U章 ヨットスクールがしてきたこと(後)


進歩欲求はどんな人にもある。しか前へ進むことができない


 ここでもう1通、手紙を紹介します。25歳の会社員からの手紙です。本人が書いて来ました。悩み考えた末に、やはり自分をもう1度作り直すほかないと、意を決して私に手紙を書いたのです。
 この手紙は、ヨットスクールに入ろうとしている本人が自らペンをとったという意味では、珍しい例かもしれません。しかし、彼らが心の底に抱えている問題の一端が、鮮やかに見えています。自らを赤裸々に語る程の勇気なら、この25歳のサラリーマンは持っているのです。次に掲げる第2の手紙から、ヨットスクールに入ってくる人が何を求めているのか、感じ取って下さい。
■手紙A――入校希望者(25歳・サラリーマン)本人からの報告
「前略私は25歳の会社員です。突然、このような内容の手紙を書いたことをお許し下さい。
 私は生来、気の弱い人間で、中学2年の頃、人に会うだけで赤面する赤面恐怖症になり、女の子はもちろん、授業中、先生の顔をまともに見ることができなくなりました。気が弱いから、皆からそこをつかれるし、自分でも何故こう気が弱いのかと、自分を責め、ついにノイローゼ寸前までいき、これ以上自分を責めたら気が狂うと思い、無理にこの気の弱さは必ず直る、直す方法が見つかると自分に言い聞かせ、あの目の前がまっ暗になった時期を何とかごまかしました。
 勉強は、授業中、人か恐くて集中できず先生の顔を見られないのでいつも下ばかり向いていて、先生には何だお前は下ばかり向いて寝ているのかと言われたことも度々ありました。人が恐いなどと間違っても言うわけにいかず、言えば気狂い扱いされるのがおちで、ただじっと耐えるだけでした。ただ、なにくそ、負けるかという気だけでやってきました。
 中学、高校、大学と何とかやってきましたが、大学時代など、教授からお前の神経じゃ死んだ方がいいんじゃないのかと皮肉を込めて言われたこともありました。相変わらず気が弱く、人が恐く、このなにくそという気持ちも空回りするようになってきました。
 授業に集中すべきエネルギーを人に対する緊張で使い果たし、帰ってからは自分の理想と現実の姿のギャップを、自分に納得させる理由として、自分が弱いからだと責め、もう1つ、神経が参ってきてしまいました。
 1年前、就職しました。いい会社で、いる人も皆いい人ばかりですが、ここでさえまともな人間関係が作れず、会社に出るのもつらいありさまです。
 これまで自己催眠、呼吸法、ヨガなどやってみましたが全く効果が出ず、もう死ぬしかないと思います。高校時代、東京正生学院という対人恐怖症を直すところへ1ヵ月ほど行きましたが、全く効果ありませんでした。
 もう会社をやめて、今まで貯めたお金でヨガ道場へ行き、断食をやってみて効果がなかったら死のうと思い、このヨガ道場に、もしできるなら働きながらヨガの訓練ができないものかと手紙を書いたところ、残念ながら道場内で働きながらヨガの訓練はできないとのこと。それはともかく、あなたの考えには誤りがあり、強くならなければ自分の夢が叶わないと思ってはだめだ、1年か半年、あなたの夢が叶った姿を朝、昼、晩、くっきりと頭に思い浮かべなさい。そうすればそれが実現します、という返事でした。私としては失望しました。
 確かに私の努力が足りないかもしれません。根性がないからかもしれません。でもこの弱い神経でも、ただ何くそと肩に力を入れてやってきたんです。結局、何も得られず、もう神経の限界が来てしまいました。
 中学時代、自分の性格に絶望しながら今まで生きてきたのは、もっと強くなれる、強くなる方法が見つかるという考えを無理に自分に思い込ませたからです。それだけが支えでした。それがなければ、気が狂うか自殺していたでしょう。
 先生のヨットスクールの記事を読み、約400人の登校拒否児や、家庭で暴力をふるう子供達を直したと知り、これを私の最後の賭にしたいと思いました。
(中略――入校に際しての経済的事情が書かれている。)
 入校待機組が80人も控えているそうですが、たとえ1年間でも普通の人のように生活できたらこんな幸せなことはありません。どうか私を、入校待機組に加えて下さい。速達で出したのは、少しでも早く御返事をもらいたいからです。強くなれる可能性があるのだと思えるだけでもありがたいのです。会社では、これだけ人間関係がまずいと、会社からクビを言い渡されても何も返す言葉もないと思っています。もう限界に来ています。どこの会社へ行っても同じでしょう。
 最後に、恐らく先生の所へは、私のような人間や、そんな人を子供に持つ父兄から手紙が沢山来ていることでしょうから、わずかですが切手を同封しますので、どうか使って下さい。草々」


私たちは子供たちが作るミニ・社会に介入しようとしません


 入校の時に着てきた服を、本人の目の前で切り裂くこともあります。彼らがひきずっていたものを、1度、断ち切るためです。
 小学生から中、高校生、それ以上の年齢の大人まで含めて、生活は一緒です。
 年齢が上であるからといって、特別な待遇があるわけではありません。
 持参してもらうものは、最低限、必要なものだけです。トレーニング・ウエア。洗面用具。それだけあれば十分です。退屈だろうからと、カセット・テープにヘッドホン・ステレオを持たせる親もいますが、没収します。持っていたお金も保管します。
 トレーニング・ウエアなど、身の回りの品物には名札をつけさせます。それだけを、子供達は管理するわけです。
 私、及びコーチは、子供達の日常生活には極力、介入しないようにしています。
 多い時で、70〜80人の子供達が一緒に生活していると、先に書きました。新人も、そこに入れられます。  先に入校している子供達の中には、目に見えない序列ができあがっています。
 髪の伸び方で、おおよそ見当がつけられます。入校して、一応の卒業の目安となる3か月が経とうとしている子供は、もう以前のように髪が伸びています。入って間もない子供の頭は、青々としています。先輩は、子供達の世界でも先輩ゾラをするものです。
 子供達には番号をつけてあります。点呼の際の番号です。3か月が過ぎてもまだ卒業できない子供は、番号から外されます。「番外」と呼ばれることになるわけです。その番外も含めた中に、新人も放り込まれるわけです。
 子供達の中には、こちらで作ったのではない"班"ができています。食事の時に同じテーブルで食べる仲間です。その仲間の中からも"ボス"的存在の子供が現われてきます。よく見ていると、班長は必ずしも滞在歴が長い子供とは限りません。また、いかにも力が強そうな、ここに来る前は非行で大暴れしたような、そういう子供とも限りません。
 むしろ、ヨット訓練でいつも他の子供を抜いてトップの成績を収めるような子が、班長的存在としてクローズ・アップされることもあります。威張るだけで何もしない子供は、まず嫌われ、無視されるわけです。
 子供達が勝手に作り出す"序列"に関して、私達は基本的にはノー・タッチです。なるがままに、放置するわけです。狭いとは言っても、そこもまた1つの社会なのです。しかも、1度、何もかも裸になった子供達が本能的に作り出す社会なのです。
 食事の時、面白い傾向が現われます。
 できあがった食事を3階の部屋に運び上げるのは、男の子の当番の仕事です。そして、大きな釜、鍋から碗によそうのは女の子の生徒の仕事です。ここでは男が男としての本分を取り戻し、女が女としての役割を果たすことが基本です。
 そして、食事が始まります。
 食事の量は、決して少なくはありません。毎日、海へ出て訓練をするわけですから、まともな体であるならば、皆、腹をすかせています。私達はぜいたくではないが、十分な量、質の物を用意しています。  いっせいに食べ始めます。
 そこで各班の、序列が出てくるのです。入って来たばかりの子供が、いち早くおかずに手を伸ばそうとする。すると班長(と誰が決めたわけでもないのですが)が、制します。
「フザケルナ!」
 言われた子供は手を引っ込め、一瞬、呆然です。怒鳴った子供は、その子供をニラみつけ、自分が悠々とおかずにはしを伸ばすのです。簡単に言えば、弱肉強食というわけです。勝手がわからず、まだ立場を築いていない子供は、自ずと、後からおずおずとはしを伸ばすわけです。
 それに関しても、私達は放置してあります。班長が子供に何も食べさせないとかいうケースは別です。そこまでいけば、私達は敢然と介入します。そうでない限り、自分で自分の場を築き上げるのを待とうとします。
 これは、言うほど簡単なことではありません。ショックのあまり、しばらく、食事する手が動かない子供もいます。しかし、誰も助けてくれないことを、彼は知っています。やがてその場で生き抜くために、子供は食べ始めるのです。
 そんなやり方はひどいと言う人もいるでしょう。
 しかし、これは人間社会の縮図でもあるのです。人はあらゆる方法で力、権力をつかもうとします。そのために競争し、助け合い、励まし合い、訣別し、同盟し、愛し合い憎しみ合いながら、場を得ていくわけです。その中で、人間の自律性が育っていくのです。
 それゆえ、我々は子供達が作るミニ・社会に介入しようとしないわけです。
 それが、食事風景です。
 この時間の前半は、何らかの理由でその日威勢のいい子供達が激しく食事に食らいつき、後半は出遅れた子供達が必死に食べ物をのどに流し込もうとするわけです。



ひとりの犠牲者が出たからといってすべてを否定できるでしょうか


 様々な形で、そういうやり方を拒否する子供も、当然、現われてきます。
 食事をとらない。
 毎朝、6時から始まる体操の時間になっても起きて来ない。
 それらはいずれも拒否の現れです。
 それを、どうするか?我々は、拒否の理由を聞こうとはしません。理由を聞いたからといって、"拒否"の姿勢を認めるわけではないのですから。ただし、医者に見せることが必要だと認められる場合は別です。すみやかに入院の続きをします。
 男子生徒達が生活している3階の奥には押入れがあり、襖の代わりに格子が組まれています。一見、牢のように見えますが、罪人を閉じ込めているわけではありませんから、牢ではありません。新入生は、まずここに入ります。環境の変化についていけず、必ず逃亡を企てるからです。極端な子は自殺を図ります。子供達の世界の自律性をあまりに乱す場合、あるいは生活を拒否する場合、ここに入れます。食べないというのなら、食べさせません。しかし、早朝の体操には這ってでも参加させます。
 それが、私のやり方です。
 わかりやすい例を挙げてみましょう。
 人参を嫌う子供は多いものです。その人参を食べさせるにはいくつかの方法が考えられます。
(1) 人参がいかに有用なものか、またそれを食べるのが、いかに本人のためになるかを説明する。
(2) おどかして強制的に食べさせる。
(3) 料理法を変え、子供の気に入る調理法で食べさせる。
(4) 2〜3日、絶食させ、その後に塩茹での人参を食べさせる。
 どの方法がいいでしよう。
 (1)は、学校で行なわれている方法です。人参の効用を説くわけです。いい子はそれで食べるでしょう。しかし誰にでも通用するわけではありません。
 (2)は、無理があります。暴力団的に脅された時は食べても、1人になった時子供は人参を食べないでしょう。
 (3)は、家庭のやり方です。子供の口に合うように母親が作るわけです。しかしこれは、母親がいないと成り立ちません。
 (4)が、ヨットスクール的なやり方です。空腹で何でも食べたいと思う時、単なる塩茹での人参でも、とてもおいしいことがわかります。この方法だと、体が人参のおいしさを覚え込んでしまい、以後も人参を食べるようになります。
 我々は、この4番目の方法を、あらゆる局面で応用しているのです。
 拒否したい、体も動かしたくない、何もしたくない。それなら、一切を与えませんよという態度を示す。そこで待ちます。肉体的な負荷だけはかけ続けて、待ちます。時計の振り子のように、一方の極まで行くと、人間はまた戻ってきます。その時、励まし、鍛え、自信をつけさせようとするわけです。
 かつて、ある有名な高校の校長先生と話をしたことがあります。問題児ばかりを集め、立ち直らせようとしている高校です。話がたまたま"人参"に及びました。
 校長先生は言うのです。
「ウチのやり方は、人参のおいしい食べ方を、あれこれと料理法を変えながら、子供達に教えていくんですよ。愛情を持って接すれば、人参がおいしいこともわかってもらえるはずなんです」
 戸塚ヨットスクールはそれをしないのだと私は言いました。あれこれと調理をして、口当たりを良くすることは確かにできる。しかし、それではもう"人参"を食べたことにはならないからです。結局、人参ではない変質したものを食べることになるのです。
 "人参"の話は象徴です。"人参"は、子供にとって嫌なことの全てを意味しています。
 その"人参"を正面から克服することこそが根本テーマなのであって、回り道を教えてあげることではない。これが私の考えです。
 校長先生は言いました。
「しかし、1人の人間をも殺してはいかんのですよ」
 またか、と、その時、思いました。この言い方は、レトリックです。私だって、犠牲者が出ればいいなどと思ってはいない。犠牲者を出さないよう細心の注意を払っていることは、もちろんです。
 しかし、1人の犠牲者が出たからといって全てを否定することができるだろうか。死者は出ました。誰よりも深く、残念に思っています。しかし、あえて言います。死者が出たことによって、何百人もの子供達を救おうとする努力を、私はストップする気にはなれない。
 その時、私は校長先生にこう言いました。
「それなら、1人の犠牲者を出せば、あなたは子供達を救うことができると言うのですか」
 返事はもらえませんでした。

 戸塚ヨットスクールが、どういう所なのか、おおよそわかって頂けたと思います。
 話を戻しましょう。数百人もの子供達が、スクールにやって来ました。入学を待機している子供達は、まだ何人もいます。その背後には、紙一重のところで悩み、格闘している親子がもっとたくさんいます。例えは悪くなりますが、ヨットスクールにやって来る子供は台所に現われた1匹のゴキブリです。ゴキブリの巣には何十匹のゴキブリがおり、その近くには何百匹もの仲間がいるはずです。私の所に姿を見せる子供1人につき、潜在的情緒障害児が数十人おり、情緒障害になりかけている子供が数百人いるということです。私はそう確信しています。それは私の経験が教えてくれたものであり、連日の反ヨットスクール・キャンペーンにもかかわらず、入校希望者が後をたたない事実からもわかることです。
 そういう子供達が、なぜ、ヨットスクールに来なければならなかったのか。次は、そこにポイントを絞って話を進めてみましょう。
 そこでは、親の問題が大きくクローズ・アップされてきます。