(H12.8.28 「広島・全日空ホテル」にて)

「報道のあり方を考える」講演会
――歪められる真実――

「“衰亡”の風に立ち向かうために(前)」  衆議院議員 西村 眞悟


 今、戸塚先生のお話を聴き、「真理は現実のただ中にあり」という言葉を思い出しました。それとともに、私が次に話している最中、戸塚先生から「その言葉の定義を言え」と言われればどうしようかと、思っていた次第です(笑)。

 さて、「“衰亡”の風に立ち向かうために」という題ですが、「衰亡の風」というのは、マスコミが起こすものです。それが我々の心の中を吹き抜け、我々は羅針盤を失いながら、ついにはマスコミの起こす風と共に、羊のように移動していく、ということです。では、それに立ち向かうためにはどうすればいいのでしょうか。
 それを考える前に、私が常々興味を持っている国防というものの中で、私がヒントを得たことをお話させて頂きます。

戦術の歴史と国防

 まず、戦術についてです。戦術の歴史は3つあります。初めは「号令」による戦術です。
 例えば、織田信長は、桶狭間で今川義元の陣営を自らの目で見て、「目標は、今川義元の首一つ」という号令を発し、それを受けて全軍が突入しました。これを「号令の戦法」といいます。
 これは、当時のヨーロッパの戦争もそうでした。ギリシャ・マケドニアの、ファランクスという軍団の編成が、ローマの縦走兵の戦略になり、カエサルはそれによってガリアを平定していきます。しかし、指揮官は自らの目で見る範囲の軍勢にしか、号令を発し得ないわけですから、1万〜2万人を指揮するのが限度だったろうと思います。
 これを打ち破ったのは、ナポレオンの「命令戦術」です。つまり、軍司令官連中に、「命令」と「任務」を与えることです。それによって、ナポレオンは10数万の軍隊を、自らの手足のごとく動かすことができました。これにより、ヨーロッパは席巻されていきます。

「命令」から「訓令」へ

 しかし、このヨーロッパの中で、ナポレオンに席巻された1つの国家から、ナポレオンの「命令戦術」に打ち勝つ戦術が生まれてきました。有名なのは、クラウゼビッツの「戦争論」です。これは「訓令戦術」「訓令戦法」と言われるものです。
 「命令戦法」というものは、命令を発する者の意図と、それを受ける者の任務を明確にして、命令を発します。しかし、「訓令」というものは、命令を発する者の意図だけを示し、後は軍司令官の自由な裁量にゆだねるというものです。
 ナポレオンに立ち向かうためには、ナポレオンの「命令戦法」では土台無理でした。従って、「訓令」というものが出てくるわけです。これでもナポレオンは、局地局地では勝ちます。しかし、時間の経過と共に、思わぬ展開を見せる各戦域、東西100kmに渡る前線を持つ戦域において、ナポレオン1人で全ての命令を発することは、人間の限界を超えることとなったのです。
 さらに、ナポレオンの将軍達は「命令を受けたことだけをする」という習慣がありますから、命令のないところでは動けません。それに比べ、「訓令戦法」と言われるものは、意図は明確に示されているが、それを実現するための任務を具体的に決めるのは、その意図を持った人達です。ですから、十数名を指揮する少尉といえども、自分自身で、変化する状況に対応する最良の力を発揮してきます。そして、戦争全体として、ナポレオンに打ち勝っていきました。

マスコミは「号令」で動く

 さて、我が国の「衰亡の風」を起こすマスコミというものは、私の体験的結論ですが、「号令戦法」でしか動かないと言えます。
 私が防衛政務次官を辞任後の記者会見で、記者から「あなたは核武装の議論、または国防の議論をまた言うのか、また同じことを言うのか」と言われた時、「それは当然である」と答えました。さらにその後、「あなた方は近い将来において、自分達がなぜこのような大騒動をしたのか、朝から晩まで、私の寝ぐらまで押し寄せて大騒ぎしたのか、その理由を説明できなくなりますよ」と言ってやりました。
 「号令」を受けて突っ込んで来る者は、自分がなぜ突っ込んでいるのかが分かりません。マスコミもそうだと思うんです。分からないから、彼らは自らのことを謝らないんだと思います。そして、これは実に、戦前戦後を通じて変わらない、マスコミのパターンです。
 戦前は、斎藤隆夫議員のいわゆる「反軍演説」を、「失言」という一言で片付け、「議員除名の方向か」という、自ら意図する方向に見出しを書いた朝日新聞。それが、戦後一貫して「反戦平和」の「号令」に突き進んでいるんです。戦前は、「聖戦完遂」の「号令」に突き進んでいたのにです。
 しかし、これは自分で自分のことを説明できないわけですから、実は我が国に吹いている「衰亡の風」は、ぜい弱であるといえます。つまり、「号令」を受けて稲穂のようにかかってくるものは、一見力強く見えながら、実はぜい弱であるということを、皆様にご報告させて頂きます。
 では、この「号令戦法」に基づいて押し寄せる「衰亡の風」に、いかに立ち向かうのかと言えば、我々は「訓令戦法」により、各々の人生、各々の直面するフロントにおいて、立ち向かおうではないですか。これが、私の今日の提案です。

学生運動も「号令」

 私は昭和23年生まれで、大学に入った時には大学紛争の真っ只中でした。大学には8年間行きましたが、そのきっかけは大学紛争です。
 当時、キツネが憑いたように、皆が同じことを言い始めました。「学生が主体となって、抑圧された人民を救うんだ」とか、訳のわからないことです。その時、私は教室で、「お前、抑圧されたなんてよく言うな。俺は勝海舟ではないが、毎日、京都の路地を歩き回っている。昨日、あそこの家では夕飯の時、みんなが幸せそうに食べていた。お前はそんなことを見ずに、抑圧されたなんてええっ格好を言うな」と言ったところ、「西村はもう相手にしてはならん。あいつは知能指数が低いんだ」ということになり、私にはみんな寄って来なくなりました(笑)。
 そうこうする内に、けったいな奴が5〜6人、これは民青だと思いますが、居丈高になって、私が大学に入るのを阻止するようになりました。相手は何か棒みたいなものを持っています。先程、戸塚先生は「立ち上がっただけで殴らなかった」と言いましたが、私は相手が5名ですから、こちらに言い訳がたちます。そこで敢然として、というよりとっさに手が出て、その中の1人、1番ゴツイ奴のあごを殴りました。するとあごの骨が折れたんです。彼らは日頃「警察権力に反対だ」とか何とか言っていますが、警察を使って告訴してきました(笑)。そして私は大学に行けなくなったんです。
 しかし、こういうことがあったおかげで、「号令戦法」で一斉に同じ事をしゃべってくる奴に対する、私の一貫した対抗パターンができました。

国会まで「号令」で動く

 例えば、5年前、戦後50年の「謝罪決議」というのが国会で取り上げられました。まさしく、みんながキツネに憑かれたように、「謝罪決議をしなければならない」と言い始めました。ある女性議員は、「もう、私は謝罪なしでは、私の良心が許しません」と泣くわけです。現実にそうなんです。この時、「これは皆キツネが憑いてしまった」(笑)と、私は思いました。皆が「"号令"によって動いている」と。
 「号令」によって動くというのは、「行け」か「止まれ」です。もっと極端に言えば、「行け」だけ、これが「号令」です。この「行け」だけで、女性議員は泣くし、「本当に国会というのはこのレベルか」、というような惨状を呈したわけです。
 その当時、私は民社出身ですが、新進党に民社が解党したため、涙を飲んで新進党にいました。そして、鳩山邦夫さんが新進党の「謝罪決議案」のまとめ役、座長でした。自民党は社会党とくっついていて、全体的に、社会党の土井たか子さんとか村山富一氏とかの方向に流されていました。
 従って、全体としては「謝罪決議」の方向に向いています。「50年前は悪うございました」という方向です。この時の新進党は分裂寸前で、その中で、社会党・自民党案に対する新進党案をまとめねばなりませんでした。しかし、この新進党も同じような「号令」の下に動いていたんです。

精神の本当の思いが「号令」を打ち砕く

 そこで私は、独自の新進党案を提出しました。それは、「戦後50年経ち、振り返るに、戦(いくさ)に負ければこれほど悔しいことはありません。憲法も変えられました。教育基本法も押しつけられました。従って、戦負けて50年、『今度戦争をする時は必ず勝つ』という決議をしようではないか」、と言ったんです(笑)。
 これを受け、「おお」と興味深そうに笑ったのは小沢一郎だけ。その時の鳩山邦夫、羽田孜らの唖然とした顔を見て、「こうだ、"号令"によって動いていく奴を打ち砕くには、本音、ええ格好なしの、精神の本当の思いをぶつけるしかないんだ」と思いました。
 さらに、私は、私の案に反発した羽田孜に、こう反論しました。
「あなたも憲法は変えねばならないと思っているでしょう。その憲法はなぜ変えねばならないんですか。戦に負けて占領軍に作られたものだから、変えねばならないんでしょう。そして、我々が民主主義国家の国民であり、議員であるというなら、我々の意見で変えねばならないでしょう。そういう憲法、国家の根本規範まで作られ、戦に負けたら悔しいではないですか。悔しくはないんですか。戦に負けて1年後の決議ならともかくです。当時は占領軍に占領され、恐怖政治を受けていましたから。しかし、戦後50年経った今、国会が決議すべきことは何でしょうか。それは、『負ける戦は絶対にしない』ということです。『戦をする時は必ず勝つんだ』という決議でなければならないでしょう」

 こうしてみると、戦前戦後を通じ、我々は「号令戦法」によってしか自らの人生を生きられなかったのではないでしょうか。それから脱却するきっかけは何でしょうか。
 考えてみれば、1つの民族を消滅させること、そのアイデンティティーの意識を消してしまうことというのは、その国の歴史を奪うことです。だとするなら、我々は今再び、この我が国の歴史を振り返る必要があると思います。そして、我が国の歴史において、占領軍によって憲法改正まで押しつけられ、また、それが押しつけられたものではないと思い込みまでさせられた、大東亜戦争の敗戦というものを、思い起こさねばならないでしょう。これを、私はいつも、「こうすれば勝てたんではないか」という思いで思い返しています。

近代国家の国防には「訓令」が必要

 例えば、真珠湾の攻撃をした、連合艦隊の司令長官南雲という男。この男は「号令戦法」でしか生きていなかったから、あの真珠湾を、あの程度にしか撃破できなかったんです。つまり彼は、「寝ているおっさんをどつきにいった子供が、一発どついて、起きてきたら怖いから逃げ帰ってきた」というようなことをしたんです。
 しかし、もし彼が、「訓令」による戦法によって訓練された人間なら、こう考えたでしょう。「空母が発見できない。それなら代わりに、空母の修理と、燃料補給をするドック、及び給油施設を全て破壊すればそれで済む。アメリカの空母は、サンチアゴまで戻らねばならなくなるから」と。もしも、そうしていれば、ミッドウェー海戦も起こらなかった可能性があります。
 そして私は、何より山本五十六という男が、国家を破滅させる男だったと思っています。海洋国家である我が日本の守りは、海軍でなければなりません。それも、日露戦争までうまくいっていたように、陸海空の統合的な戦略、リーダーシップに基づく、各々「訓令戦法」に生きる将軍達によって、守られねばならないと思います。
 もしも、山本五十六に、世界は何を戦争の手段として、我が日本に対抗しているのか、我が日本は何を戦争の大義名分としているのか、ということを見つめる目さえあれば、あのような稚拙なことはしなかったと私は思います。先程の南雲に、自分が真珠湾を攻撃する戦略的意味や、その前提としての空母の持つ意味や、空母が何によって動いているのか、といったようなことを考える力があれば、真珠湾攻撃の様相が変わったであろうと同様にです。

 大西洋憲章において、ルーズベルトとチャーチルは「自由と人権のために戦う」というような政府宣言を発しています。アジアにおいては、そのほとんどは、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスの植民地で、自由を奪われていました。我が国はまさに、アジアの人達と戦うのではなく、アジアの自由を奪う白人と戦ったわけです。
 日本の連合艦隊は、マレー沖でプリンスオブウェールズとレバルスを沈め、インド洋に入り、イギリスの連合艦隊をセイロン近くまで追いかけ、撃滅寸前まで追い詰めました。しかし、そこで日本の連合艦隊は急きょインド洋から出て、ソロモン沖とかミッドウェーとか、そういう所に向かいました。
 ここで少し考えてみて下さい。その後の歴史の中では、ビルマ戦線に30万人の陸軍が投入され、19万人が戦死しています。これは、インドから重慶の蒋介石に対し、蒋介石支援ルートが開いていたからです。それを閉めるために、灼熱のビルマに30万人が投入され、そのうち19万人が戦死したんです。
 しかしながら、イギリスの富の40%を支えるのは、インドからイギリスへの補給路でした。それさえ絶てば、イギリスはビル・アラメインでロンメルに負けたでしょうし、イギリスから切断されたインドは独立を果たしたでしょう。また、インドから蒋介石のいる重慶への、支援ルートも開かなかったでしょう。そうなれば、30万人の軍勢を投入して、19万人が戦死したビルマ戦線の戦いは必要なかったはずです。たった1つ、日本の連合艦隊が、インド洋でイギリス艦隊を撃滅さえしていればです。

思考のダイナミズムを歴史から学ぼう

 近衛内閣以来、日華事変の早期収拾を唱えている内閣が、歴代、その具体的方策を示すことなく、交代していきました。そして泥沼の中に入っていきました。
 蒋介石の継戦能力は、蒋介石に対する西側諸国の支援があればこそでした。これをなくしていれば、蒋介石との和平は可能だったでしょう。
 そして、インドが独立する気運を示せば、イギリスは大西洋憲章で「民族の自由」とか「民族の自立」とか言っていますから、インド独立を阻止する大義名分は失われたはずです。また、インドが独立すれば、イギリスの継戦能力は絶え、我が日本と講和を結ぶ背景ができてきます。
 このように、戦略的思考を持って歴史を見直せば、教訓はたくさんあります。その歴史が繰り返されているんです。今より前の歴史は、ある意味、今とは正反対の方向の"ええ格好しい"が作ったものと言えます。しかし、"ええ格好しい"としては同じです。「国を衰亡させる、国民や政治から、思考のダイナミズムを奪う」という点では同じなんです。我々は今、この、戦前戦後を通じて変わらぬ「衰亡の風」に立ち向かうことができる、そう私は思っています。

アイデンティティーを失った国・日本

 我々は聖人君子ではありません。これは誰でも分かります。そして、19世紀までの歴史も分かっています。55年前、我が国が戦争を終えた時、地球の陸地面積の80%以上が西洋の植民地であった、という事実も分かっています。そして、グロチウス以来の国際法は、「戦争を善か悪かで見るのではなく、戦争とは国家の権利であり、合法である。ただその合法な戦争の中で起こる犯罪は、戦争犯罪として取り締まるべきだ」としています。こういう思想が、20世紀中頃まで続いていたということも、我々は分かります。
 しからば、その思想の下で戦われた55年前の戦争を、なぜ、善悪で裁くということに何の疑いもなく、我々は屈服しているのでしょう。これは、先程も言ったように、「歴史を奪う、民族を消す」ということにつながります。歴史を奪えば、再び一等国にはなりません。一等国民にはならないんです。こういう鉄則に基づいて練られた、相手の戦略なんです。これを我々は見抜かねばなりません。

 レフチェンコという人のことを例に挙げます。彼はソビエトのKGBのスパイですが、20年前、東京からアメリカに亡命しました。彼は、アメリカの軍事外交委員会で、「日本は"スパイ天国"です」と証言しました。彼はまた、その理由をこういっています。「日本人で、私が使ったエージェントは政界、経済界、マスコミ界、官界に数百人います。彼らは、我がソビエトに協力しているという意識なく協力してくれました」と。
 いかなる売国奴の政治家でも、「弱みを握られ、屈服したから、敵国に我が日本を売る」というなら、まだ分かります。「日本の国益を敵国に売った」という自覚があれば、"スパイ天国"ではありません。しかし、我が日本は、レフチェンコのいうように、自国の国益というものについて考えたこともない政治家に動かされています。ですから、国益を売り渡したのかどうか、自国日本に害をなしているのかどうか、それを判断する基準すらなくなっているんです。
 そこで、レフチェンコの証言からさかのぼり、我々の目となり耳となるマスコミはどうか、それによってコントロールされる国民はどうなのかを考えてみます。すると、相手の戦略、「我が国を民族として消し、二度と再び、アイデンティティーを自覚する国民にさせない」という戦略に、引っかかるという意識なく引っかかっている、こう思わざるを得ません。
 全ての教科書、中学生の教科書にも国際法の事は出てきます。その中に、「戦争犯罪はともかく、戦争というものが合法であり、善悪の区別で裁くことができないものである」ということが書いてあると思います。しかし、自国の歴史に関しては、「日本は悪いことをした」ということにつきます。これは、やはり本当に強烈なマインドコントロールでしょう。
 しかしながら、現在においても降りかかる、その戦略に基づいて形成された我が日本列島、及びその周辺にある雰囲気、空気を利用して、我が国家に要求を迫るものに対し、我々日本国民は声を上げることができます。