第三十四回 東京セミナー
〜「民主主義」を知らないマスコミ (後)〜
[登校拒否は立派なのか]
先日「戸塚ヨットスクールを糾弾する会」なんていうのが開かれて(笑)、「ああいう判決を許す社会が間違っている」という話になりました。
登校拒否の子供が前に出て、「登校拒否はやりたくてやっている。それに対してああいうやり方で直すとは何事だ。我々にも人権がある」なんてしゃべっています。
そんなにいうなら、自由にすればいいんです。何もうちに来てもらう必要はない。放っておくとどうにもならない子供がうちに来るんです。
ところが、案の定これを朝日は持ち上げました。他社はほとんど無視しているのにです。そうやって、あの勢力は自分達の意見を貫こうとするんです。
先日、また「朝まで生テレビ」に出ました。あれに、教育ゴロみたいなのがいますね、「教育とはこういうものだ」と言いながら何もしない人。
昔、「スパルタの海」といううちの映画ができた時、それを「上映させない会」というのができたんです。「あいつは悪い奴だから」と自分達で決めておいて、「悪い奴の映画を上映するとは何事だ」という論理。
放っといて欲しいですね。嫌なら観に来なければいい。彼らがいいと思うことだけしていればいいはずです。
その一派が、今度は「登校拒否というのは立派なんだ」と言い出しましたね。「あれは、間違った現教育体制への反発だ。だから、登校拒否自体は非常に立派なことである。それを直そうとはけしからん」ということ。
じゃあ、うちに来るような子供、家庭内暴力がひどくて親が殺されそうになるとか、家を1軒壊してしまうとかいうのについてはどうなんでしょう。それでも立派なんでしょうか。
[登校拒否児の実態]
最近、よくうちに電話をかけてくる子供がいます。
最初はただのいたずらでしたが、話を聞いてみると、中学校の頃にいじめに合い、登校拒否になったらしいんです。確かに、何となく幼くて、おかしな子なんですけれど。それで、中学1年からずっと学校に行っていない。それなのに卒業させられた。これが不満なんですね。
本来なら、今高校1年生です。しかし、家を出ることもできませんから、もちろん学校など行けません。スーパーには、何とか買い物に行けるそうです。完全な神経症、恐怖症になっていますね。
ここで考えなければいけないのは、そうやっていじめられてダメになった人間が、その後どうなるかということです。彼は、なぜうちに電話をかけてくるんでしょう。もしかしたら、いじめられたいんじゃないのか。いじめられ方が不足したから、まだいじめて欲しいんじゃないのか。
だいたい、彼はいつも夜中の2時ぐらいに電話をかけてきます。それから3時頃までしゃべるんです。昼間は絶対にかけてきません。多分、昼夜逆転の生活なんでしょう。
最初の頃は、「戸塚のバ〜カ」と言うだけでした(笑)。そんなある時、代わりに女の子を電話に出したんです。そしたら切らないんですね。普段、女の子と接触がないんで、やっぱり楽しくて仕方なかったんでしょう、かまってもらえるし。
その後私が代わり、「登校拒否か」と聞くと黙っていました。でも、もう1度聞くと「そうだ」と答えたんです。「名前は何だ」と聞くと「それは勘弁してほしい」と答える。その内に、「お前は自分の何が悪いか分かるか」と聞いてやると「分かりません」と言う。そこで、「いじめられたらいじめ返さんか」と言ってやったんです(笑)。
「そんなこと言ってもできません、相手の方が強いんですから」などと言っています。「相手の方が強いんだったら、闇夜に後ろから刺せ」というのが私の提案です(笑)。すると「何で刺したらいいんですか。果物ナイフですか」なんて言ってくる(笑)。
「果物ナイフなんかで人が殺せるか、ヤナギバを買ってこい。その代わり絶対にばれるな。それから、憎らしいのはその男だけのはずだから、家に火をつけたりなんかはするなよ」と言っておいてやりました。すると、「実は、火をつけたんです」と言うんですね。「どうなった」と聞くと「燃えませんでした」と言う(笑)。「だからお前はダメなんだ」ということですね。
[登校拒否の害悪]
この辺りから、向こうの心がほぐれて来るんですよ。何も「君は本当に素晴らしい人間だ」と言うから、相手が納得するわけではないんです。ダメなところはダメだと言ってやらないといけない。そして、その対処の仕方も教えてやらないといけません。
さて、こういう子供が、本当に立派なんでしょうか。いったい、その親は何をしているのか。子供が電話をかけていることぐらい知っているでしょうに。
私がその子に「他にどこに電話をするんだ」と聞いてやると、「プロレス協会」とか「ヤクザの事務所」とか言います。「強い奴を怒らせるのが面白いから」と。面と向かうと何もできないから、自分が被害を受けずに何とか気晴らしをしようとするんですね。誠にみっともない姿です。
そんなことしてないで、1番下から成り上がって行け、下から順番にやっつけていけ、と言いたい。何も、やっつけるのは暴力でなくてもいいんです。色々な意味で、相手をしのいでいけばいいんです。それがない内は人間として成長しません。
このような例が実際にあるんです。朝日はこれをどう説明するんでしょう。「登校拒否は立派」なんて本当か、ということですね。うちに来る登校拒否は、みんな立派じゃない。しかも、害悪を流しています。そんな人間を、立派だと言いくるめる新聞を、信用できるでしょうか。
登校拒否の子供は、学校にも行けない分際で、自分を大物だと思い込んでいる。そんな子供を作ってしまうなんて、とんでもない害悪なんです。
やっぱり、下から順番に積み重ね、成り上がってこそ本物になるんです。
登校拒否になったというのは、1つのいい機会だともいえます。悪いことは、全部いいことに転嫁できるんですから。せっかくのそういうチャンスを、マスコミはムザムザ無駄にさせている。
これは、カウンセリングや「愛の教育」などというのも同じです。何のための教育なのか。何のための子供なのか。
[「北風と太陽」なら北風に]
なぜ我々は子供を生かしておくんでしょう。これは、将来一人前になって、生産活動をし、種族保存をすることが大前提になっています。それなのに、現代社会は、子供の“今”ばかりを問題にし、“将来”を問題にしません。
子供の“今”をよくしようと考えるのは、女の役割です。男は、子供の“将来”をいかに良くするかということに力を注ぐべきです。これにはトレーニングが必要不可欠なんです。しかし、今はみんなトレーニングをすることを極端に嫌がります。嫌なら、自分はしなければいい。ただ、子供には必要だということを認めればいいんです。
例えば「ジョギングの害」を述べる人、「エアロビクスの害」を述べる人、みんなやらない人です。やらない人は黙っていればいい。ところが、その本心は、エアロビクスやジョギングをすることで、他の人が健康になるのがたまらないんですね。だから、必死になって反対する。
うちに電話をかけてくるような、情けない子供でも、うちの方法が自分を強くするということを知っているんです。だけれども、自分は努力したくない。もっと楽な方法でよくなりたい。だから、うちのような方法で、他の子供にもよくなってもらいたくない。
そういう願望を、きっと多くの人が知らずに持っている。それが、うちを何とか否定しようとするんです。
まるで、イソップ物語みたいですね。昔からよく、うちのやり方は「北風がマントをはぎ取ろうとするようなもの」だと言われました。「自分達のやり方は太陽で、愛でもって段々と心を解きほぐしていくんだ」と。
少しずつ暑くしていけば、子供がオーバーを脱ぎ、「まだ暑い」と言ってマントを脱ぎ、今度は「暑すぎる」と言って文句を言う(笑)。「もっと寒くしろ。北風はどうした」と、今の子供なら言うでしょうね。
こんなやり方は、子供に何も与えません。負荷を与えずにトレーニングするということはありえないんです。教育はトレーニングです。これをどうしても理解できないんですね、新聞は。それなのに、様々なマスコミ報道というのが出来上がっていく。
マスコミは、自分達が言っていることを正当化するため、その材料をたくさん探します。
例えば、うちに来た子供、うちから逃げた子供の証言というのを非常に大切にします。こんな子供は、どうせ文句を言うに決まっていますよね。もともと文句ばかり言ってきた子供達なんですから。うまくいかないことはみんな人のせいです。
親を散々殴っている子供が、うちから逃げるのは親の所なんですよ。これは非常にみっともない。「親に反抗するんだったら徹底的にしろ。その代わり親に頼るな」ということです。警察に殴り込みをかけるような奴が、うちから警察に逃げ込む。本当に情けないことです。
[無責任な“権威”たち]
先日、これは女の子でしたが、中学から登校拒否気味になり、高校で完全に登校拒否になったという子が来ました。
病院に行くと神経症だと言われ、神経科や精神病院を転々としたようです。しかし、悪くなる一方。最初に神経科に行った時には、「これは簡単な登校拒否だからすぐに治りますよ」と言われたそうです。しかし治らない。
当然、親は文句を言いますよね、「治ると言ったじゃないか」と。すると医者は、「これは精神病ですよ。治るわけないじゃないですか」と言う。言うことが変わっているんです。つまり、医者にかかっている間に神経症が精神病になってしまう。こういうことはよくあるんです。
高校からですから、もう6〜7年は精神病院に入っていたんでしょう。精神病のらく印を押され、それでも親は「そんなバカなことはない」と言って、無理矢理うちに連れて来ました。医者と喧嘩までしてです。
しかし、この子はひどかった。しょっちゅう逃げて警察に行く、病院に行く、今まで自分が関わっていた所に、片っ端から逃げていくんです。親の方はうちが最後だと思ってるんで、必死になってそこから取り返します。
それなのに、警察なんかは、脅かせば親が言うことをきくと思ってるんで、「ヨットスクールに行った人間は全員キチガイになる。あそこは全く科学的じゃない。自分達は科学的に子供を扱うんだから、自分達に任せなさい」と言ったりする。あげくの果てには、わざわざその子供を連れて、親の所に帰しに行くんです。
それでも親は門を開けません。「余計なことをするな。家には一歩も入れない」と言って頑張ります。すると、最終的に子供を放って警察は帰っていく。
いったい何を考えているんでしょう。言うこととやることが全く違うんです。所詮、自分達のメンツだけを考えている。
仕方がないので、我々が捕まえに行き、またトレーニングをする。これを繰り返している内にどんどん良くなっていきました。
逃げる・連れ戻す、逃げる・連れ戻すの繰り返しですから、実際にトレーニングをやっている時間は非常に短いんです。逃げている期間がほとんどですから。それでもどんどん良くなっていきます。だから、親はそれを見て大喜びをします。
[精神病をつくる精神科]
彼女は、1度逃げた所には2度と行きませんでした。次から次へと逃げ場所を変え、最後に逃げた場所が悪かった。そこは、1番最初にその子を診て、「すぐに治る」と言った精神科です。
その医者は、彼女の6〜7年前のひどさを知っていますから、目の前の娘を見て、「ここまできたら自分たちでも治せる」と踏んだんでしょう。親に、「3カ月だけ預からせて欲しい。その間に必ず治します」と言ったまま、子供を返さななかったんです。どうしても連れ返せないので、親も仕方なくそこに預けました。
それからの彼女は、どんどんどんどん悪くなり、結局は元のもくあみです。その上、その病院は「これは精神病だからうちでは扱えません。精神病院に入れますから」と言って、親に許可を取りに来ました。「ふざけるな」ということですね。最初に言ったことと、出てきた結果が全然違う。だから親は、「絶対にそんなことには同意しません」と言い続けたんです。
すると、「緊急処置」がなされました。専門家が精神病と判断して、親が同意しない場合、専門家の権限で精神病院に入れることができるんです。これでもう、彼女は「廃人」ですよ、薬にやられてしまいますから。
正しいのはうちで、悪いのは「新聞社がいいと言いふらしている連中」なんです。
当時、先程の女の子のことを、中京テレビがずっと取材していました。だから、彼らはことの一部始終を全部知っています。うちに取材に来た人間は「これはひどい」と思い、番組を作ろうとしました。しかし、どんなに企画を出しても全部ボツになるんです。
つまり、「うちはもう既に悪いところであって、そこを良いとする報道はできない」と、上に反対されたんですね。それなのに、うち以外の周りがこうやってどんなに子供をダメにしていても、それは許される。彼らは、「反権力」ということをすっかり忘れています。
「新聞社がいいと認める連中」に、本当に、言うほどのことができるんなら、教育問題は起こりません。しかし現実には問題はなくならず、ますますひどくなっています。ということは、今専門家と呼ばれている人々には、何もできないということです。つまり、まだ“権威”はいないということ。
だから、いつまでたっても社会問題として残るんです。それなら、我々のことをいい・悪いと判断する材料もどこにもありません。
[男の弱さと女のでしゃばり]
こんな単純なことが、新聞は分からない、テレビは分からない。あるいは、分かっても認めようとしない。マスコミは、こういう非常に非文化的、非論理的な体質のままで突き進んでいくため、肝心な問題はいつまでたってもよくなりません。
これは、日本が戦争に突入した構図と全く一緒です。だれも反対できないんです。まさに、男の弱さの現れですね。
戦争による被害者が女であるかのようなことをよく耳にします。しかし、そんなことはありません。国防婦人軍を作って、隣組を作って、みんなに戦争を駆り立てたのは女でもあるんです。男の弱さと、女のでしゃばりで戦争は起きたんです。
今は、当時よりももっと女が強くなっています。テレビに出る女の言い分を聞いてみてください。まるで幼稚園児のようなことを言っています。「これは正しい。なぜならみんなが正しいと言っているから」などと、根拠は何もありません。
先日も、木元敦子がしゃべったことで、大笑いしたのは、「今度の判決は軽すぎる。母親の立場でものを考えると、とてもあんなものでは我慢できない。だから判決は軽すぎる」というもの。
これはリンチの構造ですよ。民主主義というものが全く分かっていません。自分の感情を、全てに優先しています。
女が自分の感情を優先しても問題が起こらないのは、全体の方針を男が決めているからです。ところが、今はそうではありません。女の意向に沿って方針が決まりますから、とんでもないことになります。
男と女には、はっきりとした役割分担があるんです。能力の差があるんですから。能力の差があると言うとすぐ、「女をバカにした」と言いますが、誰もバカになどしていません。違うところがあると言っているだけなんです。
木元敦子は、私に対して、「あなたは女性蔑視論者です。だから重罪にしないといけません」と言いました。いったい何の関係があるんでしょう(笑)。
哲学でもって罪の重さを決めるなんて、まさに封建的、絶対君主制の中で行われることで、リンチの構造に他なりません。色が黒かろうと白かろうと、顔が良かろうと悪かろうと、哲学がどうであろうと、法の下の平等というのを行うのが民主主義ですよね。
[マスコミが日本をダメにする]
マスコミ報道の1番の問題点は、マスコミが「基本を知らない」ということです。もう1つは、「弱い」ことです。
弱い者は必ず権力を悪用します。すぐに権力を変なことに使います。今、日本を正常化しようと思ったら、1度マスコミをなくしてしまうことですね。
朝日新聞の今までの歴史を見てみるといい。常に日本をつぶすのは朝日新聞です。それだけのことをやりながら、いまだに正義感ぶっている。今度は、我々にもやりたいことをやらしてもらいたいです。
日本弁護士協会が、「司法を批判するとは何事だ」と言ってきています。これは一体何でしょうか。
司法は権力ですよ。権力を批判するのが民主主義です。弁護士ともあろうものが、それは憲法違反だの何だのと言い出す。とんでもないことです。これでは、我々はいったい誰を頼りにすればいいんでしょう。
以前に1度、共同通信がうちの成果を調べにきたことがありました。アンケートを使った結果は、情緒障害の60%が直っているというものでした。しかし、これに関してはみんな知らん顔です。
その後、警察が調べて、「全く直らないどころか、返って悪くなる」という結論を出しました。こっちは大々的に発表される。警察の方が、色がついているじゃないですか。
そこで、その同じ資料をうちで調べ直すと、80%以上直っています。しかも、うちに来る子供というのはどこでも治らなかった子供のはずです。それが、80%以上直っているということは、うちの方法が正しいということだと思います。
それをムザムザつぶそうとしているんですね、マスコミは。なぜなら、自分達の哲学に合わないからです。自分達が今まで主張してきたことに、真っ向から反するような方法で直すということが、許せないんですね。
ある時、いみじくも小中陽太郎が言っていました。「たとえ直ったとしても、やり方がいけない」と。こんな評論が、平気で通用するようなところなんです。
小中陽太郎は、自分の本の中でこんなことも書いています。ある新聞記者が、うちから卒業する生徒と、うちに頭を下げる親を見て取材に行こうとしました。そこで、小中陽太郎に「やめときなさい」と止められた。理由は、「あれはいいことしか言わないはずだから」というものです。こんな人間に、マスコミという強大な力を使う能力があるんでしょうか。
[幼稚園児にピストルは使えない」]
私はこの頃、よく衛星放送のニュースを見ます。日本のニュースなんか見ていてもつまらないですから。
すると、フィリピンやアメリカや香港や、そういうのが盛んに出てきますよね。向こうのニュースは淡々としているでしょう。ほとんど哲学を交えず、判断もせずに、「こういうことが起こりました。○○はこう言っています」、それでおしまいですね。
日本には、こういうことが全くありません。「あの人は悪い」と決めたら、いい材料はもう1つも出しません。徹底的に悪い、悪いと言いまくります。
この前、ある所で講演した時に、質問を受けました。「それほど嫌いなマスコミに、どうして出るんですか」というものです。そこで私は、「マスコミは大好きですよ」と答えました。「ただし、マスコミ人は大嫌いです。そこを間違えないで下さい」と。
マスコミは素晴らしい力を思っているし、そこでしゃべることによって、周りに大きな影響を与えることができます。問題は、その権力を行使する能力のない人間がそれを使っている、そこだけです。幼稚園の子供がピストルを持っている、ということが問題なんです。
個々に色々言っても始まりません。その基本的なところを直さないことには、マスコミは直らないでしょう。
権力と義務は裏腹です。義務のないところに権力はありません。
まさに今の子供が、権力だけあって義務を行使しなくてもいい、と言われているように、今のマスコミは権力だけを行使し、義務は絶対に行使しません。責任は一切取らないんです。その男らしくなさが、今の日本を、悪い方へ悪い方へと導いていると思います。
我々は、裁判の後でうちに来た新聞記者みんなにこう聞きました。「調書採用はいいのか」と。
しかし、彼らにはその意味が分からないんですね。「調書を採用してどこが悪いんですか」などということを、司法記者が言うんです。私は工学部ですが、工学部の人間でも知っていることを法学部の人間が知らない。これは、彼らが細かいことにばかり血道をあげ、中心をみんな忘れてしまっている証拠です。