第106回 東京セミナー
〜ダメな指導者を持った日本民族 (前)〜
[新コーチ誕生なるか?]
早稲田の理工学部を卒業して三菱自動車に入り、将来を危ぶんで辞めたという人が、つい最近コーチとしてスクールにやってきました。彼は体格もよくて若いもので、ウインドサーフィンが大変うまいんです。以前からよく同じ海面でウインドサーフィンをしていて、あんまり速いから「あいつ欲しいなー」と言ってたら、本当に入ってきたんですよ(笑)。それで今、とりあえずアルバイトとして務めてもらっています。
うちはもう、コーチがどんどんどんどん年令が上がっていって、老化している感じだったんですね。本当は、若くて馬力があって、みんなが話しかけやすいということも必要なんです。返す言葉は厳しくても、若い奴の方が話しかけやすいですから。そういう人材が以前からちょっと欲しかったんです。彼はうちに住み込みで、「よく我慢しているなぁ」と思うんですが(笑)、労働時間は24時間です。それで、給料は今までの給料とは比べものにならないほど安いんですね。でも、「飯は食わしてやる。住むところはタダだ。ガソリン代は出してやる。残そうと思えば給料全額残るけどどうか?」と聞いたら「いいですねー」と答えた(笑)。ちなみにまだ独身、30歳です。
まだまだ始まったばかりですから、これからどうなるか・・・。使ってみたらダメだったということもあり得るし。まぁ、やってみるよりありません。
[インフォメーションに流されるな]
今日の本題は「アメリカテロについて」ですが、申し訳ないけど面白かった。寝る前にラジオを聞いていたら、「貿易センターに航空機が衝突した」と言う。もうその時は「テロ」だと言っていたような気がするんですが。それで慌ててテレビのある部屋に行って、つけて見るとちょうど2機目がぶつかるところでした。それで目の当たりに見ることができた。便利な世の中ですね。リアルタイムで見られるんですから。
この時考えたのは、「なんでもっと下にぶつからないのかな」ということ。火事を起こすつもりだと思ったんです。それなら下から燃え上がらせた方が被害が大きいですから。あれだけ上過ぎると失敗かなと思ったんだけど、ああいう結果になるとはね。夢にも思わなかったです。ちゃんと分かってやったんでしょうね。あれは見事だと思った。
先日、ある集会で講演をやった時に言ったんですが、情報にはインフォメーションとインテリジェンスがあります。インフォメーションというのは処理された情報。インテリジェンスは生の情報。残念ながら日本では、我々はインフォメーションばかり受けている。アナウンサーが勝手に解釈して情報を流しますからね。あーだこーだと価値判断まで。みんな「困ったもんです」「これはいけません」とか言うんですね。あんな訳の分からない人達に、「どうしてそんなことが言えるんだ」と言いたくなるんだけど、まぁ、それが日本の習慣みたいです。
まずニュースを聞いた時、我々はインフォメーションかインテリジェンスか2つに分けないといけません。その上で、インテリジェンスばっかり集めて自分でもう1度考え直してみます。
今回のビル爆破事件が起きた時、マスコミはこう報じていました。「世界貿易センタービルにテロがあり、旅客機がつっこんで、今炎上中」と。この中で、「旅客機がつっこんで炎上中」というのはインテリジェンスですよね、今テレビで見ていることです。「テロ」というのはインフォメーションですよね。あれはアメリカが勝手に言っているだけであって、反対側というか、まぁ、イスラムですかね、そちら側からすればあれは「聖戦」であって「テロ」じゃない。
この報道を聞いていて、「また言ったなぁ」と思っていました。ただ、日本でももう「テロ」で定着しちゃって、「あれはテロなんだ。悪いことなんだ」というところからニュースが始まっている。さすがの朝日もそう言っていた。だからしょうがないにしても、ちょっと悔しかろうなという気がします。
[分際を知らないマスコミ人]
以前から、アメリカは無理が過ぎます。やることがごり押しで、自分達の都合ばっかり世界中に押しつけてきて。日本みたいにそれに慣れ親しんでしまう国はいい。自分の方が変わってアメリカになっちゃう。だけどそうではない頑固な国というのもあって、彼らにとっては「とんでもないこと」になると思うんです。そうすると、対抗手段はああいう方法しかないですよね。アメリカに正面からぶつかって戦争なんてことはできやしないんだから。ああいうテロ活動しかない。テロ活動はアメリカにとっては困る、ヨーロッパも困る、日本も困る。だけど、彼らとしてはそれしか方法がないんじゃないかという気がします。
我々ヨットスクールがマスコミの総攻撃を受けていた時、「話せば分かる」なんていう戯言を言っていた人達がいて、マスコミがほとんどそれに同調しちゃった。
あの前後に朝日新聞の記者が鉄砲で撃たれて死ぬという事件がありました。赤報隊というヤツですね。その時に、朝日が言っていた、「言論には言論で」という言い方。これは卑怯です。その言論のもとを彼らが握ってるんですから。自分の土俵に上がってこいと言ってるんですね。しかも、その意見を載せるかどうかを決めるのは彼らです。
先日、確かテレビ朝日の朝の番組、俵聡一郎の「サンデープロジェクト」。その中で戸塚ヨットの悪口を言っていたと教えてくれた人がいるんです。別にたいした内容じゃなかったんですけどね(笑)。経済問題のところで、「IMFは戸塚ヨットスクールと一緒でしごきの理論しかない。とんでもないことをする」と言ったと。うちは別にたいして気にも留めないんですが、それを教えてくれたのが弁護士さんで、「こういうのはいちいちきちんと抗議しておいた方がいい」ということで、内容証明の手紙を出しました。
その前に抗議の電話もしたんですが、まさに"けんもホロロ"。この時に然るべき対応をしていてくれたら、「気をつけて下さいよ」くらいで終わるんですが、あの朝日の連中は自分の分際も知らないんですね。分際を知らないというのは、うちに来る子供と一緒ですよ。自分が偉いものだと思いこんでしまっている。マスコミの連中というのはまさにそうでしょう。そして決して謝らない。これもうちに来る子供と一緒です。あれを見ていて、「ああ、アメリカも一緒だな」と思った(笑)。
今度の事件でも、何もないのにテロなんかするわけがないですよね。よっぽどしゃくにさわったんでしょう。でもしゃくにさわった方のことは、一切どこにも書いていませんね。あれはちょっと偏ったやり方だと思います。
あの時、さすがの小泉さんもちょっとおろおろしていましたよね。みんなの様子を見てから「テロはけしからん」と言った。言うんなら真っ先に言わないと。これじゃあ、日本の独自性なんて有りはしない。
見ててご覧なさい。日本もやられますよ。日本は1番やりやすい国と言われていますから。散々アメリカの見方ばかりして、アラブ人に対する態度は冷たいですよね。それでいて石油を売ってもらう時だけペコペコする。これは非常にまずいんじゃないでしょうか。片方に寄ってしまってますから。今度都庁がやられても、京王プラザホテルがやられても文句言えないですよね。
[日本に資本主義は合わない]
それから、いわゆる文明国、先進国の脆弱生を感じました。前、天安門事件の時、天安門広場で一節によると百万人が殺されたという。人民解放軍によってね。その時に中国の偉い人が言ったのは、「中国は百万人くらい何でもない」ということでした。「十何億いるんだから、たかが百万人殺されたってへとも思わない」という言い方です。
アメリカの場合、人間の脳味噌みたいな部分ができてしまったんですね。コンピューター社会になり、色んなものが1カ所に集中してしまった。そこをやられたら、経済が大騒ぎする。これはやっぱり、「進化と共に弱い部分ができる」という点で、人間と一緒です。単細胞生物なら半分に切られようと何されようと、倍に増えるだけでへとも思わない。人間になって非常に脆弱になり、心臓をちょっと突かれたり、脳味噌をちょっと傷つけられただけでもうおしまいになってしまった。
もう1つ、資本主義というのはやはり間違っているんじゃないかと感じました。色んな経済不況を見た時に、真っ先に思ったのは「日本には資本主義は合わない」ということ。
資本主義というのは、非常に物欲が強い人間じゃないと合わないですよ。今の政府みたいに何十兆円も投入すれば、普通の国なら4つ5つ分くらい景気がよくなりますよね。ところが、日本がよくならないのは、そのお金を使わないからです。我々だって、後何が買いたいですか?車もあるし、テレビは何台もある。洗濯機もあれば、あと欲しいのはウインドサーフィンの道具くらいなものです。現実に買う物がなくなってしまいましたよね。購買層がないと資本主義は成り立たない。
アメリカ、あるいはヨーロッパ人を見ると、彼らはもの凄く物欲が強いですよね。「あるのに更に」といった感じ。ビル・ゲイツなんかあんなにお金を手にしていったいどうするんでしょう。しかも、ビル・ゲイツがみんなにもてはやされるところを見ると、欧米ではみんながそういう物欲なんですね。こうした非常に物質的な国でしか、資本主義はうまくいかないです。ですから、もう1度どこかに戻るべきなんじゃないでしょうか。
["諦観"を持っていた日本人]
トロイを発掘したシュリーマンが、『シュリーマン旅行記(清国、日本)』という本に、幕末の日本に来て驚いたという話を書いています。「これほど平和で、みんなが満足しており、規律が非常に保たれていて、田んぼが整備されている――こんな国は世界中にない」と。彼は日本に来る前に清(中国)に行っているんですが、清のことはかなり辛らつにけなしています。ただ、日本だけあまり褒めると問題になるから、「キリスト教がないのがいけない」などというケチもつけてはいます。逆に言えば、そんなことしかケチのつけようがないんですね。これが日本の姿じゃないですか。
彼が感想として書いているのは、「日本人というのは、みんな諦観(ていかん)をもっている」ということ。この「諦」という字を、「あきらめ」と読むバカがいますが、これは「さとり」です。
さて、シュリーマンが横浜の港に着く。小舟で上陸する。上がってからお金を払うわけですが、それがものすごく安かったんです。中国の5分の1。そんな金で彼らは生きていけるのかと、心配するくらい安い。それにふっかけてこない。次に税関に上がる。すると税関の役人に、荷物を開けろと言われます。その時、シュリーマンは面倒だと思って賄賂を渡したんですね。賄賂を渡すと、その役人が「俺はヤマトオノコだ」と言ったというんです。引っ込めろということ。賄賂が通用しなかったんですね。シュリーマンはこの時「えらいことになった。これで徹底的に調べられる」と思ったんですね。ですが、さっと通してくれた。すべからく、そういう風なんです。
あるいは、当時はよく外人が殺されていた時期ですから、昼も夜も護衛がつきました。最初はただの見張りかと思っていたけど、本当に護衛だったというんです。真夜中、雨がザァザァ降る中で、自分達は馬で行くんですが、その横に黙って着いてくる。それを見て、「みんなが"諦観"を持って仕事をしている。生きている」という文章になったんです。
「諦観」というのは、まず「己の分際を知っている」ということ。そして、その分際である自分の仕事に全力を尽くす。その全力を尽くすことを、マルクス主義者の嫌いな「忠」と言います。この言葉は、途中で「君に忠に」と変な方に持って行かれてしまいましたが、本来「自分として全力を尽くす。分際を尽くす」ことを言うんです。まさに当時の日本人みんながそうだったんですね。
ヨーロッパでは身分制度が厳しくて、下の階級の人間は暗い顔をしている。ところが、日本は身分制度が厳しいのにものすごく明るい。だから、「とてもかなわない」と思ったんですね。シュリーマンは、それまで、色んな人から「日本に行ってみろ」と言われていました。理由は教えてくれなかったけど「行けば分かる」と言われていたんです。そしたらまさにそうだった。これこそが日本人の本当の姿です。こういう「諦観」をもてるというのは相当なことです。
[己を知ってこそ進歩する]
今、合宿所で生徒に仏教をやらせていますが、その時にまず「己を分かる」ということをさせます。それがないと何も始まらないからです。「進歩する」というのは、自分が進歩しようとするから進歩するんであって、人がやってくれてもちっとも進歩しません。自分の行動抜きには進歩はあり得ないのです。では、どういう時に自分が進歩しようという意志を持つかというと、自分がダメだと分かった時、他人と比べて自分の方が劣っていると分かった時です。だから、まず自分がダメだということを分からないと決して進歩しようとはしません。
平等思想は間違いです。大人も子供も同じだと言われたら、もう子供は進歩しません。子供は本来、進歩することが"宿命"です。でないと大人になれませんから。その子供達に平等思想を与えてしまった。そうなると子供は子供のまま、酷い場合は幼児の状態のまま大人までいき、結局何の役にも立たない大人になってしまいます。
生徒に対して私は、「君達が強くなったかどうかは自分で知ることができる。強い人間というのは、必ず他人のために何かしようとするから。それが強さというもの。そして力は正義である」と話します。よく出す例ですが、目の前で子供が溺れているとします。泳いでいって子供を助けて上がってくる。これは正義ですね。それをするためには、まず自分が泳げないとダメです。自分が安全に水の上で浮けて、更に余力があるから、その余力で子供を助けることができる。結局、弱い者は決して人のために行動することはできません。強い者でも、まず自分のために行動して、余力で人のために行動する。だから、何かをしようとした時にふと他の人のことを考えますね。「あいつのために」とか。「そういうことを考えるようになったら、お前らはだいぶ強くなった証拠だ」と言ってやるんです。
個人主義は間違いです。個人主義という名の下に、利己主義をやっていますから。これは弱い人間のやることです。ヨーロッパ流の物の考え方、キリスト教流の物の考え方でいくと、「布教のため、蛮人どもを教化するためには仕方ない」という名目で他人を収奪します。が、これは間違いですね。力を自分のためだけに使っていますから。
資本主義も全くこれと同じ理論で成り立っています。収奪ですよ。"八百万(やおよろず)の神"ならもう1人くらい増えてもなんてことはないんだけど、一神教は決してそんなことにはなりません。勝つか負けるか、征服するかされるか、それが一神教の行き着く先です。だから、その結果が今回のテロのように出てくる。我々としてはものすごく迷惑ですよね。アラブとキリスト教で勝手にやっていてくれればいいものを、我々にも影響が出てくるんですから。
宗教戦争をやるのは必ず一神教です。しかし、神様はみんな一緒でエホバじゃないですか。
[バカなインテリたち]
さて民主主義ですが、これはキリスト教思想です。あるいはキリスト教を利用して民主主義を作ったと言ってもいい。ですから、我々に合わないのは当たり前です。それを、日本のインテリは考えもせずそのまま受け入れ、正しいとしました。右ハンドルの外車があるのに、わざわざ左ハンドルに乗るほど(笑)、日本人は舶来物が好きですから。よく言えば柔軟性があり、悪く言えば己がない。だから、上の人がよほどしっかりしてくれないといけないのに、実際には全くダメ。日本は昔から下の方がいいんです。
日本は文化を創ったことがありません。全部よそから輸入し、それを日本的にしているうちによそより上になる。それが日本のやり方です。自動車、歌舞伎、能、狂言、あるいは色んな手工芸品や茶の湯でも、もとの国よりよくなっています。最初に外国の文化を日本に紹介するのは指導者の仕事、インテリの仕事になります。しかし、インテリの出番はそこまで。その後、それをこなして外国以上のものにするのは現場の仕事。そういう現場が優れていたからこそ、日本が優れていたんです。日本人は昔から中間層が優れていたんですよ。インテリ層はとんでもない連中ばっかりです。そこを、今、間違えていますよね。
イギリスのマレー沖開戦に関する本を読んで非常に不思議に思うのは、日本だけ海軍に陸上攻撃機があるということ。当時のイギリスにはソードフィッシュという飛行機、翼2枚で、200キロも出ないんじゃないかという代物しかありませんでした。ソードフィッシュはビスマルクを沈めこそしませんでしたが、航行不能にしましたよね。その時、ビスマルク側に言わせると、「どんなに弾を当てても突き抜けてしまった(羽布ばりだった)」ということです。「ビスマルク側の兵器の方が優秀すぎて相手に通用しなかった」と書いてあります。
イギリス人は、日本人ごときがソードフィッシュよりましな艦上攻撃機を持っているはずがないという前提のもとに戦っていました。しかし、いざやってみるととんでもない。双発で、400キロも出るようなヤツがつっこんできたんですから。しかも、ものすごく命中率がいい。そして何ともならず、あっさり沈められてしまいました。あれは、日本軍の現場が優れていたんですね。普通ならわぁっと来たらすぐに反転して逃げていくのに、日本軍は船の上を通過していく。その上、ついでに機関銃まで打ってくる。とんでもなく恐ろしいですよ。『マレー沖開戦』には、「えらいやつを相手にした」と書いてあります。
あるいはミッドウェー。どうしてあんな戦争で負けたんでしょう。質量ともに日本の方が上だったのに、対するアメリカに負けてしまいました。これは指導者、監督が悪かったからです。あれだけの戦力を揃えて負けるんですから、原因は監督以外にありません。
日本も、当時は指揮者の方が悪かったんですね、いい気になってしまって。自分達の大事な機動部隊、空母がそこに4隻も浮かんでいるのに、上空を援護する戦闘機がないんですよ。それを全部降ろしてしまって、さぁ、爆弾つけて飛び上がろうとした時にやられてしまった。当然ですよね。「運命の5分間」なんて言っているけど、そんなことはない。あれは、司令部のバカさ加減の現れです。それで、その後どうなったか知っています?山本五十六はじめ、誰が責任を取りましたか?誰一人取っていないんです。当時の人事表を見ても、誰も代わっていない。これが日本のやり方です。
このように、日本人は指導者階級がバカだから、ちゃんと現場を使えないんですね。だから我々は我々でやる。民間でやらないことにはもう、手の打ちようがないですよ。
[坊さんは『輪廻転生』の意味を知らない]
3か月前くらいから、ある人の仏教講義を受けています。やっていてつくづく思うのは、坊さん達がアホだということです。何も分かっていません。例えば『輪廻転生』。「人間がまた生まれ変わり、また生まれ変わる。延々と生まれ変わる」――そんなこと、本気で信じられますか。だいたい数が合わないじゃないですか、人口は増え続けているんですから。つまり『輪廻転生』というのはそういう意味じゃないんです。そう思って仏教の文献やパーリー語の原文を読んでみると、全然意味が違うことが分かります。
講義を受けているのは6人ばかりですが、私以外はみんな坊さんです。その坊さん達は、「どうも今までの解釈では飽き足らない」ということでやってきています。それなのに私が色んなことを言うとすぐに否定するんです。私は、だから「あなたはバカなんだ」と言ってやります。「私が間違っていると言うなら、間違っている証拠を出せ」と。「あなたは、今まで自分が聞いてきたのと違うから間違いだと言っている。それをバカと言うんです」と。
例えば『輪廻転生』。これはいったい何なのでしょう。人間が生まれ変わるんでしょうか。それが本当なら、「あなたは前世、何だったのか?どんないい事をして人間に生まれ変わったのか?」――分かりますか?。分かるわけがありません。『輪廻転生』とは、自分が現世の中で「ああまたダメだった」と繰り返すことを言うんです。進歩が止まった状態です。「どうしてかというと、"最初の理論が間違っていたから"」というのが『輪廻転生』なんです。
お釈迦様が1番最初にされたと言われているのが『転法輪教』です。後世、特に中国を経過してやってきたものは信用できません。なぜなら、1度中国語に訳されているからインフォメーションなんです。それに比べると『転法輪教』はよりインテリジェンスに近い。だから仏教を学ぶなら、まずこれを最初にやっておかないといけません。
さて、「転」「法」「輪」これらはいったい何か。この組み合わせが何を意味するのか。まずはそれを解明して欲しいと仏教の先生に頼んでみます。しかし、先生はお手上げです。「私はパーリー語で文学をするのが専門で、どうもそういう具体的なことは・・・」と言って、さっさと逃げちゃうんです。「じゃあみんなでやりましょう」と言った時、ある若い坊さんが反対しました。彼はもともと秀才なんです。アホな秀才。今まで自分が習ったことをどんどん人に押しつけようとします。「じゃあ、それを説明してみなさい」と言うと、「いや、昔からそう言われているから」などと答える。まったく非論理的です。
["出家"もできない坊さんたち]
そういう坊さんに囲まれながらも、とにかくこれをやっているうちに『転輪聖王』という言葉を見つけました。「本当に優れた人は、出家をすると如来様になる」と言います。「如来」というのは普通名詞であって、固有名詞じゃありません。「如来」という1つのランクを表しているだけで、「社長」というのと一緒。「在家だと世界を支配する王様になる。世界を"法"でもって支配する。だからうまくいく」。
さっきの若い坊さんに「あなたは坊主か」と聞くと、「私は僧です」と答える。「そうか」(笑)。「僧というのは出家している人間のことかな?」と聞くと、「はい、出家しています」と答える。「じゃあ、出家の定義をしてみなさい」――「家を出ることです」。「あなたは家を出ているのか?」――「いえ、家にいます」。(笑)「じゃあ出家していないじゃないか」――「出家しています」。「どうするんですか」――「どうしましょう…」。
彼らは「家」の定義を間違っています。「家を出る」とは一体どういうことか。これが仏教では非常に重要な"比喩"――"例"になっています。普通「家」というのは法華経で言う「火宅(かたく)」――「煩悩の家」のことです。「出家」というのは、その煩悩の家から「空宅(くうたく)」――「煩悩のない家、空の家」に出ていくことです。世俗のことからちょっと切り離されるんですね。ところが、世俗は必要であるというのが仏教。ここが仏教の偉いところです。
今の坊さんの間違っているところは、「僧の目的は?」と聞いても答えられないところです。ただ、家がお寺だから僧になったという坊さんがたくさんいる。
「篤く三法を敬え」と言いますね。「三法とは仏・法・僧なり」。「仏(ほとけ)」というのはお釈迦様のこと。そして「法」。「僧」というのは1人を指さず、本当は「僧団」を指します。これら3つを敬えと習います。坊さんにこれが正しいかと聞くと「正しい」と答えます。「だったらあなたを敬いましょう。ただし、敬うべき証拠を見せて欲しい。ただ坊主だからといって敬うわけにはいかない」と言うと「さぁ」と答える。ということは、今は敬うべきでない坊さんになっているんです。
「僧」のことをパーリー語で「ビッカバー」と言いますが、これは「乞食」という意味です。つまり坊さんというのは、「人から物をもらう権利のある人」の事。なぜそんな権利があるかというと、人間について教えることができるからです。だからまず、出家して、修行して、本人がしかるべき人物にならないといけません。「自分ができないことは人に教えられない」というのは真理です。人にものを教えようとしたら、まず自分ができないといけないんです。そうなると、今の学校の先生には子供を教える能力はありませんね。人間性が低いですから。マスコミが言っていることが絵空事に聞こえるのは、見るからに人間性の低そうな人達が偉そうなことを言うからです。