精神と肉体が不可分な海


 小高い丘に立って河和の海を見渡すと、白、黄、オレンジと色とりどりの帆を立てた小さなヨットが青い海面に点在し、一定の軌跡を描いて、ゆったりと動いている。
 ヨットを浮かべた入り江はそのまま広がって三河湾となり、よく晴れた日には対岸の三河を一望に見渡すことができる。
 風を受けた青い海は、無数の飛び魚が移動しているかのように白い波頭を太陽にキラつかせ、そのあい間を大きな貨物船がゆっくりと進んで行く。
 風の吹き抜ける木々のざわめき、鳥のさえずり――。
 事情を知らない旅人にとっては、平和な閑村の心なごむ風景である。ゆったりと動いているかに見えるヨットで、子供たちの再起と家庭の平和を賭けた戸塚たちの闘いが繰り展げられていることに、旅人たちが気づかなかったとしても不思議はない。

 「もっとシートを引かんか。シートを引け、シートを!」
 コーチの怒号がヨットの上の明子に飛んだ。
 明子は長崎から連れてこられた登校拒否の女の子である。登校拒否がさらに悪化し、母親の貴重な宝石を捨ててしまったり、1万円札に火をつけて燃やしてしまうなど家庭内暴力が出るようになり、思いあまった親が戸塚ヨットスクールへ預けたのだった。
 「もっと身体を乗り出せ!そんなに怖いのかッ!」
 高速艇に乗ったコーチがエンジンをいっぱいに吹かして、明子のヨットのまわりをぐるぐると旋回しながら叫んでいる。
 向かい風でヨットを速く走らせるには、帆に出来る限り多くの風を受け流し、身体をヨットからいっぱいに乗り出してバランスをとるように操縦しなくてはならない。
 だが、ほとんどの子供はヨットから海面の上に身体をいっぱい乗り出すことを、怖くてできない。身体を乗り出さないままシートと呼ばれるロープをいっぱいに引くと、帆に大量の風を受けてバランスを失ったヨットはたちまちにして転覆してしまう。
 明子も、コックピットと呼ばれる艇のくぼみにうずくまったままでシートだけを強く引いた。
 ヨットはひとたまりもなく転覆し、彼女は波間に放り出された。
 「早くヨットを起こして、乗らんかッ!」
 コーチの怒号が再度、飛ぶ。
 明子はセンタボードと呼ばれる、ヨットの底から突き出ている板につかまって懸命にヨットを起こそうとした。だが、強い風と荒波にはばまれてヨットはなかなか起きない。
 冷たい水の中で、明子の格闘が続く――。


 「なにをいうかッ!お前たちを教えているコーチは、みんな一流のヨットマンたちだ。何も知らん小娘が、なまいきな口をきくんじゃないッ!」
 校長の戸塚が明子を睨みすえながら怒鳴りつけた。
 骨太の声が部屋じゅうに響きわたり、他の生徒たちの顔も一瞬、緊張にひきつった。明子はその気迫に押されて、あとずさりをした。

 夜の反省会。
 校長を中心にコーチ、生徒が集まって1日の問題点を洗い直す。その席上、ヨットの乗り方の不手際をコーチから指摘されたのに対し、明子は、
 「コーチにいわれたとおりやったんです」
と口ごたえをした。
 戸塚が烈火のごとく怒ったのはその時である。
 明子のような口のきき方は、少しばかり頭がいいとうぬぼれている子供たちの通弊である。学校の成績にばかりこだわる親たちはそのうぬぼれを、いさめるどころか得意にさえしかねない。

 明子は、いつもと勝手の違う相手になおも食い下がろうとしたが、戸塚の気迫に圧倒的に押しまくられてしまった。
 「コーチが間違っているというのなら、お前の思うとおりにいまから乗ってみろ。出来るかッ!」
 戸塚は実行の伴わない議論を否定する。いうのならやってみろ、やれないのなら、いうなと至極明快。
 それ以上何をいおうと、たとえ相手が親たちや他の大人たちであっても耳を貸さない。
 ヨットを舞台にケンカをやって、明子が戸塚にかなうわけがない。親が相手だと、それでも延々と理屈にならない自己主張が続き、さらに気に食わないと家庭内暴力、と発展するのだが、ヨットスクールでは鉄拳が待っているだけである。
 なぜ、殴るのか――。

 「私は大人を殴らない。その代わり面倒もみない。大人は自分で責任をとれるはずだから。子供を殴って教えるのは、彼らが一人前でないから。その代わり、治療し、立ち直らせるという形で私は責任をとっている」
 これが戸塚の説明である。
 明子はいまだかつてこれほど厳しく叱られ、かつ、大人とのけじめをはっきりと思い知らされた経験を持たなかった。
 翌日から、彼女の態度に少しずつ変化が見えはじめた。相変わらず無口で反抗的、理屈が先走るところは、すぐにはなくならなかった。
 しかし、コーチが
「もっと身体を乗り出せ!」
と叫ぶと、明子はこわごわ身体を海面上に乗り出そうとした。
 もちろん、ヨットはすぐ転覆してしまうのだが……。


 入校してきた時の明子は戸塚から見ると、最も嫌なタイプの女の子だった。
 もっとも、ヨットスクールへ連れてこられるような連中の中に、好もしく、爽やかな子供などいようはずもないのだが。
 「それにしても」
と戸塚はよく思うのである。
 「あれは嫌な感じのする子だった」
 いずれ劣らずいやな感じのする情緒障害児たちの中にも、たとえば突っ張ってばかりいるけれども、どこか間の抜けた可愛いさがあるといった生徒がいないわけではない。
 ところが、明子は違っていた。
 明るさ、無邪気さが全くない。
 頭のいいのを鼻にかけて反抗的。行動が伴わないのに口だけは達者で、理堀をいう。
 目は輝きを失って無感情。それでいて人を小バカにしたような表情をする。
 ランニングをさせると、みんながゴールに入っているのに、明子だけはまだ真ん中あたりをドタドタ。
 体操でも腕立て伏せを1回も出来ずにくずおれてしまう。
 ヨットのレースをやらせても、びりっけつ。

 ところが、その明子が戸塚にこっぴどくやっつけられたのを境に徐々に態度に変化を見せはじめ、やがて、目を見はらんばかりに変わっていった。
 もともと、長崎の中学では500人ほどいる学年で1、2位を争ったことのある優秀な素質を持った子供だけに、立ち直りはじめると物わかりが早い。
 ヨットの訓練でコーチたちのいうことをよく聞こうとするのと同様に、生活面でも、いままではちょっと目を離すとすぐ怠けていた部屋の掃除や食事の後片付けなどを自分から進んでやるようになってきた。
 返事も、
「ハイッ」
と、ハキハキと素直にするようになっている。
 体操でも大きな声で号令をかけ、厳しい運動の苦しみに進んで耐えようとしていた。
 学校へ行かずに部屋の中にばかり閉じこもっていたせいで、白くふやけていた顔が日焼けと潮風で血色がよくなり、目に感情が戻って、輝きが出てきた。
 なまじの頭のよさを鼻にかけていた生意気な態度が影をひそめ、謙虚さ、やさしさ、他人を思いやる気持ちが随所に見られるようになった。
 そうなると、不思議なことに、ぶよぶよだったずん胴の身体が凹凸のはっきりした女っぽさをただよわせてくる。
 「これが1万円札を燃やした子か!?」
とコーチのだれもがいぶかった。


 風は微風。彼もなかった。
 空は抜けるように青く、海上から三河一帯がくっきりと見渡せる。
 子供たちを激しくしごく訓練には最適とはいえないが、ゆったりとヨットを楽しむには快適な日和である。
 錨(いかり)を下ろした本郡指令船を遠巻きにして20隻近い小さなヨットがレースを繰り展げている。河和の沖合でいつも見かける、戸塚ヨットスクールの訓練風景である。
 コーチの東秀一は本郡指令船の上からレースの展開を眺めながら、先頭を走っているヨットに注目していた。
 トップグループの数隻が一団となって追いあげているが、先頭のヨットはどうやら他をおさえてゴールヘ逃げ込みそうである。あと100メートル、90、80……ゴールヘ近づくにつれて東は思わずこぶしを固く握りしめていた。
 30メートル、20、10、ゴールイン!
 先頭のヨットが逃げ切ってゴールに入った瞬間、東は不覚にも拍手をしてしまっていた。
 それにつられて、本部船に乗り込んでいた同僚のコーチや生徒たちも拍手を送った。東が振り返ると他のコーチたちも興奮気味の表情で互いに顔を見合わせていた。

 コーチたちはふだん、たとえ心の中でどう思っていても、子供たちに対してはやさしい態度を示したり、褒めたり、励ましたりすることがない。
 甘え癖のついた子供たちを厳しい環境の中で鍛え、精神力をつけさせることを教育と治療の基本方針とする戸塚ヨットスクールの鉄則でさえある。
 その"鬼のコーチたち"が興奮し、不覚にも拍手を送ってしまったほど、その出来事は大きな意味を持っていた。
 「モグラが優勝した。それも、3回続けて!」
 東も、他のコーチたちも、胸に熱いものがこみ上げてくるのを、じっとこらえていた。
 目の前で起きていることが奇跡のように思えてくるのである。

 モグラは中学3年の男の子だが、身体の発育程度や立ち居振る舞いからは小学生のような印象しか受けない。
 モグラ自身、まわりにどう反応していいのかわからず、キョトンとしている。みんなから拍手が送られると、彼は周囲をキョロキョロ見回し、やっと白い歯を見せ、恥ずかしそうにニッと笑った。
 「モグラが笑った!」
 コーチたちは一様に心の中で快哉(かいさい)を叫んだ。東はこの子供を初めて迎えに出向いた時の、異様な印象を思い起こしていた。


 モグラは幼いころから部屋にこもり、折り曲げた両膝をかかえるように座って、1日中テレビを見ていた。
 父親は会社員、母親は小学校の教師。
 昼間はいつも両親のいないカギっ子で、昼食はカップめんという生活だった。
 登校拒否が始まったのは中学1年から。ヨットスクールへ連れてこられる3年まで、始業式と終業式以外は、ほとんど学校へ行っていない。
 学校は家の真ん前にあり、「行ってきます」といって玄関を出れば、もう校門という近くにあるのに、である。
 学校へ行かなくなってからも同じ格好でずっとテレビを見、カップめんを食べていた。テレビを見るといっても、積極的に何かの番組を見たくて、かじりついているというのではない。画面に何かが映っている間、漫然とその前に座っているのである。
 幼いころからそうだから、遊び友達がいるわけもない。ますます家の中に閉じこもってしまう。
 無口で、性格のおとなしい子で、家庭内暴力をふるうような元気さえない。

 「おとなしくて、いい子なんですががねえ」
 迎えに行ったコーチの東秀一に、父親はいったものである。子供が連れられて行くというのに、教師である母親は学校に行っていて家にいなかった。カップめんを食べさせて平然としている神経といい、いわゆる「母原病」の典型的なタイプである。
 ヨットスクールへ連れてこられるまで、その子は自分1人で児童相談所へ通っていた。珍しいケースだが、相談所にはやさしいお姉さんがカウンセラーとしていて、いろいろ話をしてくれる。
 彼は週1回、そのお姉さんに会えるのが唯一の楽しみで、進んで通っていたというから、よほど母親の愛情に飢えていたのかもしれない。

 東が、首都圏のある市にあるモグラの家まで車で迎えに行った時、小学生くらいの男の子がヨタヨタとお茶を運んできた。中学生の登校拒否と聞いていたので、兄がいるのだろうと思っていると、
「あの子です」
と父親がいった。
 子供は精神的にも肉体的にも発育が停止し、委縮してしまっているようであった。
 その子は珍しく素直についてきた。
 「ヨットに乗って、身体を鍛えておいで」
 父親からそういい含められ、ヨットに乗れるのを楽しみにしていたそうである。
 厳しい訓練がひかえていることなど、モグラは思いも及ばなかったに相違ない。

 ヨットスクールで訓練を始めてみると、モグラは最も重症の情緒障害にかかっていることがわかった。
 登校拒否でも、積極的に拒否する子供や家庭内暴力に向かう子供は、まだそれだけの気力を持っているという解釈が成り立つ。
 ところが、モグラはまるで魂の抜けた、抜けガラのような人間、あるいは、動かすと反射的にわめき声を出す人形のようなものだった。
 体操をさせようとすると、ギャーッ。殴るかまえを見せただけで、ギャーッ。
 放っておけば1日中でも、膝をかかえたまま、部屋の隅にうずくまっている。
 そのうえ、長い間、同じ姿勢でテレビを見、カップめんばかり食べていたために、肉体的にも異常をきたしていた。
 脚は極端なX字型。足は、はっきり八の字型とわかるほどの内またで、びっこをひいている。
 背中は猫背のくせに、首だけ前へ突き出している。膝をかかえ、丸くなって、すぐそぱでテレビを見ていたせいだろう。さらに、胸が前へ飛び出している。

 「ウーム。これは、いくらなんぼでも、手に負えんかもしれんぞォ……」
たいていのことでは弱音をはかない校長の戸塚がモグラを見て大きな溜息をついた。
 情緒障害だけならいくら重症であっても、これまでにも治してきた。しかし、身体がこんなにいびつになっているのは一種の身体障害であって、医師ではない戸塚の手に負えるはずがない。
 そのうえ、情緒障害を治すには激しい体操によるしごきと、ヨットの厳しい訓練が不可欠だから、身体に障害があると訓練に耐えられない。
 だが「出来ない」といって引き下がるのが何よりも嫌いな戸塚は「返してこい」とはいわなかった。
 「出来るところまでやってみようじゃないか」
 戸塚はそういってモグラを引き受けてしまった。
 「あれが、ウチの校長のいいところであり、欠点でもある」
 コーチたちはそう思った。
 頼まれるといやといえない性格の戸塚は、ヨットスクール本来の対象でない知恵遅れの子供を何人か無料で面倒見たり、精神分裂の疑いを持たれている子供を同じように「やれるところまでやってみましょう」といういい方で引き受けていた。
 以来、校長をはじめ全コーチたちはモグラとの苦闘を続けてきていたのである。


 「オイ、モグラが涙を流したぞ。見たか!」
 コーチたちが胸はずませて話し合ったのは、東秀一がモグラを引き取ってきてから3カ月たったころである。
 意思も感情も眠っていたモグラが初めて見せた感情の表現であった。
 それまで彼は、どれだけ大声で叫んでも、苦しそうな表情をして見せるだけで、目に涙が浮かんだことがなかった。
 ヨットスクールへ来てからのモグラは、どんな粗暴な非行や暴走族よりも手間がかかった。彼らはともかくも動こうとする。が、モグラは殴られても、海へ放り込まれても、ただわめいて逃れようとするだけで、何もやらない。
 「なんといわれてもいいから、返してくるか」
 ふだんはグチをこぼしたことのないコーチたちがさすがに疲れはてて、こんな言葉がつい漏れてしまう。
 だが彼らはまた思い直して、再びモグラとの苦闘に取り組むのだった。
 とくに、モグラを自宅まで迎えに行った東コーチの苦労はひとかたではなかった。

 夕食、風呂を終わってからの、しばしの自由時間。みんながマンガを読んだり、ダベったりしている時にモグラだけが部屋の梁にぶら下がって懸垂をやらされている。フラフラになってもなお、東の怒号と鉄拳が飛び、モグラは悲鳴を上げる。
 事情を知らない者が見れば、東がモグラだけをいじめているように思うはずである。だが、東もまた、1日の激しい訓練が終わり他のコーチたちが休んでいる時、モグラにつきっきりで怒鳴ったり、しごいたりしているわけだ。デモシカ先生ならとっくの昔に家へ帰って休んでいる時間である。
 東にかぎらず、校長以下のコーチたちにとってはそれぞれに「気にかかる子」がいる。自分がたまたま迎えに行ったという理由から気にかかる子もいれば、なんとなくウマが合う子もいる。すると、コーチたちはそれぞれ自分の気にかかる子の担当のように、いつの間にかなってしまい、つきっきりで一段と厳しくしごくことになる。モグラなどは「東門下生」と冷やかされたほどだ。
 それだけに、モグラの涙を初めて見た時のコーチたち、とくに東秀一の感慨はひとしおだった。
 山口孝道コーチは悲鳴をあげながらしごきに耐えているモグラの姿を見て、
「あれは情緒障害の子供が生まれ変わる陣痛のようなものだ」
と感慨深げに語った。

 涙を見せたのを境に、モグラに少しずつ変化が見えはじめた。こういう子供たちは、訓練を受け始めてから徐々に変化しているはずなのだが、ちょっとした出来事をきっかけにその変化がはっきり見えはじめる。
 モグラから、わめき声が少しずつ消えてゆき、やがて、苦しい体操にも唇をふるわせながら耐えようと努力している様子がうかがえるようになった。
 体操の号令の声も少しずつ大きくなり、ランニングやヨットもしんがりを抜け出した。
 不思議なことに、肉体の異常も、ほんのわずかずつだが直りはじめていた。階段を、老人のように1段ずつ、ゆっくりとしか上がれなかったのが、片足でピョンピョンと上れるようになると、X字型の脚、極端な内またまでが矯正されていく感じだった。
 ふつうの情緒障害児は身体を鍛えることによって精神のねじれを矯正していくのだが、モグラの場合は身体を鍛え、精神のねじれが治るに従って、再び肉体の異常までが矯正されるという得がたい効果を生みつつあった。
 いずれの場合も精神と肉体が不可分であることを物語っている。
 「これは新しい試みになるかもしれない」
 戸塚は期待と自信を深めている。
 モグラがヨットレースに連続優勝したのは、それから間もなくのことである。