第一回 東京セミナー

〜責任追及をやってても始まらない〜



[非行はだれのせい?]

 今、下手をすると子供の半分が「非行」ではないかと言われています。


 子供が不良になる、暴走族になる、集団万引をする、不純異性交遊をする、酒を飲む、シンナーを吸う。
これら「非行」という行為に対して、今の世間は「さあ大変だ、大変だ」と言って騒いでいるだけです。子供が非行になったのは誰の責任かと一生懸命そればかりを追求する。「日教組が悪い」の、「文部省が悪い」の、「学校の先生が悪い」の、1番多いのが「親が悪い」。
それでどうしたのか。こんなことを言っていても何の解決にもなりません。


 我々は、常に本人の中に問題があるという前提のもとにやっています。
と言うのも、同じ環境にあっても非行になる子とならない子がいるから。同じ、例えば歯を磨かないという行為があって、虫歯になる子とならない子がいる。これは、なる人とならない人に明らかに何らかの違いがあるからだと思うのです。
それなら、ならない人の特徴に合わせれば、おそらくある程度なった人でも助かる。これが解決の方法です。


 ここで、1番問題になるのは、“精神”ということについて定義がないということです。
評論家は「心」だ何だとすぐに言い出す。
しかし、“精神”ということをしっかり定義しておかないと、抽象的になってしまいます。抽象的になると、何ともごまかせる。



[評論家は分かっていない]

 私が、逮捕される前に盛んにテレビに引っ張り出されて、その時に、色んな評論家とかアナウンサーとかが出てきました。
彼らに直接会って感じたのが、「非常に男らしくない」ということ。女の気に入るようなことばかり言っている。では、男の意見はいったいどこに行ってしまったのか。
まあ、番組自体がモーニングショーとかワイドショーとかいうものばかりでしたが。


 例えば、小中陽太郎にしろ、平井信義にしろ、そんなことでうまくいくなら誰も苦労しないというなことを平気でしゃべっています。
彼らが言うのが「言えば分かる」。
本当に分かるんだろうか。


 我々は言っても分からない人間を山ほど見ているのです。


 人間誰でもある程度嫌なことから逃げようとしますが、うちに来るような子はその逃げ方がすさまじい。
腹痛を起こすとか熱を出すとか、そういう逃げ方は昔はありませんでした。それが今、そういった“逃げる能力”がある。


 これがひどくなっていくと、退化するとか、幼児化するとかいった現象が起こってきます。
例えば、ヨットに乗れというとワァーッと気を失ってしまったり。20いくつの男が、子供になっていくんです、本当に。だんだん顔つきが子供っぽくなってきて、そのうちに幼児語をしゃべりだす。どんどんどんどん子供になって、幼児になって、赤ん坊になって、零歳児になって、胎児になるんです。
ここで、動物の特徴として、胎児に何かを要求するということはあり得ない。そこでその子は嫌なことから免れられるわけです。
こんな人間に「子供に戻るな」と言ったってききはしません。


 あるいは、女の人の特徴は失神するということ。気を失っている女に何かをやらせるわけにいかないから、気を失えば免除されるわけです。
そうやって逃げるようになるんです。そういう状態が確かにある。もちろん、彼女に「失神するな」と言ったところでこの状態は変わりません。


 さて本当に「言えば分かる」のか。


 次に、そういう様々な、とんでもない状態をどうやって説明するかです。


 例えば、うちに来る子供の中に、ボールを投げると顔で受け取るという子供がいます。本当にいるんです。10%とは言わないまでも5%ぐらいの子供は、ボールをポンと投げると手が出ず、顔で受けてしまう。
そういう子供を、どんと突き倒すと顔から倒れていきます。


 これについて、今の評論家なり教育者がどうやって説明しているかというと、「動き慣れていないから」だと言うのです。
パソコンやったりマンガ読んだりばかりしているから、いざという時に手が出ないと。ボール遊びをやったことがないもので、ポールが来た時に受け取り方を知らないと。


 これは、そんなことで説明できるような事柄ではありません。それが間違いであることは、こう証明できます。


 例えばボールを投げて顔で受けるというような子供がいて、その子供にその後ボール投げを一切やらせないんです。やらせずに、1カ月間ヨットにばかり乗せます。それで1カ月後にボールを投げてみると、さっと受けるんです。
ということは、これは「慣れたから」ではありませんね。
最初は受け取れなかった、その受け取る練習を全くせずに2回目投げたら受け取った。こうなると、ボール投げに慣れているからボールを受け取れるとか、慣れていないから顔で受け取るとか言うのはうそでしょう。


――それは結局、脳幹機能が衰えているからだという結論だと思うのですが、そういった現象と、犯罪衝動とを結び付けるのは……。


 結び付けるのには長い時間がかかります。





[アメリカの男のほうが価値が高い]

――ニューヨークの不良少年なんかは、野球もやればサッカーもやる。日本とアメリカの違いというものも当然ありますか?


 日本とアメリカの決定的な違いは、「安全か安全でないか」ということです。


 男の仕事は基本的に3つあります。1つは、女に子供を産ませること。次に、餌をとってくること。そして敵から守ること。


 日本の場合、非常に安全な社会だから、敵から守ってもらう必要がありません。女も男に敵から守ってもらおうなどとはと思わない。だから、強い男よりもかっこいい男に惹かれてしまいます。この違いが1つ。


 次に、餌をとってくることは大切ですが、今の社会では男も女も餌をとれるようになっています。こうなると、本当に男じゃないとできない仕事は子供を産ませること1つだけになります。
こういったことで、基本的な男の力、価値というものがかつての3分の1に減ってしまっている。すると相対的に女の価値は3倍になってしまうんです。そこで女が強くなる。


 アメリカの場合は、非常に安全性の低い社会であり、アメリカの映画なんかを見てもわかるように、エスコートという習慣がある。男が女を守るという役目を現実に果たしているわけです。男がついていれば、さすがに変な男は手を出さない。
これが決定的な違いだと思います。
つまり、まだアメリカの男は日本の男に比べて倍の価値を持っているんです。
これではアメリカの子供と日本の子供の、父親に対する、男に対する思いの底が違ってきて当然です。





[情緒障害は本能の狂い]

 我々はよく理性、理性と口にしますが、理性なんていうものはたいしたものではないというのがうちの持論です。
往々にして、間違った理性は都合よく作られている。全く反対のことを両方とも正しいと言ってみたり、人間はどんな理性でも作れます。そこが、様々な問題を起こしているのではないかと考えた。


 では、本能というランクまで下がってみると、本能はもともとみんな同じだから、正解が出てくるのではないか。


 今、我々は本能のレベルは何をしようとしているのかを考えています。
理性はあまりにもバラエティーに富みすぎているし、個人個人で勝手に都合のいいように作るもので、そんなものを気にしていても何もできはしない。


 それに、理性は言えば分かる、言葉が通じる部分なんですが、本能は言葉の通じない部分であるということ。ということは、本能に対して何か作用しようとするときには、言葉で言ってもダメということです。
すると、「言えば分かる」という言葉は、もし本能に何らかの問題があるんだったら通用しないのではないか。


 そこで、我々が扱ったのが“情緒障害”というものです。
“情緒障害”というのは日本語ではありません。言語は英語で“エモーショントラブルチルドレン”。
このエモーションの訳は“情動”であって、“情緒”ではありません。“情緒”というと非常に高級なように聞こえますが、“情動”というのは本能の段階における感情なんです。本能の段階における感情、不快感などは、わずか3つしかありません。“恐怖”“驚愕”“怒り”。


 “情緒障害”という言葉は、本能の段階における感情が妨害されている、狂っているということなんです。
この言葉だけ見ても、理性が問題ではないとはっきり言っています。


 ところが、それを理解していない人が多い。だから「言えば分かる」なんてバカなことを言うのです。本能に問題がある人に何を言っても分かりはしない。



[非行の目的]

 そこで、コンクリート殺人であるとか、幼児のバラバラ事件であるとか、名古屋で起こったアベックの殺人事件だとかを、理性の産物と考えずに、本能の欠陥による犯罪と考えてみるんです。


 例えば「非行」と「不良」、これらは一見同じように見えるかもしれませんが、全く本質の違うものです。
昔「不良」と言っていたのが今「非行」と言われる、そういった問題ではありません。


 人間の行動には、全て目的があります。
では、「非行」という反社会的行為は、何を目的としているのか。
例えば、万引というのは割と目的が分かりやすい、価値を得るためです。ところが、それにしてはちょっとおかしなところがあります。
集団万引という行為。集団を組まないと盗めないようなものを盗む訳ではなく、鉛筆1本ぐらいを大勢で盗む。そんな物は1人で盗めばいいのにです。それがどうして集団を組むのか。


 映画にある銀行強盗のように、集団を組まないと不可能な犯罪をしようとしているわけではありません。1人でもできることを、大勢でよってたかってやろうとする。
集団を組むと当然見つかりやすいし、うまく逃げても1人見つかれば芋ずる式に見つかる。
万引というのは反社会的行為ですから、見つかったら相当大きなリスクを背負います。まず社会的制裁を受けますよね。
万引の初期のころは消しゴム1個、ボールペン1本を盗むくらいです。これで社会的制裁を受けるのでは、費用対効果が合わないではないか。費用対効果が合わなければ、犠牲的行為ではありません。


 どうも、集団万引というのは物を得ることが目的ではないのではないかと思われます。費用と効果が合わないんですから。


 次に、暴走族はいったい何のためにやるのかを考えてみます。
これは、通常の生活では他人から承認されない人間が、反社会的行為を、しかも派手にやることによって他人から承認されようとする、そういう側面が大きいです。


 名古屋のアベック殺しを考えてみてください。シンナーを吸うのに名古屋の1番にぎやかな公園の、また1番にぎやかな噴水の回りに集まって吸っているんです。シンナーを吸うぐらいうちの押し入れでこっそりやればいいんです、誰にも見つからないように。それが、なぜわざわざみんなに見つかるようにやるのか、このことが不思議で仕方がない。
それだけ考えても、決して犠牲的行為ではないわけです。  これらの非行行為を見ていくと、ある1つの共通項があることに気づきます。いずれも「群れをなしている」ということ。もしかすると、彼らは非行をやって群れを作ろうとしているのではないか。



[人間は群れをなす動物]

 人間の本能、これは理性も同じですが、「快を求め不快を避ける」というのが行動原理です。
人間は集団をなす動物です。何100年か前はお猿さんだったわけで、群れを作らないと不安、群れから外れると不安、だから群れを作ろうとする。群れの中にいると安心なので、群れから出まいとするわけです。


 中学生ぐらいの子供にとって、必要な群れを探してみると、1つは家庭です。
もう1つが社会的な群れ。これは親友なんです。
ところが、今の子供達は友達はいても親友はいない。親友がいないから不安なんです。不安だから、何とかして親友を作ろうとする。


 しかし、ある理由でもって脳が虚弱化していると、本能が低下する。
精神は脳から出るから、脳が弱くなると本能が弱くなります。
本能が弱くなると、普通なら黙っていても簡単に親友を作るという行為はできるのに、その行為ができにくくなってくる。できにくいけど親友がいないと不安になるから、非常に低下した本能でもって何とかして親友を作ろうとする、作る方法を考え出すわけです。


 親友を作るためには、10人なら10人の人間、20人なら20人の人間ががっちり固まらざるをえない社会環境が必要です。そのために自分たちの仲間、20人の仲間以外を全部敵に回してしまうわけです。自分たちは悪いやつである、だからまとまらざるをえない、とこういう環境をつくるわけです。
だから、わざわざ分かるように犯罪行為を繰り返す。これが非行だと考えると、非常にうまく説明がつきます。


 こうなると、非行をなくす方法は、本能を強くしてしまえばよいということになります。
本能を強くする方法というのは、本能は脳から出ているので、脳のトレーニングをすればいいんです。これが非行を、100パーセントまではなくせないまでも、8割はなくせる方法だと思います。


 うちは今まで多くの非行少年達と付き合ってきました。寝るのも飯を食うのもヨットもみんな一緒にします。
そこで彼ら彼女らが言うことは、「別に非行なんかやりたくない」ということです。非行をすればみんなから嫌がられる、叱られる、様々な社会的制裁を受けるわけで、それは不快なんです。不快を避けるという行動原理に基づけば、非行はやらないわけです、やりたくないんです。
だけれども、群れがないというもっと大きな不快から逃れるためには、非行をやらざるを得ない。そういう状態に今の子供達は陥っている。


 昔はなく、今はあるというところにヒントがあります。
昔は「不良」はいたけれど「非行」はいなかった。
不良というのは1人でもできます。むしろ子供たちの親分になる、それが不良です。
親友というのは同等のものですが、不良というのは自分の方が上になろうとする。常に他人より上にいないと気が済まない人間には親友はできないでしょう。
他人より上というのはもう不等式なんです、自分の方が大。ところが親友というのはイコールなんです。
他人より上になると人間はわがままになる、人より上でないと気が済まないというように。これでは決して親友はできません。


 非行というのはそうではなく、イコールの人間をたくさん作ろうとする。
反社会的行為をみんなで共通にするということでまとまっていく。
目に見える非行というのは、全体の中の1〜2割に過ぎませんから、おそらく5割以上の子供達は非行にならない、むしろなれないという子供です。
そういう子供達も、何らかの形で群れを作るという目標を満たしています。ではこの子供達の群れはどこにあるのか。ここで、テレビの中のアイドルが出てきます。



[アイドルの必要性]

 「スター」と「アイドル」は似て非なるものです。なぜなら要求が違うから。
みんなの憧れる人間、自分達にできないことをやる人間が「スター」で、「アイドル」というのは自分と同等の人間なんです。とても身近な親近感のある存在。


 アイドルと、非行にならない、なれない子供は2人で群れを作ってしまいます。
もちろんアイドルの方は相手をまったく知りませんが、ファンの側は違う。アイドルがもし突然いなくなりでもすれば、連帯がパッと断ち切られることになるわけです。
連帯を断ち切られたものが動物行動学的にどういう行為をとるかというと、何もできなくなり、ひたすら相手を探しまわる。それが群れを作るものの特徴なんです。
いったいどうしていいのか分からなくなり、いなくなった相手を追って同じように死ぬのもいれば、飛び降りるのもいる。今までにない妙な行為をする人間が出てきます。


 アイドルというのには条件があります。
見れば分かるように歌が下手なこと。自分と同等ですから、歌のうまい人は「スター」にはなれるけれども「アイドル」にはなれない。だから必ず歌が下手。
それからかわいいタイプです。美人はダメ、スターにはなれますが。
もう1つは流行の確認ができる存在であることです。このようなアイドルが増えることで、彼らと群れをなす子供達はどんどん画一化され、それがまた一般になっていきます。