情緒障害児と海(前)


 子供が脱走した。
 厳しい訓練に耐えきれずに、逃げたのである。
 情緒障害の子供は常に現実の厳しさから逃避して、甘やかせてくれる人のところに救いを求める。この子もおそらく、そうだろう。
 これだけきつい訓練を課していれば、脱走者が1人や2人出ても不思議はない。しかも、相手が現実逃避の得意な情緒障害児ばかりなのだから、全員が脱走したとしても不思議はない。ならば監視を厳しくしているかというと、全くそうではない。合宿所の入り口は四六時中開けっ放し。校長の戸塚もコーチたちも、新入りの生徒が入ってきた時のような特殊な場合を除いて生徒たちと一緒に寝てしまい、不寝番はいない。脱走しようと思えばいつでもできるのである。
 これは戸塚の考えであった。
 脱走するような人間の監視に神経を使うのではなく、脱走しない人間にすることが重要なのだというのである。
 脱走するような人間、つまり情緒障害児たちは基本にはルーズなくせに、瑣末(さまつ)なことにうるさく干渉するような環境のなかで発生している。いわば辻つま合わせに汲々(きゅうきゅう)とした事なかれ主義の時代の申し子のようなものであるから、ヨットスクールでは全く逆に、精神力の鍛錬という基本にはあくまで厳しく徹底するが、その他についてはおおらかに、こだわらない。
 だから、子供が逃げても神経質に大騒ぎをしたり、世間体を気にすることなど全くない。
 「どこへ行ったのかなあ、あいつ。ちょっと捜してみるか。そのうちどこかで見つかるよ」
といった感じである。
 もちろんつまらないことで騒がないというだけであって、捜索は真剣に行われるし、子供のことは一番心配している。

 まわりの生徒たちに確認してみると、2人の生徒が明け方にその子が合宿所にいるのを見ていた。1人は、午前5時15分ごろにゴソゴソと着替えをしているところを見たといい、もう1人はそれから15分後の5時30分ごろにふと目を覚ましたら、その子はまだいたといった。子供がいなくなっていることが発見されたのは午前6時起床直後の点呼の時だから、脱走はわずか30分の間に行われたことになる。
 お金は、子供が入所してきた日に取り上げ管理しているから、タクシーや電車に乗れるはずがない。が、合宿所の自転車が1台、姿を消していた。となれば、自転車で30分くらいで行ける範囲ということになる。海上に逃げないかぎり、名古屋方向だ。
 コーチたちは何台かの車に分乗して可能性のあるいくつかの道を捜索に出発した。
 その日の夕方近くになって、合宿所に電話が掛かってきた。脱走した子供の母親からで、合宿所に戸塚を訪ねてくるという。
 子供は名古屋にいた。
 母親の話によると、どうやら現金を巧妙に隠し持っていたらしい。自転車で名鉄沿線のどこかの駅まで走り、そこから名鉄に乗って名古屋へ出たものと推測された。
 その日の朝から車に分乗して捜索に出ていたコーチたちは、可能な範囲をシラミつぶしに捜してついに発見できないまま帰ってきていたのだが、電車に乗って行けばつかまらないはずである。捜す方は、お金は持っていないから自転車で30分そこそこの範囲、と考えていたのである。

 その子は九州から来ている中学生だった。
 彼は名古屋から九州の父親の勤め先へ電話を掛け、すぐ迎えに来て欲しいと助けを求めた。子供は甘い父親に直接訴えるのが効果的であることを読んでいたのである。
 子供の計算どおり父親はあわてて勤務先の役所を早びけし、母親を伴って飛行機に飛び乗り、子供の指定した名鉄新名古屋駅へ駆けつけた。
 そして、子供の話を聞くと、すぐ連れて帰ることに決め、自分は子供とともに名古屋にとどまって、母親だけを戸塚の所へ差し向けたのである。
 ここに父親の人柄と性格が現れている。
 息子を、スパルタ教育で名高いヨットスクールに預けるに当たっては、彼は予備調査をしている。覚悟を決めたわけだ。そのうえで、問題児のわが子の更生をお願いしたのである。
 ならば、自分の子供が脱走したとわかった時、彼がまずとるべき措置はヨットスクールへすぐ電話を入れて子供が無事であることを伝え、そのうえで大変迷惑をかけたことを詫び、父親としていまからとるべき行動について相談するなり、自分の考えを申し述べるということではなかったろうか。
 ヨットスクールでは戸塚をはじめ全員が脱走した子の身を案じて捜索に当たり、他の生徒たちは午前中、日課のヨット訓練を休んだ。息子1人の脱走によってこれだけの人々が心配し、迷惑をこうむっていることに、この父親は全く思い至っていない。彼は某県庁のかなりのポストの役人である。

 河和の合宿所へ姿を見せた母親はふくよかで、温厚そうな女性であった。
 「どうでしょう。せっかくだから、もう少し辛抱をしてみませんか。きっと、よくなりますから」
と、戸塚は何度も母親に説得した。彼女は戸塚と夫の間にはさまって困っているようだった。
 「先生、主人に会って、直接語していただけるでしょうか」
 しばらく考えた末、母親はいった。
 父親と息子は名鉄新名古屋駅の改札口近くで、母親の帰りを待っていた。父親は母親とは対照的に、やせて背が高く、こめかみに青筋が浮かんでいるのが見えるほど神経質そうな感じである。彼は、戸塚が来ることを全然予期していない。
 戸塚と2人のコーチは子供に感づかれないように注意しながら近づいて行く。子供がその姿に気づいて逃げようとするのと、2人のコーチが飛びかかって押え込むのとがほぼ同時だった。
 「人の子に、公衆の面前で何をするんですか」
父親は青筋をたてて怒った。
 「お父さん、お世話になった戸塚先生……」
と、とりなす母親に父親は目を丸くして戸塚たちをながめた。

 戸塚もコーチたちも真っ黒に潮焼けした身体によれよれのトレーニングウエア、ゴムぞうりばき。戸塚は飛行機に乗るにも、ホテルに泊まるにも、このいでたちである。父親と戸塚は初対面だった。
 ふつうなら初対面の挨拶などがあるところだろうが、父親は息子からあることないことを聞かされているうえに、目の前で子供を取り押えられて怒っている。戸塚の方も、いま子供を連れて帰られては、これまでなんのために訓練をしてきたのかと、父親に対して怒っていて、険悪な出会いとなった。
 「せつかく立ち直りかけている子供をダメにしてしまうつもりですか」
と戸塚。
 「これからもまた、ひどい目にあって、そのたびに勤め先へ電話がくるようでは迷惑するんですよ。こうやって勤めを休み、高い金を使って出てくるんでは、たまったもんじゃない。連れて帰ります」
と父親。
 「訓練の厳しいことは前もってお知らせしてあったはずだし、子供は苦しさから逃れたいためにウソをつくんです。そのことはお父さんが1番よく知っているはずでしょ。それに、迷惑だの、高い金を使ったのというけど、みんな自分の子供のことじゃないですか。そんな子供に育ててきたのは誰でもない、あなた自身だ。そして、私に鍛え直して欲しいと頼んだ。途中で、ぷちこわすのはやめてくれませんか」
 「私の育て方が間違っていたといわれれば、仕方がない。しかし、私は連れて帰ると子供に約束した。子供も学校へ行くからと約束した。やはり、約束は守らんと、子供との信頼関係が……」
 「あなたの子供さんはウソをつくんです。今日もウソをついて逃げ出し、両親を呼び出した。それを治さないまま連れ帰って、約束を守るという保証がどこにあるんですか」
 「とにかく、私なりのやり方でやってみます」
 「そのやり方がダメだったから、私のところへ寄こしたんじゃないんですか」

 雑踏のなかで父親と戸塚の激しいやりとりが1時間以上も続き、名鉄新名古屋駅構内の時計の針は午後9時を大きく回っていた。
 勤め帰りのサラリーマンやOLのなかには、たまに、何事かと、向かいあって立つ2人の婆に一瞥(いちべつ)をくれる人もあったが、ほとんどは気づきもせずに家路を急いでいる。彼らのうちの誰かを無作為に抽出してプライバシーの領域に踏み込んでみれば、それぞれに問題をかかえているのかもしれないのだが、とりたてて光を当てないかぎり群衆の顔は無表情であり、互いに、他人事には無関心である。
 戸塚と父親の関係も、つい数日前までは全く無機的であった。
 どうせ他人の子供のことだ、放っておけばいいじゃないかと、ふつうの人間ならいいたくなるほど、戸塚は熱心、かつ執拗に、父親に食い下がっていた。
 彼は遂に、
「お願いします。あと少し預からせて下さい!」
と頭を下げた。
 話が逆ではあるまいか。本来なら、不肖(ふしょう)の息子を持った親の方が頭を下げるのが筋というものであろう。
 戸塚はなぜ、こんなにまでして情緒障害児を治療しようとするのか。彼を動かしているものはいったい、何なのか。
 その戸塚に対して父親が返した言葉は、
「あんた、本当に治せるんでしょうね?保証できるのですか?」
というものであった。
 父親は、息子を預けるに当たって、前もって戸塚ヨットスクールの実績と実態を調査し、そのうえで預けようと決断したのである。自分の子供がかわいいのはどの親も同じだが、父親はこの時、冷静な判断力を失ってしまっているようだった。
 だが、明らかにぷしつけな父親の言葉に対しても、戸塚は怒るでもなく、
「大丈夫です。治してお返しします」
といいきった。
 はったりとさえ思える強い口調である。戸塚のこの自信は何によって支えられ、こんな危険な賭けとさえ思えるようなことをいってまで、戸塚はなぜ、障害児の治療にこだわるのか。

 2人が話しあっている所から少し離れた新名古屋駅構内の一隅。
 父親と戸塚のやりとりを、脱走した子供は不安な顔つきでながめていた。
 この少年にとって、2人の話しあいの結果は、彼の今後を左右する重要な意味を持っていた。心地よい甘えの生活に戻ることができるのか。それとも、再びあの厳しく苦しい訓練のなかへ放り出されるのか。
 少年のこころもとなげな目は、千々(ちじ)に乱れる父親の心に訴えかけていた。その朝、脱走直後、助けを求める電話をした時のように、父親は必ず自分を救い出してくれるに違いないと見抜いていたのかもしれない。
 「やはり、連れて帰ります」
と父親はいった。
 「もう、かまわんで下さい。あとはどうなっても、私の責任ですから」
 彼は哀れな姿でしゃがみこんでいる息子に視線を移した。
 「最後にいいます」
と、戸塚が厳しい口調でいった。父親は振り向いて戸塚を見た。
 「苦しむのはあなたではない。子供さんなんですよ」
 戸塚は続けた。
 「あなたは先に死んでしまうからいいかもしれない。しかし、立ち直れないままで残された子供に対して、あなたはどうやって責任をとるんですか。いま、好かれなくとも、将来感謝される道を、なぜ選ぱないんです。いまのあなたの甘さ、優しさを、子供は将来、きっとうらむんです。わかりませんか?」
 2人は、黙ったまま、しばし睨みあっていた。への字に結んだ戸塚の口もとがピクピクと動き、父親の顔面は蒼白である。緊迫の一瞬であった。
 最初に目をそらせたのは父親である。
 戸塚は無言のまま、くるりと背を向けた。
 そして、少し離れた所にしゃがんでいる少年に向かって大またに近づいた。少年は、コーチに押えられたままの格好で、怯えたように後ずさりしようとした。
 戸塚はそのままスタスタと歩いて行った。少年は黙って下を向き、両親は茫然と、遠ざかって行く戸塚の後姿を眺めていた。
 「優しいだけではダメなんだ。誰かが悪役を買って出てやらなければ、子供たちは救われない」
 コーチたちと並んで歩きながら、戸塚はひとりごとのようにいった。

 彼らが河和の合宿所へ帰り着いたのは午前零時近くだった。
 翌日、少年の母親が再び合宿所を訪れた。戸塚たちが帰ったあと、子供をもう1度ヨットスクールに預けた方がいいのではないかと話しあったがダメだったと報告し、前夜の非礼をわびた。
 戸塚は前夜の激論を忘れたように快く応対した。そして、帰りかけた母親に、
「万一の場合は、いつでも連絡して下さい」
といった。
 母親はふっくらした身体を小さくしながら、何度も礼をいって去っていった――。


 ヨットスクールの日課。
 起床午前6時。
 「カツカツ、カツカツ……」
 コーチが木ヅチで木片をたたくと、広間の寝袋からトレーニングウエアのままの子供たちがモクモクと起き上がり、戸外に出て整列、点呼。脱走者はいないかの点検だ。
 百メートルほどの所にある砂浜に出て軽くランニングのあと、1時間たっぷりをかけて、厳しい体操。それは十種類に及ぶ。
 午前7時ごろ朝食。
 女性コーチの吉田恒美や山口伸子が女生徒に手伝わせて体操の間に作った朝食だ。運んだり、配膳したりするのは全生徒だ。食事は、ぜいたく病を治すため、質素を旨とする。
 食後は手分けして後片付けと掃除。
 9時少し前、海岸へ。
 まず、艤装(ぎそう)。ディンギーと呼ばれる1人乗りヨットに、各自乗れるよう帆をつける等の装備を整えるのである。そして、海へ。
 午前中いっぱい訓練。
 三角形に配置されたブイの外側約1,000メートルを1周するレースを何度も繰り返す。訓練の内容と意味は後に詳述するが、これが戸塚ヨットスクールを特徴づける治療法である。
 正午ごろから1時間、昼食と休憩。
 午後1時から再び海へ出てヨットの訓練。
 夕方5時から5時半までの間に、海岸に戻ってヨットを片付け、合宿所で水を浴び、着替え。
 夕食は6時すぎから。支度その他は、朝昼食と同じ。
 午後7時すぎ、近くの旅館『角屋』ヘコーチに引率されて、もらい湯。
 風呂から帰ると、当番は夕食の後片付け。他は自由時間。
 洗濯する者、マンガを読む者。テレビ、ステレオ等いまふうの娯楽、いっさいなし。
 勉強はヨットスクールではすすめていない。勉強とテストでダメになった子供たちだから、1度きれいに忘れることが回復に効果的である。
 ただし、親からぜひにと頼まれ、合宿所から学校へ通っている子供には、コーチが交代で10時ごろまで勉強を教える。
 就寝は9時すぎから各自、自由。家では夜中にステレオをガンガン鳴らしていた家庭内暴力の子供も、パタン、グー。不眠を訴える者、皆無。
 コーチも疲れはてて綿のように眠る。
 年中無休。元旦も全く変わりなし。
 「病気は元旦だからと休んでくれないんだ」
と戸塚はいった。

 戸塚ヨットスクールの教課の中心は、なんといっても、ヨットである。
 1人乗りの小さなヨットに情緒障害児たちが乗り、連日、朝から夕方まで競争を繰り返す。小さなヨットは、ちょっとした風にも、ささいな操作ミスによっても、すぐ転覆し、子供は海中に投げ出される。
 ライフジャケットをつけているから、溺れることはないが、いつまでもつかっていると、水の冷たさが身にしみる。
 情緒障害児の治療には冬の海が最も効果的、というのはそのためである。
 転覆しても、コーチは助けてくれない。
 ヨットを起こすのも、海からヨットヘはい上がるのも、錨(いかり)を上げて再びヨットを操作するのも、すべて自分でやらなくてはならない。
 凍え死にそうな冷たい水につかっているか、ヨットを動かすかの二者択一を迫られる。
 転覆したのは親が悪いからでも、新しい担任の先生が気に食わないからでもない。
 自分の技術が未熟だからである。
 だから、転覆するのがいやなら、コーチや先輩たちのやり方を見て、一所懸命に覚えなくてはならない。
 自分の未熟さ、能力の限界を思い知り、自分が生きるために必要と感じて、自ら学はうとする。
 「それが教育です」
と、戸塚はいう。
 「教育とは教えないこと」
とも彼はいった。
 「しかも、われわれのやり方の優れている点は、海とヨットがそれをやってくれることです」

 周知のように、ヨーロッパでは、英王室をはじめほとんどの国でヨットが王室のスポーツとして、採り入れられている。
 日本ではその貴族趣味とカッコよさにあこがれるおもむきがあるが、実は、単なる遊びとしてではなく、王室といえど支配することがかなわない大自然の中で、ヨットを操縦することによって人間としての限界を知り、その自己と闘う精神力、判断力を養い、指導者としての人間形成に資するとともに、欲求がすべて満たされた環境の中で生命力が枯渇するのを防ごうとする企図が、こめられているといわれる。
 マイホームという日本の王城はヨーロッパのそれに比すべくもなくつましいが、父親の生命力の衰え、母親の過干渉、欲しいものはほとんど手に入る物質的豊かさ、わずか30分の間に人を殺したり夢がかなえられると錯覚させるテレビ番組の休みない襲来は、精神力の脆弱(ぜいじゃく)な"王子"たちを作り上げるには不足のない環境であるといえる。