六芸 <楽 II>


六芸 < 楽 U >

「システム工学」

「システム工学」(中森義輝 コロナ社)を読むと、楽のことが非常によく分かります。

「システムとは、構成要素の相互的存在または相互的働きによって、集団全体が特定の性質を持つものである。 工学分野では、たくさんの要素がつながりあった人工物をシステムといい、政治・経済・社会学の分野では、 法律や制度の体系をシステムという。 経営学の分野では組織の形態をシステムという」

「集団全体が特定の性質を持つもの、というよりも、集団全体が特定の目的を持つものというように範囲を制限したい」

「システム思考とは集団が何の集まりか、という実体的認識ではなく、いかに集まっているかという関係的認識である。 システム思考法に基づいた体系的、組織的な問題への接近法をシステムズアプローチという」

 

1.

ここまではNHK TVの「プロジェクトX」にでてくる、プロジェクトリーダーの苦労を思い浮かべてもらえば良く理解出来る事でしょう。

「近代科学は客観性を重んじ、主として分析的なアプローチにより、物事の本質を明らかにしようとしてきた。 近年、人間が扱う対象が複雑大規模になってきたことから、総合性を基本的思想とする科学であるシステム科学が登場した。 しかしながらシステム科学は他の科学的技術と同様、西洋の近代合理主義の路線上を歩んできた。 したがって、人間の意志や行動に左右されるシステムに適用しようとするとき困難に直面することとになった」

教育(学校)はまさに「人間の意志や行動に左右されるシステム」ですから、システム思考がある、なし関係なく、合理主義ではうまくいかない、 楽は望めないのでしょう。 進歩も楽です。 巷にあふれるまことに幼稚な人間性しか持ち合わせない若者達、中年達は戦後合理主義教育により、 人間性、社会性を進歩させ損なった犠牲者達です。

 

2.

「システム工学においては、対象を一度分解し、システム構造を介して組み立てるシステマティック(Systematic)な方式を採用している。 要素還元主義と非難され、加算的組み立てに終わってしまう危険性を指摘されるゆえんである」

加算的組み立てだけなら単なる「和」であり「楽」にはなりません。

「一方、西洋近代科学のあり方に疑問を持つシステム科学者達によって、 対象自体の形成過程を配慮し、創発的全体性に注目するシステミック(Systemic)な方式が提唱されている」

これが「最近20年間のシステム学会の傾向」だそうですが、孔子は2500年前にこれを提唱していたわけです。

「中国哲学は古代から調和と全体主義に対する信念によって特徴づけられる」

「人間の考え、意図、行動という生活世界はその環境と切り離しては理解出来ない」

「人間の道と知と行はたがいを系統的に制約すると同時にたがいを支えている」

 

3.

わかりにくい言いまわしですが言わんとする事は分かりますね。 中国のシステムアプローチに「物理」「事理」「人理」が有ります。 薪割りというシステムを考えるなら、「物理」は丸太、その大きさ、ふしや枝の具合、年輪の様子、腐りやすいか、適当な大きさか、形は。 丸太を置く土台は平らでしっかりして固いか。 場所は広くてじゃまな物はないか。 斧はバランス良く、適当な重さで、適当な鋭利さ、柄は握りやすいか。 「事理」は割る人の技術は高いか、その人の技術を発揮させるコンディションは整っているか。

「人理」は、薪を使って火をおこす人は満足するか、です。 人理の所で楽が起こります。 又薪を割る人にも楽が起こっています。

経営でも教育でも同じメカニズムで楽が生ずるのですから、指導者は「物理、事理、人理」を常に頭に置きながら、 システムの目的に合わせて行かねばならぬ、という事です。 なお礼は「事理」に対して取ります。

指導者に礼がなければ楽を生じさせる事は出来ません。 又進歩も楽である事を忘れてはなりません。

4.

手をつないで皆一等賞でゴール、先生とお友達、体罰反対、叱るより誉めろ、通知表反対・・・では先生にも生徒にも礼は生じませんから進歩はありません。 共産主義国家が全部駄目になってしまったのは、事理・人理を十分に考えない、礼無き社会だったからではないでしょうか。