第三十四回 東京セミナー

〜「民主主義」を知らないマスコミ (前)〜



[貴乃花は理想の男性像]

――今回の世相の話題は、宮沢りえと貴乃花の結婚問題ということでお願いします。
 また、本題の方のテーマは、マスコミ報道についてです。



 宮沢りえと貴乃花の問題について、我々の関心のあるところは、なぜこの2人の結婚問題がこれほど話題を呼ぶかということです。他の人ではいけないのか。何がこれほどアピールしたのか。
 この理由の1つとして考えられるのは、貴乃花の中に、我々、現代の男が失ってしまった男性像、理想の男性像を見るからではないでしょうか。
 彼の主なファンはやっぱり女性ですよね。彼がもてるのは、そのルックスもさることながら、相撲の世界にいるということが大きいんじゃないでしょうか。
相撲界というのは、現代社会が否定する封建社会ですよね。父親を親方と呼び、母親をおかみさんと呼ばなければいけない社会。しかも、朝から晩までしごかれ、通常の我々の生活から見ると非常にストイックな部分ですが、1つの目的に向かってともかく邁進している。そういう姿がいいんじゃないでしょうか。



[生きる目的のない若者たち]

 うちに来る子供を見てもよくわかるように、現代の若者は、目的がない、目的を持てない、何のために生きているかよくわからない、という非常に大きな問題を抱えています。では、どうして目的が持てないのか。理由は簡単です。現状に満足しているから。
今、子供達を満足させてしまうということが、いかにバカなことか。それを、みんなわかっていません。


 以前、アメリカと日本の子供達でヨットレースをしたことがありました。日本のヨットクラブの子供達は相当なお金持ちの坊ちゃんで、対するアメリカの方もサンフランシスコの高級ヨットクラブ所属の子供達です。
このレースの意味合いは、2国間のヨットクラブの交流みたいなものです。最初の年は、日本からアメリカ、次の年は逆のコースが予定されていました。しかし、このレースは1年目でつぶれてしまったんです。それはどうしてなのか。
 日本の子供達に比べ、アメリカのヨットクラブの子供達は、問題にならないぐらい大金持ちの子でした。そのアメリカの家庭に、日本から1名ずつの子供をホームステイさせ、それで交流を図ろうとしたんです。しかし、たった2〜3週間の滞在のために、日本の子供達が持っていった小遣いが千ドル。
アメリカの親というのは、子供は満足させてはいけないという教育方針を持っているんです。だから、小遣いというのは1度に25セント与えればいいと思っています。それなのに、日本の子供達が持ってきた小遣いは、その何年分になるのか。「そんな多額の金を1度に持たせるような親とは、教育方針が違う。そういうところと交流するわけにはいかない」ということになり、それ以後のレースはつぶれてしまいました。


 これは、日本の親がいかにバカかということの証明です。ところが、日本の全般の風潮としては、「子供にいい目をさせてやるのが愛のある証拠」という雰囲気があるんです。子供が喜ぶことだったら何でもしてやる。お金もやるし、物も買ってやる。
しかし、本来、子供というのは非生産者ですから、生かしてもらえればそれで十分なんです。あとは、子供が一人前になるまで教育をしてやる。それで親の責任は十分果たしているわけです。


 ところが、例えば、子供にダイヤルQ2から1カ月に50万、100万の請求書が来て、それを親が払ったりする。親だって50万、100万の小遣いを使うことなんかできません。現実には親でもできないようなことを、子供にやらしている。
非生産者たる子供の方が、親よりもいい生活をしているわけです。すると子供は、当然現状に満足します。現状に満足していたら、目的なんかできはしません。
いかに現状に不満を持たせるか、これが進歩の源泉になります。そういう不快感、渇望感、ハングリー精神を与えることが必要なんです。



[アイドルとは]

 男というものは、やはりストイックさを求める動物です。自分が人より上に成り上るため、しごかれたい、努力したいという本能を持っています。ところが、現代の弱い男は、自分ではそういうつらいことをやりたくないんですね。だから、その代わりに貴乃花のような人物にやってもらう。自分はそれを応援するだけ。こういう構造があって、男は貴乃花を好むんでしょうね。
 女の方としても、やはり本能的にそういうストイックさを男に求めます。若い男に対しては、その男の“今”に対して惹かれるんではなく、“将来”に対して惹かれているはずです。将来お金持ちになるとか、出世するとか。その将来性というものに、非常に魅力を感じるはずです。貴乃花にはそれがある。これが、彼が女性にもてる理由だと思います。


 そしてもう1つ、彼にはアイドル性があります。
 スターとアイドルとは似て非なるものです。求められるものが違うんです。簡単に言うと、スターには憧れを求めます。アイドルというのは、自分と同レベルの人間として扱います。友達や親友として。
ですから、アイドルは自分に近くないといけません。綺麗であるよりも、可愛らしいこと。歌手なら歌が下手であること。そして、いつもテレビに出ていないといけないんです。親友が、すぐそこにいるんだということを確認しないといけませんから。


 こういう性質のため、アイドルというのは、1度みんなの心が離れてしまうと、2度と復活できません。ピンクレディー、キャンディーズ、中森明菜、浅田美代子、天地真理、みんなそうですね。
ただ、松田聖子だけは頑張っていますが、彼女はまた違った要素を持っています。女に受けていますよね。あれは、彼女自身が、女のしぶとさの代表だからです。どんな男でも食い物にして、自分がいい目を見ようとする。やりたい放題をやる。
そういう、あまりおおっぴらには言えないような女の願望を、見事に具現化してくれているんです。だから彼女は女に受ける。アイドルのうちは男に受けていましたよね。それが、だんだん年を取り、あのしたたかさが女に受けるようになった。


 宮沢りえの場合も、その可愛さが特徴ですから、アイドル性が非常に高いですね。
アイドル性の高い、国民の人気者同士。そんな2人がくっついたからこそ、これだけ騒がれたんでしょう。しかし、将来どうなるかは、理想と現実の違いがありますから、お楽しみ、ということです。まあ、話題の提供ということでは最高だったんじゃあはないでしょうか。



[裁判を見ずに裁判記事を書くマスコミ]

 次に、本題のマスコミについてお話します。
 先日、うち(戸塚ヨット)に対する一審判決が下りました。私が懲役3年執行猶予3年。その時のマスコミ報道は、一様に「軽すぎる」というものでした。


 さて、罪が軽いとか重いとか、新聞社はいったい何で判断したんでしょう。事実を十分検討した上でそう言ったのか、それとも裁判に不正が行われたのか。
この前、ロサンゼルスの警官が無罪になった時には人種差別の問題が出ましたが、果たしてああいう問題がうちの裁判にもあったのか。
 これに関し、1番肝心なことは、マスコミはうちの裁判など見に来ていないということです。
 確かに、最初の頃は来ていました。ところが、午前中は検察側の立証、午後が我々の反証になるんですが、彼らは午前中しかいません。
公開裁判というのは、両方の主張を聴くために開かれているんです。それをまともに聴きもしないのに、朝日新聞などはいつもこう書きます、「犯行の状況を生々しく」と。その「生々しく」のもとは検事調書なんです。


 では、民主主義の裁判で調書を採用してもいいんでしょうか。これはいけないことですよ。
今度の、佐川急便の件から発展した皇民党の検事告訴という事件ですが、この1番のポイントも調書を採用したということにあります。調書というのは、検察や警察が自分達に都合のいいように作った代物です。



[マスコミの欺瞞]

 「権力は信用ならない」というのが民主主義の大前提でしょう。その権力をいかに正しい方向にもっていくか、というのが民主主義です。
それなのに、日本のマスコミは、権力の味方をすることがあるんです。特に新聞、テレビですね。だから、権力というものに対しては、常に批判の目を向けていないといけません。
権力とは、司法・立法・行政、そして“マスコミ”です。彼らが1番悪い。それは、もとを知らないからです。


 イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃の問題で、いわゆる大衆紙が盛んに王室報道というのをやり、みんなを盛り上げますよね。そして、それがよく売れる。
つまり、一般の人々が求めているのはそんなもんなんです。しかし、その時、その大衆紙の偉い人が出てきて、「みんなが望んでいる。だから我々は報道する義務がある」と言いましたが、これは嘘です。
果たして、「みんなが求めているものは、何でも与えていい」んでしょうか。もしそうなら、麻薬だって合法、ピストルだっていい、売春もOKということになります。ところが、どんなに求められても、麻薬を売れば法律に触れます。日本では売春も法律に触れます。
「求めているものは与えてもいい」、などという法律はどこにもありません。しかし、マスコミだけはそれをやる。そして、「みんなが望んでいるから」という逃げ文句を言う。自分達が望ませたのに、です。



[マスコミの実態]

 日本の場合、大変基本的な線は「民主主義というものを理解できていない」ということだと思います。これはマスコミの人間がそうです。


 今回、我々の判決が出た時に、色々な新聞社がやってきました。
うちはいつも新聞社の人間をからかうものですから、向こうも今度は何を言われるかとビクビクしています。それでも、彼らを1人ずつ捕まえて質問をします。
毎日はもう相手にしませんが、うちが1番標的にするのは朝日です。朝日というのは、日本のマスコミの悪いところの具現化ですよね。


 まず、朝日の下っ端の記者に「あんたら責任をとれるか」と聞きます。すると「とれません」と言う。「それなら帰れ」と言ってやります。責任と義務・権利は一緒にあるんですから。
「あんたらが取材をする権利があると言うなら、責任をとる義務もあるでしょう。でも、あんたでは責任はとれないと思う。どうなんだ」と聞くと「とれません」と言う。「では、責任をとれる奴を寄越してほしい」あるいは、「責任をとれる奴の代理であるということを、私の耳に聞かせてほしい。すぐ、録音するから」と言って、記者に目の前で電話をかけさせます。会社の偉い人宛に。
すると、電話の相手は「そんなことを言われて黙っている奴があるか」と言って怒っている。このやりとりは、こっちで勝手に録音しておくんですね。電話なんていくらでも録音できますから(笑)。
「そんなこと言っても」と現場は現場で怒っている。結局、「それなら会わせます」ということになり、名古屋の会社に出向きました。


 そこでは、社会部の1番偉い人が出てきた、もちろん東大出ですね。彼に対し、「民主主義の定義だけははっきりさせておいて下さい」と言ってやる。すると困っちゃうんですよね。
「民主主義が大事だとか、民主主義に反するとか、今まで色んなことを言ってきましたよね」と言うと、「はい、言いました」と言う。「その判断の基準を示してほしいと言っているんです」と言っても、「よくわかりません」という答え。よくそんなことであんな勝手なことを言えるものです。


 今は、久米宏が一言しゃべれば、それを全国の人間が正しいと思うようなバカな世の中です。だから、しゃべる人はきっちりしておかないと、どんな悪影響を与えるかもわからない。
以前、確か厚生大臣でしたかが怒って、「久米宏の出ている番組のスポンサーの不買運動を始めよう」と言っていましたが、もっともなことです。こういう意見が出始めたということは、非常にいいことだと思います。



[権力が腐る]

 本題に戻りますが、要するに、マスコミというのは民主主義のもとが分かっていません。わからない人間が民主主義を行っています。


 もともと、人間の群れというのは、10人とか20人とかの小さな群れです。その中で、1番強い者が10人、20人をまとめる。そのために権力を行使できるんです。
しかし、群れが100人になると、もうまとめるのは怪しくなってくる。我々が、100人の群れの中で、全体を正しく把握できるかどうかを考えてみたらいい。把握できはしません。10人、20人なら別ですが。ましてや、その100人の家庭がどうだとか、誕生日がいつだとか、預金がどれぐらいあるかとか、そんなことがわかるはずもありません。
つまり、我々は本能的に、せいぜい20人程度の群れの長になる能力しか与えられていないということです。それなのに、どうしても、日本の1億3千万人の上に立つ人間が出てきてしまう。すると、能力がないのに権力を行使しないといけませんから、うまくいかないのは当たり前です。
行使しきれない権力を与えられてしまえば、悪用したくなるのも当然。団体のために長があるはずなのに、その与えられた力を自分のために使い出す。これを「権力が腐る」と言います。


 民主主義というのは、まず「権力は必要である」ということが大前提です。そして、その必要な権力をどうやったら正しく機能させられるか、というのが問題になってきます。この問題を解決するには、「権力が腐ったら取り替える」ことです。



[『順位制』に従う]

 さらに、もう1つ問題になるのは、権力者が権力を得るしくみです。どういう過程を経て、なぜその人を権力者であると認めるのかということ。そして、その人の言うことに従おうと、素直に思えるかどうか。素直に思うということは、本能的に思っているんです。


 動物には『順位性』というものがあります(ローレンツの動物行動学)。たとえは男が10人いれば、1〜10番まで順番ができます。そして、まだ子供を脱却したばかりの幼いオスは、その下の11番目に入ります。
それが、成長するに従いだんだん強くなる。肉体的にだけではなく、精神的にもです。まず、10番に喧嘩を売り、勝てば10と11が入れ替わります。10番になると今度は9番に喧嘩を売り、負ければそこにとどまり、勝てば自分が9になる。
そうやって、1対1の喧嘩をしながら、どんどん上に成り上がっていきます。成り上がって、ナンバーワンになった時、当然、みんなはその人が強いことを認めます。その時に初めて、群れを取り仕切る能力が持てるんです。つまり、権力を行使する能力を認められたことになるわけです。
だから、その人の言うことに我々は素直に従える。それは、はっきりと、権力者であるという証拠、権力を行使する能力があるという証拠を示したからです。


 我々は、たくさんの権力のもとに、日本という群れ、つまり国家をうまく運営しています。しかし、その権力者の決め方に問題があります。
東大のような、いわゆるいい学校を出た人間だけが、大蔵省に入る、朝日新聞に入る。そういう構造ができあがっています。ところが、「頭の良さ」など、権力者の要素のたった1つに過ぎません。
権力者たるもの、やっぱり男らしくないといけませんよね。しかし、今の権力者にはその「男らしさ」を身につける暇がない。楽な道ばかりを通ってきてしまっています。ですから、精神的、あるいは肉体的に弱いまま、権力を手に入れてしまう。



[弱い人間に与える権力は有害]

 「弱い者はすぐに逃げる」というのは鉄則ですよね。
うちに来る子供達を見てもよくわかります。立ち向かわないといけない時に逃げるんです。
これは、実際の態度にも現れます。ウィンドサーフィンをさせれば腰が引けるし、歩かせるとかかとで歩きます。これは逃げようとしているからです。
向かっていこうとする人間は、つま先で歩きます。だから、だんだん成果が上がるに従い、つま先に力がかかります。歩き方が、力強くスムーズになります。


 今の子供は昔の子供に比べ、足の裏にかかる重心の位置が後ろに下がっているんです。つまり、みんなが逃げようとしている。
何故逃げようとしているかというと、弱いからです。強くなる暇がなかったから。
これを強くしてやらないといけません。いい大学を出て、いい会社に入って、いい人と結婚して、そこにいったい何の意味があるでしょう。何もありませんね、中身は弱いままなんですから。


 弱い人間、力のない者に、権力を与えてはいけません。
弱い人間に権力を与えることは、ちょうど、幼稚園の子供にピストルを与えたようなものです。自分が弱いため、向こうから来る者全てが敵だと思ってしまう。敵だから怖い、怖いから撃ってしまう。権力の行使の仕方がめちゃくちゃなんです。


 もし自分に力があるなら、自分が1番上だという自信があるなら、どんな相手を見ても自分よりは下だと思えます。下なら敵になりえません。敵になりえないから、変な風には権力を行使しないんです。


 成り上がるとか、競り合うとか、修羅場をくぐるといった経験を抜きにして、権力を与えてしまう。これが今のマスコミの構造だと思います。