憧れのクルージング


 ふだんは厳しさが支配しているヨットスクールの雰囲気が、どことなくざわつきはじめていた。
 朝の激しい体操は欠かすことなくいつものとおりだが、体操に続いて終日行われるはずの一人乗り小型ヨット、ディンギーの訓練が何回か休みになっている。
 男の生徒たちは何組かに分かれ、それぞれコーチの指導を受けながら、外洋航行用ヨット、クルーザーの整備、掃除、付属エンジンの点検、帆、ロープその他部品の補修と補充に忙しく立ち働いている。
 女の生徒たちは女性コーチの指示を仰ぎながら食糧の買い出し、とりそろえに余念がない。
 とくに、コーチ補佐としてグループのリーダー役を命じられた子供たちの働きぶりは、生き生きとしていた。
 間もなく、クルージングが始まろうとしているのだった。
 クルーザーに乗って航海に出かける。想像するだけでもダイナミックで、爽やかな海の旅の印象を受ける。
 スケールの大きなクルージングの中には太平洋、大西洋を横断したり、世界一周の旅に出たりといったことが含まれている。

 戸塚ヨットスクールで、これから行われようとしているのは、いわば卒業試験としての意味を持ったクルージングであった。
 一人乗りヨット、ディンギーによる連日の訓練、朝の体操、食事の支度、掃除から返事の仕方に至る日常の生活指導など、ヨットスクールの厳しい教科に耐えて回復の見通しがたち、家へ帰れる日が近づいている生徒たちのために行われる航海である。
 ヨットスクールへ連れてこられた重症の情緒障害児たちは、最初、体操についていくことも、ヨットを操作することもできない。それが、腕立て伏せに耐え、ヨットに乗れるようになるにつれて、心のゆがみも徐々に矯正されてくる。
 このようにして回復があるていどのところまでくると、ディンギーを卒業して、クルーザーに乗せてもらえるようになる。基本の操作はディンギーと変わらないが、クルーザーの構造は、はるかに複雑で、さらに、クルージングにさいしては、地理、天文、気象、数学などの知識を要求される。
 クルージングのリーダーに選ばれるということは、晴れて帰宅の日が近づいていることを意味している。
 それだけに、本人たちの喜びと、まだ選ばれるほど回復していない生徒たちの羨望をないまぜにして、クルージングを前にしたヨットスクールは、ざわめいているのである。

 合宿所で珍しく「勉強風景」が繰りひろげられていた。
 20人余の生徒が2組に分かれ、コーチの講義を受けている。
 1つの組は、生徒が4人。今度のクルージングで、各艇のリーダーに選ばれた生徒たちである。
 もう1つのグループには残りの生徒全員が群がっている。
 こちらは各艇に分散して乗せてもらう方。まともな子供なら各艇のコーチやリーダーを助けて立ち働くべき立場にあるのだが、ヨットスクールへ連れてこられて間もない、あるいは回復の遅れている重症の情緒障害児たちなので、あまり多くを期待できない。期待すれば失望が大きい。
 講義の内容も、クルーザーの模型を前に、クルーザーとはどんなヨットか、クルージングとはどんなことをするのか、といった極めて初歩的な知識に始まる。クルージング中、本来なら君たち生徒はどんな分担をしてコーチ、リーダーを補佐すべく期待される立場にあるのかといった、各パートの仕事の分担。期待しても無駄と知りつつも、一応、講義は行われた。
 子供たちはコーチのまわりに思い思いの格好ですわって話を聞いているふうであるが、わかったのかわからないのか不明の複雑な表情の者、顔はコーチの方を向きながら目が空を眺めている者、話がどのように変わっても目の表情が全く動かない者など、情緒障害がかなり重度であることを物語っている。
 たいていの神経の者なら投げ出してしまいたくなるであろう、こういう子供たちに対して、ヨットスクールのコーチたちは怒ったり、叱ったりしながら忍耐強く講義を続けている。

 重症児のグループに比べると、リーダーに選ばれた生徒たちの一団はキビキビとして、活気がある。
 勉強の好きな、普通の子供たち、といった感じである。
 その中には、両親や妹の首を絞め、脱走をはかった時には親たちが「帰ってきたら殺される!」と、コーチたちに護衛を頼んだ、あの大阪市立大生、自転車に乗って、1人ではるばるヨットスクールへ入りに来た中学生がいる。
 彼らもほんの2カ月ほど前には、重症グループの子供たちと同じような状態だった。
 強風の荒波の中でのヨットの訓練、激しい体操、体罰、悪口雑言……訓練は想像を絶する厳しさだったが、何年間も情緒障害に悩まされ続けた子供たちが、わずか2カ月で大きな変化を見せたのである。

 リーダーに選ばれた少年たちのグループでは、海図を広げて、これからたどる予定の航路の説明が行われている。
 小さな島の名前、海の深さ、どこに暗礁があるかといった細かいことまで詳しく書き込まれた海図。
 初めて見る少年たちは、物珍しげに海図に見入っている。
 「このあたりは暗礁が多く、危険だ。島を遠巻きにする形で進む。いいな。ところが、この島陰に入ると、風がないてしまう。ここをどう切り抜けるか。訓練で覚えた腕の見せどころだ」
 海図を指しながら、コーチの説明が続く。熱心に説明を聞き、海図を目で追う。この子たちがなぜ、学校を嫌いになってしまったのだろうか。
 「このあたりまでくると、漁船がたくさんいる。さらに進むと"本船航路"といって、石油を満載したタンカーや貨物船が名古屋港、四日市港に出入りする道になっている。あんなデッカイ船にやられてはたまらんから、遠くにいるうちから進路をよく注意するように……」

 航路が終わると、今度は「天測」の講義に移った。
 「天測というのは、太陽や星によって、自分がいま海の上のどの位置にいるかを測定することをいう。わかったかァ」
 コーチの言葉に、生徒たちは大きくうなずいた。
 「太平洋の真ん中を走っていると、まわりは海ばかりで、島や陸地が全然、見えない。心細いぞォ……」
 つい先ごろ、太平洋を横断しできたばかりのコーチたちの話だけに、生徒たちは興味しんしん。
 「……で、いま、自分はどのへんを走っているのかを確認する必要が出てくる。天測には星を目印とする場合、太陽を目印とする場合があるが、ヨットでは太陽を使うことになっている……」
 「どうしてですか?」
という質問が出た。
 無関心、無感動だった子供たちが好奇心を示す……コーチにとっては報われた思いのする一瞬である。
 「天測はだなあ、太陽あるいは星と水平線との角度を測って位置を決める。夜になると星は見えても、水平線は見えにくい。太陽だと、いつでも水平線は見えているだろう」
 わかった、というように、子供たちはうなずいた。
 「サイン、コサイン、タンジェント、覚えとるかァ」
 久しぶりに聞く三角関数に、子供たちは懐かしそうな表情だ。


 朝まだ早い河和の港。
 もやのかかった曇天の三河湾へ、4隻のヨットがゆっくりと船出していった。
 「風がないなァ」
 指令船の戸塚が恨めしそうに天を仰いだ。
 微風。
 帆船の航行には不都合な気象である。
 せめてもの追い風に、スピンを広げ、追い風をいっぱいにはらませた。
 三河湾を知多半島沿いに南へ――。
 左手には朝もやの中に三河の陸地が遠くぼんやりと浮かんでいる。
 「神島で会おう!」
 戸塚が他のヨットに分散しているコーチたちに大声で叫んだ。
 「わかった!」
というように身ぶりで合図を残して各艇は思い思いの航路と走法で走り始めた。

 風を少しでも多く受けるために、迂回を試みる艇、微風にじっと耐え、チャンスを待って直線コースをとる艇……リーダーの生徒たちがコーチのアドバイスを求めながら、知恵をしぼって操縦している。
 その模様を眺めながら、指令船に乗った戸塚が、ゆっくりと後をつけて走っていく。
 クルージングは4隻のヨットで行われている。ふだんは、生徒の操縦するヨット1隻に、コーチの乗った監視・指導船1隻の計2隻で行われることが多く、戸塚ヨットスクールのクルーザー4隻が総出でクルージングに出るのは珍しいことである。生徒も金員乗せており、それだけに華やかな船旅の雰囲気が全艇に漂っていた。

 4隻の乗り組みは次のようになっている――。
 @校長艇。校長、戸塚宏が総指揮官として乗り組み、元暴走族の少年が生徒リーダーとして補佐。
 艇は、ふだんの訓練ではコーチが乗り組んで指揮に当たる指令船として使われている。「カッター」と呼ばれ、20数人乗りの、ヨットスクールでは1番大きなヨット。
 A横田艇。コーチ横田吉高が指導に当たり、生徒リーダーは大阪市立大生。
 B境野艇。ポートピア記念太平洋単独横断レースに参加して、アメリカから帰ったばかりのコーチ境野貢が指導に当たっている。境野は帰国後すぐ見合いをし、結婚間近の新進。生徒リーダーは元非行の少年。
 C小杉艇。大学を卒業して間もない若手コーチ小杉信雄が指導に当たり、自転車でヨットスクールへやってきた少年が生徒リーダーをつとめている。
 その他の生徒たちは校長、コーチの指示に従って4組に分かれ、それぞれの艇に分乗している。

 ヨットは白い帆を風になびかせながら、三河湾を太平洋に向かってゆったりと走っている。
 艇に乗っていると、風が緩やかなせいか、水を切って進んでいるという感覚はあまりないが、しばらく時間をおいて陸地を眺めると、さっきまで真横にあったはずの建物がはるか後方に移っていたりする。
 漁船が数えきれないほど群がり、思い思いに網を引いている。漁場にさしかかったのである。
 ヨットはそのあい間をぬい、網を避けながら進んで行く。
 はるか向こうの方に、巨大な船影が姿を現した……と見る間に、右からも、左からも大きな船が走ってくる。
 「あれが車の専用輸送船。あれはコンテナ船……」
 戸塚が双眼鏡をのぞきながらつぶやいている。
 外国航路の船が名古屋、四日市港などに出入りする"本船航路"に近づいているのである。

 ふと気づくと、大きな船がヨットと並びながら、すぐ左側を走っていた。「鳥羽海上保安部」の文字が見える。
 海上保安庁の巡視艇だった。
 「何か問題はないか、さぐりに来たんです。しかし、それだげじゃない。彼らも海や船が好きな男たちだから、このヨットのように珍しい船がいると見たくなるんですよ」
 こうした光景に何度も出会っている戸塚が説明した。
 そういえば、保安庁の制服を着た乗組員たちがデッキに身を乗り出して、ヨットの方をじっと眺め、巡視艇はなかなか立ち去ろうとしない。

 ヨットの帆の上を、何羽かの鳥が輪を描きながら舞っている。
 見上げると、曇っていた空がいつの間にか晴れ間を現わし、その隙間から太陽がのぞいていた。
 「黒潮です」
と、まわりの海を指しながら戸塚が言った。
 そう言われて、見ると、海の水が黒ずんで見える。透きとおるような海の青さとは明らかに違っていた。
 一面に広がる黒潮が小さな波頭を無数に立て、太陽が照りかえして、キラキラと輝いている。
 帆をハタハタと打って通り過ぎる風と、波を切るヨットの音が心地よい鼓動を伝える以外、あたりは全くの静寂である。
 「神島だ!」
と、だれかが声を上げた。
 三島由紀夫に『潮騒』を書かせた小さな島が、心なしか幻想的な趣をたたえて、はるかかなたに浮かんでいる。
 神島まで出れば、そこはもう太平洋である。
 「あと、ひと頑張りだ!」
 戸塚の元気な声が潮風にこだました。


 若者は海図を広げ、航路を確認しながら、舵(かじ)をとり、ロープを引いたり、ゆるめたりしながら、帆を風の向き、強さに合わせて操作を続けている。
 風は生きものであるということが、ヨットに乗っていると、よくわかる。海のように広々と平らなところでも、風は時間と場所によって刻々と微妙に変化し、まるで機敏な動物のようだ。
 ヨットの操縦者は、その微妙な変化を的確にとらえて対応していかなくてはならない。

 ヨットの操作に余念のない若者――大阪市立大生の顔は黒く潮光りして引き締まり、生き生きと輝いていた。
 長くたれ下がった髪、青白いぶよぶよの頬、死んだように薄気味悪い目……両親や妹の首を絞めてヨットスクールへ連れてこられた時、キツネを言葉巧みに誘い込んで逃亡を図ったころの面影は、どこにも残っていない。
 彼は、同じ時期にヨットスクールで治療を受けている生徒たちの中で、回復が最も顕著である。
 この若者が、脱走を図った直後に受けた集中的なしごきど訓練の厳しさは、並のものではなかった。
 多くの人びとはこういう場合、ともすれば彼一人がいじめられていると見がちだが、ヨットスクールにおいてはいささか意味が異なっている。
 見込みのない者は、最初からしごかないのである。
 戸塚たちにとって見込みのない者とは、全くの知恵遅れと、精神病者。正常な知能があれば、心のゆがみは治る。知能は高ければ高いほど、治りがいい。

 厳しいしごきにのたうちまわっていたこの若者は、ある一線を超えた時から、見る見る成長し始めた。
 「あっ、今だ!」
と感じる一瞬が必ずあるものだ、と戸塚はいう。
 情緒障害の状態をマイナス、健全な状態をプラスで表せば、戸塚が「あっ、今だ!」という瞬間はさしずめ「O」ということになろうか。とりあえず、この「O」にまで持ち上げるのが至難なのだが、頭の良い子はゼロを超えた時点から他をぐんぐん引き離す。
 「頭のいいやつは、しごきがいがあります」
 戸塚は忙しげに立ち働く若者を眺めながら、いった。
 この青年の過干渉の母親が面会に来て、「あんた、これからどうするつもり……」等々、いまいっても仕方のないことを口にした時、彼は「母さん、家へ帰れるかどうかの方が先決だよ」と、軽く受け流したという。
 「大丈夫。彼はもう、親を超えました」
 コーチからその話を聞いて、戸塚は満足そうだった。

 若者、つまり、大阪市立大生に次いで回復が顕著なのは、自転車でヨットスクールへやってきた中学3年の少年である。
 この少年もまた「O」に到達するまでが大変だった。
 実に簡単に失敗してしまったが、彼も1度、脱走を図ろうとした。そして、それ以後も「0」に達するまで、心は常に逃げていた。
 情緒障害のドロ沼からはい上がろうと、自ら苦しみを求めてやってきた。
 それは実に健気な姿だった。
 しかし、実際にヨットスクールの生活を始めてみると、それは精神力の弱い彼の耐えられるていどの苦しみではないことがわかったのである。
 なまじ頭がいいから、要領よく、ずるけようとするところをコーチに発見され、したたかにしごかれたことが一再ならずある。
 「もっと、ましなやつだと思ったのだが……」
 コーチが、がっかりして語っていたことがあったほどだ。

 その彼が、ある時点を境に、めきめきと伸びはじめた。
 体操に、懸命に耐えようとする、大きい声を出そうと努力する、ヨットの操縦をよく工夫するようになった……。
 「やる気が出てきたようですね。おそらく、これでうまくいくと思うんですが……」
 コーチたちは気をもみながら、少年の変化を注意深く見守っていた。
 そして「O」を超え、いったん伸びはじめると、いままで眠っていた"自ら苦しみを求めにきた"という行為が大きなプラス要因となって働き、回復を加速度的に早める。
 「治らなくては」
と思っている子は「O」を超えると、回復が早いのである。
 そして、この少年も頭がよかったから、それも回復を早めるのに役立った。

 この「O」の時点は子供によってそれぞれ異なるが、たとえば朝の体操の時、前日まではコーチの目がないとなんとかして怠けよう、逃がれようとしていた子供が、歯を喰いしばりながら厳しいしごきに耐えようという態度を見せるようになる、その一瞬のようなものである。
 生徒の中で、年長の大阪市立大生が1番、自転車の少年が2番。
 いまや、校長、コーチから信頼され、コーチの補佐的役割を申しつけられている。
 こういう子供が何人か育つと、校長やコーチたちの苦労もずいぶん違ってくる。
 ヨットの組み立て、日常生活でのまとめ役、新入生の引率と見張りなどをまかせることができるからである。まかされた生徒の方もそれがはげみになって、自信をつけ、さらに自立心が強まっていく……という相乗効果を期待できるのだ。
 <X―1>と命名されたヨットにリーダーとして乗り込んだ自転車の少年は、コーチ小杉信雄の指示を仰ぎながら、一所懸命、操縦している。
 「もう一押し、元気が出てくればさらによくなるんだが……」
と戸塚はいった。


 土井一輝がコーチに昇格した。
 戸塚ヨットスクールの生徒の中でコーチに昇格した最初は東山洋一である。
 東山については後にも触れるが、神戸ポートピアを記念して催された太平洋単独横断レースに出場、最年少の18歳で初めて太平洋を1人で渡り、しかも、5位に入賞した。
 東山は登校拒否の情緒障害児だったが、いまや並の大人では足元にも及ばない立派な青年に成長している。
 東山はコーチ格ではあるが、ヨットスクールから改めて大阪の高校に入りなおし、通学しているため、常時、河和の合宿所にいることはできない。
 その意味からすれば土井は、生徒から昇格し、常勤コーチとなった第1号といえる。

 彼は大変、きちょうめん、勘がよく、機転がきき、礼儀正しく、思いやりがある。  「なんであの子がヨットスクールに来たの?」
と、まわりの人びとがいぶかるほど、申し分のない青年である。
 ただ耳が聞こえないハンディキャップを背負っている。従って、言葉も充分ではない。
 ところが、戸塚が何かをやらせようとして、二言、三言、口を動かして見せると、たちどころにその意図をくみ、完璧に近い仕事をやってのける。その出来ばえたるや、正確そのもの。
 耳の聞こえる人間でも及ばない。
 おそらく、能力が人並み優れているのに耳が聞こえず、言葉で伝えることもできないいらだちが、そうさせたのだろうとまわりの者は想像しているのだが、そんな立派な青年が、ヨットスクールへ連れてこられた時には、頭髪を黒赤青の三色に染め、耳にイヤリングを下げてオートバイを乗り回していた暴走族の親玉だった。
 短く整えた髪、日焼けした顔に真っ白のそろった歯を見せて笑う時の人なつっこくて、きれいな若者の顔からは、とうてい暴走族の親玉を想像することができない。

 大学生や自転車の少年には"卒業試験"の意味を持ったクルージングは、土井にはコーチ昇格の卒論の意味を持っていた。それに応えて、彼は見事な能力を、戸塚に披露した。
 クルージングは、回復した子供と、重症の情緒障害児との能力の差を歴然と見せつける。
 4隻のクルーザーの各リーダーに選ばれた生徒たち、なかでも校長艇に乗り組んで戸塚の補佐をつとめた土井の働きはめざましいものがあった。
 高さ5メートル、8メートルのマストにスルスルと身軽に登って行き、大きく波に揺れながら走っているヨットの上で帆をほどいたり、ロープをゆわいつけたり。それを休みなく何度も繰り返す。
 校長の乗ったカッターは大きいだけに帆の枚数も多く、ロープの数も何十本とあり、操作が複雑である。
 土井は、何枚もある帆を、風の強さを計りながら適宜広げ、方向を合わせる。そのたびに何十本もあるロープを全部はずして長さを調整し、また素早く、ゆわいつける。
 休むいとまのない労働である。

 風の向きが微妙に変化した。
 「さて、土井君はどうやるかな」
 戸塚はひとりごとをいいながら、わざと知らん顔をしていた。
 すると、土井はすかさず帆の調整に走る。
 「フム、フム、おれが考えていたのと同じことをやっておる」
 戸塚は満足そうであった。
 耳の聞こえない彼には、校長が何をいっているか、もちろん聞こえていないので、帆の調整は彼独自の判断である。
 「それにしても、この諸君はどうしてこうも役に立たんのかね!」
 戸塚は眉をつり上げ、声を荒らげて怒った。

 分乗している他の子供たちは見事に、何もしない。戸塚に叱られた時だけは申し訳ていどに動くが、ちょっと目を離すと、自分とは関係ないといわんばかりに、うずくまっている。
 土井が1人でマストに登り、ロープをはずし……と走り回っているのを見ても、知らんぷり。申し訳ないとか、何かやらねばといった感情が全く起こらないらしいのである。
 目が輝き、自ら行動を起こすのは食事の時だけ。それも自分で何かを作ろうとするのではない。出来上がったものに飛びつくのが素早いのだ。
 痛ましいのは、彼らが決して貧しい家庭の子供ではないということだ。冷暖房と鍵のついた個室、ステレオ、テレビ、不自由のない小遣い、学習塾、家庭教師、社会的地位のある父親、PTAに熱心で、一流校について詳しい母親……。
 およそ「物」と名のつくものでないものはなにもない。
 すべてがそろっていながら、何か重要なことがポカッと欠けている。物質の豊かさが必ずしも心を豊かにしているわけではない――よくいわれる言葉を、この時ほど実感したことはない。