プロローグ
1983年6月、教育界の鬼門といわれる、非行少年、家庭内暴力、登校拒否児を更正させ、日本国中をあっといわしめた戸塚ヨットスクール校長・戸塚宏氏及びコーチ12人が傷害致死容疑で愛知県警半田署に逮捕された。時あたかも中・高校生による校内・家庭内暴力がはびこり、いじめ、登校拒否児も増加の一途を辿っていた。子供の非行が家庭を崩壊させる様を描いた「積み木くずし」がベストセラーとなったのもこの年である。
逮捕劇はまさにカタストロフィーであった。一時期は教育界の救世主とまでもてはやされた戸塚氏ではあったが、逮捕直前には世間からまるで殺人鬼扱いされるまでになっていた。マスコミは一斉に戸塚氏とスクールの批判記事を連日連夜流し続け、戸塚氏及びコーチ等を逮捕までの道程を余儀なく歩ませたのである。それは『現代の魔女狩り』といった観さえあった。しかし、それら一連の報道では、同スクールによって救われた子供や家族の存在は全くといっていいほど無視されていたのである。
戸塚氏は何のために非難、誤解を受けやすいスパルタ教育を行っていたのか。その教育手段は本当に糾弾されるに値するものであったのか。この逮捕は正当なのであろうか。こうした疑問を抱いた者も少なからずともいたはずだ。マスコミの一方的な報道に翻弄されその本質が見えなくなってしまったというケースもあるだろう。いずれにしても、ここでは、この問題を冷静に見渡すために戸塚ヨットスクール出現の背景に簡単に触れておかなければなるまい。
この家庭内暴力、登校拒否といった問題は70年代に入った頃から急激に現れ始めた事象である。もちろん、関係省庁、教育者、専門家たちは、手を変え品を変え対策を練り、実行した。しかし、正常化への兆候は一向に現れなかった。これには教育に携わってきた専門家たちも、さすがにお手上げの状態に陥っていた、いや、それは現在も続いている。そうした社会状況下に一石を投じたのが戸塚氏率いる戸塚ヨットスクールなのである。愛知県知多郡美浜町に設けられたこのヨットスクールの合宿では、それまで手のつけようがなかった問題児たちが徹底的に鍛えられ、続々と更正していった。その成果は当時のマスコミからも称賛され、度々報道もされた。
そもそも、戸塚ヨットスクールは、昭和50年に開催された沖縄海洋博を記念して催されたサンフランシスコ――沖縄間の太平洋単独横断ヨットレースで優勝した戸塚宏氏が昭和51年に開校したスクールである。このレースにおいて氏は太平洋を41日14時間33分という驚異的な記録で横断した。その方法というのがまた超人的であった。舵と帆から目を離す時間を最小限に留めるために目覚まし時計をセットして15分ごとに目を覚まし、舵と帆を調整してはまた眠りにつくという離れ業を見事にやってのけたのである。通算しても1日の睡眠は4時間だったという。このことでも氏が如何に強靭な精神の持ち主かということがおわかりいただけるだろう。
そういった経歴をひっさげて開校された戸塚ヨットスクールは、当初から情緒障害児を受け入れる施設としてスタートしたわけではなかった。あくまでもヨットの技術を教えるための学校として出発したのである。しかし、開校間もない頃、生徒の1人にたまたま登校拒否の子供がいたのである。父親が気分転換になればという気楽な気持ちで同スクールの合宿に参加させたのだった。ところが、それまでいくら叱っても学校に行かなかった子供が、合宿を終えて帰ると翌日から学校に行くようになったというのだ。
この事実は口コミながらも、あっという間に我が子の登校拒否に悩む親たちの間に伝わり、入校が相次いだ。そしてスクールでのトレーニングで学校へ行く子へと更正されていったのである。教育に関しては全く素人といってもいい一ヨットマンが成し遂げたこの快挙は、新聞で報じられるところとなり、登校拒否児ばかりでなく、家庭内・校内暴力を起こす子供や非行少年までもが詰めかけるようになった。
それまで穏やかだった美浜町の浜では、如何にもツッパリといった体の少年や虚ろで覇気のない目をした少女たちがコーチたちの罵声や体罰を受けながらの訓練が連日のように繰り広げられた。そこには現代の学校教育にはないピリピリとした緊張感がみなぎっていた。たしかに、その訓練風景を見る者の中には悲鳴にも似た声で「可哀想」と目に涙し、体罰の存在する訓練を批判するムキもあった。しかし、ヨットスクールの効果は絶大で、終了を認められた子供たちは見事に立ち直り、社会復帰、学校復帰していったのである。
順風満帆にも見えた戸塚ヨットスクールではあったが、79年2月24日、見学祐次君(14歳)が化膿性腹膜炎の疑いで死亡、翌年11月4日吉川幸嗣君(21歳)が肺炎のため死亡した。双方とも地元の半田警察署によって過失致死の疑いで書類送検されたが、名古屋地検は不起訴処分とした。ところが、半田署は82年12月12日の小川真人君(13歳)の死亡に対し、傷害致死の容疑をかけヨットスクールの家宅捜査に踏み切ったのである。
その後、冒頭にも述べたように戸塚氏は半田署に捕らわれの身となったのであるが、逮捕後も戸塚氏の不屈の精神は衰えるところを知らなかった。約3年間の拘留期間中にそれまでの体験を理論体系化する「脳幹論」等を完成させ、保釈後も精力的な教育活動を展開している。もちろん、世間が一丸となって非難した「体罰」の正当性も主張し続けている。
事実、今もなお、スクールは細々とながらも存続している。もちろん、これらは戸塚氏の逮捕後も入校希望者が後を絶たないからである。むしろ、氏は入校を断り続けている。現在在籍する生徒たちはやむなく氏が預かっているのである。それでも入校を希望する電話は全国津々浦々からひっきりなしにかかってくる。しかも、直接スクールを訪ねて来る者もかなりの数に上る。
そうした親たちの置かれている状況は想像を絶するものがある。訪ね来る者全ての顔は恐怖にひきつり、声は上ずっている。行動にも落ち着きがなく、どこかそわそわした感じを受ける。戸塚氏とのやりとりはお互い困り果て弱り果ての連続である。それでも、そのほとんどが入校はかなわない。戸塚氏がかなりの線まで入校を断るのもあるが、現状況ではスクールに迎え入れるのには大きな障害がある。
以前のようにスクールのコーチがその子供をむりやり連れて来るわけにいかなくなったのである。つまり、子供自ら、あるいは保護者がスクールまで連れて来なければならなくなったのだ。暴れたり、わめいたりの子供たちをである、これはもう、入校不可能といっていいだろう。当然、そうした子供を抱える家族のほとんどは「死ぬか生きるか」「殺すか、殺されるか」の瀬戸際に立たされているといっても決して過言ではない状況である。
それはスクールの是非の前に敢然と立ちはだかる恐ろしき事実なのである。そして、そうした親は異口同音にすがるものは氏をおいてないという。もちろん、スクールが今世間でどう受けとられ、どういったことが問いただされているかを知った上でのことである。
これは客観的に見ても、もう1度戸塚氏の主張に耳を傾けなくてはいけない時がきたといっていいのではないだろうか。
本書はコーチ及びスクール合宿終了生たちの証言に基づき、戸塚ヨットスクールの真の姿に迫った上で、戸塚氏の理論を集大成したものである。これは、体罰という行為の根本を問い直し、ひいては綺麗ごとしか言えなくなった社会に対してのアンチテーゼであり、人間の本能に目を向けることにより文明病に陥らないための警告の書ともいえるだろう。