試練に耐えた子供たち


 「オイッ、カラス。ちょっと来い!」
 校長の戸塚がある朝、コーチ室から生徒たちのいる広間に声をかけた。
 「ハイ」
と、カラスと呼ばれた少年は返事をしてコーチ室の前まで小走りにやってきた。直立不動の姿勢をとって、校長の言葉を待っている。
 「帰れ!」
と戸塚が短くいった。
 戸塚は腕組みをして、生徒に背を向けたままである。
 「ハア!?」
 カラスは、しり上がりの声で問い返した。彼には戸塚の発した短い言葉の意味がわからない。直立不動の姿勢のまま、キョトンとした表情で立っている。
 「もう、おまえみたいなヤツはいらんわい。帰れよ!」
 戸塚は依然として背を向けたまま、繰り返した。Tシャツと短いジーンズからはみ出した戸塚のがっしりとした襟筋、腕脚が黒光りに輝いている。

 戸塚の言葉を当世風のやさしさに翻訳すれば、おそらくこういうことになるのだろう――。
 「君はもう大丈夫、立派に立ち直ったから、家に帰っていいですよ。苦しい訓練によく耐え抜きました。偉かったね。校長先生だって、なにも君を憎くて殴ったり蹴ったりしたわけじゃない。君に立派な人間になってもらいたくて、心を鬼にせざるを得なかったんだ。わかるね。
 これからは、もう2度と悪い子にならないように、一所懸命、頑張るんですよォ、」
 女性コーチの吉田恒美は、素顔の戸塚ほど繊細で心配りのゆき届く男性を、これまで見たことがないといっている。だが、戸塚は他人に対してそういう素顔を見せない。
 もし、だれかが、この当世風のやさしさに翻訳した言葉を戸塚に聞かせたら、彼はおそらく「オエーッ」と吐き気を催して、荒れ狂う海の中ヘザブンと飛び込んでしまうだろう。

 戸塚の2度目の言葉を聞いて、カラスはやっと、その意味がのみ込めたようであった。
 彼の目に一瞬、喜びの色が浮かんだかと思うと、見る見るうちに顔じゅうに広がっていく――。
 「ハ、ハイッ!」
 カラスはびっくりするほど大きな声をはりあげて返事をすると、ぴょこん、と、戸塚の背中に向かって頭を下げた。そして、ぴょん、ぴょんと跳びはねたい心の高ぶりを懸命にこらえながら、仲間たちのいる広間へ戻って行った。
 「オイッ、カラス。もう帰れるのかァ……」「いいなァ……」
 仲間たちが雰囲気を敏感に察知して、カラスを取り巻いた。
 カラスを取り囲んだ仲間の少年たちは、うらやましそうに、何度も念を押している。
 「本当に帰るのォ……」「本当?!」「ウヮアァ……」
 家にいる時には、我儘から親の首を締めたような子供でも、家を長く離れ、厳しい生活を味わってみると、やさしい親が恋しく思い出されるのであろう。やはり根は、幼い子供なのである。
 自分もカラスと一緒に家に帰ってしまいたい。それができないもどかしさを、カラスヘの羨望の声に精いっぱいこめているのである。

 ヨットスクールに来ている情緒障害の子供たちが、これほど感情を素直に見せるのは、珍しいことであった。
 しかし、感情を現すのは比較的回復した子供たちであって、ヨットスクールへ連れてこられたばかりの重症の障害児たちは部屋の隅にうずくまって、恨めしそうな視線を向けているだけである。
 ヨットスクールを無事修了して帰宅させる子供に対して、戸塚は事前に予告することもしなければ、やさしい言葉や、励ましの言葉をかけることもない。
 カラスの場合のように突然通告したり、親が迎えにきて初めて帰れるとわかる、といった方法をとる。カラスもそうだが、本人には全く知らせなくとも、親に対しては、何日に帰すから、迎える準備をして待っているようにと、事前に連絡をとっている。
 本人に対しては厳しい姿しか見せないというのが、戸塚流の心配りなのであろう。
 「私が怖い存在であればあるほど、子供は親のありがたさがわかるでしょう」 と、戸塚はいった。

 そんな戸塚が裏ではコーチに、
「カラスになあ、"もう、あとがないんだぞ"といってやってくれんか」
と頼んでいた。
 それは、こういう意味である。
 カラスは東北地方に住む母子家庭の子供で、高校2年生。家は貧しくもなく、頭も悪くないが、非行と家庭内暴力で、母親も高校の先生も、手を焼いていた。
 そして、登校拒否の娘を戸塚ヨットスクールで治してもらったという知人に紹介されて、母親がカラスを送り込んできたのである。
 ところが、ヨットスクールで訓練を受けている間に、ギリギリのところで出席日数が足りなくなり、留年しなくてはならなくなるので、早く登校させるようにとの通知を高校から受けたが、どうしたものかという相談の電話が母親からヨットスクールへ入った――。

 高校の担任の先生は、カラスを戸塚ヨットスクールへ入れることには反対だった。
 母親が入れようと思うのだが――と相談に行った時、担任の先生は、
「あんな、暴力をふるうような所に自分の子供を入れるなんて、どういう神経なんですか」
と、相当、激しく母親を責めた。
 しかし、母親にしてみれば、さまざまに手を尽くしても子供の状態は悪化するばかりで、思いあまって親子心中を図ろうと思いつめていたほどである。
 先生の反対を押し切り、すがる思いで、戸塚の所へ息子を預けたのだった。
 従って、担任の先生が私情で動いているとは思いたくはないが、カラスの出席日数に担任が厳しい態度をとる裏には、そうしたいきさつがあったことを無視するわけにもいかないという、複雑な事情があったのである。
 ところが、ヨットスクールとしても、カラスを家に帰しても大丈夫と自信をもっていえるまでには、あとしばしの時間を要する状態にあり、そのためには出席日数に関して高校側の寛大な配慮を必要としていた。
 母親や戸塚にしてみれば、わずか数日の出席日数を担任が問題にするかしないかで、カラスという少年がまともな人間として立ち直れるか否かが賭けられているという、深刻なせめぎあいの状態にあったのである。

 戸塚は東北に飛び、カラスの母親を伴って高校を訪れた。高校では校長が応対に出、担任が呼ばれて同席した。
 担任は「われわれ教育現場としては……」といった言い方をする若い教師だったが、戸塚に対して敵意をあらわにし、自分の方からは口をきこうともしなかった。
 トレーニソグウエアにゴム草履という戸塚独特のいで立ちに対しても、若い担任が、背広婆にはらうであろうほどの敬意をはらっていないことも明らかであった。
 戸塚の方も、そういう担任の先生を無視するかのように、校長と雑談を続けていた。しかし、戸塚は雑談を装いつつ、校長からしかるべき言質を引き出そうとしていた。
 「高校といっても、最近では実質上、義務教育と変わりなくなっているようですねえ」
と、戸塚が水を向けた。
 「おっしゃる通りです。高校全入といわれている時代ですから……」
と校長が受けた。
 「学校教育の目的の中には、勉強を教えることと同時に、生徒の生活指導ということも入っていますねえ」
 ここに至って、校長は戸塚が何を言わんとしているかを察知したようである。

 生活指導が学校教育の重要な目的と課題であることに間違いはない。
 校長もそれを認めないわけにはいかなかった。
 戸塚はそれからおもむろに担任の先生の方を振り返った。
 「あなたは、あの生徒を非行と家庭内暴力から立ち直らせることができなかった。教育の重要な目的の1つである、生活指導ができなかったということになりませんか」
 戸塚は単刀直入であった。
 担任はムッとした表情で黙っている。
 「その生徒が、私のヨットスクールで見違えるように立ち直りつつある。つまり、私たちは教育の重要な目的の1つを果たしてきているわけです。
 ならば、この間、あの生徒は学校に出席していたと同じことにならんだろうか……」
 青白い顔と、黒光りの顔とが、黙ったまま、にらみ合っていた。

 「まあ、出席日数について、きまりはきまりとしてあるんですが、例外規定というのもありましてなあ……」
と、校長が助け舟を出した。戸塚はすかさず、いった。
 「ぜひ、もう1度、チャンスを与えてやって下さい。今度帰ってきて、またダメなら、その時はもう、無理はお願いしません」
 「戸塚先生、どうでしょう」
と、校長先生が続けた。
 「ここはひとつ、私におまかせ願えんでしょうか……」
 校長としては、この場における担任の顔もたてる必要があった。意のあるところを察してくれ、という目で、戸塚を見た。
 「よろしく、お願いします」
と、戸塚は頭を下げた……。

 戸塚がコーチの口を通してカラスに「あとがないんだぞ」といったのは、こういう意味であった。
 だが、カラスはこうした苦心談があったことは全く知らされていない。家へ帰って、母親から聞かされるかもしれない。高校で校長から聞かされるかもしれない。しかし、たとえ聞かされたとしても、カラスがこういう形の思いやりや、やさしさの本当の意味を理解できるのは、自分でも子供を育てるようになり、苦労をするようになってからのことかもしれない。
 そのころまでには、すでに長い歳月が流れ、ひょっとしたら戸塚宏はもうこの世に居なくなっているかもしれない。その寂しさを承知のうえで子供たちのために憎まれ役を買って出る。そういう形のやさしさの価値を、私たちは見失っているのではあるまいか。
 カラスは、仲間たちの羨望の声に送られてヨットスクールをあとにし、東北の母のもとへ帰っていった。
 それからかなりたって、カラスの母親から手紙が届いた。
 「母親思いの子供になり、学校にもまじめに行っています。校長先生も"このぷんなら留年はせんですむだろう"といってくれています……」 と、したためてあった。

*

 明子の家族は国鉄長崎駅に待っていた。父親の原三郎、母恵美子、妹容子、弟の幸一郎と健次郎。
 ヨットスクールから、明子を帰すという連絡を受けたのである。戸塚校長は「もう大丈夫」といってくれたが、あれほどひどかった娘が本当に治ったのだろうか――両親は明子を乗せた列車が、一刻も早く到着してくれるように祈る心と不安とが入り混じって、複雑な気持ちだった。
 改札口を出てきた明子は家族の顔を見つけると、パッとうれしそうな表情が広がり、手を振って駆け寄ってきた。顔は真っ黒に日焼けして引き締まり、目がクルクルと動いている。
 仏壇の前で1万円札を燃やし、ヨットスクールへ出発する時、
「わたしば殺すとね」
といって両親をジロリとにらんだ、無感動で蒼白な姿のあの娘と同じ人間なのだろうかと思えるほどだ。

 「チャンポンば、食べたかァ」
と、明子がいった。
 「チャンポンば、食べたいと、お父さん」
 「そうかァ、チャンポンば、食いたいとかァ……」  母親と父親は、明子の言葉をおうむ返しにいって、笑った。笑っているうちに涙がこみあげてきて、言葉にならなくなった。
 家族は、明子がまだ素直な子供だったころ、みんなでよく行っていた中華料理店へ入った。明子は、何品かとった料理を妹や弟たちに盛り分けてやり、両親にもよそった。そして自分も、おいしそうにペロリと平らげた。

 「お土産はないとね、アッコ」
 父親の三郎が冗談まじりにいった。
 明子はしばらく考えていたが、
 「これ……」
といって服のそでを肩のあたりまで、たくし上げた。
 黒く日焼けした腕に、紫色のアザがいくつも残っていた。
 両親はすぐ、その意味を理解した。よく頑張って耐えてきた、と抱き締めてやりたい気持ちだった。

 家族は夜遅くまで、談笑した。もう、何年も味わったことのない、団欒であった。その夜、母と娘は何年かぶりにまくらを並べて寝た。尽きない話を終えて眠りに就こうとするころ、明子が、
「母さん、ごめん……」
ポツリといって、背を向けた。
 母親の恵美子は何かいおうとしたが、言葉にならなかった。2人は背を向けあったまま、眠れないでいた……。