第106回 東京セミナー
〜ダメな指導者を持った日本民族 (後)〜
[仏教は唯物論]
先日、右翼の集会に行った時にも同じことを話しました。「人にあーしろ、こーしろと言うからには、まず自分達ができないといけない。だから、右翼の人がまずやるべきことは、"自分を磨くこと"である。その後で人に要求しなさい」と。自分を磨くことなく、街宣車でワーワー言うから相手にされないんですね。そろそろやり方を変えた方がいいということで、「俺に任せるか?」と言ってみたんですが、任せてくれなかったですね(笑)。
それにしても、あれだけの人間と、金と、エネルギーがあれば、相当なことができるはずです。だからもう1度やり直せばいい。坊さんもそうです。日本中にあれほどの人数がいるのに、「空とは何か?」と聞いても答えられる人がいない。仏教は「空」を説く宗教なのにです。日本の坊さんはダメです。
「空」というのはお釈迦様が言ったんではなく、途中でリュウジュという人が言い出したことです。彼は、「空宅」のことを「空」と言ったんですね。それがだんだん抽象的になっていった。組織というのはみんなそうです。途中で段々抽象的になってくる。組織を維持するためには現実的なことでは維持できません。
例えばヨットスクール。「俺がヨットが1番うまいから、1番偉い人だ」と言っていると、もっとうまい奴が出てきた時にどうします?これでは組織が維持できません。だから抽象的にせざるをえないんです。「君達とは魂が違うんだ」なんて言ってね。そして自分の息子に、「俺は自分の魂を次にこれに引き継いだ」と言って後を継がせると、みんなが「ははあ」と従う。これが、組織の維持の仕方です。大きくなればなるほど、どんどん抽象的になります。
しかし、ここで若い奴が反発してきます。「なんであいつが偉いんだ。俺の方がウインドサーフィンがうまい」と言い出す。後からのし上がってくる連中、若い連中は必ず唯物論できます。最初の人はだんだん観念論、唯心論になるものですが。唯心論を覆すには唯物論――「だってこうなるじゃないですか」という現実しかありません。
しかし、宗教にははむかえません。理論的には何を言ってもダメですから。バラモン教にたいする唯物論というものもどんどん出てきました。それが仏教であり、ジャイナ教であり、その他色々。その中で残った仏教ですから、これを唯物論と考えます。そう考えると見事に答えが出てくる。だから仏教は科学です。
[何でも「自由」なんてあり得ない]
これだけ説明するのに、若い坊さん相手だとどれほどエネルギーを費やすか…。
『諸行無常』――これは「全てが変化する」ということですから、そこから始まる仏教も唯物論でしょう。でも、そう言っても理解できないんですね。「だから、あなた方はバカなんです」と言ってやります。すると、「僧と俗の解釈の仕方は色々違うから」なんて言ってくる。ふざけてますよね(笑)。これはごまかしです。
『転法輪教』は有名ですが、「転法輪」の意味が今ひとつよく分かりません。こういう時は2つの方法で解決を図ります。1つは言語(パーリ語)でできるだけたくさんの文例やその意味を読んでみて、共通項を探す。もう1つは、儒教にも同じようなことが書いてあるので、そちらから推測するという方法です。
「天の命ずる、これを性という。性に従う、これを道という」――人間が肉体と精神から成り立っているなら、肉体も精神もこの法則に従います。精神について考えてみると、「天の命ずる」――つまり"そのように作られた部分"。それは本能ですね。これが「性」。この「性」に忠実に理性を創れば、その理性は「道」にかないます。「性」と「道」は、「体」と「用」の関係と考えればいいのではないでしょうか。『転法輪教』の場合、「法」が「性」、「輪」が「道」。この「法輪」をお釈迦様が「転じた」、つまり、一般に知らしめたということです。
『世界人権宣言』第1条。「人間は生まれながらにして自由であり、権利と尊厳において平等である。理性と良心を授けられており、同胞の精神で行動しなければならない」――これはみんな嘘です。なぜなら、自由も権利も尊厳も平等も理性も良心も、全て創るものですから。こういう大嘘に基づいて教育をしてしまったから、また、日教組にそれを読みぬく力がなかったし、法務省もダメだったから、今のような教育荒廃になったんです。
「生まれながらにして自由である」――赤ん坊は自由ですか?『世界人権宣言』の中に、「自由」という文字が31出てきます。その31の「自由」という文字で、22〜3の自由を保障しているんです。これは、「基本的自由」ということです。ただの「自由」と「基本的自由」は違います。権利も、ただの「権利」と「基本的人権」は違います。それを、わけも分からずに一緒にしたりするんですね、日本の偉い人達は。「子供にも権利がある」――ありません!あるのは「基本的人権」です。「基本的人権」といっても、選挙権すら子供にはないですよね。決して平等ではないんです。
『世界人権宣言』の中の「自由」は、「Free」と「Liberty」に分けられます。しかし、日本語に訳すと全部「自由」になっている。誤訳ですね。そこで法務省の役人に電話してみました。この時、彼らが非常にいじめやすいことも分かりました。「原文を読むと、自由にはFreeとLibertyの両方があるようですが、どう違うんでしょう?」と聞いてみる。すると「さぁ」と答えます。「そんなことでどうするんですか」と言ってやる。それでも「さぁ」。これが指導する役人の姿ですから、ましてや学校の先生ごときが分かるはずがありません。実際は、分かっている人も中には結構いるんですけどね。日教組が全然分かっていない。だからああいうムチャクチャなことをやります。
「Liberty」というのは途中でできた言葉です。少なくとも、私が初めて見たのは『フランス人権宣言』の中で、そこに「Liberty」の定義がしてあります。「Liberty」とは、という項がわざわざ作ってあるんです。だから、『フランス人権宣言』の時にできた概念と考えてもいいと思います。「Free」は、「自由」です。もし本当に人間が自由なら、「人間は自由である」と一言書いておけばいいことです。ところが、それが31も出てくるということは、「自由」に制限を設けているんです。「これだけの自由は認めてやる。それ以外は認めない」ということです。そういう風に読まないといけないのに、「わぁ、自由だ自由だ」と飛び跳ねてしまう。だからインテリはアホなんです。
[反撃に弱い権力者たち]
先ほどの法務省の役人に、「あなたフランスの人権宣言読んだことあります?」と聞くと「いやぁ」と答える。これが、東大を出た法務省の役人ですか?
法務省に対しては、我々は"恨み骨髄"ですからね。
最初に裁判官とけんかしたのは18年前に逮捕された後、このまま拘留を続けるかどうかの裁判の時でした。逮捕されて2日目、私達はどこか変な所へ連れて行かれました。「ここはどこだ?」と聞くと、役人は「いやぁ」と言う。「お前は訳の分からない所に俺を連れて来たのか?」と言うと「いや、訳はあるんです」と答える。「じゃあ、どういう訳か?」と聞くと「さぁ」と言っている(笑)。役人てそんなものです。
そこで、「入ってきて下さい」と言われます。入って行くと、ほんのちょっと高いところに1人座っていて、その横にまた1人座っています。私が入って、もう1人護衛がついてきます。私の護衛じゃありませんよ、私は"極悪犯"ですから(笑)。そこで、キョロキョロしていると、「ここは裁判所です」と言われる。「今から、あなたを拘留するかどうかの裁判を致します」と。「私は、あなたのやっていたことを教育とは認めません。だから、あなたを拘留することに決定しました」。
この時、「あなたは裁判官ですか?」と私が言うと、彼はとてもびっくりしました(笑)。「今、あなたの言った事には2つの間違いがあったが、気がつきました?」と言ってやると、いよいよびっくりする。彼らは反撃されたことがありませんから、反撃されるとものすごく弱いんです。「どこでしたか?」と聞いてきます。「どこだったかと、私は聞いていません。分かったか分からないかと聞いているんです」というと、「エー、エー」と言っている。「分からない」と言えないところがまたダメなんですね。「分からないと言いなさい、教えてあげるから」と言うと、「はー」と言っている(笑)。情けないですね。
「まず第1。これは裁判ですか?」と聞くと、「そうです」と答えます。「裁判は反論権が保証されているんじゃないの?」と言ってやります。「私は一言もしゃべっていません」と言うとびっくりして、「どうぞしゃべって下さい」(笑)。今更ですよね。「まぁ、いいです。本式の裁判の時に言いますから。だけどあなたが間違っていたことが1つあったでしょう」と聞くと、今度は返事もしない。下を向いたまま。あれはうち(戸塚ヨット)に来る子供とそっくりですよ。都合が悪くなるとジーッと下を向いて、終わるのを待つんです。日本の役人はみんなそれ。"弱い"証拠です。
「次、教育の定義をして下さい」――「どうしてでしょう?」。「教育の定義ができない人間が、どうして教育じゃないと定義できたんです?」と言ったらまた、ジーッと下を向いてしまった。5分経っても10分経っても下を向いたまま、ジーッとしてるんです。そこで、「もういいです。その代わり、今のことを全部議事録にして私に下さい」と言ってやります。すると、「そういうことはしない事になっています」という答え。「それはあなたの都合でしょう。しない事になっている根拠があるんですか?」――「そういうことをしなければならないと書いてある法律がないですから」。「だったらしてもいいんでしょう?法律がないんだからしたっていいじゃないですか。そしてそれを下さい」――「出せません」。「よく分かって欲しい。あなたはまだ若いんだから。自分達の都合で裁判をやってはいけません。裁判は国民のもの。今は私のものです。これを民主主義と言います」――「はい」。これで裁判はおしまい。結局保釈もされずです(笑)。
[民主主義とは「権力の交代制」]
これは民主主義ではありません。このように、法務省の役人でさえ、民主主義が分かっていない。ましてやマスコミの人間に分かるわけがありませんね。その分からないマスコミ人に「民主主義を守れ」と言われたら、我々はどうしたらいいんでしょう。こういう、ものすごい曖昧さ、いいかげんさで日本全体が動くんですね。だから、教育も当然そういう曖昧さ、いいかげんさで動いています。いいかげんだから反論のしようもありません。きっちりしていれば言い返せるんですが。
民主主義とは「権力の交代制」――たったそれだけです。権力は必ず腐ります。役人を見ていれば分かる。政治家を見ていれば分かる。裁判官を見ていれば分かる。マスコミはもっと腐っています。「腐った時に、その権力を交代させよう。それを、国民の力でやろう」――これが民主主義の定義です。
腐った権力は変えないといけません。文部省は全員クビ。だけど、マスコミはそんなことを言いません。それは自分達にも都合が悪いからです。そんな中で、我々は子供を正常に育てないといけません。昔から、優れていたのは指導者ではなく中間層――これが日本の特徴なんですから。
ここで、まずは先生を公務員から切り離さないといけません。民間にしないことには。公務員というのは、何もしなくてもお金をもらえると思っています。「何年間か勤め上げると一生食べさせてもらえる、だから公務員をする」――なんてとんでもない。先生とは「士」ですよ。「士」というのは「指導者」という意味です。指導者になれるのは強いから。弱い人間が指導者になってはいけません。
日本の歴史は中国の真似ですから、全部科挙の制度です。人間の強い弱いよりも、何を知っているかが問題になりました。それで指導者を決めてきたんですが、一生懸命勉強ばっかりした人間が強いはずありません。人間が強くなるかどうかは、3歳〜13歳までの間に決まります。その間に、"お受験"なんかをやらせた子供が強いはずがありません。その間にいじめ抜かれるから強くなるんで、いじめられなかった人間が強くなるはずがないんです。
「いじめ禁止」なんて誰が決めたのか。『子供の人権宣言』がどうのこうのと言いますが、果たして読んだことがあるんでしょうか。あれはハードウエアに対する宣言であって、ソフトではありません。環境をどうすべきかが書いてあるもので、「こういう風に教育しなさい」なんてどこにも書いてないんです。なのにそれをソフトの方に持っていき、「いじめはいけない、『子供の人権宣言』に反する」なんて言うのが、共産党や朝日新聞のやること。どうせ誰も分かりはしないと思っていますよね。本当に分からないんですから、情けない。
[言葉の意味を知ること]
このように、日本は指導者がみんなダメです。それを、今までどれだけ見せつけられてきたか。ミッドウェー、パールハーバー、戦後の政治、文部省…。残念ながら、我々は革命を起こさない民族です。だから、下の人間は耐え忍ぶ――「諦観」を持っているんですね。なのに指導者だけは諦観がありません。諦観は「忠」です。「忠」は、別な言い方をすると「矛盾を克服して己を進歩させる」という意味です。そうすると、これは『マルクスの弁証法』になりますから、共産党が反対する理由はありませんね。彼らが「忠」がいけないと言うのは、「忠」の意味を知らないからです。
ついでに、「礼」がいけないと言いますがなぜでしょう。これも、「礼」の意味を知らずに言っています。「礼」というのは、儒教の『中庸』の中に「親(しん)を親しむの等(とう)」というのがあります。「等」というのは「等しくない」ということです、妙ですが。同じようにみんなを親しむんですが、自分の子供とおばあさんとではちょっと違う。自分の親と、自分の子供とではちょっと違う。自分の子供と、いとことではちょっと違う。みんな順番があるんです。その「順番をよく知ろう」ということ。
ついでに、「賢を尊ぶの殺(さい)――順番があるということ――は、礼の生ずるところ」。つまり、差があるから、みんな違うから「礼」というものが生じる。あるいは必要となるんです。人間には「差」があるから、まずそれを確認すること。つまり、分際を知ること。これが「礼」で、そのバランスを取らせるのが「楽」です。
「楽(がく)」というのは音楽のことではありません。音楽は「音の楽」。「楽」は「バランス(ハーモニー、メロディー、リズム)」のことです。普通は「礼楽」とまとめるといいです。次に「礼」の「儀」、儀式の「儀」ですが、「常に自分を確認しておく」ことです。儒教も仏教も全く同じところは、「常に自分を知れ、確認しろ。自分の分際を分かれ。そうしないと進歩はしない」というところ。ですから、「礼」のないところには進歩がありません。
「仰げば尊し」と言いますが、これは「敬」です。人を尊敬するというのは、自分が進歩しようとしているからです。自分と人とを比べて、相手の方が上だったら自分は「恥」だと思います。そして相手を「尊敬」します。「敬」と「恥」は一緒なんです。「恥を知るは勇(ゆう)に近し」――「勇」とは、「進歩しようとする意志」です。進歩しようと思うのは、「恥」そのもの。恥をかくからです。しかし、近頃の子供は恥をかきません。当然ですね、「みんな一緒だ」と言われるんですから。礼儀知らずなのも当然、「一緒」なんですから。進歩しないのも当たり前、尊敬しないんですから。
[「一所懸命」になるには]
こういった平等思想の間違った考え、自由思想の間違った考え、あり得ないことを国民に押し付けた。それが、法務省であり、日教組です。音頭を取ったのがマスコミ。罪は大きいですよね。今、日本を潰しかけているんですから。
うち(戸塚ヨットスクール)にくる子供を見ていると、日本は必ず潰れると思います。生産性がないんですから。ホンダを見ても分かりますね。F−1に復帰したけどちっとも勝てません。ホンダの昔の技術者と、今の技術者はそれくらい違うんです。昔は出たらすぐに勝っていました。それくらい優れていたんです。この8年間のブランクの間に何が変わったか、……技術者が変わったんです。新しいダメな技術者が、「僕達もやりたい」と言ってやったけどちっとも勝てない。恥さらしです。今の子供達がどれほど一所懸命働かないかに通じています。
子供に向かってこう言います。「一所懸命やれ」。すると「はい」と答えます。「ところで一所懸命とは何か?」――「さぁ」。「分からないんだったら返事をするな。質問をしろ。『一所懸命って何ですか』と聞け」。しかしこれは、言う方も知らないんですね。
「一所懸命」――「1つの所に命をかけろ」。一所懸命になるためにはまず、今やっていることだけを考えなければなりません。ウインドサーフィンをしているなら、それだけを考え、他のことはいっさい考えない。頭の中で、今やっていることを確認しながらやるんです。「走っている走っている。あぁ怖い」とかね。そういうことを常に確認しながら、それだけを考えます。これが、仏教の修行方法です。これ以外にはありません。まず考えて、今度はそれにエネルギーを注ぎ込みます。「一所懸命」には質と量がありますから、まず質、次に量です。
これを良く間違えるんですね。昔、軍隊が拙速を好む――まずくてもいいからともかく早くやろうとしました。これは量の問題です。量が主となることに対しては拙速でいいんですが、日本は違います、質を好みますから。質がメインとなるものは拙速はいけません。「詳」――「細かく細かく。丁寧に丁寧に」ということ。
[「安詳恭敬」であれ]
スクールに今、額が掛かっていて、そこに「安詳恭敬」と書かれています。これは、宋の時代のオウキョという学者が『小学』の最初に書いているものです。「幼児の楽は須(すべか)らく安承恭敬ならしむを要す」と。今の日本の子供は、不安で、乱雑です。「恭」というのは「自分に対する感情」のこと、「謙虚」。「謙譲」というのは「自分がダメだと思えること」。「敬」は「人に対する感情」です。「尊敬する人」。この2つで「礼」が出ますね。自分がダメだと思えること――「謙虚」。謙虚にならないとダメです。今の子供は思い上がっています。自分が偉いと思っている。みんなそうです。なぜならそういう風に教えられたから。
「敬」のない人、人を尊敬できない人は進歩しません。進歩しようという気持ちが尊敬という念を生むんですから、人を心から尊敬できなければ進歩はそこまで。進歩することが人間の宿命であり、教育の目的です。
「安」は子供を安定させること。では、どうしたら安定するでしょう。「お前らはダメなんだ」ということを言ってやれば安定します。子供を叩いてごらんなさい、どれほど安定するか。なぜそうなるかというと、「あの人は本気になって自分を進歩させようとしてくれている」と、子供が感じるからです。本能的に感じるんです。ほめてごらんなさい。「あんな人はダメだ」と思う。だから不安定になるんです。ほめては伸びません。叱れば伸びます。
ここにもご父兄の方がおられますが、みんな覚えがあるはずです。ほめて伸ばそうとしましたね。それがいいと言われていましたから。だけど伸びませんでした。ほめたら決して伸びないんです。これは仕方ありません。そういう風に人間ができ上がってるんですから。ほめて伸びないのは法則であり、真理です。ただ叱るだけなら伸びます。できたらちょっとほめてやればいいんです。どれほどうれしいことか。
今はどの子もスクール卒業までに1年以上かかりますが、以前は3ヶ月で卒業させていました。その間に1回だけほめてやります。それも、面と向かってはほめません。聞こえないように、でも聞こえる声で話すんです。本人から陰になった所に、まずコーチを呼びます。コーチが「何ですか」と言ってやってくる。そこで「なかなかやるじゃないか」と言う。ただそれだけです。それで子供は陰でニッコリしています。それでいいんです。千回叱ったら1回ほめればいい。子供は見事に伸びます。
[キリスト教思想は間違っている]
「ほめて伸ばせ」なんて誰がはやらしたんでしょう。あれは国賊ですよ。大妻女子大のヒライノブヨシです。あんな訳の分からない学者が…。日本の学者の欠点は、この前NHKでやっていましたが、「アメリカでこう言われている。だからこれは正しい」とするところ。これではアメリカのオウムです。知恵遅れの子供がよくこういうことを言いますね、「あの人がこう言った。だからこうなんだ」。これは知恵遅れのやることです。普通の人間なら、それを1度試してみます。試して自分ができるようになる、確かにそうだと確認できるようになる、それで初めて言うんです。
ところが、彼らインテリには早くマスコミに出ないといけないという焦りがある。有名になるためにマスコミを利用しないといけませんから、そのために新しい知識をいかに早く伝えるかが重要になってきます。だからアメリカのオウムをするんです。そこで止めておけばいいんですが、さらに「あのやり方は間違いだ」と、他を批判し出します。それをマスコミは一緒になってはやし立てます。マスコミはもちろん分かっていません。だけど、アメリカでやってるんだから間違いないだろうと思っています。しかし、間違いなんです、アメリカがやることは。だからテロが起こるんです。
彼らのやっていることは全てキリスト教がもとになっています。キリスト教は間違いです。なぜなら宗教であって、科学ではないからです。あれは理性の天動説で、「はじめに理性ありき」という言葉が崩れたらキリスト教は成り立ちません。だからそれは絶対に崩さず、子供には「生まれながらにして理性がある」などと言うんです。しかし、そんなことはあり得ません。「オールヒューマンビーイングズ アー ボーン」――どうしてBe動詞がつくんでしょう。「生まれる」というのは能動態ですね。それを受動態にしているのは、「神がこの世につかわした」と言いたいからです。神の子なんですね。そこからして日本とは違うのに、役人達のなんと脳天気なことでしょう。丸々日本に取り入れている。キリスト教の思想とも気つかず、それが正しいと言い出す。そうじゃないといけないと言い出す。自分は実際には何もしていないのにです。
アメリカかぶれ。古くは朝鮮かぶれ、中国かぶれ、それからヨーロッパにかぶれて今、アメリカです。日本のインテリというのは須らくこういう風です。実体がなく、己を知らない。そして弱い。だから、彼らの言っていることはまず間違いだと思って聞かなければいけませんよ。アナウンサーの言っていることは間違いです。彼らは分からずに言っています。ですから、我々は情報を1度自分で整理しなおして考えないといけません。
[指導者にから堕ちた日本]
よく電車の中でおばさんが話しています、「だってみのもんたさんが言ってたのよ」と。久米宏もそう言われますね。彼らは一体何者でしょうか。
最近不思議に思うのは、朝の番組におかまが出ていること。あんな者は夜出るべきでしょう。なんで我々がおかまの意見なんかを聞かないといけないんですか。そしてデーブ・スペクター。彼らユダヤ人は彼らの都合で物を言っているんですよ。なんであんな者を出すんでしょう。もっとしっかりした意見を言える人が、いくらでもいるじゃないですか。あんな人達の言い分で日本の国論が決まっていくなんて、我慢できません。
それから、食べ物の番組が多すぎますよね。その上、出演者が食べながら平気でしゃべる。あの下品さはなんでしょう。日本は上品な国のはずです。どうしてあんなに下品になってしまったのか。NHKでもそうです。もう誰も止めない。物を食べてしゃべるなら、ほんの少し食べれば済むことでしょう。どうせ味なんて分かりはしないんですから。それを大口をあけて食べている。これほど下品な国になってしまったんです、日本は。皆さんの好きなアメリカ人やヨーロッパ人が見たら、「何という国だ」と思うでしょう。
それから、テレビに出てくる歌手がみんな幼稚園みたいな振りで、しゃべり方をしていますね。NHKでは山瀬まみ。あんなのが通用するんではねー。成長していない奴ばっかりが出てきます。これほど、レベルの低い国になってしまったんです。江戸時代にはあれほど高かったのに。みんなヨーロッパに毒されたんですが、毒された方が悪い。我々もイスラム原理主義者みたいに、「何が何でも維持するんだ」という姿勢を貫いていれば良かったんですが…。上の方がバカだったから、とうとうこんな風になってしまいました。