○夕食

 ヨット訓練で1日中くたくたになるまで体を動かした子供達は、手がふるえるほどに腹ぺこで合宿所に戻る。乾ききったノドには水がうまく、空腹は最高の調味料となり夕食がうまい。
「奪ってから与える」は、戸塚ヨットスクールの教育ノウハウである。飽食の時代にあって、ステーキやフランス料理を当り前のように食べていた子供が、ヨットスクールのカレーライスやみそ汁をどれほどおいしく感じることか。
全身が食べ物を欲していれば、嫌いなはずのニンジンやピーマンがうまいものになってしまう。人間の体はそのようにできているのである。

 風呂の有難さも格別である。冷えた体を暖め、血行を良くし、筋肉の疲れを癒す作用は、力を出しきった身体にあって絶大である。
内臓、筋肉、血管、神経、そして脳幹の働きが活性化し自然治癒力が発現し、肉体的疾患がみるみると回復する。

 戸塚ヨットスクールは夜9時に消灯する。

 1日を全力で闘った子供の体が深い眠りを要求するのは自然の摂理である(運動不足で受動的安逸に耽る現代人が、酒や睡眠薬を飲んでも熟睡できないのも自然の成行だろう)。
子供達は限りなく深い眠りをむさぼる。
だが、コーチ達は安眠できない。入校して間もない情緒障害児は、サボることと逃げることが身に沁みついており、ヨット訓練が自分に人間としての生を享受するきっかけを与えてくれるものであることを理解できずに、逃亡や自殺を企てる恐れがあるからである。
また、もともと体の弱い子供達ばかりであるから、いつなんどき病人が出るかもしれない。
子供の将来を真剣に思いやり、1日でも早く健康な心身を取り戻させたいと願えば、ヨット訓練中も就寝中もコーチ達の心と体は休まることがない(このコーチ達を暴力団かサディストであるかのように決めつけ、デタラメの情報をタレ流した新聞ジャーナリズムのいいかげんさについては後述する)。



○人間像

 戸塚ヨットスクールにおいてはヨット訓練が、人間性の土台作りのための道具として最重要な位置を占めている。
だが、ヨット訓練だけで非行少年や家庭内暴力児がクラスの優等生になるわけではない。子供の精神的ストレスを取り除き、目標となる人間像を与えることが長足の進歩をもたらす第2のノウハウとなっている。

 ヨットスクールでは、子供と大人の世界が毅然と分かれ、大人の男と大人の女に対する明確な人間像が演出される。
先にみたように、情緒障害を引き起こす心理的ストレスは様々にあるが、最も身近で切実なストレスは、子供が両親に対して持つ不安である。
離婚、死別、夫(または妻)の浮気による夫婦の葛藤、家庭を顧みない父親、頼りない父親、感情のはけ口を子供にしか見出せない過干渉な母親、これらが子供にとって巨大なストレスになる。
そこで、男性コーチはあくまでも強く逞しい大人として、女性コーチは常に優しい大人として振る舞う(これは必ずしも父親代理や母親代理を意味しない。他人ではあるが、安定した人間像を見せて安心させることが重要なのである)。力仕事や組織管理は男の大人の仕事であり、食事の準備や部屋の整理などは女の大人が受け持つ。
子供は大人に対して絶対服従であるが、一方で、子供同士の世界(自然発生的な序列やグループ)に大人は原則として介入しない(悪質ないじめや危険な行為は例外である)。

 このモデル化された人間像はあまりにも単純化し過ぎており、現代社会の複雑な人間関係と距離があるかもしれない。あるいは、もっと別のモデルが必要だと主張するむきもあろう。確かにこのモデルは素朴だが、誰もが素朴であると認める部分に子供は安心するのである。
現代社会が複雑化し、不可解な情報が氾濫するからこそ、子供には自己形成のよすがとなる確固とした人間像が必要である。
戸塚ヨットスクールの「強い男と優しい女」という図式は、ウーマンリブの闘士達にとってお気に召さないものであるかもしれないが、人類の数千年の歴史に耐えてきた不動の像を保持している。
コーチ達も自分の役を演ずるのに迷うことがないから、その自信に満ちた行動に子供達は増々安心する。
合宿は元来、学校や家庭のしがらみから解放する転地療法的効果を持つから、子供達は、嫌いな教師、いじめっ子、過干渉ママ、試験、セックス情報、その他あらゆるストレス要因から遠去かって、ヨットの上達だけに専念することができる。一緒にいるのは自分と同じ落ちこぼれだけだから、コーチ達を理想の大人の目標にして、安心して努力すればよいのである。

 情緒障害児を男女比でみると断然男子の多いことが知られているが、これは社会全体に女性化の風潮が蔓延し、男性像が分かりにくくなっていることに理由を求めることができる。
父親不在への不安、過保護・過干渉な母親に対する苛立ち、セックス情報による混乱と不安、いずれも男子にとって強いストレスになる。一般的にいって、1人っ子の男子や末っ子の長男は情緒障害に陥る可能性が大きいことになる。



○治癒

 以上のようにしてストレス因を取り去り、ヨット訓練で脳幹を鍛え、ホメオスタシスを強化すれば情緒障害はあっけなく治ってしまう。

 図1は、心身の健康状態を自覚症状から定量化するFNI調査表による情緒障害の治癒過程のデータである。FNI調査表は、図1(a)に示す50項目の愁訴について、YES、NOを患者に記入させ、集計数値を専用チャートでグラフ化するもので、日本医大のFNI研究会が開発、カウンセリングに利用されている。
質問項目は全部で10群からなるが、@と@´群、AとA´群、……DとD´群は同様趣旨の質問内容からなる。各群の質問にYESと回答した数を集計し、

 As=@+@´、Ad=A+A´、Dp=B+B´、Ne=C+C´、Is=D+D´

として計算した値をFNI表に記入し、線でつないでグラフ化する。また、

(FNI)=2×As+Ad+Dp+2×Ne+2×Is

で定義されるFNI得点は、心身の健康状態を示す目安となるもので、

 0〜9点   (領域T)――正常
 10〜19点 (領域U)――正常
 20〜29点 (領域V)――要注意
 30以上   (領域W)――異常

と判定される。

@1 よく病気をする26 いつも病気がちで不幸である
 2 人より息切れしやすい  27 いつも胃の具合が悪い
 3 体が弱いのでいつも情けない思いをしている  28 何か慢性の病気がある
 4 吐き気があったり吐いたりする  29 いつもからだの具合が悪い
 5 周囲の人はあなたを病弱だと考えている  30 自分の健康のことが気になって仕方がない
A6 ひどいめまいの発作を起こすことがよくある31 胸や心臓のところがよく痛む
 7 どうきがして苦しくなることがよくある  32 気が遠くなって倒れそうになることがよくある
 8 のどがつまる感じがよくする  33 突然冷や汗が出ることがよくある
 9 体が急に熱くなったり冷たくなったりする  34 心臓が狂ったように早く打つことがよくある
 10 時々脈が狂うことがある  35 息苦しくなることがよくある
B11 いつも不幸で憂うつである36 人生はまったく希望がないように思われる
 12 座っていても気分が落ち着かない  37 いつも疲れた気持ちである
 13 いつもみじめで気持ちが浮かない  38 何かにつけて自信がない
 14 もっと違う境遇に生まれたかったと思う  39 いつもくよくよしている
 15 いっそ死んでしまいたいと思うことがよくある  40 不満が多い
C16 神経質である41 小さいことを気に病む
 17 感情が傷つけられやすい  42 神経過敏である
 18 ちょっとしたことでもひどく驚くことがある  43 すぐにうろたえるたちである
 19 心配性である  44 ちょっとしたことでも気になって仕方がない
 20 たびたび憂うつになる  45 理由もなく不安になることがある
D21 心配で眠れぬことがたびたびある  46 いやな夢をよくみる
 22 寝つかれないで困ることがたびたびある  47 眠ってもすぐ目を覚ます
 23 いつも眠りが浅い  48 朝いつも寝たりない感じである
 24 ひきつけの発作を起こしたことがある  49 精神科で診察を受けたことがある
 25 ノイローゼ(神経症)にかかったことがある  50 悩み事があって医師に相談したいことがある
図1 (a) FNI調査の質問事項


 図1(b1)は、登校拒否で入校した13歳男子のグラフである。
図中@は入校時(1983年4月2日)、Aは1.5カ月後(5月8日)、Bは3.5カ月後(7月15日)である。
この少年は第1回のFNI得点が46点(29項目にYESと回答)と精神異常が疑われるほどの高い値を示していたが、約3カ月で全ての自覚症状が消失したわけである。
なお、第1回目の回答用紙に「ウソじゃないです」と本人の書き込みがあった。

 図1(b2)は、先に示した家庭内暴力児(17歳男子)のグラフである。
@が入校時(1983年1月30日)、Aが1カ月後、Bが4カ月後である。FNI得点は、32→8→4、と激減している。

 図1(b3)は、登校拒否の14歳男子。
@が入校時(1983年4月5日)、Aが1.5カ月後、Bが3.5カ月後である。
Aが@よりも上方に位置しているのは、1回目のテストでウソの回答をしたためと推定される(@とAの間に1.5カ月の期間があるにもかかわらず傾向は一致している。2回目を大げさに回答したのかもしれない)。
途中はどうあれ、約3カ月でFNI得点は領域Tに下っている。

図1 (b) FNI表による治癒過程グラフ


 先に示したように、ホメオスタシスの主要機能は精神的ストレスを解消するエンドルフィン類と肉体的ストレスを解消するACTH(アドレナリン分泌に関与)類の分泌能からなり、各々は遺伝子情報に基いてタンパク質から切り出されるのであった。
脳幹域のホメオスタティック機能が強化・活性化されることは、自然治癒力の増大を意味し、精神的及ぴ肉体的ストレスに対する耐性(抵抗力)が獲得されることになる。
この結果、ヨット訓練によって、アトピー性皮膚炎、小児喘息、潰瘍、肝炎、花粉症、心身症、月経不調、貧血、ヒステリー、など現代医学が苦手とする身体症状が極めて短時日のうちに治癒する。
肌のツヤ、目の輝き、姿勢の良さ、表情の明るさ、自信に満ちた態度、といった直感的な指標が改善されることを考え合わせると、次のような命題を結論的に導くことができるのである。


 <脳幹域のホメオスタティック機能が十分に強化され、かつ活性化された状態が、健康と呼ばれるものの本態である>