鉄拳が舞う朝の浜辺
「こらあーッ!見えないと思って、ズルけるんじゃないッ!」
屈強な身体つきのコーチが、少年の太ももを力いっぱい蹴りあげる。ヒイーッと悲鳴をあげて泣き崩れる少年。だが、コーチは手をゆるめない。
「こいつッ、泣けば許されると思ってるのかあッ!」
再び、太ももがいやというほど蹴りあげられる。
火のついたように泣き叫ぶ少年。
「オイッ、顔見せてみろ。涙なんか出ていないじゃないかッ。ごまかすんじゃないッ!」
今度は胸ぐらに鉄拳が打ち込まれる。
グウォッとうなって、少年は倒れた。
まわりの子供たちはその凄まじさに怯えきって、懸命に腕立て伏せを続けている。だが、身体のなまりきっている子供たちのなかに、この厳しい訓練を無事乗りきる者は1人もいない。1人、また1人と崩れる子供たち。その身体をコーチたちの足蹴りと鉄拳が情け容赦なく見舞う。子供たちの泣き声と悲鳴は、さながら阿鼻叫喚(あびきょうかん)の図である。
三河湾を望む愛知県知多郡美浜町河和の海岸。
あたりがまだ静まりかえった午前6時のこの長閑(のどか)な砂浜で、毎日繰り返される光景は、実に異様である。
この異様な光景は、半農半漁の温厚な人々が住む河和の海岸に「戸塚宏ジュニアヨットスクール」が開かれて以来数年間、ずっと続けられている。
戸塚宏――この名前を知っている読者も少なくないだろう。
昭和50年、沖縄海洋博を記念してサンフランシスコ―沖縄間の1人乗りヨットレースが催された時、愛艇「ウイング・オプ・ヤマハ号」を駆った彼は、『太平洋ひとりっち』でつとに有名なヨットマン堀江謙一らを抑え、41日と14時間33分という驚異的な記録で、この孤独なレースに優勝した。
名古屋大学工学部機械科卒の戸塚は、大学時代からヨットの魅力にとりつかれ、卒業後も知多半島をペースにヨットに乗り、ヨットの費用のために仕事をするという生活を続けた。知多半島にちなんだ「チタU世号」「チタV世号」で内外のさまざまなレースに出場、優勝しているレーシングヨットの第一人者。国際的なヨットマンである。
彼のヨットスクールはいまや登校拒否、家庭内暴力、非行など、今日最も問題になっている情緒障害児を治す学校として、そうした子供をかかえて悩む親たちの間に熱烈な信奉者を生みつつあり、北海道から九州まで全国から情緒障害の子供が集まっている。
徹底したスパルタによって甘え切った子供たちの精神をたたき直す――あたりが静まりかえった河和の海岸で、毎朝繰り広げられる異様な光景は、その厳しい日課の始まりなのである。
ヨットの訓練が情緒障害児の治療に効くとわかったのは、ひょんなことからだった。
昭和50年秋に沖縄海洋博記念レースに優勝してから約1年後、戸塚は子供たちにヨットを教えるための日曜・休日スクールを開いたが、たまたまそのなかに登校拒否の子供が1人まじっていた。
それは愛知県内のかなり裕福な家庭に育った中学生の男の子だった。登校拒否に困りはてた両親が、気分転換のためにヨットにでも乗せて遊ばせてみては、といったていどの軽い気持ちで戸塚のヨットスクールに子供を参加させたのだった。52年5月の連休のことである。
ところが、数日間の訓練を終えて自宅に帰ったその中学生は、親が何もいわないのに連休明けから学校へ通い始めたのである。驚いた両親から戸塚のところへ報告と感謝の連絡が入った。
その子供はまともに目をあわさず、返事をせず、他の子供と交わらず、ヨットの訓練に必要な雑用をさぼって親のそばにくっついていて、態度がなまいき。一目見て嫌な感じのする子供だったので、戸塚は印象に残ってはいたが、登校拒否だったこと、しかもそれがヨットの訓練の結果治ったことなど全く知らなかった。
この話が新聞に伝えられたのがきっかけとなって、戸塚のところへ情緒障害児をかかえて悩む親たちから次々助けを求める依頼が舞い込むようになり、いつの間にか健全な子供たちのためのヨットスクールとしてよりも、情緒障害児治療のヨットスクールとして、そうした子供を持つ親たちの間で知られるようになった。
このヨットスクールには、一種異様な雰囲気がただよっている。中学生を中心に上は高校生から20歳を超えた青年まで、男女十数人が合宿所に寝泊まりしながら訓練を受けているのだが、ここにはこの年代の健全な子供たちの世界のように笑顔がない。朗らかな笑い声がない。感情と感動を失ってしまった無機質な人間のようにうつろな目で、疑わしそうな視線を投げかける。口をきかない、挨拶をしない。他人に危害を加えることはまずないのだが、知らない者にとっては、何をやられるかわからない不気味さを感じさせる。
精神病院ほどではないけれども、ふつうの世界から行った者にとって、その異様さはただごとではない。
実にさまざまな子供がいる。カギっ子でテレビばかり見ていて、体まで奇形になってしまった登校拒否の男の子。兄妹そろって登校拒否になってしまった頭の良すぎるかわいい女の子。空手をやっていて、父親をぶっ飛ばすのが日課だった家庭内暴力の男の子、ヤクザの情婦、麻薬中毒、麻薬の運び屋に堕ちてしまった立派な教育者の娘。親の体面のために登校拒否、家庭内暴力を9年間も放置され、精神病院へ入れられる直前でヨットスクールに最後の望みを託している23歳の青年……。
愛知県知多郡美浜町の観光会館だった古い建物を借りているヨットスクールの合宿所は2階建て。2階が8畳と20畳くらいの大きな部屋に分かれていて、校長である戸塚以下コーチ数人が8畳に、子供たちが大きな部屋に起居している。階下は台所と手洗い。
畳は敷いてあるが、布団はない。昼間着ていたトレーニングウエアのまま、寝袋のなかにもぐり込んで眠るのである。
ほとんどが家庭ではハレものにさわるように扱われていた子供たちだが、ここではその甘えが許されない。
登校拒否、家庭内暴力の子供の特徴は夜型になってしまうことである。
家族の起きている昼間は布団やベッドにもぐり込んでいて、寝しずまるとコソコソ起き出し、テレビを見たり、深夜放送を聴いたり、冷蔵庫から何かをひっぱり出して食べたり。
だが、朝6時にたたき起こされ、フラフラになるまで1日中厳しくしごかれるこのヨットスクールに来ると、子供たちは夜9時を待ちかねてぐっすり眠りについてしまう。
起床は朝6時。自分の寝袋をすばやくきちんとたたみ、階下に駆け下りて建物の前に整列、点呼。点呼は脱走者がいないかどうかを確認する意味もある。
点呼が終わるとすぐ、百メートルほど離れた海岸へ出て、砂浜を軽くランニング。それから7時すぎまでのたっぷり1時間が、子供たちにとっては悪夢のしごきを受ける体操の時間である。
腕立て伏せを中心に、腹を支えにして頭と足を弓なりにそらせる背筋の運動、逆にシリを軸にして両手両足を45度の角度に上げたままの状態を続ける腹筋運動、屈伸、掌を結んだり開いたりする運動、2人1組となり、相手に足を持ってもらい手だけで階段を上り下りする運動など。
よほど鍛えぬかれたスポーツマンでないかぎり、子供でも大人でもたっぷり1時間のこの激しい体操に耐えられる者は皆無である。しかも、くたばるとその場でコーチの足蹴りか鉄拳が、いやというほど身体に打ち込まれる。甘やかし放題に育ててきた親たちが見たら、おそらく卒倒してしまうのではあるまいか。
登校拒否、家庭内暴力、非行といった情緒障害児は例外なく甘ったれであり、いやなことは人一倍逃げようとするのが特徴だ。学校から逃げ、勉強から逃げ、友だちから逃げ、甘い親につけ込む。
その甘ったれたちを逃げ場のない所へ追いつめて、体力と精神力を鍛え、ヨットでさらに本格的な鍛錬を積むための基礎作りをする。
倒れては蹴られ、鉄拳を受けては立ち上がる。子供たちは泣きわめきながら否応なしに厳しいしごきに悲鳴をあげ、耐えさせられていくのである。
ヨットは冬の海ほど訓練に適している。それも風の強い方がいい。風が強ければ操作がむずかしく、転倒しやすい。転倒すれば冷たい海に放り出され、早くヨットを起こし、はい上がってうまく操縦しなければ、こごえ死んでしまうからである。
転倒するのは学校が悪いのでもなければ、友だちが悪いのでも、親が悪いのでもない。自分が悪いからだ。自分の操作が未熟だからである。だから死にたくなければ、だれに文句をいうのでもなく自分で自分を鍛える以外にない。
「先生、ボク死にます」
と戸塚にいった少年がいる。
世の中、生きていてもつまらないし、こんな苦しい訓練をやらされるくらいなら、いっそ死んだ方がましだ、と真顔でいうのである。
家でも同じようなことをいい、親たちは真っ青になって、どうかそんな軽はずみだけはしないでくれと拝むようにして頼んだので、子供はますますつけあがった。
ところが、戸塚やコーチたちには、その脅しが通じないことが、やはり子供だからわからなかった。
「そんなに、死にたいか」
と戸塚がいうと、その子はいとも簡単に「ハイ」と答える。「よし、それなら来い」といって冬の海に連れ出し、ヨットに乗せた。
「本当に、死にたいんだな。男に二言はないな」
と戸塚が念を押しても、また「ハイ」と答えた。
子供を1人乗せたヨットは波にもまれ、やがて転倒した。こごえ死ぬほど冷たい冬の海である。少年は思わずはい上がろうとした。
救命用の高速ヨットに乗ってその模様をじっと見ていた戸塚とコーチたちは少年のヨットに近づいて行った。そして、はい上がろうとしている子供を海中に突き落とした。浮かびあがってくると、再び頭を押えて海中に突っ込む。
万一のことがないよう慎重に相手の様子をうかがいながら、
「さあ、死んでいいゾ!」
と何度も同じことを繰り返す。たまらなくなった子供は遂に、
「助けてエ!」
と悲鳴をあげた。ここが急所の押えどころである。
「男に二言はないといったろうが。このウソつきめが!」
戸塚らはここぞとばかり悪口雅言を浴びせかけながら、なおも子供を海中に突っ込むことをやめない。
「もう、2度といわないか」「いいません」「本当だな」「本当です。助けてください!」
これでこの子の甘えと突っぱりは完全にうちくだかれてしまった。
彼は2度と「死ぬ」という言葉を口にしなくなり、戸塚らに対して従順になった。
岐阜県のある市に住む父親から、中学生の息子をお願いしたいと申し入れがあった。登校拒否が昂進して、家庭内暴力を併発する状態にあるという。
夜8時すぎ、1日の訓練を終えてからコーチが車で子供を迎えに出発した。河和のヨットスクールから目的の市まで片道約2時間の道程。相手の家には10時ごろに着く予定である。この時間を選んだのは、子供を連れ出す時、隣近所にわからないようにとの配慮からである。登校拒否や家庭内暴力は子供にとっても家族にとっても、自慢できる話ではない。どの家庭でも内々のうちに事を運ぶことを望むものなのである。
車にはコーチが2人と、子供1人が乗って行った。連れ出される子供は必ず猛然と抵抗するから、屈強なコーチであっても1人では無理である。2人で連れ出して車に押し込み、1人が運転して、1人が見張っていなくてはならないからだ。
コーチに同行する子供はオトリの役割である。同行者にはヨットスクールに来ている子供のなかでも模範生が選ばれる。連れ出される子供は、いわば仲間の婆を見て多少は安心する。
目的の家に着くと、暗い玄関が開いて父親が出てきた。夜10時すぎの地方都市。あたりは寝静まっているかのように静かだ。
子供にはヨットスクールへやることは予告されていない。言い含めて納得するような子供なら迎えに行かなくても親に連れられて来るだろうし、第一、ヨットスクールで荒療治を受ける必要がないかもしれない。
なかにはパットを振り回したり、寝込みを連れに行ったらフトンの中に隠し持っていたナイフを振りかざして飛びかかってきた子供さえある。この子供もパットを振り回して暴れる恐れがあるといわれていた。だから、親は極秘のうちに事を進めていたのである。
ひそかにヨットスクールへ連絡をとり、指示されたトレーニングウエアその他着替えなどいっさいの支度を整えて、迎えの車の到着を待っていたのである。そのようにして子供を送り出す親の気持ちは、どのようなものであろうか。
父親の案内でコーチたちが子供のいる2階へ、そっと上がっていった。階下では母親と年老いた祖父母が不安なまなざしでながめている。まるで子供の死刑の執行を待っているような表情であった。
2階の子供は異常な気配に感づいてガバッと跳び起き、窓際にへばりついて身がまえた。顔面は蒼白。それでなくとも部屋に閉じこもりっきりで真っ白な顔から、さらに血の気がひいていた。父親に向けられた目は、怒りに燃えていた。うつろな目が怒りをたたえると異様なすごみを帯びるものだ。
「鍛えられて、男らしくなってこい」
父親が自分にいいきかせるように、震える声でいった。
「イヤだ!行かない!」
父親が説得しながら1歩近づこうとすると、息子はますます窓際にへばりついて動こうとしない。何も知らされていなくとも、自分がどこかへ連れ去られることだけは、わかっているようだ。
「おとなしく連れていってもらいなさい。そして、男らしくなって帰ってきなさい」
父親はそう説得しながらも内心まだ迷いのあることが、弱々しく興奮したその声にうかがわれた。
子供はそれを見逃さない。
「イヤだアーッ!」
父親の同情を誘うように大声で叫んだ。
その瞬間、コーチのこぶしが子供のみぞおちに打ち込まれた。グゥワッとうなりながらも必死に抵抗する子供に、なおも強烈なパンチが続けざまに数発。
戸塚やコーチによると、ここが重要な勝負どころだという。この相手にはかなわない、いうことをきくしか仕方ないと、最初の出会いの時に思わせなくてはならない。しかもそれは、理屈抜きに、体で覚えさせなくてはならない。甘ったれ、世をすね、親のいうことも、先生やまわりのいうことも聞かなくなったような子供には、理屈や説得は通用しないし、無用だというのである。
しかし、子供も抵抗をやめない。
もう1人のコーチが子供の手を引っぱって、階段を引きずり下ろそうとする。子供は手すりにしがみつき、
「お母さあーん、助けてエーッ!」
と大声で叫ぶ。
ドドドドッ、と物すごい響きをたてて、子供が階段を引きずり下ろされて行く。
「キャッ!」
悲鳴とも、なんともつかぬ異様な叫び声をあげて、母親が子供に追いすがろうとした。年老いた品のいい祖父母も、真っ青な顔でわなわなと震えながら孫の方へ行こうとする。
「おじいちゃんも、おばあちゃんも、お前も、やめなさいッ!」
父親は、かろうじて残っている威厳をふりしぼるかのように制した。しかし、自らもうろたえていることを隠すことはできない。
「よろしく、お願いします」
父親は、支度しておいた子供の荷物をコーチに渡しながら、深々と頭を下げた。ふつうなら子供の身支度は母親がするものであろう。あるていどの覚悟をしていたとはいうものの、あまりにも、すさまじい異常な光景に、母親はどうてんしてしまい、なにも手につかない状態だった。
子供が車のバックシートに押し込められると、バターンと音をたててドアが閉まり、エンジンをいっぱいにふかした車は、静まりかえった闇のなかへ消えて行く。4人の家族が、まるで祈るような姿で何度も腰をかがめながら、車の後姿を見送っていた。
車が走り出すと、子供はおとなしくなってしまった。もはや抵抗してもムダだと観念したのか、ついさっきまであれほど激しく暴れた子供とは思えないほど静かにしている。
コーチと、迎えに来た仲間の子供の間にはさまれ、身を硬くしたまま目を閉じている。時折、どこを走っているのかを確かめるように、上目づかいに窓の外を見やるが、外は一面の暗闇。行き交う車のヘッドライトが時折り目に入るていどである。
子供の家を出発したのが夜中の12時少し前。片道2時間の道程を、車は河和のヨットスクールに向けて再び、ひた走る。運転しているコーチも、子供を監視しているコーチも、その朝6時に起きて夕方の6時すぎまで、まる1日、激しい体操とヨットの訓練で疲れきっているはずであった。迎えに同行した子供の方はさすがに疲れたのか、スヤスヤと眠っている。彼も朝6時から一睡もしていなかったのだ。
「どこへ連れて行くんか!」
たった1度だけ、子供が車の中で口を開いた。
「行ってみれぱわかる!」
と、コーチの返事はとりつく島もないほどそっけない。もはや甘えられる相手はだれもいなくなったとあきらめたのか、彼はヨットスクールに着くまでひと言も口を開かず、じっと目を閉じていた。
河和の合宿所に子供を乗せた車が帰り着いたのは、夜中の2時に近かった。校長の戸塚宏も他のコーチたちも、起きて待っていた。生徒たちはみんな寝静まっている。
新入りの生徒は合宿所2階のコーチたちの部屋に連れて行かれた。身の回りの検査。お金は取り上げてヨットスクールが管理する。子供に現金を持たせておくと、車や電車に乗って逃げ帰ってしまうことだってある。金を取り上げておけば、脱走したところで、そう遠くまでは行けないからである。
子供は、あまりに急激な環境の変化に茫然としてしまっている。彼はおそらく、戸塚ヨットスクールの名前を聞いたこともないだろう。
明日からどんな生活が待ち受けているのか。不安と恐れ。
ふつうの子供なら表情に現わし、口にするそれらの感情を失ってしまったかのように、この子供はうつろである。
「オイ、もう寝ろ!」
戸塚の声にうながされて、子供は無言、無表情のまま、指定された寝袋の中へ、大儀そうに体を入れた。彼の寝袋はコーチ部屋の押し入れの中に用意されていた。初日の子供は興奮していて、脱走その他なにをするかわからない。押し入れの中なら、監視と封じ込めが容易だからである。
そして、戸塚やコーチたちが交代で不寝番をする。翌朝は6時からの日課に全員、同じように参加する。まずこのパイタリティと気迫に、子供たちはけおされるのである。