Y章 私のヨット体験
私は、自分の生だけを必死に支えることができるだけの人間だった
ある晴れ上った小春日和の午後、ようやくシーズンの終ったマリーナのテラスの陽だまりで私は生還者から奇蹟のすべてを聞いた。1972年のことです。9月16日――。
巨きな三角波が頭上から崩れ落ち、船室まで浸水したヨットは、水に投げこまれた石のようにあっ気なく沈んだという。その渦に巻きこまれようやく水面まで浮き上った時、彼らはたった一つの救命胴衣を手にしただけだった。
接近する台風の風浪をのり切って岬をかわすことがついに出来ず、放り出された二人が今漂うところは、深夜の遠州灘のはるけき一点だった。岸に向って打ち寄せるこの浪に乗ってなんとか数理を岸まで泳ぎつこうと彼は思った。
そして、一つの胴衣に二人がつかまって彼らは泳ぎ出したのだ。
大きく崩れる波頭が、実は水とも空気ともつかぬ気泡の故に浮力が動かず、いかに苦しく悔しい罠であるかを初めて知った。崩れる波に乗ろうとする時、皮肉にもその度彼らは水に潜らなくてはならなかった。
僚友は脱出の時すでに水を呑んでい、波に乗る度さらに水を呑んだ。そして、十何度目かの大波に乗った時、胴衣にくくりつけたその手を自ら断ち切るようにして沈んでいった。
彼はそれを確かめ、残された胴衣を身につけ直し、さらに泳いだ。生れて初めて実際に使う胴衣は効果が薄く、やがて彼はそれを背にではなし胸の下に抱き敷いて泳ぐことが最も効き目あるのを発見した。
どれほど泳ぎ漂ってか、辺りの波が前以上に高まり逆巻き出したのを見て陸が近いと悟った。数分後、彼の体は激しく逆巻く波頭に巻きこまれ弄ばれ、間違いなく陸地に叩きつけられた。が次の瞬間、引く波が彼をさらって水中に連れ戻した。
陸を目の前にしながら、一層酷薄な崩れる水の壁の中で、彼はきりなく弄ばれ、幻覚に似た着地を味わってはまた引き戻され、溺れかけた。
最後の一瞬、彼はまた自分を持ち上げゆすり上げる波の巨きさに賭け、渾身の力で波に乗って水を掻いた。そして、叩きつけられた大地に両の手肢でしがみつき、自分を連れ去ろうとする水の流れに抗がい、両手の指をくさびに代えて砂の中に打ちこんだ。
水は退き、体は残った。
それを覚った時、彼は手と足で地を掻きさらに一尺、さらに二尺を獲ち得て停った。次に打ち上げた波が膝にまでしかとどかなかった時、彼は突然、すぐ眼の前に小さな光の玉を見、気を喪った。
やがて寒さで気がつき、真っ暗な砂浜をともかくも波を背にして真っ直ぐに歩いた。足元の砂地が小石に変り、やがて草となった。その時、遠くにさっき見たと同じ小さな光を見た。ためらわず、それに向って彼は歩いた。
暗黒の海を数理、孤りで泳ぎ切った彼がやがてついに見た光の色を私は知らない。彼も知らなかった。
ただ、
「なんというんでしょう、それは本当の光でした。何よりも光らしい光でした」
と生還者はいった。
「精神」「根性」は観念ではない。言葉では絶対に教えられない
私にとって"精神力"とは目に見えない力ではない。スクールの子供たちは、私の体験のミニチュア版をくりかえす