証 言 K
戸塚ヨットスクールを語る場合、第三者の目だけではどうしても見えにくいものがある。やはり、登校拒否や非行などで実際に入校した当事者の目から見たスクールこそより真実に近いはずである。もちろん、元スクール生の中には戸塚氏を批判する者も数多く存在する。しかし、そのほとんどは終了を認められなかった者たちであることも事実で、自然、その証言には悪意に満ちた感情が介在する危険性も高い。そこで、ごく冷静に当時のスクール像を語れるであろう立場にあるスクール終了生2人と脳幹トレーニングによって病を克服した方に、そこでの経験や影響について語っていただいた。
卒業生が語る戸塚ヨットスクールと私
岡村加奈子さん(大阪府・24歳)
先生や学校の方針に反発して登校拒否
大阪教育大学付属の天王寺中学に入学したのですが、まともに通ったのは1年の1学期の間だけでした。夏休みも終わり2学期が始まると、これといって深刻な問題がなかったにも関わらず、なんとなく学校に行くのが難儀に感じるようになって登校拒否をするようになったのです。
もっとも、国立大学の付属中学ということもあって、高校へはエスカレータ式に無試験で進学できますから、教育方針に「勉強は適当でいいから、課外授業や学校行事に一生懸命取り組みなさい」などといったのんびりムードが漂い、自然、怠惰な気分が頭をもたげる環境ともいえるところがあったのかも知れません。しかも、クラスメートはどちらかというと大人しい子が多く、勝ち気な私とは正直言って性が合わなかったのでしょう。心から打ち解けて語り合える友達もこれといっていませんでした。
さらに、3学期になると登校拒否をする私を面白がって、クラスメートは学級委員長に選んだのです。あえて目くじらを立てるほどの悪意は感じませんでしたが、いじめの一種がそこに存在したことは確かでしょう。いずれにしても、時が経つにつれ、学校へ行こうとする気力は失せる一方で、3学期終了時点で退学することとなったのです。
ところが、当時、中学と並行して通った入江塾という塾へは楽しくて積極的に足を運んでいました。なにしろ、この塾は受験のための勉強ではないというところが魅力で、自分の好きな科目、たとえば、私の場合ですと数学や英語といった具合に本人の意志を充分に尊重した教育がなされていたのです。まさに中学とは雲泥の差です。
しかし、そこにもやがて足が向かなくなってしまったのです。2年次から転入した公立中学も小学生時代の友人がいるということもあって、私はもちろん、親も真面目に通うだろうとの期待もあったのですが、とことんさぼり癖がついてしまっていて4月に3週間ほど通ったところでリタイアしてしまいました。
とにかく、自分の意志で行きたいと思っても、午後に起き、明け方に床に着くという生活習慣がついてしまっていて、それが打破できないのです。級友も心配して「明日、音楽の笛の試験があるから練習しよう」と訪ねてきてくれて、一緒に練習し、その時は明日は行くぞ!という気になるのですが、翌日には行く気力が失せてしまっているのです。
夜と昼の生活が逆転し、家の中だけで半年間暮らす
この時の気持ちを一言でいうなら「面倒くさい」です。これだけで説明できるような状態でした。昼過ぎに起きて、家でゴロゴロ過ごして夜になるとラジオの深夜放送やテレビの深夜番組を見て過ごすような毎日です。もちろん、外出もしない。親も私がそんな状態になってから、あまり外に出したがらない。他人にそういう娘の状態を見られたくなかったのだと思います。
母親はいろいろなところに相談を持ちかけたみたいですが、当事者の私は「関係ないや」といった体です。あるカウンセラーには「今はあまりとやかく言わないで放っておいた方がいい」と言われたこともあるようです。次第に両親も「腫物に触る」ような感じで扱いはじめ、今度はその態度が勘に触り余計にイライラしてしまい、ついつい親に対して乱暴な言葉を吐くようになってしまうといった悪循環を繰り返していました。
ただし、暴力はほとんど振るわなかったのですが、ある時、母親の肩を少し押しただけで転んでしまったことがありました。私としては、ほんのちょっと力を入れた感覚だったので、まさか転ぶとは思わなかった。それが転んだのでびっくりして、それ以後いっさい親に対して手を出さないようにしていました。
テレビを見てボーと過ごす、そんな状態が10月までの約半年間続きました。もちろん、その間いつも心の中では何かをしたいと思いながらも何もできない毎日だったわけです。
その10月も終わろうとしているある日のことでした。朝寝ていると突然、「起きろ!」と大きな声が聞こえて無理矢理起こされたのです。はじめは親だと思ってそのまま寝ていたのですが、叩き起こされるとそこに知らない男の人が立っていたんです。それが戸塚ヨットスクールのコーチでした。
それまで私はヨットスクールの存在を知らなかったのですが、たまたまヨットスクールの横田コーチがご近所の方ということで、母親がいろいろと相談にのっていただいていたようです。そんな経緯もあって、私の状態がカウンセラーにかかっても全然よくならないということで、連れていってもらうことになったわけです。
当然、その時点では、私にとっては寝耳に水、何がなんだかわからないまま、連れていこうとするコーチに抵抗していました。コーチは容赦なく、その場で2、3発殴りつけると強引に私を車に押し込みました。その後はあまりよく覚えていないのですが、抵抗しても無理だということははっきりわかり、大人しくついていったと思います。車に乗ると、私とコーチ2人の他に、神戸からヨットスクールに自発的に入る女子高校生と脱走して捕まった四国の男の子が乗っていました。ヨットスクールのことは何も知らなかったので、どこに連れていかれているのかも知らないまま車に揺られていたのです。
2週間でヨットの虜に
ヨットスクールに着いた時は雨が降っていて、ヨットに乗る姿は見かけませんでしたが、室内でヨット操作の講義が行われていました。第一印象は「男子が多いな」というぐらいでした。生徒は20人ぐらいだったでしょうか。その日は講義を受けるだけで終わり、翌日、健康診断を受けました。
実はその検査で不整脈が出て、運動をするのは無理と校長などが判断して家に連絡したのです。ところが両親は「死んでもかまわないからお願いします」と返答したと言います。
もちろん、このことは卒業してから聞かされました。
そうした事情から、私の場合は筋力トレーニングを無理強いされるということはありませんでした。しかし、半年ほどまったく体を動かさなかったとはいうものの、陸上競技経験を持つという自信から、他の人と変わらないメニューをこなしていました。もちろん、当初はきついものがありましたが、苦しかったという覚えはありません。また、ヨットスクールに入ってからは殴られたという経験はありませんでした。体操も一生懸命やりましたし、ヨットも初めは恐怖を覚えましたが、2週間もすればすごく楽しいものになりました。ヨットに乗ってさえいれば、文句は言われないという意識もあって、かなり積極的にやった方でしょう。
それでも、2回脱走を企てました。そんなつもりは全然なかったのですが、2回とも神戸から来た女の子に「訓練がきついので一緒に逃げよう」と誘われての行動です。
どちらかははっきり記憶にありませんが、ヒッチハイクをして脱走しました。運転手にヨットスクールでどんなひどい目に遭わされているかということを自分たちを弁護しながら大げさに言うと、その人は親切な人で同情して家に連れていってくれたのです。さらに自宅に帰れるように母親を説得してあげようと電話をかけてくれたのです。ところが、母親の方は、こちらのウソを見抜いてヨットスクールに連絡して、結局連れ戻されることとなりました。この2度の脱走は初めが入校して1週間ぐらいのときで、2度目もそれから1週間ぐらい経った頃だと思います。それからはいっさい脱走をしなくなりました。
その後はヨットに熱中して楽しいぐらいでした。自分で上達するのがわかり、すごく気分がいいんです。だから、自分では気づかなかったのですが、1か月後に両親と担任の先生が面会に来てくれた時に「顔つきが変わって、すごくいい表情をするようになった」と言われたぐらいでしたから、かなり顔つきも変化していたようです。
厳しい中にも楽しさがあった
結局、ヨットスクールに在籍したのは2か月。2学期の最後の2週間から学校に行くようになりました。たしかに最初は面倒くさいといった気持ちが少しあったのですが、それよりも、「ここで行かないと自分はおしまいだ」という気持ちが強かったのでしょう。同級生から物珍しそうに見られたり、会話にも、溝のようなものを覚えましたが、徐々にそれもなくなり、自然に学校に行けるようになりました。
私の場合、ヨットスクールに行って何故、直ったのかと自己分析すると、楽しいことが見つかったことと生活のリズムがつかめたという2点があると思います。
楽しいことというのはヨットに乗ることですが、それまでの半年間は何かをしたいと思いながらも何もできない状態だったのです。ところが、ヨットスクールはヨットをやらざるを得ない厳しい状況があります。それで仕方なしにやっているうちにだんだん面白くなってきたわけです。
もう1つの生活のリズムを作る点は集団生活ですから、朝必ず起きなければいけない。家にいたときのような自分勝手は通用しません。起きないとコーチに叩き起こされる。つまり、上から無理矢理押しつけられることで、生活のリズムを取り戻せたのです。生活の中に楽しさと厳しさがはっきりとした形であったことが、立ち直った大きな原因のような気がしています。
もちろん、ヨットスクールを卒業してから、自分が変わったと思えるところがあります。私の場合、登校拒否になる前はとにかく勝ち気で自分が1番でないと気がすまないところがあって、勉強のできない子、弱い子の味方を全然しませんでした。心の中には、そういう子に対して「何でこんなこともできないの」という気持ちが常にあったからです。どこか見下していたんでしょう。
ところがヨットスクールを出ると、「トップを走っていてもしかたないじゃない」「もっと楽しくやろう」といった気持ちが強くなり、色々な人とも付き合うようになりました。それまではあまり付き合わなかった成績の悪い子にも心を開けるようになりました。だんだんと人のいいところが見えるように変わりました。
それから高校に進学して、北海道大学の農学部に入学しましたが、今は自宅で中学生に勉強を教えています。中学の時に通っていた入江塾がすごくいい教え方をしていて「私もいつかは子供に勉強を教えたい」と考えていたので、その方法を参考にしながら実践しています。
今でこそ、充実した毎日を送っていますが、ふと、もしヨットスクールに行ってなかったら、登校拒否はもっと悪化して家族にとんでもない迷惑をかけていたかもしれないと考えることがあります。そういう意味でも、戸塚ヨットスクールは貴重な場所であり、私の甘えを吹き飛ばしてくれた感謝する環境だったと思います。
矢野光昇さん(愛知県・25歳)
シンナー遊び、無免許運転とやりたい放題の中学時代
中学2年の頃から友達に誘われたりして、非行のお決まりのコース、喫煙、シンナー遊び、オートバイを無免許で運転するなど、やりたい放題の状態でした。もちろん学校に行っても授業はまじめに受けないどころか、学校を抜け出して、街に遊びに出掛けることも日常茶飯事。先生に反抗して、いわゆる校内暴力を起こすなど、今思えば、どうしようもない中学生でした。警察に捕まったこともありますが、これといった処分を受けるところまでは至らなかったのが不思議なくらいです。
そんな僕でも母はいろいろ心配してくれていたようですが、当時はそんなことを気にも留めるべくもなく、親不孝の限りを尽くしていました。実は父親を小学4年生のときに亡くしていまして、母は女手一つで育ててくれたのです。にも関わらず、感謝するどころか反抗してばかりでした。暴力こそ振るいませんでしたが、口答えは相当ひどいものでした。今考えれば可哀想なことをしたと反省しています。
手の打ちようを失した母は、戸塚ヨットスクールのことを人伝に聞いてきて、入校するようにと幾度も説得を試みました。しかし、僕は聞く耳を持たない。とうとう、しびれを切らせた母は、ヨットスクールのコーチを呼んだわけです。それが中学3年の2学期を終えた大晦日のことでした。
当日、一晩中、仲間たちと遊ぶ計画で昼間を睡眠時間にあてていました。突然、バタバタという音とともに、3、4人の男が雪崩込んでくると、有無も言わさず、叩き起こし、殴りつけてくるのです。はじめは抵抗もしましたが、まったく相手にされませんでした。それまでもケンカなどで殴られることはありましたが、ここまで一方的にやられたことは皆無でした。
連れて行かれるときに母親は「これが最後のチャンスだと思って立ち直れ」みたいなことを投げかけていたようですが、殴られたショックで何がなんだかよくわからないまま車に乗せられたという状況でした。もちろん、その時点でヨットスクールが美浜にあるということすら知りませんでしたから、「どこに連れていかれるのだろう」と恐怖と不安が入り混じった気持ちを抱きながらも大人しく乗っているより方法がありませんでした。
厳しい訓練も無理難題ではなく、できる範囲のもの
ヨットスクールに到着すると、大晦日ですからみんなでワイワイ薬しそうにやっていました。その様子から、そんなに恐ろしいところではないなと一心地ついたのですが、いきなり、ボコボコとやられました。戸塚先生も「またハデな奴が来たな」と言ってたように思います。というのも、その頃、頭を赤く染めてリーゼントにしていたのです。もちろん、即、その髪はばっさりと切られて坊主頭にされました。
まさに、その日はショックの連続でした。それまでは殴られれば、殴り返すといった仕返しをしてきたのですが、ここではそんなことはできそうもない。怖いという感情しか湧きませんでした。とにかく早く逃げ出したいということばっかり考えていたように思います。次の日は正月ですからヨットの練習はなく、2日から本格的な訓練が始まりました。とにかくきついものでした。もちろん、ヨットに乗るのは初めてですから、ヨットに乗ってもすぐ転覆してしまい、思うように操作できない。とくに水が怖いとは思いませんでしたが、転覆して海に投げ出されると、ヨットにしがみつくことしかできませんでした。
当時のヨットスクールの1日というのは、朝6時に起床して朝食を取り、すぐ後には7時から1時間みっちり準備体操をするのですが、これは準備体操というよりも筋力トレーニングといった方が適切でしょう。それが終わると8時から海に出て12時までヨットの訓練、1時間休んで夕方4時ぐらいまで休む暇もなく練習をこなします。それ以降は基本的には自由時間なのですが、夕食やヨット操作の講義があったり、洗濯もしなければならず、自分の時間はほとんどないに等しいものでした。たとえあっても、最初の頃は訓練で疲れていますから早々と床についていました。
そんな状態でしたから、入校してからの半月間のことはほとんど憶えていません。唯一、きつくて必死だったということだけが記憶にあるだけです。とにかく、ヨットの訓練もそうですが、それ以上に朝1時間かけてみっちり行われる筋力トレーニングはきついものでした。腕立て伏せ100回、腹筋50回、スクワット、といろいろな運動をするのですが、ノルマ分ができない。すると、コーチの体罰が待ち受けているわけです。初めは「こんなのできるはずないやないか」という気持ちが強かったのですが、できなければいつまでも体罰を受けることになりますから、だんだん何とかやりとおそうという意志も生まれてきます。
不思議なことに体が慣れてくると「絶対にできん」と思っていた筋力トレーニングも苦ではなくなるのです。簡単にとまではいかないにしてみても、何とかこなせるようになってくるのです。結果的には、決して「何も無理難題を押しつけているんじゃないな」ということに気付きました。つまり、ヨットスクールでは体さえ慣れてくればできる範囲のことを求めていたのです。
少しでも自由になりたくてヨットの訓練に没頭
ヨットの操作も半月ぐらいすると、だんだんと慣れてきて形だけでも乗れるようになりました。ここまでくると、イヤでしょうがなかったヨットや海も楽しくなってきました。つまり、少しでも上達しようという意欲が湧いてくるようになるのです。
また、スクールには同年齢の者が多く、しかも同じ非行経験を持っている者同士は気も合い、けっこう楽しく過ごすことができました。ヨットの練習が終われば「どんなことをしてここに入ったんだ」みたいな話をお互いにして過ごしていました。
ヨットができるようになったり、筋力トレーニングにも慣れてくると、束縛されていた時間にもそれなりの自由が利くようになります。コーチの信用を得て、誰かが脱走すれば、一緒に探しに行ったりすることもありました。
僕の場合、脱走を考えたことはありませんでした。というよりも、入ったばかりの頃は必死にヨットや筋力トレーニングをやるだけでしたから、考える余裕もなかったといった方が正確かも知れません。もちろん、慣れてきてから何回か脱走に誘われることはあったのですが、その頃はすでにヨットが楽しくなっていましたので、わざわざ信用をなくすようなことはしたくありませんでしたので断りました。
卒業前には5台あった大型クルーザの1台の艇長を任されるまでになり、積極的に取り組んでいました。
ヨットスクールでは、コーチが生徒同士にコンビを組ませて、先輩が後輩に教えるようなシステムでしたので、僕も新しく入った子にいろいろと教えていました。
そんなある日のことです。1人でそのクルーザを操作してかなり沖に出ていたのです。双眼鏡を覗いても浜が見えないぐらいのところで、周りには僕以外のヨットはいないという状況でした。じつは以前から、そのクルーザにお菓子を隠していたのですが、絶好の機会だったので内緒で食べてしまったのです。ところが、浜に帰るとコーチから「お菓子を食べただろ」と殴られたのです。僕からは全然見えなかったのが、コーチたちは双眼鏡で僕がどんな様子で操作をしているのか監視していたのです。このちょっとしたエピソードでも、ヨットスクールの徹底した監視ぶりがおわかりいただけると思います。
耐えることを知り、母親にも従順になった
とにかく語り尽くせないほどいろいろなことがありましたが、3月には卒業することができ、約3か月間にわたるヨットスクールの生活にピリオドを打ちました。4月に晴れて全寮制の高校に入学。最近、母とよく話をするのですが、決まって、あのときヨットスクールに行ってなかったら「高校進学もどうなっていたかわからない」という話題が上がります。たとえ進学していても、そのまま中退してブラブラと遊んでいたかも知れません。
短い期間でしたが、ヨットスクールで「耐える」ということを教えていただいたと感謝しています。殴られ、蹴られながら、訓練をやらされているうちに、できないこととあきらめていたことが自分の力でできるようになる。こんなにうれしいことはありません。
高校に入学してからは、寮のリーダー格の先輩に「お前は骨のある奴だ」と言われ、何かと可愛がってもらいました。自分で言うのはおかしいかも知れませんが、中学生まではそんなことは全然なかったのですが、ヨットスクールを出ると自然と態度や行動が男っぽくなっていたようです。つまり、それまでのチンピラのような態度から覇気のある高校生に変わったわけです。もちろん、母の話にも耳を傾けるようになり、寮生活の合間を縫って会うのも楽しみの1つとなりました。
現在は保険代理店に勤めていますが、10年前の経験が大いに役立っていると確信しています。もし、自分の子供が僕と同様のケースに陥ったときには、迷うことなく戸塚ヨットスクールに入れると思います。それだけの効果があることは僕自身、肌で体験したことですから、必ず直してくれるものと信じています。