不登校・非行・引きこもり
脳幹トレー二ングをこそ
(石原慎太郎)
徳目の教えだの心の教育だの昨今しきりにいわれている教育への反省の背後には、昨年神戸で起こった少年によるいまわしい殺人犯罪からその後類発して
いる少年たちによる凶悪犯罪という社会現象が在るが、こうしたすぐに「切れてしまう」少年たちを眺めると今さらに、かつて戸塚ヨットスクールで戸塚宏
氏が立証した現代に必要な教育原理がいかに正しかったかがわかる。
昭和四十年代からすでに顕著になってきていた、登校拒否とか家庭内暴力のいわゆる情緒障害児の根治に戸塚氏が著しい効果を上げていた論拠は、ただ言葉だけの心の教育ではなしに、心を健全に形成するために不可欠な肉体の部分、すなわち脳幹の錬磨であった。
人間は大脳や小脳を多少傷つけられてもなんとか生存は可能だが、脳幹という致命的な肉体の部分にわずかでも損傷を負うと生きていることが出来ない。
脳幹には人間が人間として、いやいかなる動物も動物として生きて行くために不可欠なさまざまな働きを司る機能が備えられてい、生きるための基本的な衝
動、恐怖とか歓喜、満足感、怒り、優しさ、忍耐といったやがては精神形成に繋がる、心の根源的な働きを培いコントロールする機能が収められている。
そしてこの脳幹はだらけた生活様式の中では他の肉体部分と同様に不用性萎縮を起こしてしまう。
だらけた、というのは食欲を含めたすべての欲望が労せずしてかなえられる、というだけではなしに、心をさまざまに刺激する情報の一方的かつ過大な供給も含まれている。だから大脳がかかえこむ情報が過大で、かつそれを支える脳幹が卑弱だと、実のなりすぎた果樹のように幹がもたずに木そのものが折れて倒れてしまう。
他者との相克で培う耐性
脳幹の大切な機能の一つは、他者と触れ合い相克もする社会という場で、争い、傷つきながら耐える、あるいは競い合いながら懸命に努め、成功して満足
する、あるいは破れても耐え、耐えることで目に見えぬ力を蓄え逞しく成長するといった耐性(こらえ性)を培うということである。
耐性の弱い人間は、ちょうど丈の低い防波堤のようなもので、海が時化(しけ)て波だってくると打ちこむ波が簡単に防波堤を越え、もやってある船のロープを切って船を破損させるように、人間本体を容易に損い沈めさえしてしまう。戸塚氏が行って多大な成果を上げていたスクールの方法論とは、転覆しやすい小型ヨットに惰緒に障害をきたしている、つまり脳幹が卑弱化した子供たちを乗せて、きわどいセイリングの末の転覆、それを引き起こしての再生帆走という作業の反復によって彼等の耐性を鍛えて向上させるということで瞠目すべき成果を上げていた。近くの警察が家庭や警祭が手に負えぬ子供について、親に建言してそうした子供たちをスクールに送りこんでいたほどだった。
戸塚氏の方法論の正しさについては現代科学も証明していて、信州大学の大木教授の解明では、人間の「憤」と「意思」は脳幹部分が分泌するホルモン小型蛋白質の総量として造出されるという。
ということをもってすれば、昨今社会問題化している少年たちのナイフの携帯も、本来子供に人間としての耐性を鍛え与える役目の父親たちの、今や母親
が支配する家庭での失権と、母親たちのいたずらな溺愛と、しつけ教育に関しての他力本願といった今日的状況がもたらした、耐性という防披堤の欠如を
自己防衛するための彼等なりの、哀れとさえいえる手立てにすぎない。
保護者世代の無責任
少年たちの現代的状況について私たちは決して彼等の風俗だけを見て計ったり、咎めたりしてはならないと思う。たとえば私はオリンピック選手にしろサ
ッカーの日本代表にせよ、茶髪や染め眉やピアスを生理的に好みはしないが、それはただ風俗の問題であって彼等の競技に実は本質関わりはない。
彼等が刻苦してメダルを取り、他を凌いで国の代表となって活躍するまでに、身にまとうたものとは関わりなく、彼等はそれまでの過程で見事に、選手として人間として己の耐性を築き上げてきているのだ。他にまさって強い脳幹を持たぬ者にどうして、競技における、あるいは社会での競争における勝利があり得るだろうか。
動物行動学者のローレンツの、「苦痛を味わうことのない子供は将来人間的に不幸になる」という言葉が明かすように、脳幹が表象し象徴するものは、ストイシズムのみがもたらす最も人間的、人生的な愉楽である。それを味わうことなしに、生きるということの妙味などありはしまい。
欠乏の楽しさ、獲得をかなえられずに耐えるということの甘美な貴さは、現代に氾濫する性風俗と、かつて若い特攻隊員が思慕する人に宛てた遺書とを比
べれば如実に顕らかだろう。現代の子供たちがそれを与えられることなしにいることは、我々保護者たる世代の無責任であり、実は彼等への背信でしかない。
(産経新聞98年3月29日朝刊より)