不登校・非行・引きこもり

教育改革に関する意見



 日本の教育崩壊は歴史始まって以来のことであり、世界にもその例を見ない、日本独特の現象です。従って教育改革に関する理論はまだできあがっていません。理論らしきものを持っているのは、わずかに教育現場において成功している者のみです。
 ですから、今は現場の人間の声を聴く時期であり、学者や文化人の出る幕ではありません。
 さらには、拙速を避け、じっくりと実践で確認しながら行うことが必要です。
 戸塚ヨットスクールでは、今、広島県でその確認の場を与えられつつあります。1年後にははっきりと結論が出るでしょう。


1.教育崩壊の原因

(1)教育の定義、目的
 人間の精神は、知・情・意の3つからなっています。
 教育の目的は、その精神を、強く(情)・正しく(知)・安定した(意)ものにすることです。即ち「理性(=社会性)を創る」ということにほかなりません。
 さらに、理性の具現化たる[強く・正しく・安定した行動]を行うことのできる肉体を創らねばなりません。精神と肉体の「トレーニング」――これが教育です。

(2)戦後人権思想による「教育の目的」の喪失、教育崩壊の原因
 世界人権宣言の第1条には「人は生まれながらにして…理性と良心を付与されており…」とあります。戦後の人権思想は、この言葉を無批判に「正しいもの」として受け入れてきました。しかし、ここでいう「理性を付与したもの」は神(=エホバ)であって、キリスト教的な理性天動説にほかなりません。  理性は「あるもの」ではなく「創るもの」です。理性が初めから「あるもの」なら教育など必要ありません。
 同様に、第1条に出てくる「自由」、「権利」、「尊厳」、「平等」、「良心」などの言葉もすべて再検討しなくてはなりません。たとえば、「自由」という言葉は、原文では「free」と「liberty」の2種類が使われていることをご存知でしょうか。これほど基本的な概念さえあやふやなまま、戦後民主主義思想は築かれてきたのです。
 教育に関しては、教育の目的を初めから失ってしまっていました。この事実が今、教育崩壊という事態を生じさせたのです。


2.教育崩壊と『脳幹論』

 「脳の機能低下が教育問題を引き起こす」――これが戸塚ヨットスクールの主張する『脳幹論』です。

 人間の精神は、進化の過程で「下意識」(脳幹)→「本能」(辺縁系)→「理性」(新皮質)という3段階で発展してきました。そのそれぞれが「知」「情」「意」で構成されています。
 登校拒否や非行、無気力などの子供を「情緒障害児」と呼びますが、ここでいう「情緒」とは本能のレベルでの感情(=情動、エモーション)のことです。つまり「理性に至る前の段階(本能)がオカシクなっている」ことを意味しています。ですから「情緒障害児」には口で言ってもダメです。言葉は理性に働きかけるものであって、本能には無力だからです。カウンセリングが効かないのはこのためです。

 理性は本能から創られ、その本能は下意識から創られます。もし本能が狂えば当然、その上の理性も狂います。もし下意識が狂うならば、その上の本能も、そのまた上の理性も狂います。
 学級崩壊は子供達の理性が狂って起こるわけですが、その原因は、本能や下意識が狂っていることからくることに目を向けなければなりません。従って、学級崩壊は教育以前の問題です。しつけの問題(徳育の欠如)も大きく関わってはいますが、もっと重大な「本能の機能低下」という大問題があるのです。

 人間には“進歩しようとする本能”があります。この本能があるからこそ、「教育を受けたい」(進歩したい)という気持ちになるのです。ところが本能が弱いと、進歩したいと思わなくなります。日本の現代っ子がそれです。彼らは、わがままで、怠け者で、へ理屈をつけては教育を放棄します。

 「罪の意識」も本能から出てきます。他人を傷つけたり殺したりしないためにです。本能が弱ければ罪の意識が希薄になり、平気で人を殺すことができるようになります。最近の異常犯罪は、ほとんどがこれです。
 “キレル”原因は「意」が弱いからです。無表情は「情」が弱いから。人に文句ばかり言うのは「知」が弱いからです。こうした弱さが複合化され、顔の表情に現れると「危ない」顔になります。無表情で、目がつり上がり、あごが上がり、口がポカンと開いた顔。ずるくいやらしい、幼稚な、あるいは逆にふけた顔となるのです。

 このように我々は、教育荒廃の原因が脳の機能低下であることを突き止めました。
 そして、今度は脳細胞そのものをトレーニングしてその機能を高めることにより、教育問題を解決しています。我々が二十数年かけて築いたノウハウは、まさにそのトレーニング法にあるわけです。
 脳幹トレーニングで脳の機能を高めた結果は、まず表情の変化や肉体の変化として現れ、誰の目にも明らかなものとなります。健康面(生理機能)に現れる変化は、血液の成分や免疫の機能が正常化することを、医学・生理学的データで確認することができます。そして、もっと直接的に、MRI(断層写真)によって脳の形態変化そのものを映像化することもできます。


3.教育荒廃の解決策

(1)「脳幹トレーニング」を教育に取り入れること
 戦前の子供達は、脳幹トレーニングを日常の遊び(いわゆる危険な遊び)の中で無意識に行っていました。このトレーニングの要素を、教育の中に積極的に取り入れなけれぱなりません。これが無ければ人間性(本能)は完成しないからです。しかも、これは3歳〜13歳の間に行う必要があります。

(2)「本当の徳育」を行うこと
 「徳育」は「礼」(礼儀ではない)を身につけることです。これは、まず自分のために行うものであり、それがひいては社会のためにもなります。
 それには、まず自分自身(裸の自分の実力)を分からせることが必要です。子供は他人との比較でそれを知りますから、「全力が出せる勝負」をやらせるのです(スポーツや武道がよいわけですが、効果のあるものとないものがあります)。
 自分自身が分かれば、つまり自分がダメだということが分かれば「恥ずかしい」という“感情”が起きます。その恥ずかしさを出発点として、「進歩しよう」という“意志”が生まれ、進歩するための“行動”を(人に言われなくとも)取ります。自分自身を知ることは「謙虚さ」にほかなりません。子供に謙虚さができたかどうかは、親や目上の者に従い、尊敬の念を抱き、礼儀正しくなり、物事に全力を尽くすようになるのですぐにわかります。

 まず自分自身を分からせ、そこから「徳育」を行います。社会性(理性)のトレーニングです。社会の中における自分の立場が分かれば、仕事も全力を挙げてやります。愛社精神も愛国心もできあがり、親孝行で友情厚く、目上の者を尊敬し、目下の者をかわいがることができるようになります。家庭を大事にし、人を見る目もでき、そして何よりも「行動的」になります。

(3)『文武両道』の実践
 「文」は知(のトレーニング)、「武」は情・意・肉体(のトレーニング)を意味しています。
 「武」は実際の行動を伴いますから、進歩の仕方のノウハウをつかむことができます。「単なる知識(机上の知識)」ではなく、「現実的な知識(科学的・実践的知識)」を見分ける能力が身につくのです。
 さらに、「武」によって、人間にとって一番重要な精神的行動、「考える力」ができあがります。そして、肉体的・精神的に「強く」なり、強いがゆえに「やさしく」なります。

 戦後民主主義教育は、己を知らず、謙虚さのない“インテリ”がイニシアチブをとったため、至る所に矛盾を生じました。「強さを否定したやさしさ」はその1つでしょう。
 いわゆる「いじめ」も同じ土壌から生まれました。「いじめ」問題を解決するには、子供を強くすれぱいいのです。「強さ」は今の子供達に生じている問題の多く(ほとんどすべて)を解決します。
 戦後民主主義教育の失敗は「強さの否定」にある、といっても過言ではないと思います。「徳育」にとって情・意の強さは何より必要なことなのです。
 子供は、遊びを手段とする『脳幹トレーニング』によって、知・情・意の基礎を強くします。『文武両道』はこの基本的な力を維持し、精神的な技術、すなわち社会性(理性)を創るものです。知育のみで、それも知育のほんの一部だけで、理性を創り上げることなどできはしません。

(4)本当の知育
 知育の目的は「考える力」(論理的思考能力)を養成することにあります(「考える」というのは精神的な行動にほかなりません)。
 昔から「読み・書き・そろばん」といいますが、読み・書き(国語)は抽象的思考能力を養います。物事を抽象的に思考する能力がないと、論理的思考能力は育ちません。そろばん(算数)は論理的思考能力の基礎を養うものです。

 小学校で「読み・書き・そろばん」を徹底的にやっておかなけれぱ、論理的思考能力は育成されません。記憶中心の教育で育った人間は将来役に立たず、国を危うくします。それは、いわゆる“インテリ”をつくりあげるからです。
 戦後民主主義教育の失敗は、このような“インテリ”がイニシアチブをとったことにあるのです。


4.結論

 ここに書いたことが教育荒廃の本当の原因であり、それを克服する根本の対策です。
 そして、この対策こそが、人間が人間として生きるうえで最も大切なもの、自分を支え、家族を支え、国を支える力となるものを培う道、すなわち「教育」です。
 この対策を、今すぐに、それも小学校から始めなければ手遅れになります。

 私共の提案をお取り挙げ賜りますよう、小渕総理のご英断を切望してやみません。

戸塚ヨットスクール 校長  戸塚 宏





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