V章 問題児の親たち (後)


子供が小さければ小さいほど、父=父権は、精神的な柱です


 両親の話に戻りましょう。
 この医師の家庭は、典型的な現代の家庭と言えるでしょう。
 父親には、多忙な仕事があった。
 それによって、彼は成功者になることができた。恐らく人の何倍もの収入を得たでしょうし、社会的地位もつかんだでしょう。
 気づいたときには、娘は母親との間だけのコミュニケーション・チャンネルを作っていたと彼は言っています。そして、子供を甘やかす母親は、男友達の所に泊まっている娘をクルマで迎えに行くようになっていたというのです。
 そうなる以前に、いくつかの出来事があったことは間違いありません。
 それは父親と母親との間のコミュニケーション・ギャップです。母親は、この父親にだけは娘の居所も、娘が何をしているかも言うまいと決めています。そして、父親は、その母親も娘と一緒に戸塚ヨットスクールに入れてもらえないだろうかと頼んできているのです。もちろん断りました。
 この断絶、不和がどこから始まったのかは、私は知りません。しかし、父親が娘の教育に口出しできなくなるくらいの昔から始まっていただろうことはわかります。
 父親は、毎日家庭にいながら、子供の目から見れば、実質的にはいないのです。
 母親はいます。母親は父親を子供から遠ざけたでしょう。よくあるケースです。子供を自分の味方にひき入れる母親の姿です。
 母親と子供のこんな会話を、あちこちで聞くことができます。
「ウチはお父さんがかいしょうなしだからねえ。○○ちゃんに何もしてあげられないのよ」
「かいしょうなしって、何?」
「何にもできないダメオヤジってこと!」
 あるいは、こういう会話――
「ウチのパパは働いてばっかりでしょ。だからパパがいないときはママをパパと思ってね」
「でも毎日、パパに会いたいなあ」
「会ってもダメよ。何にもわかってないんだから。仕事だ、仕事だって言いながら飲み歩いてるんだから。パパなんていなくたってママがいれば大丈夫」
 テレビ・ドラマを見ていれば、必ず何度かは聞いたことがあるはずです。
 子供が中学生、高校生になって、モノゴトの道理をある程度わきまえていれば、どうということはありません。しかし、子供が小さければ小さい程、"父"の喪失はショックなものです。父=父権は、家族の精神的支柱です。父権の喪失は、日常的な、ごく小さな出来事から忍び寄ってくる。
 この医師は、それを望まなかったはずです。にもかかわらず、家族の中で浮き上がっていた。夫婦関係の中から逃げることによって浮き上がったのか、妻=母親から突き上げられるようにして浮き上がったのか。いずれにせよ、浮き上がってしまったわけです。
 これが父権の喪失の1つの例です。
 もう1つ、また別の形の父権の喪失があります。



父親が決断から逃げれば、家族はそれを見てよけいに不安になる


 例によって、父親が私にコンタクトをとってきました。「愚息の御指導を賜わりたくて筆をとりました」といって、1通の手紙が寄せられてきたのです。
 子供の名前は弘君と、ここでは仮に呼んでおきます。弘君の父親は地方公務員です、東京近郊の、急激に都市化が進んでいる市に住み、父親は役職についています。40代の父親です。弘君は中学3年生。非行問題を起こしたことが、始まりでした。
■手紙D――弘君の父親(地方公務員)からの報告  「前略突然のお手紙にて失礼申し上げます。私どもは結婚約17年、夫婦の間に高校1年の長男と中学3年の次男がありますが、ヨットスクールのお世話になりたいと申しますのは、その次男の弘でございます。
 昨年秋、すなわち中学2年に在学中の2学期から素行が乱れ、契煙、無断外泊、登校拒否、万引きなどの非行を次々に行い、3年生になって間もなくの本年5月、校内でグループの友人2名と共に他の友人に暴行を働き、傷を負わせ、ついに警察の補導を受けるに至りました。
 さすがに本人もその時は反省し、立ち直りたいと申しますので、それにはグループとの関係を断ち切り、環境を変えることが第1と思い、たまたま私の友人で都内において私塾を経営しているA氏の勧めもあって、弘をA氏宅に寄宿させ、そこから近くの中学に通わせようとしましたが、親と同居なしでは入学を許さないという制度に阻まれ、通学できないままA氏の塾で指導を受けるという生活が始まりました。
 しかし、生来、意志の弱い当人のこと、学校へ行かないために友人もできず、親元を離れての生活に耐えられなくなったのか1ヵ月ばかりで白毛へ逃げ帰ってきたのです。
 今思えば、私どもも信念に欠けていたことになるのでしょうが、折から、子供はあくまで親が手元で育てるべきだという警察の注意は私どもを動揺させ、今度は妻の親戚の近くに、アパートの1室を借りて妻と弘が住み、そこから中学校へ通学させる運びとなりました。
 言うまでもなく、父親の私も居を移すのが自然の姿でありますが、そうなると高校へ入学したばかりの長男への配慮がおろそかになります。長男の方は一応、健全な学校生活を続けておりますが、気持ちの不安定の年頃ゆえ、転校はもちろん、東京からは遠距離になる(地元の高校への)通学を無理に勧めるわけにはいきません。
 そこで父は自宅に留まり、主として兄の世話をする、時には交代して弟の方も面倒を見るといった一家二分の生活が始まりました……」
 何のために、この手紙を引用しているか、一言だけ言っておくと、この父親の"迷い""逡巡"ぶりを指摘したいからです。この父親は大学を優秀な成績で卒業し、公務員になりました。その後も、順調に出世街道を歩いてきた人です。同期の人達に決して遅れをとることなく、先頭集団を形成しています。マイホームも建て、2人の子供にも恵まれました。このまま、何も起きなければ順風満帆の人生といえるでしょう。
 ところが、次男の非行から、弱点がさらけ出されてくるのです。
 喫煙、無断外泊、登校拒否、万引き……。いいことだとは言いませんが、他にすべきことをきちっとしていれば、さほど心配することでもありません。少なくとも、私の時代の不良は、学校ではやるべきことをやり、それでもまだ物足りず、街へ出て行ったものです。ケンカはエネルギー発散の場でもあったわけです。
 だから弘君の場合も、大目に見ておけばよかったのだと言うことはできません。残念ながら、弘君に関すること細かな情報がないのです。  明らかなのは、この父親が、うろたえ、迷ったということです。まず、都内の友人を頼ります。
 しかしそれは、ハラの底から出た決断ではなかった。弘君が家に戻って来ると、父親は家へ迎え入れてしまうからです。そして、その説明として「子供はあくまでも親元で育てるべきだという警察の注意」があったからだと言っている。
 弘君を家に迎え入れた理由を、外に求めています。自分の決断のなさではないと、弁解しているのです。
 次に、父親は折衷案を出します。地元の学校は弘君にとってはよくない。かといって、親が一緒でなければならない。長男の通学問題もある。家を処分してまで家族全員で引っ越すということまではしたくないという気持ちもあったのでしょう。それらの条件を全てかみ合わせて、母親と弘君を都内に住まわせ、父親は長男と住むという案に落ちつくわけです。
 仕事の上でならあちこちから言ってくる要求を巧みに組み合わせ、妥協案を作り出して各方面を説得するというテクニックは評価されますが、家庭は仕事ではありません。こそくな知恵を働かせれば問題が解決するものではありません。むしろ、こじらせます。
 家庭においてリーダーシップを握るべき人間が基本方針を定めたら、容易に動かすべきではない。それが家庭です。往々にして、インテリは、こういう局面で弱さを表すのです。弱い。実に弱い。子供のためを思ったと父親は言うでしょう。そうしなければ、もっと反抗して悪くなったかもしれないと。そう言いながら、結局のところ、父親はたかが子供の起こした問題に振り回されている。
 自分を見失っているのです。オレはこういう方針でやる、それは変えない!明確に1本の線を引くことができない。家族の顔色を見ながら、方針を決めようとする。家族はそれを見て余計に不安になる。不安になるから大きな声で父親に言う。「そんなことじゃ、ダメだよ」。それは不安が言わせるのです。それを、このタイプの父親は反対意見と理解する。反対意見があるんだから、ここは民主的にお互いの意見のいいところをくっつけて解決しよう――それが"弱い父親"の思考回路なのです。そして、実は、自分で決断することから逃げている。ここにも、もう1つの"父権の喪失"があるわけです。
 弘君の父親の手紙を、続けて紹介しましょう。



子供にとって完璧な父=父権が必要であり、母=母権が必要です


 「弘の新しい学校は、問題児も少ないせいか、また当人もその頃多少の意欲もあったせいか、この方針は成功したように見えました。
 夏休みに入ってからもプールでクロールの特訓を受けたり、夏期講座に通ったりして、この分なら来春には都立高校に進学できると夫婦で喜んでおりました。ところが2学期、9月下旬になりますと、再び様子がおかしくなったのです。やはり、2年生の後半から全く勉強しなくなった学力のギャップはいかんともしがたく、学習意欲をすっかり消失させてしまったことに始まり、10月中旬以降は下校の途中で寄り道して帰宅が遅くなることも多くなりました。
 もちろん、私ども両親も心配して再三、注意しましたが、一向に直りません。転校生ということで、当初は友達ができず淋しがっていたのが、校内でも数少ない問題児達との交友が生まれ、さらには同傾向の卒業生の輩下に入るようになったのです。
 11月になってからは、テストで偏差値がついに39まで下がり(いい時は46ありました)、授業中の態度も悪いため、先生からこのままでは高校進学はとうてい無理と宣告されるに至りました。そう言われても、本人は発奮するどころかますます自棄の態度をとり、進学は完全に諦め就職を口にするようになりました。生活は旧に復し、頭髪にパーマをかけたツッパリ・スタイルで学校ではひんしゅくを買い、下校後は例の先輩、仲間達と遊び続けております。
 担任の先生は、家族二分の生活に一因があるから一緒になるべきだと言われ、確かにそれももっともと思われますが、その実現のためには、前述の長男への影響をはじめいくつかの障害があります。たとえ強行したとしても、今となっては弘の生活を軌道に戻すのは困難でしょう。
 私どもも、勉強の嫌いな者を無理やり高校に進学させるつもりはありませんが、就職するにしても、何一つ得意なものはありませんし、現在の態度と身についた怠け癖では、到底長続きが望めません。そして、そのうち警察沙汰になるような事件を起こすことも十分考えられます。
 そこで夫婦が協議の末に結論に達したのは、いわゆる"甘えの構造"をどうしても断ち切らなければならないということでした。
 かつて、A氏宅への寄宿という方法は、他人に子供を預けるという親の無責任ではないかという警察の意見もあって挫折したのですが、最近は弘の将来のため、たくましさを植えつけるためには、親元を離れて苦労させることが、むしろ真の愛情ではないかと考えるようになり、そこで注目したのが貴スクールのことであり、ここならば弘も更生できるのではないかと思ったのでございます……」
 紆余曲折を経て、弘君の父親はヨットスクールへの入校を考え始めたわけです。
 この父親の悩み、迷いは、多くの親が落ち込みやすいものです。自分の子供が、どうやら問題を抱えているようだと知った時、誰もが最初は驚き、その後でどうしらいいのかと悩みます。迷います。
 頭で考え、心で迷ったにしても、何も解決するわけではないと知りつつ、人間、迷うものです。その迷いの中で方向を定め、その方向に確信が持てない時、事態はさらに悪化します。親の迷いが拡大されて子供に伝わります。
 しかし、この父親は決然と、方向を示すことができなかった。その弱さを"父権の喪失"と呼ぶならば、現代の子供が抱えている問題は、実に根深いことになります。

 もう少し、親の話を続けます。
 どういう家庭が、我がヨットスクールに子供を預けようとするのか、その背景を知って欲しいからです。
 母親もまた、混乱しています。
 ある母親は、子供とどう接していいかわからなくなってきたと、手紙に書いてきました。
 
■手紙E――小学校2年生の男の子を持つ母親からの報告
 「前略、小学校2年生の男子のことで御願いがございます。
 小学校1年の時、学校には何とか行きましたが毎朝泣いて、ぐずってなかなか行けないし、ちょっとしたことですぐ怒ったり泣いたり、4歳の弟や1歳の妹に乱暴をしていけませんでした。
 今は学校に通っていますが、怒ったり泣いたり乱暴したりは相変わらずです。その上、母親に対してはちょっと気に入らなければ"バカ、アホ"と怒鳴ります。その上、自分のしたいようにしかしなくて、何を言ってもなかなか聞きません。今、考えますと小さい時の育て方が間違っていたような気がしてなりません。3歳まではいつも一緒に遊んでいまして、かまってばかりしてました。そのうち何も1人ではできなくなり、いつも親のそばばかりにいて離れず、1人遊びが全然できませんでした。
 近所の子供を見て、あまりに違っていることに気がつき、かまってばかりいてはいけないと、無理やり親から離しました。親はなくとも子は育つという言葉をその時思い出したの如く、なるべく私はそばにつかないようにし、1人で何でもしなさい、遊びに行きなさいと突き放していました。
 乱暴をし、母親に暴言をはくのは、愛情を求めているようでもあり、親の愛情を確かめているような気もするのです。人とうまく混じって遊べないし、何でもすぐ人に頼り、うまくいかないとぐずり泣き、怒ったりするものですから、なるべく言うことは聞いてやらなければいけないと思うのですが、何でもハイハイとそばについてしてやるわけにもいきません。
 "まわりの人の態度を変えてやればよくなる。自信をつけてやりなさい"と言われ、できるだけそのようにしようとは思いますが、1度できあがった性格はなかなか直りそうもありません。
 ヨットで自分のことは自分でできるという自信がつけば、少しは落ちついて他の人のことも考えられるのではないかと思いますが、まだ親の愛情を求めているのであれば、返って気持ちがこじれるような気も致します。
 どちらで相談致しましても、抽象的な回答しか頂けず、幼年期の育て方が一生を左右するという話を聞いたりしますと、育て方に失敗したものはもう救われないのでしょうか。自分のことを考えますと、一生懸命育てても、失敗に後から気づくのであれば、もしそれに気づいた時はどうしたらよいのでしょうか。
 学校には行きますが、一種の情緒障害のような気がしてなりません。子供をこんなふうにしたのは、母親である私の責任です。今、ヨットに出すことは子供から逃げることになるような気が致しますが、このままでは親子共倒れになりそうです。
 追伸、1番問題なのは、親子の正常なつながりがないことです。私自身、どのように接してよいかわからず、親としての愛情がないようです。なるべく優しい言葉をかけてやらなければと思うのですが、スムーズに会話ができなくて、何かぎくしゃくしているのです。子供に愛情が持てないでは、いくら訓練して頂いても無駄でしょうね。
 夜、怯えたように泣いて寝言を言うことがよくあります。余程、今まで苦しんできたのではないかと思うと、私自身、苦しくて生きた気持ちが致しません」
 小さい時子供にかまい過ぎ、これではいけないと、この母親は方針を変えます。そうすると、今度は子供が素直さを失った。そこでこの母親はまた悩むのです。
 これも、よくあるケースです。母親は、結局のところ、子供を突き放していません。自分の愛情がまだ欠けているのではないかと怯え、それが昂じて、親子のコミュニケーションをいびつなものにしてしまっています。ヨットスクールに出すべきか否かでも迷っています。出して子供がちょっとでも嫌がれば、この母親は自分が悪かったのだと考え、即座に手元に戻すでしょう。
 この手紙にも父親の姿が見えてきません。一言も、触れられていません。母親と子供との関係で家庭を築き上げ、その中で苦しんでいるわけです。
 基本に返ることが必要です。
 現代の母親は、かつての時代に比べれば、はるかに多くの情報を得ることができる。知識も豊富です。向学心も強くなっているでしょう。自立意識も旺盛です。結構なことだとは思います。戦後の日本の教育は、男女同権を旨とし、女性の立場を向上させる方向に進んできました。
 これも、決して悪いことではありません。ただし、その結果として、より優れた女性、母親になることができるならば、の話です。
 旧時代と新時代の間には過渡期が必ずあります。現代は、女性、母親にとって、そういう意味での過渡期です。
 女性の自立が叫ばれ、一気に女性が自立できるのだという幻想があります。しかし、スローガンを掲げたからといって、女性が自立できるわけではありません。それは1人1人の意識と力の問題です。
 女性には、どんな時代になっても母性が求められるのです。それを最も激しく求めるのが子供です。限りない優しさです。それは他方で力強い父性が確立されていて、初めて家庭内でバランスがとれるものです。
 それゆえに、子供にとって完璧な父=父権が必要であり母=母性が必要なのです。
 父親、母親の迷いは、そのバランスの歪みからも生じてきます。
 ここまで書いてくると、もう1章を裂いて親について語っておくことが出てきます。
 では、各家庭では、どうしたらいいのか――というポイントです。