海とヨットに魅せられたコーチ
ヨットスクールにはいま、戸塚宏校長以下常勤、非常勤合わせて16人のコーチがいる。
うち、女性は3人。
可児煕允、加藤忠志、東秀一、横田吉高、山口孝道、境野貢、小杉信雄、村上光昭、竹村聡、東山洋一、土井一輝、ダグラス・マクレーン、磯貝桑次。
吉田恒美、山口伸子、岡山千津子。
ほとんどはヨットと海が好きで戸塚のもとに集まってきた人たちだが、年齢、経歴とも変化に富み、いかにも新しい試みを始めたばかりの草創期の学校の観を呈している。
たとえば、加藤コーチは国体で優勝、入賞の記録を持つベテランのヨットマン。ヨットのスナイプ級で、昭和33年優勝、35年と36年は2位、37年と38年は3位――と赫々たる成績。
他に、ラジコンで操作する模型ヨットのマニアという隠れた特技を持っており、昭和52年から開かれている模型ヨット全日本選手権では、56年まで5回のうち、53、55、56の3回優勝、さらに国際選手権にも出場して50年の英国大会では2種目に4位入賞、55年のカナダ大会でも1種目に4位入賞をしている。
模型ヨットはもちろん自作だから工作の腕は大変なもので、ヨットスクールでも漁師が廃船にしようとしているような無蓋船を買ってきて、覆いや屋根を取り付け、操縦室まで付いた立派な船をたちまちにして造り上げてしまう。
器用さという点では村上コーチもなかなかのもので、ヨットスクールヘコーチとして入ってくる時に、「飛鳥」と命名した手造りのヨットを携えてきたほどである。
東コーチはサラリーマン、横田コーチは自営業だったが、海とヨットの魅力に抗し切れず、この仕事に飛び込んだ。
小杉、竹村コーチらは大学を出てすぐヨットスクールへ。ヨット好きの小杉は大学時代にアルバイトできていて、情緒障害児を立ち直らせる仕事に精魂を傾けている戸塚ら先輩たちの婆に感動してそのままのめり込んでしまった。竹村は筑波大学を卒業後、さらに同大学教育研究科で研究を重ねたのちヨットスクールで実践に入った。
長崎造船大学出の境野はこのヨットスクールのコーチとして神戸ポートピア博記念太平洋横断レースに出場、近く郷里熊本の医師の娘、古閑千恵子と結婚の予定。新婦は名古屋市にある戸塚の自宅兼ヨットスクールの事務所で、戸塚夫人幸子を助けて事務をとることになっている。
山口孝道、山口伸子の両コーチは新婚間もないカップル。伸子は旧姓山本といって、保育園の先生になろうと思っていた子供好きの女子大生だったが、学生時代、情緒障害児訓練に関心を抱きヨットスクールを見学にきたのがきっかけで、この仕事の魅力にとりつかれて、卒業後コーチとなり、やがて先輩である山口孝道コーチ夫人となった。
吉田コーチは看護婦としてのキャリアを積んでおり、身体と精神の虚弱な子供たちを対象に、激しい訓練を日課とするヨットスクールにとっては欠かすことのできない貴重な存在である。
東山洋一、土井一輝、岡山千津子の3人はいずれもかつての情緒障害児たち。東山は登校拒否、土井は暴走族、岡山は非行。3人ともヨットスクールで戸塚たちの厳しい訓練に耐えて立ち直り、そのままコーチとして昇格を許された。
とくに東山洋一はヨットマンとしての技術向上著しく、戸塚宏の推挙によって神戸ポートピア博記念ヨットレースに出場、18歳、世界最年少で1人ぼっちの太平洋横断に成功、見事5位に入賞した。
ヨットスクールでは"謎の人物"とされているのが戸塚校長に次ぐベテランの可児コーチ。推定30代後半にして独身。年齢、経歴、過去をいっさい語らず、表面に立たず、写真を撮られるのさえとことん逃げるシャイな男で、まさに影のごとく戸塚の補佐役をつとめている。検事を目指す優秀な法学徒だったが、学生運動で挫折、世捨て人のごとくさすらって海へやってきた――男のロマンを絵に描いたような噂が周辺で語られている。たまの休日には飄然と姿を消して行方不明になるが、ヨットスクールを卒業した教え子たちの家をひそかに訪ね歩いているらしいと噂されている。なんとなく、みんなから一目置かれているNO,2である。
戸塚ヨットスクールには2人の異色の非常勤コーチがいる。
1人はダグラス・マクレーン。
ハイスクール3年、17歳の少年だが、来るべきロサンゼルス・オリンピックの候補選手になっている。
アメリカ・ヨット界のホープである。
もう1人は磯貝桑次。
明治35年生まれの79歳。
かつて、名古屋あたりのその筋の間では「河和の磯貝」といえば、ちょっと名前の知られた侠客(きょうかく)であった。はるか昔にその道から足を洗い、郷里の河和に引っ込んで、いまや老妻と2人、楽隠居の身だが、足を洗った理由が、この世界からも仁侠がすたれてしまったから、という。
「素人衆には手を出す、弱い者はいじめる。けんかが弱いくせに、金と権力と女には薄汚くなる……おらあ、そんな世界がほとほといやになった」
海岸沿いの静かな生活を愛していた磯貝に、1つの情熱を与えたのがヨットスクールだった。
79歳にして斗酒なお辞さず、かくしゃくとした磯貝は、毎朝5時起きをして、河和の海岸沿いに一里の道を散歩するのを習わしにしていた。
そんなある日、彼は散歩道に近い海岸に異様な光景を発見し、毎朝、見に来るようになった。ヨットスクールの体操だと、後でわかるのだが、元侠客のこの老人はヨットスクールのなんたるかを知らないうちから、眼光鋭く筋骨たくましい戸塚たちと、感動を失った子供たちとの葛藤の光景から、ここで行われていることの意味を感じとった。
「暴力はやめなさいッ!」
と叫んだ"善良な市民"と磯貝の受け止め方は対照的であった。
磯貝は戸塚やコーチたちと、言葉を交わし、合宿所へ出入りしているうちに、いつの間にか非常勤コーチを買って出るようになった。
朝は6時前にちゃんと合宿所に姿を見せて、全員を起こす。体操も一緒にやり、背筋をピンと伸ばし軽々と腕立て伏せをやって見せながら、
「こんなジイがやれるのに、なぜ出来ん!」
と、一喝するのである。
老人に名をなさしめて、くやしい!と思うような子なら、ヨットスクールに来る必要はないのだが……。
磯貝は、ヨットスクールを修了した子に就職の世語をしてやり、学校へ行く子の下宿を捜してやり……戸塚たちを感激させている名物老人である。
ダグの乗ったヨットは、他の少年たちをぐんぐん引き離していく。スタート地点の選び方、タイミングの計り方、微妙に変化する風の方向と強さへの合わせ方、身のこなし……。
どれをとっても他の子供たちとは比較にならない技量を発揮し、オリンピック候補選手のすごさを目の当たりに見せつけた。
「全国かざぐるま大会」――全国に6カ所ある、普通児を対象とした戸塚ヨットスクールの代表たちによる競技大会が2日間にわたって河和で催された時"招待選手"の形で参加したダグラス・マクレーンは、7回のレースに圧倒的強さを発揮して全勝優勝した。
この大会には河和で合宿訓練を受けている情緒障害児たちの代表も参加した。
興味深かったのは、台風接近を伝える荒れ狂った海では、連日厳しいしごきを受けている障害児たちの方が、普通児よりはるかに勇敢にヨットを乗りこなしていたことだ。
大会が終わると、ダグを講師として実地訓練、講義が連日、行われた。昼間はダグが指令船に乗ってマイクを握り、走法の指導。夜は合宿所で理論の講義。それを、アメリカのダグの家に預けられている土居秀彰という少年が通訳する。
ここの情緒障害児たちは第1級の国際的ヨットレーサーと、オリンピック候補選手という、願ってもない指導者たちの薫陶を受けたことの価値を、いずれは理解する日がくるのだろうか。
ダグの父親は戸塚のアメリカにおける知人である。政府機関に勤める高官で、地位、収入とも豪邸に住んで不思議のない立場にありながら、
「子供は一人前になるまでぜいたくをさせてはいけない。だから、親も一緒の生活をする」
と、一家、ヨットで生活をしている。
ロサンゼルス郊外マリナ・デルレィという世界一のヨットハーバーに、両親は長さ12メートルの日本製ヨット、一人息子のダグはその隣に6メートルのヨットを停泊させ、そこから学校にも通っている。
ダグは、小遣いも、ヨットを買う資金も全部、アルバイトをして自分で稼ぐ、厳しい育てられ方をしている。
ダグの家庭に預けられている土居秀彰は横浜の煎茶の家元の息子。軽い登校拒否でかつて戸塚の所に来ていたが、頭とヨットがずば抜けて出来るので、日本に置いておくのは惜しいと、戸塚が留学を勧めたのだった。
以来、ダグは学校が休みになると土居の里帰りについて日本へやってきて、戸塚ヨットスクールで情緒障害の子供たちを相手に非常勤コーチとして、実技、理論の指導に当たっている。
戸塚ヨットスクールのコーチたちはみんな、家族と離れて合宿所に情緒障害児たちと一緒に泊まり込んでいる。早朝から夜までの激しい訓練、夜中はトレーニングウエアのまま寝袋に入り、四六時中生活を共にしている。名古屋や大阪の自宅に帰るのは月に1度か、2度。
たとえば、名古屋の自宅兼事務所で留守を預かる戸塚校長の幸子夫人などはコーチたちから"未亡人"と呼ばれている。
「未亡人から電話……」
というから誰のことかと思うと、戸塚夫人なのである。
戸塚校長が自宅に泊るのは月に1日あるかなし。新入りの子供を迎えに行くとか、講演とか、所用で名古屋を通過する際にはできる限り自宅に寄るように努めているようだが、忙しい身体なので思うにまかせないことが多い。
戸塚には淳子、洋子という女の子が2人いる。1人は昭和49年、下の方は53年の生まれ。
家に帰った時の戸塚は、これが"鬼の校長か"と目を疑うほどの甘いパパぶり。可愛い女の子2人が両側からぴったりまとわりつき、それを戸塚は両手で抱え、目尻を下げて、いい子、いい子……。
「ボクだって自分の子供のこととなるとからっきし自信がない。だから、厳しく仕込むのは他人の役割りなんだ」
というのが戸塚の理論。
ほとんど母子家庭同然なのに幸子夫人の育て方がいいせいか、デキた娘さんたちで、父親の戸塚がヨットスクールへ向かおうとすると、
「パパ、今度はいつ来るのォ……」
などといいながら手を振って見送っている。
親子の対話がないから子供がおかしくなる――などという話はここでは通用しないようだ。
戸塚もコーチたちも家族とは離ればなれの生活、いわば、他人の子供を立ち直らせるために自分の家庭を犠牲にしているようなものだが、犠牲にされた家庭の子供たちは伸びやかに明るく育っているのだから、神は味な采配をしている。