薪割りは徳育
いわゆる"事件"でマスコミに騒がれていた頃、スクールに近所の植木職人のおじいさんが暇を見つけては手伝いに来てくれていました。ある時、薪割りの指導をしてもらいました。映画などで見るのと違い、輪切りにした丸太から薪を作り出すのが「薪割り」でした。
まず、「勝手にやってみろ」と言われてやってみるのですが、斧が跳ね返されるばかりでまさに"刃がたちません"。半日経っても丸太のままです。
おじいさんにお手本を見せてもらうと、10分もかからずに薪にしてしまいます。刃を年輪に並行に(接線方向に)あて、まるでキャベツの皮をむくように、まるで丸太の周りに花が咲くように、斧(おの)をストンストンと落とすだけでパラパラと薪の"もと"ができていきます。丸太は最後まで動かさずに、人間の方が周りを動いていきます。あとは、小さな鉈(なた)で適当な大きさの薪にしてできあがり。
さっそく真似をしてみますが、うまくいくものではありません。ここで己の実力が分かり、おじいさんに強烈な尊敬の念が湧いてきます。おじいさんの指導が始まります。
薪割りから見えてくるもの
まず、「己を見よ」。
――「腰がふらついている。目がすわっていない。体の向きが悪い。肩がまっすぐじゃない」
「足の開きが悪い。何でサンダルを履いてるんだ!」
「丸太に意識を集中してないだろ!」
「力を入れすぎ!力で何とかしようとしているんだ。逃げてるんじゃないのか!」
…要するに、「肉体も精神も不安定である」ということです。
次に、「丸太を見ろ」。
――「南向きだったところは年輪が開いているだろう。柔らかいから、まずそこから欠いていけ」
「節、枝はとても硬いから、そこを避けて周りを欠いていき、最後にポロリと抜くようにしろ。どうしても避けられない節は割ってしまえ」
「丸太を動かすな、重いだろ。コラ、倒す奴があるか!」
「切り欠いた木を遠くへ飛ばすな!拾いに行かなきゃならん」
「力を入れるからだ。それに、刃の向きと年輪の縦方向が合ってない。木はねじれているんだぞ!」
…要するに、「目を読め」ということです。
そして最後は「斧を見よ」。
「道具は人と物を結ぶもの。その作用点(線)スピードエネルギーがちゃんとしてなくて何ができるか」
「グリップに力が入りすぎてる!刃がまっすぐに落ちていない」
「刃先に力がこもっていない。余分な力を入れるな!食い込ませたら抜くのに力がいるだろう」
「持ち上げる時、前の手を刃先の方にもっと移動させて」
「周りに人がいるだろう、気をつけるんだ!」
それから延々とトレーニングが始まる。「おぬし、できるな」と言われるのは遠い先の事です。
「小児を教うるには、先ず安詳恭敬(あんしょうきょうけい)ならしむるを要す」
「致知(原文では"到知"となっていますが)より知止に至り、誠意より平天下に至り、灑掃(さいそう)・応対より窮理・尽性に至る」
(いずれも『小学』)
薪割りには徳育のために必要なものが全て入っています。