるかもしれませんが、目の前で死ぬことはありません。
 「科学」とは何でしょうか。科学の定義は「再現性」ですよね。「その方法でまた同じことが起こる」というのが、科学の定義です。それを「理論」といい、「法則」といい、「定義」というんです。科学かどうかを見極められるのは、「現場」しかありません。現場でしか事は起こらないんですから。

 教育改革をするのに、なぜ文化人を集めるんでしょう。彼らにいったい何が分かりますか。
 うちには、中学生の番長で2m近い子供がやってきます。それがすごんでみせるんです、「この野郎、俺に向かってくる気か」と言って。文化人の方々に、この子をちゃんとすることができるでしょうか。真人間にすることができるんですか。これが実際に起こるのが「現場」です。そして、現場だからこそ、この子達の状態がよく分かるんです。
 現実から逃げまくり、アメリカの本ばかり読んでいる人間に、一体何が分かるのでしょう。分かるはずもありません。彼らは自分の人生の哲学でもって、色々しゃべっていますが、それが何ほどのものでしょうか。我々は何百人もの子供を扱い、ずうっとデータを蓄えているわけです。しかも、直せるとなれば、我々が正しいんです。
 この前の講演会でこの話をしたら、「傲慢だ」と言われました。結構です。力があるから威張っているのが「傲慢」です。力がないのに威張るのが「驕慢」。そこで、そういう人達には、「あなた達を"驕慢"と言うんです」といってやります。何もできないくせに威張っているんですから。知育優先だと、そういう人間ができあがります。

「進歩」は人間の宿命

 今の子供は、「知育」の失敗だとみればいいです。理屈ばかりこねて、「意志」と「感情」が弱いから、行動はダメ。すぐにキレる。最近事件を起こした子供達、彼らを見て17歳だと思ってはいけません。2歳だと思えばいいんです。この世の中で、1番始末の悪いのが赤ん坊ですよね。自分では何にもせず、泣けば望みがかなうんですから。母親は奴隷状態です。それでも、可愛いから面倒を見てやれますが、17歳になってそれをやられたらかないませんね。

 これは、彼らが成長しなかったことが原因です。それなのに、「理性が生まれながらにしてある」などというバカな理論によって、「大人と子供は平等である」とは何事でしょう。
 我々が憧れる人間が、風速15mでウィンドサーフィンに乗っています。ものすごい波の中で、自由自在に乗っている。それを見て、こちらも必死になって練習をします。「ああなれるんだ」と思ってです。やがて、自分も風速15mで乗れるようになります。これで、「平等」になったんです。平等とは、「創る」ものです。「ある」ものではありません。

 人間は、進歩するのが宿命ですから、進歩しない者は人間ではありません。動物以下です。では、どういう時に人間は進歩しようとするでしょう。
 進歩は他人の手ではできません。だから、「お母さんが変わらなければ子供は変わらない」というのは嘘です。なぜなら、「本人が変わらなければ、本人は変わらない」からです。「変える」とは、「進歩する」ということです。変わるのは、全て自分の行動によります。自分が行動しなければ、進歩するはずもありません。ならば、自分の意志、「行動しよう」とする意志がなければ、子供は決して進歩しないということになります。
 では、この「意志」はどういう時に生まれてくるでしょうか。それは、「自分がダメだ」と知った時です。「自分の分際」を知った時、「自分自身」が分かった時、惨めになった時、人に嫉妬が湧いた時、「あいつはあんなにできるのに、俺はこんなにできない」と思った時…。だから、子供は褒めてはいけないんです。「お前はこういうふうだ」ということを、はっきり言ってやらないといけないんです。「ダメな人間である」ということを。

褒める教育が子供をダメにする

 褒めてばかりいれば、子供は進歩する必要がなくなります。褒めるとは、「それでいい」と言っていることになりますから。褒められるから自分が認められる、褒められなければ自分は認められていない。すると、褒められないと段々不安になってきます。そこで、子供は様々なことをして褒められようとします。
 1番よくあるのが「いいこブリッコ」です。もう1つは、奇異な行動をとること。「サカキバラ」少年のように、段々エスカレートしていき、ついには人間の首を切ったりします。あれが「犯罪」というものなら、普通は黙って隠れているでしょう。自分だと分からないようにします。しかし、彼は、わざわざ自分がやったということが分かるようにしました。声明文を書いたりして。これは、その行為によって、認められたかったからです。
 この前のバスジャック少年は、「サカキバラ」が話題になった時、「"やられた"と思った」と言っています。自分が有名になりたかったんですね。それなのに先を越されてしまった。だから、もっと他のことをしなければいけない。こういうバカな子供ができあがるんです。これは「褒める教育」の結果です。叱ってばかりいれば、子供は進歩します。時々ちょっと褒めてやれば、もっと進歩します。褒めてばかりいれば、全く進歩しません。
 「自分はダメ」「あいつはいい」「だからそうなりたい」。こういう気持ちが、「敬」という本能を引っぱり出します。「尊敬する」とは「ああなりたい」ということです。仰いでも尊くなければ、誰が進歩しようとしますか。先生と生徒が平等だったら、誰が進歩しようとしますか。お父さんが友達なら、誰が進歩しようとしますか。ましてや、お父さんは自分より弱いとなれば、もう進歩する必要は全くなくなります。

 「褒める教育」「平等教育」…。こういうことを営々と言い続けたのは、マスコミでしょう。奴らは、果たして分かっていったんでしょうか…。いいえ、分からずに言ったんです。彼らは「いいこブリッコ」をしただけです。
 さて、これは、戦後、急にこうなったんでしょうか。マスコミが全て悪かったんでしょうか。それとも我々が悪いんでしょうか。
 マスコミも我々の代表みたいなものです。日本人というのは、マスコミを扱えないんじゃないでしょうか。それは、ものを考えない民族だからです。我々は、マスコミの情報をすぐに真に受けます。「インフォメーション」なのに、あたかも「インテリジェンス」であるがごとくに扱ってしまいます。あれが「インフォメーション」だということを、もう1度分からないといけません。

日本に独自の文化はあるのか

 色んな文化、歴史をずっと見てみます。いったい、日本という国は、いつ独自の文化を創ったんでしょう。もしかしたら、1度もないんじゃないでしょうか。全て、外国から入れた文化を、日本的に直したのが精一杯だったのでは。仏教もそうだし、儒教もそう。
 そして、その文化を普及させた当時の「インテリ」は、ちゃんと分かっていたんでしょうか。権力を持てたんでしょうか。外国が文化を創り、日本がそれを取り入れるだけなら、日本の「偉い」と言われる人は外国の文化をたくさん知る人で、それを実行できる人のことを意味しません。
 さて、儒教の本を読んでみます。「大学」「中庸」「論語」「孟子」。すると、明らかな間違いが、営々と受け継がれているのが分かります。それを訂正することなく、千年もそのままにしているんです。
 仏教の本にも同じことがあります。仏教で一番大事なのは「"苦"とは何か」です。その「苦」を8つに分けたものが、「四苦八苦」と言われています。その8番目の「苦」が、法華経では「五薀盛苦(ごうんじょうく)」、他の本では「略説五取薀苦(りゃくせつごしゅうんく)」と書かれています。さて、それまでの七苦は非常に具体的なんですが、八苦目で急に抽象的になります。これはおかしいですね。そこで、「君子は本(もと)を務(つと)む」ということで、一番もとに帰ってサンスクリット語や、パーリ語でやってみます。つまり、原始仏教に立ち返ってみるんです。
 すると、なんとその八苦目と言われていたものは、実は八苦目ではなく、8つの苦を「まとめてみると」という意味で、「全体を簡単に述べると、ゴウンに執着した場合に"苦"が生じる」ということだったんです。この間違い、おそらく中国で間違われたんだと思いますが、日本はそれをそのまま、何千年も引きづっています。
 私は工学部出身ですから、まず簡単には信じることをしません。何事に対しても、正しいかどうかの検証から入ります。八苦目の説明を見た時、直感的におかしいと思いました。それは、抽象的だからです。抽象的なものは、みんなインチキです。具体的なものは正しい。「教育は愛だ」なんていうのはインチキですよ、抽象的ですから。
 この間違いを見つけた時、ちょっとがっかりしました。「日本のインテリというのは、昔からそんなものだったんだ」と思ったからです。

仏教や儒教を科学として捉え直せ

 ただし、仏教・儒教というのは、それ自体が「科学」でしたから、その通りにしても間違いはありませんでした。それが、戦後のキリスト教思想になると、天動説ですし、神との契約抜きには成り立たない思想ですから、とんでもなく非科学的なことになってしまいました。そして、今の崩壊状態です。
 さて、マスコミはこういう「検証」というものをしたでしょうか。法務省はどうでしょう…。何もしていないですね。昔から、インドかぶれ、中国かぶれ、朝鮮かぶれ、明治になってヨーロッパかぶれ、戦後はアメリカかぶれで、アメリカのいうことはみんな正しいとしたりします。アメリカというのは、変なことばかりする国ですよね。ものすごく強引な民族ですし、自分のことだけを正しいとする、嫌な民族です。それでも、1番力を持っていますから、「仕方ない」として従うならいいんです。しかし、「正しい」と考えたらもうダメです。

 キリスト教のもとでは、「精神」の定義はできません。それは、「精神」というものが神そのものを指すからです。だから、「理性」の定義もなく、「精神」の定義もなく、心理学という学問体系ができ上がってしまいました。これでは、半分以上が間違いだとしても仕方ありません。
 対して、東洋の精神論、儒教・仏教というのは「科学」でしたから、その通りにやれば今でも非常に有効ですし、現在のような問題は一切起こりません。
 もう1度、儒教と仏教を正しく理解し直さないといけません。日本に正しい精神論を創る能力がないなら、考える力がないなら、それはそれでいいです。ですが、せっかく儒教や仏教といった古典があるんですから、それを使えるようにしないと…。古典というのは正しいから残っているんですよ。「正しい」というのは「科学」であり、「正義」であり、「力」です。それをきちんと理解しないといけません。

「感情」が弱いと「幸せ」になれない

 人間の精神を強くする方法は、「文武両道」です。「文」とは「知育」のことですが、知育というのは覚えることではありません。考えることです。「武」とは「意志と感情を強くする」ことです。
 親はみんな、自分の子供を幸せにしたいと思っています。「幸せ」というのは「感情」のことです。「快感」のことです。感情が弱いと、幸せにはなれません。そして、表情がなくなります。今、様々な事件を起こす子供達、みんな無表情ですよね。彼らに幸せはないんです。これは誰の責任でしょう。日教組とマスコミの責任ではないですか。
 ここに、「サカキバラ」君の写真があります。この写真が出ることに、みんなは猛反対しました。なぜ反対するんでしょうか。これは大切な情報ですよ。自分の子供にそっくりかどうかを、見ればわかるんですから。自分の子供だっていつやるか分からないんです。
 無表情で、目が吊り上り、あごが上がり、口が開いている表情。これは、変な事件を起こす子供に共通した4つの特徴が、全てある顔です。「バスジャック」も、「てるくはのる」も、「新潟監禁事件」の犯人も、豊橋の「殺してみたかったから」というのも、皆この顔になっています。

マスコミ人の「人間性」を高めろ!

 既に教育は失敗したんです。どうして失敗したのか。それは、日教組やマスコミが、「精神とは何か」を知らなかったからです。責任は彼らにあります。彼らのような何もわからない人間が、生意気にも日本をリードしてしまったんです。しかし、彼らは責任なんか感じてないですよね。
 彼らには、もともと「力」なんかなかったんです。だから「正義」ではなかった。せめてマスコミの連中の人間力、人間性が非常に高ければ、こんなことには決してならなかったでしょう。ですから、これをちゃんとするには、マスコミに携わる人間の人間性を高めることです。これ以外に方法はありません。マスコミをなくすわけにはいかないんですから。
 同様に、子供全体の人間性を高めることです。それで、ことは解決します。この「人間性を高める」行為、これが「教育」の仕事になります。(拍手)