
情緒障害児問題に寄せて(一)
「情緒障害とは何か」
横田 建文
*
ある統計数字がある。
文部省のまとめによると、昭和57年度に1年間で50日以上欠席を重ねた中学生が全国で2万人を越え、過去4年間で2倍に激増している。高校の中退者は約10万人である。また、警察庁のまとめでは、昭和58年に捕導された刑法犯少年は約20万人で全中学校の約半分となった。校内暴力事件は約2千件発生し、全中学校の9.3校に1校の割合であり、8千人以上が補導された。
子供の世界の荒廃ぶりをこれまで、ほとんど全ての人々が教育の混乱や家庭内のしつけに原因を求めて論じてきた。しかし、私はこの問題を全く違った視点から論じ、以てある事柄の真相を明らかにしたいと思う。それにはまず、「情緒障害」と呼ばれる奇妙な病の本質を明らかにすることから始めなければならない。一、情緒障害とは何か
情緒障害(Emotional Disturbance)の概念は昭和20年代半ばに米国医学会で形成されたといわれる。日本では、主に自閉症の事例が報告されるようになった昭和30年頃から精神医学界で注目され始めたが、昭和40年頃に厚生省や文部省の行政用語として定着し始めた。これは、登校拒否やかん黙などを含めた概念として使用されたのであるが、以来いろいろな分野で情緒障害という言葉が一般化し、最近では親殺しや衝動的暴力事件など異常犯罪を論ずる書物などでも散見されるようになった。こうした経緯もあって、情緒障害の観念規定は現在でも確定しておらず、多少の混乱がみられる。「――家庭、学校、近隣での人間関係のゆがみによって、感情生活に支障をきたし、社会的適応が困難になった児童、たとえば登校拒否、かん黙、引込思案等の非社会的問題を有する児童、反抗、怠学、金品持出し等の反社会的問題行動を有する児童、どもり、夜尿、チックなどの神経症的習癖を有する児童である。なおこれと行動面において類似する場合があっても、精神薄弱児、精神病児、非行児および脳器質障害を有する児童等は、他の施設において処遇し、または医療機関において治療すべきである。また自閉症児および自閉症的傾向をもつ児童の取扱いについては、別の施設体系を考慮すべきである。」と説明されている。一方、文部省が1967年に行った全国の児童の心身障害に関する調査報告書では、
「この調査の情緒障害児童生徒とは、@知能は普通かそれ以上あり、A明確な身体的障害(病気や欠陥)をもたないにもかかわらず、下記のいずれかの項目に該当する児童生徒である。と症状面から規定を行っている。
(a) 貧困や親の無理解などの理由がないのに登校しないで、数か月家に閉じこもっている。
(b) 一つのこと(整理・整頓・清潔・順序等)に極度にこだわり、反復する傾向がある。
(c) ささいなことを極度に心配し、こわがったりする。
(d) 友達に興味や関心がなく、極度に孤立している。
(e) 一見精神薄弱児のようにみえるが、時々知的なひらめきを示す。
(f) 家では普通に口をきくが、学校や人の中に出るとまったく口をきかない。
(g) 非行といわないまでも、極度に落ち着きがなくて、他の児童生徒に迷惑をかける。
(h) 精神病ではないかと思われる言動がある。
(i) ささいなことにすぐかっとなり、衝動的である。」
さてそうなると、心理・行動面の異常に存在する特徴を手がかりとし原因を探りたいと思うのだが、これもまたはっきりしないのである。
だが、これらの症状を注意深く観察してみるとある共通の因子が一底において存在しているらしいことが分かる。それは「耐性の欠如」と呼ぶべき現象である。昭和46年に発行された『情緒障害児の教育 上』(全国情緒障害教育研究会編、〔旧版〕)では次のように説明している。「まず、人間というものは、すべて自分の持っているものをこの世の中で十分に実現していきたいという自己実現の要求をみな持っています。そのためには心身の状態が充実していなければなりません。腹が減ってはイクサができないというように心と身体の条件が働きやすいように充実していなけれぱいけない。丁度、空気のいっぱい入ったボールのように張り切って充実した状態にいたいのですが、一方で人間には向上心がありますから、もっとよくなりたい、もっと進みたいということで不足ができたり、疲労や空腹によっても不足ができる。
そういうものがいろんな形で絶えず出てきて自己実現を妨げている。
愛情への要求もあれば、仕事をしたいという要求、人に認めてもらいたいという要求などが無数に心の中にあるが、それの実現がうまくいかないと不満な感情が出て来て「フラストレーション」という情緒的緊張ができる。このときの感情は心が波立った状態にたとえることができる。
人間にはこの心の波をとめる防波堤ともいうべきトレランス(耐性)、スポーツでいう根性みたいなものがあって、不満やいやな感情が起きても、すぐに泥棒をしたり、人を殴ったり、ノイローゼになるといった破局に至るのを防ぐカがある。このトレランスは、生まれつき強い人も、弱い人もあり、いい訓練を受ければ強くなるが、その人のもつトレランスを越えて不満の波が高くなれば堤防が決壊して混乱状態になり心の病気になる。
こういうふうに解釈していくと、情緒障害というのは、だれにでもいつでも起こる可能性がある。従って、一般人にも起こりうるものと自閉症のような特殊で重症なものと区別する必要がある。(中略)
情緒障害というものの実体がはっきりしてくると、情緒障害と呼ばれるものがだんだん多くなるということ、しかもこれが人格そのもののあリ方に関係し、人間形成の上で基本的な問題だという認識をもたねばならない。
もうひとつ考えに入れておくぺきことは、近代社会、現代社会にはこうした情緒障害をひき起こす条件が非常に多く含まれているのではないかということです」
小学1年生になった次女のアイちゃんは、ピカピカのランドセルに目を輝かせた。その彼女が登校を拒み出したのは二学期が始まって10日ばかりした後である。東京近くの地方都市に住む会社員春彦さん(40)たち一家の場合を追ってみよう。
その日、どうしたわけか2時間目の授業の頃から「家に帰りたい」と訴えていた。理科の時間になって、クラスで野の草花を見に学校の外に出た。アイちゃんの家の近くを通った。また先生に「家に帰りたい」と言い出した。「いけません」。先生はいく分強く答えた。
やり場のない気持があふれ出てきたのだろう。ワーッと泣き出し、アイちゃんは家の中に飛び込んできた。*
――こんなことをきっかけに、欠席がずるずると続いた。担任の先生は「どんなことをしてでも学校へ連れてきて下さい」といった。親にとっては、甘えやわがままには厳しく当たるべきだ、との意味に感じられた。
母(40)は焦った。しかし、アイちゃんは登校をがんとして拒んだ。無理やり引っぱっていこうとすると、足をつっかい棒のようにして、全身で泣きわめく。時には便所や押し入れに閉じ込もり出てこなかった。
体が硬くこわぱり出した。おずおずとした視線。内へ内へとここもっていく。1年生のきゃしゃな体がいっそう細っていった。どうしたらよいのか。両親は途方にくれた。
朝のたびに、妻は娘に登校を迫った。それは2ヵ月も続いた。ある日、春彦さんは、妻にまかせっぱなしだった次女の登校に自分もかかわってみようと考えた。やっとランドセルを背負わせ、外へ連れ出した。
しかし、通学路に一歩踏み出したとたん、アイちゃんの足はやはり棒のように曲がらなくなった。あわてて父は自転車をひっぱリ出し、荷台にくくりつけるようにして、目と鼻の先にある学校に急いだ。
校門が目の前に迫ってくると、荷台でバタバタした。「降りる、降りる」と叫んだ。娘の顔が青ざめ、表情が緊張していく。そして、からだがこわぱっていくのが背中を通して父に伝わってきた。*
10月、校庭では1年生の全員が、運動会の練習をしていた。それを横目にみながら、娘を説得していると、丸顔で黒ぷちのメガネの女の先生が走ってきた。彼女の担任であった。
その先生の姿を認めると、アイちゃんは父の後ろへ回り込み「いやだ、いやだ」と言い出した。先生が「アイさんも一緒に入ろうよ」と誘った。しかし、小さな娘はおびえるような目をした。
校庭での練習が終わリ、1年生たちが、教室へ戻り始めた。また先生がアイちゃんのそぱに近づいた。「さあ教室へ行きましょう」。いくらかぼぐれていた次女の表情がこわばった。父の後ろに回り込んで「いやだ」を繰り返した。
「だめよアイさん。みんな教室にいるのだから、いらっしゃい」。そういいながら、先生はアイちゃんの片手を引っぱる。父も娘を押し出そうとした。でも娘のしがみつくカは強かった。どうしてこんなカがあるのかと思うほど、父の両足に手足をからませた。
先生は綱引きでもするようにさらにギュッと引っぱった。「いやだ、いやだ」。アイちゃんは泣き叫びながら、父から引きはがされまいと抵抗した。
娘の片手が父から離れたとき、張り裂けるような声でいった。「お父さん、絶対に帰らないでよ。絶対そこにいてよ。絶対だよ。絶対だよっ」。
全身で抵抗しながら引きずられていくアイちゃんの目から、涙がぽろぽろ流れた。ほおを光らせながら小さな姿は薄暗い校舎の中へ消えた。
校舎はしんと静まり返った。春彦さんは、ほの暗い木造の校舎の入り口に立ちすくみ外を見た。秋晴れの空がまぶしく、目がくらむほどだった。
「これじゃあだめだ……」
その時、父は、わずか6歳の娘の胸に言葉にはならない苦しみが重く降りつもっているように感じられた。アイちゃんはただわがままを言い、甘えているだけではない。もっと深いところに登校拒否の原因が潜んでいるのではないか」
(昭和59年4月2日「朝日新聞」朝刊)
〔症例O・T 男、13歳7カ月(中学2年)〕
〈家庭環境〉
父親は銀行の係長。おとなしい性格。母親はおとなしいがしっかりした感じ。本人は長男で長女(23歳)は某大学英文科修士課程在学、次女(19歳)は某大学音楽科在学。母方の祖母が同居。経済的には恵まれている。
〈問題〉
昭和36年6月頃(中学1年1学期)から、本箱が倒れないか、2つ置いておけぱ密着してしまわないかなどを気にし始めた。それからは、登校の時間割り合わせに2時間もかかり、学校もよく欠席するようになった。
K大精神科で強迫神経症と診断され、環境を変えるよう助言された。
36年9月からK市立T学園に入園したが、異常が認められないということで同年12月に退園。3学期から登校し始めたが1月下旬にカゼをひき、微熱が続いて1ヶ月ほど欠席。この間K大小児科でX線撮影するが異常なしと診断された。
2月下旬の学期末試験中は登校し、その後はまた欠席が続いた。
家では午後3時頃起床し、テレビを見たり雑誌を読んだりして夜中の3時頃まで起きている。外出はほとんどしないし、家族以外の人とは絶対に会わない。
朝、母親が登校させようと起こすと、暴れて手に負えない。1ヵ月以上も入浴せず散髪屋へも行かない。自分の居間は整頓して誰にもはいらせず、他の部屋で寝起きしている。担任の先生が訪ねてくると逃げまわって出てこない。
〔症例H・Y 男、6歳(小学1年)〕
〈家庭環境〉
祖父母、両親、姉がおり、本人は長男である。
〈問題〉
4月8日の入学式に登校したが、翌々日の4月11日給食のあった翌日から、登校時間になると腹痛・吐き気をもよおし、無理に登校させようとすると道端に寝ころんでしまう。
晩になると「あした学校へ行くから鉛筆を削っておいてや」というが、朝になると行けなくなってしまう。給食のない土曜日は行きやすいらしく「ママ、途中までついてきてくれ」というのでついて行くと行けることもある。
幼稚園時代も、弁当をもって行って全部食べなさいといわれると、もう幼稚園に行かなかった。学校でも給食はいやなので、先生は全部食べなくてもいいといわれるが、友達が食べているのを見ると、勝気でもある本児にはたまらないらしい。登校してしまえば幼稚園時代から模範生である。
日曜日などは6時半ごろ起きて元気がよい。「ぼく、なぜ学校へ行けないの」と聞くと「ぽくもどうしてなのかわからん」といっている。
対人関係では友達が来訪すれば遊ぶが、自分から友達の家などに行くことは少ないし、行ってもすぐ帰ってくる。小さいころから他所へ行かず、家から外へも出ない。幼稚園時代1年上の女の子とよく遊んだ。その子が北海道へ行ってから友達がなくなった。
(「講座情緒障害児」第4巻、黎明書房)
〔A男(22歳) 無気力、家庭内暴力〕
〔サラ金強盗に走った受験生 (昭和59年、1月5日、朝日)〕