X章 子供たちは何をつかむか (前)


自分の子供はしごけない。他人だから厳しくしごけるのです


 「かざぐるま」
 子供向きに作られた訓練用ヨットのことを私達はそう呼んでいます。
 どういうヨットか、説明しておきましょう。
 船の長さが約3.5m、幅は約1.3mです。ヨットと聞いて、真っ先に思い浮かべるイメージがあると思いますが、それよりもずっと小さく、しかもスマートにかたどられているのではなく、むしろずんぐりとしています。へ先(船首のこと)は鋭角的ですが、船尾の方はのっぺりとしています。そして船尾には舵が取り付けられており、高さ約5.2mのマストを立てると、それで基本構造はできあがり。帆は1枚です。
 かざぐるまの特徴は、そのずんぐりとした船型にもありますが、もう1つ、大きなポイントがあります。
 船底に、板状の突起が突き出していることです。これはヨットのバランスをとるためのものでもあるし、同時に横転した時にヨットを立て直すための板でもあります。
 子供向けの訓練用ヨットを新たに考え出そうとした時、私の中に2種類のイメージがありました。
 何にせよ、そのヨットは初心者が乗るわけです。しかも、中、高校生を中心として小学生も乗ります。
 操作しやすく、しかも乗りやすいものがいいだろうとは、誰もが考えます。操作の難しい、しかも上手にバランスをとらないと倒れやすいヨットでは子供にとってはまずいだろうと、私も最初は考えました。
 しかし、ふっと別の考えが浮かびました。子供が乗るからやさしいものをと考えるのは、むしろ間違っているのではないか。運動能力という点で子供と大人と比べた場合、優れているのは子供の方です。体はまだ柔らかいし、反射神経もいい。それに比べたら大人は体の動かし方を忘れてしまっているし、自分のイメージ通りに体を動かすことはできない。
 大人の常識で、子供は大人より劣っていると思い込むのは誤解だ。そう思ったわけです。戸塚は、子供をバカにしきっている、子供を認めないなどという表面だけの批判があります。しかし、その批判はそのまま批判者にお返ししたい。彼らの方こそ子供を軽視しているのです。童心主義の裏側には、子供に対する侮りが潜んでいるものです。子供だからこそ、多少、操作の難しいヨットも操れる。しかも、外洋へ出るためのヨットではなく、あくまで内海での訓練用ヨットなのですから、ヨットが横転することによって海に投げ出されても、ライフ・ジャケットを身につけてさえいれば安全です。
 かざぐるまは、それゆえ、単純な操作で操れるヨットとしては設計されていません。むしろ、難しい部類に属します。
 その、かざぐるまが、戸塚ヨットスクールの初心者訓練用ヨットとして使われているわけです。
 こうした子供のヨットに対する考え方が、今日私達が大きな成果を挙げた原因の1つですが、その「考え方」を強調したのは、実は私ではなく、私から見ると「素人」であるヤマハの荒田重役でした。
 戸塚ヨットスクールの朝は6時に始まります(編集注:執筆当時)。
 子供達は一斉に起きると、合宿所のすぐ海側にある堤防に集合します。点呼をとり、まずは軽いジョギングからその日のトレーニングがスタートします。もちろん、朝食前です。ジョギングの距離は、さほど長くはありません。堤防の上を軽く走る程度。距離にしても1qに満たないでしょう。体を目覚めさせるのが目的です。
 その後約1時間が、柔軟体操の時間になっています。
 腕立て伏せ、腹筋……等々、いわゆる柔軟体操に属する運動は、ほとんど全て、この時間にこなします。この時間が、子供達にとってはなかなかハードだろうと思います。特に新入生にとってはそうでしょう。
 コーチは、例によって容赦ない態度で臨みます。甘い顔は、一切、見せません。
 この現場は何度かカメラに収められ、週刊誌を賑わせました。これは訓練などではなく、私刑だというキャプションがつけられていました。
 繰り返し、言いますが、ヨットスクールのやり方は、厳しさが基本です。しかもそれは中途半端ではありません。殴ります。蹴ります。あえいでいる子供の背にあえて乗ることもします。それが、私達の基本方針なのです。
 基礎体力がないまま、精神力強化のトレーニングをしてもいい結果はでません。また、その基礎体力をつけるためにこちらが強制しないと体を動かそうとはしない子供達がヨットスクールに集まっているということも、考えに入れて下さい。自主的に自分の体を鍛えようとし、前向きに取り組もうとしている子供は、ここには来ません。また、号令をかけるだけで自分が何をすべきなのかを把握し、遅れながらも皆について来ようとする姿勢を持った普通の子も、ここにはやって来ないでしょう。
 それぞれの理由で非行に走り、家に閉じこもって暴力をふるい、心の持って行き場をなくして無気力になり、しかもこじらせてしまった子供達が集まっているわけです。
 体を強制的に動かさせようとするとき、彼らの反応はいくつかのパターンに分かれます。なるべくサボろうとするか、途中までやって諦めてしまうか、体中の力を抜いてこんにゃくのようになり体を動かすことを拒否するか、もうこれ以上やったら死んでしまうと哀訴するか、気を失ったふりをするか、途中でやめられる口実を考えるか……。そういったところです。
 それらにいちいちこちらが反応していたら、何もできません。
「なぜ、サボろうとするのか?」
 と問えば、彼らはこう答えるでしょう。
「オレの勝手だろ」
 そこで、そうかじゃ勝手にしろ、と言ってしまったら、トレーニングすること自体、ムダになります。
「なぜ、体を動かそうとしないのか?」
 と、"こんにゃく"に聞けばこういうでしょう。
「動かしたいんですけど、体が……体がいうことをきいてくれないんです、全然、力が入らないんです」
「体の調子が悪いのか?」
「体の調子も悪いし、それよりも体に全然、力が入らないんです。休ませて下さい。休めば少し動くようになるかもしれません」
 そういう話をいちいち聞いたからといってどうなりますか?親ならば、それを聞くでしょう。学校の教師も、その言い訳を聞きます。無理にやらせて病気にでもなられたら、責任をとらされるからです。問題が起きないよう、無難に教育カリキュラムをこなしていくのが学校の先生というものです。
 しかし、その結果として子供達は増長し、不安を抱え、心をねじ曲げ、あげくにヨットスクールへやって来ているわけです。
 私達は、その子供達の前に、言い訳を決して聞かない他人として立ちはだかるのです。それどころか、サボればピンタを見舞い、途中で諦めている者にはペナルティーを課し、もうダメだと言って哀訴している子供を足蹴にして立ち上がらせ、そんなことで苦しさから逃れるのはもってのほかだという態度を貫き通します。
 そういう基本姿勢は、最後の最後まで貫徹されなければ意味はありません。
 ある日は、徹底的に絞り上げ、ある日は大目に見る。これではしごくことそれ自体がコーチの気まぐれになってしまいます。恣意的な暴力になってしまいます。
 子供達の言い分は聞きません。どうあろうと、朝の1時間は徹底的に体を動かすんだということです。私やコーチ達が、そういう姿勢を保ち続けるには、強い意志が要求されます。心を鬼にしなければ、できるもんじゃありません。
 それを見て、私にこう聞いてきた人がいました。
「戸塚さん、あなたは自分の子供を、あの子供達のようにしごけますか?」
 私は、即座に答えました。「できませんよ、そりゃ」
 質問してきた人は、それみろという顔をして私を難詰しようとしました。それを制して私はこう言ったんです。
「あなたは、私が自分の子供に対してできないことを他人の子供には平然とやっていると言いたいんでしょう。その考え方は逆ですよ。他人だからこそ、できるんです。親が自分の子供に対しては絶対にできない厳しい訓練を他人なら課すことができる。それが必要なんです」
 親ならできません。苦しげにあえいでいる子供をムチ打つようにして、さらにハードにもっと厳しくと、打ちのめすことはできません。他人だからこそ、できるのです。
 情緒障害児に対して、私達があくまで親代わりではなく、よそのオジサンとして接するのには、そういう理由があります。
 色々なところで、あれはやり過ぎではないかと書かれました。いくら何でもひど過ぎると。しかし、私は基本姿勢を変える気はありません。批判には、答えます。今、私がこの本の中で書いているように。しかし世間から非難されたからといって、私が信念を曲げれば、子供達はさらに混乱するでしょう。彼らの前に立ちはだかり、克服する目標であった壁が突然、目の前から消えてしまうわけですから。
 私は、私の方法に自信を持っています。それは思い込みによる自信ではなく、今まで私の中を通過していった何百人もの子供達の顔が見えているからです。もちろん、元気にやっている子供達の顔です。経験と実績が私を支えているわけです。



中途半端は死につながる。それを知ることがヨット訓練の第一歩


 朝の柔軟体操は約1時間。
 ヨットスクールでは午前7時から朝食の時間になります。
 ヨットの訓練は、その後午前8時半頃からスタートします(編集注:執筆当時)。
 その前に、ここでヨットスクールの食事の内容に触れておきます。
 次に掲げるのは、ある2週間のメニューです。これを見れば、子供達がだいたいどのようなものを食べながら生活しているか、わかると思います。
 ついでに書いておけば、子供達のトイレの時間にも、様々な変化が現われます。
 合宿所には各フロアにトイレがあることは前に紹介しました。合宿場そばの空地にも簡易トイレがあります。しかし、朝食後、全員が一斉にトイレに駆けつければ、機能はマヒしてしまいます。が、そういうことはまず起こりません。
 私達は、子供がトイレの前で並んでいるからといって、訓練スケジュールは変更しません。スクールに入って来た当初、気遅れするタイプの子供はトイレでも悩むことになります。うっかりすると、出しそびれてしまうからです。むろん、どうしても出したい時に無理にガマンすることを強制しません。しかし、訓練時間でもない自由時間で、トイレの空いている時間はいくらでもあります。私達は、一切、アドバイスしません。自分でいつトイレに行けば空いているか、考えさせます。ほどなく、自然に自分の生理的リズムを50人の共同生活の中で、ちゃんとつかむようになります。
 ところで――
 話を先に進めましょう。
 どういう形でヨット訓練を進めるかです。

 最も訓練に適した時期は冬です。
 ウエットスーツを着てライフ・ジャケットを身につけても、海の水が身を切るように冷たい冬の海が最も効果を上げます。これも過去のデータからわかることです。
 ヨットスクールでは、無理を強いる訓練を行ないます。しかも、かざぐるまは操作するのにやさしいヨットではありません。ヨットが横転し、子供達は海に投げ出される。その時、夏であれば返って気持ちいいほどでしょう。冬であれば、水の冷たさと寒気の厳しさが海からも伝わってきます。その冷たさに負けていては、ますます自分がつらくなります。そこから意欲が芽ばえてくるわけです。
 かといって、夏の訓練が効果を挙げないわけではありません。
 ヨットを海に浮かべる前から、戸塚式訓練法は始まっています。
 まず、浜にかざぐるまを引き出し、帆を張ってマストを立てさせます。その方法、および海に出てからの舵のとり方、帆を動かすロープの使い方などはあらかじめ教えておきます。ただし、くどくどと何度も教えはしません。
「いいか、何度も言わないぞ。よーく、聞いておけよ!」
 そう言ってヨットを動かすためのいろはを教えるわけです。
 かざぐるまは1人乗りです。手元にたぐり寄せ、風の向きに合わせて操らなければならないロープは6本あります。1度や2度、説明を聞いただけで全てを飲み込むのは不可能でしょう。が、あえて何度も説明せず、いきなりヨットに乗せます。
 ロープの張り方、その扱い方などは新人係になっている先輩生徒なども教えてくれます。一通り、説明が終わったところで、我々は必ず、こう聞いておきます。
「いいか?わかったな?」
 すぐにわかったと言う子供は、まず、いません。それほどの集中力を持った子供は、何の問題もなく学校へ通っているでしょう。子供達はいちように不安気な表情を浮かべ、何も答えません。
「わかったな?」
 再度、念を押しておきます。
 それを何度が繰り返すと、子供は「わかった」と言います。本当は自分をごまかしているわけです。そんなこと、こちらはわかっています。ここはとりあえず「わかった」という言質をとっておくだけでいいのです。
「よし、それじゃあ実際に乗ってみよう」
 生まれて初めてヨットに乗る子供を促し、エンジン付きの救助艇に乗せ沖合に連れて行きます。子供は浜の近くでヨットに乗ると思っていたはずですから、岸が遠ざかるにつれて不安がります。沖合、0.5〜1qの所まで行き、エンジンを止めます。
 そこで先輩の子供達がかざぐるまを操って沖合へ出て来るのを待つのです。かざぐるまが救助艇の所まで来ると、操船して来た子供を引き上げ、代わりに初めての子をかざぐるまに乗せます。
「よーし、それじゃあ、1人で岸まで帰れ」
 そう言って、私達はエンジンをかけ、さっさと岸に戻ってしまいます。
 子供にはライフ・ジャケットを着せ、ヘルメットをかぷらせていますから、ヨットから落ちても溺れる心配はありません。落ちた場合の這い上がり方、ヨットが横転した場合の起こし方も、一通り教えてあります。
 岸では、私達が望遠鏡で子供の動きを観察しています。
 色々な子供がいます。
 私達が岸に向けて帰ろうとすると、すぐに泣き出す子供。しばらく呆然として、何もできない子供。マストに必死にしがみついて落ちないようにだけしている子供。
 すぐにロープを握り、何とかヨットを動かそうとする子供は、まずいません。
 風は吹いています。帆は張られています。自然にヨットは動いてしまいます。しかも、不規則な揺れ方をしながら、今にも横転しそうになって――。
 子供が海に放り出されても、すぐに助けに行きません。どうするか、観察を続けます。たいてい、ヨットのどこかにしがみついています。
 10分程経って、救助艇で子供のそばへ行きます。しかし、助けはしません。
「早くヨットを起こすんだ!そして岸まで戻って来い」
 怒鳴るだけで、救助艇はまた岸へ引き上げます。子供は、思いきり叫びます。「助けて下さい」
 しかし、無視して、救助艇は岸へ。
 それを何度が繰り返します。
「ヨットを起こせ!」
「できないんです」
「起こし方は教えたはずだ!」
「でも……」
「1度しか言わんと言ったはずだ。よく聞いておけと言ったぞ。おまえは"わかった"と言ったじゃないか」
 子供の体力が限界に近づいてきます。船に上げてもらおうと、必死に弁解し、謝り、懇願してきます。
「すいません、もう1度、教えて下さい。今度はちゃんと覚えます」
 中途半端に海へ出ることが、どれほど恐ろしいことかを、体でわからせるのです。子供を船に収容し、私達は岸に戻ります。
 それが、ヨット訓練の第1歩です。



苦しさをのりこえたとき、子供たちの心はガラリと変わっている


 それ以前の段階で"洗礼"を受ける子供もいます。
 小学校の高学年になって、自分でボタンをとめられないという子供がいました。いつもは母親が全てやってくれていたわけです。母親は、そんなことではダメだ、自分でやりなさいと言うのですが、子供ができないと言って泣きわめけぱ、どうしても手を貸してしまいます。それが連綿と続いて、子供はもうすぐ中学生というところまできてしまったわけです。
 浜に連れ出し、まず、ライフ・ジャケットを着るように言いました。ジャケットに袖は通すのですが、ヒモを結ぶことができない。それじゃダメだ、こうするんだとやり方を見せて、もう1度やらせようとしましたが、ダメ。
「ボク、できません」
「ちゃんと着られなければ死んでしまうぞ。いいな」
「でも、できないんです」
 信じられないかもしれませんが、そういう子供がいるのです。
 コーチは、その子供をかつぎ上げ、海に入って行きます。そして海の中へ放り投げました。その子供は泳ぎを知りませんでした。あっぷあっぷしながら助けを求めています。しばらくその様子を見た上で、コーチが子供を引っ張り上げます。
「ジャケットをちゃんと着なければ、死ぬ。ヒモの結び方は何度も言わない。よーく見て、自分でやれ。いいな」
 そして、もう1度、教えるのです。子供は苦しそうにあえぎ、肩で息をしながら、しかし、じっと結び方を見つめています。そして自分で何とか、おぼつかない手つきで、数本のヒモを結ぼうとするのです。

 東山洋一君という子供がいました。彼がヨットスクールにやって来たのは昭和54年のことです。登校拒否児の1人でした。中学時代は野球部に所属し、高校へもすんなりと入学。別に何の問題もなかったはずです。ところが、高校に入学すると、クラブ活動を辞めてしまいました。その理由は、ちゃんと勉強しようとしたからだというのです。が、そもそも彼は勉強の好きなタイプではありませんでした。勉強もせず、クラブ活動もせず、生活がルーズになり、1度学校を休むと、それに拍車がかかり、ついにほとんど学校へ行かなくなる。そういう時、親に連れられて東山君は私達の前にやって来たのです。
 それから2年後、東山君は「第3回太平洋横断シングルハンド・ヨットレース」に出場しました。サンフランシスコから神戸までの単独太平洋横断レースです。2年間で、太平洋を1人で横断するまでになったのですが、ヨットスクールでの東山君は、とりたてて運動神経がいいわけでもない、ここに来るごく平均的な子供の1人だった記憶があります。むしろヨット技術の飲み込みは遅く、他の子供に遅れをとっていた方です。
 その東山君は太平洋横断レースの後、1冊の小冊子を書いています。『太平洋にかけた青春』(舵社・海洋文庫シリーズ)というタイトルの本です。
 その中で彼は、戸塚スクールに入って来た直後のことを、こんな風に書いています。
■東山洋一君の手記――「朝は6時に起こされ、朝食前に体力作りのための体操がある。まず、砂浜でのランニング。それから7時過ぎまでのたっぷり1時間が、今までダラダラと生活してきた僕達にとっては、しごきにも似た厳しい時間となる。筋力、持久力をつけるために、腕立て伏せを中心に、腹筋、背筋、屈伸、2人1組で足を持ってもらい手で階段を上下する運動など。そうとう身体に自信のある人でも、この1時間は厳しいなんていうものではないと思う。しかも、途中でくたばってしまうと、コーチに叩かれ、蹴られ、泣きわめきながらでも終りまでやらされるのである。
 海上でも、一体、ヨットに乗るために来ているのか、怒鳴られるために来ているのか、判断がつかないような状態。練習艇は"かざぐるま"と呼ばれる1人乗り1枚帆のディンギーである。
 しかし、生まれて初めてヨットに乗るのだから、当然、前に進むはずがない。おまけに風が強い日だったので、艇は何度も沈(チン=ヨットが横転すること)を繰り返す。今にして思えば、実際の風は順風だったのだが、その時は"強風"に感じた。もう死にもの狂いであった。
 初めのうちは専任のコーチが1人ついて教えてくれるのだが、僕はどうしようもなく覚えが悪い。コーチに言われたことに"ハイ、ハイ"と頷くのだが、艇は意志通りに動かない。"舵を放すな!""セール(帆)をよく見ろ!""周りを見ろ!""シート(セールを調整する綱)を引け!""ハイク・アウト(風で傾こうとする艇を、風上側に身体を乗り出して体重で抑えること)しろ!"……その他、色々のことを言われるのだが、蹴とばされても、叩かれても、海ヘドボンと落とされてもダメだった。毎日、身体のあちこちが痛かった。殴られたり、蹴とばされたりした個所がズキン・ズキン。
 無我夢中でやったシートの出し入れで、手の平はボロボロ。身体中がヒリヒリ。おまけに朝の体操でヒドイ筋肉痛。
 クッソー、なんてこった、思ってたのと全く様子が違うな。イテテテ、クッソー、というのが本音だった。参った。まいった。
 練習が終わったアトは、当然、ズブ濡れ。となると、楽しみは、練習後のお風呂と食事。お風呂は、冷えた身体を温めてくれる点ではとても良いのだが、ただ、あちこちの傷に熱いお湯がズキズキとしみてつらかった。……その頃の僕は、夜眠る前に必ず、あることを考えていた。それは"どうか、明日という日が来ませんように!"ということだった。夜がこのままずっと続けば、翌朝の練習もないわけだから……。しかし、朝は必ず来るし、厳しいトレーニングもまた必ずやってきた」
 現場の雰囲気が伝わってきます。
 もっとも、この東山君の文章は、彼がヨットスクールを卒業し、しかもヨットによる太平洋単独横断を成し遂げた後で、書かれたものです。ヨットスクールに入って来た当初であるならば、これほどカラリとした文章は書けなかったでしょう。そういう意味では、今、現にヨットスクールでトレーニングを積んでいる子供達の気持ちとはかけ離れているかもしれません。トレーニング中は、言葉にならない苦しさがあります。そして、その苦しさを乗り越えた時、子供達の心はガラリと変わっているのです。