あとがき


 登校拒否や家庭内暴力は現代社会が生み出した「心のガン」である。
 ガンが肉体をむしばむように、ある日突然子供に襲いかかると、子供はものの怪につかれたように人間が変わってしまい、狂暴になるか、廃人のように無気力になるか、いずれにしても正常な人間としての人生はそこで終わりになり、一生を棒に振ってしまう。
 そんな子供を1人かかえ込んだ家庭は親が自殺するか、子供を殺すか、一家心中か、あるいはその瀬戸際までいくか。平和だった家庭は完全に破壊されてしまう。
 しかもそれは、ガンと同じように原因も、決め手となる科学的治療法も解明されないまま猛烈な勢いで拡がり、祖母殺し、金属パット事件……と次々現代の悲劇を生み出している。いつ、あなたや私たちの家庭に襲いかかるかもしれない魔手である。

 『スパルタの海』の取材を開始した私は、たちまちにして戸塚ヨットスクールの持つ魔力のようなものに引き込まれてしまった。2件も死亡事故が起こったことを知りながら、自分の子供を預かって欲しいと頼みにくる親たち。廃人のようにうつろな目をして入ってきた家庭内暴力の子供が2カ月で見違えるようにいい子になって喜々として帰って行く。信じられない、といった表情で子供の顔を何度も眺め感涙にむせぶ親との感動的対面。
 それは、あまりにも刺激的な人間のドラマであり、まるで魔術を見ているような錯覚にさえとらわれた。
 生徒たちと起居を共にしながら、合い間をぬって全国に散らばる卒業生やその父兄、学校、カウンセラー、病院、警察などを取材してまわったのだが、気がついてみたらそういう生活が半年以上も続き、現在もなお、時間をやりくりしてはヨットスクールを訪ねているほどに、そこで繰り展げられているドラマは刺激的である。

 新聞に連載が開始されてからの反響の凄まじさは想像を絶するものであった。新聞社と戸塚ヨットスクールの電話は鳴りやまず、ヨットスクールに子供を預かつて欲しいと順番を待つ家族の数が50、100、150……と見る見るふくれあがっていった。しかもそれは、むしろ恵まれた、ごくふつうの家庭、まさかウチの子がと思っていた家庭ばかりなのである。
 日本の社会はこれほど病んでいたのか、と私は暗澹とした気持ちにとらわれ、だからこそ、より多くの人々に知ってもらいたいと思うのである。

 この本は「中日新聞」「東京新聞」に長期連載したものを柱に、『中央公論ノンフイクション特集』に掲載された「そして子供たちは病んだ」の一部、さらに新しく書下した部分を加えて新たに構成した。登場人物中、生徒や父兄については仮名にする配慮をしたが、東山洋一、原明子両君とそのご家族は、「同じように苦しんでいる人々のお役に立つのなら……」と実名で登場する好意と勇気を示して下さった。
 お名前を挙げて御礼を申し述べたい方々の顔を思い浮かべると数限りないほど、多くの方々のお世話になってやっと1冊の本が出来上がるわけだが、新聞連載を企画していただいた中日新聞文化部佐橋嘉彦、本を担当して下さった東京新聞出版局米山郁夫両氏に勝手ながらその代表をお願い申し上げたい。


   昭和57年4月15日   上之郷利昭