六芸 <楽 III>
音楽との関係
六芸で言われている楽は音楽の事です、音楽は「音」の「楽」ですから、楽にする基本的な能力を養成するにはもってこいなのでしょう。
音楽は、楽になったかどうかは耳で聞けばすぐにわかります。 楽にする為にはそれぞれの楽器の能力をうまく、適切に発揮させねばなりません。 演奏者は、忠であらねばならないのです。
そこで指揮者は、どのようにあらねばならぬか、が問われることになります。 これを社会に応用すればいいんですね。 「対位法は二つの次元で展開する。水平方向と垂直方向、つまりメロディーと和声だね。 対位法では二つかそれ以上のメロディーが同時にひびく。 メロディーがたがいにどんなふうにひびくかということは、無関係に組み立てられていながら和声をつくらなければならない。 それが対位法だ。 音対音というのが本来の意味」。(「ソフィーの世界」対位法)。 「ソフィーの世界」に「対位法」という項がなぜあるのか、完全には理解できませんが、「理性(哲学)」の世界と「現実」の世界の融合(楽)のように思えます。 ここでも音楽を例に使っています。 リズム・メロディー・ハーモニーからなる音楽は、その一つ一つが、それ自身楽ですが、集めると、もっと素晴らしい楽になります。 単なる音だけなら、それ程心をとらえるわけではないのに、太鼓のようにリズムだけで心を揺さぶられます。
メロディーとして高低をつけると、我々は感情を操られてしまうし、さらにハーモニーにするとそれが強調されます。 単なる音をうまく組み合わせることにより我々の心を楽しませる 楽の状態をつくり出す事が出来ます、この為には、作曲者、編曲者、演奏者を養成し、その能力を発揮させねばなりません。 これを社会に当てはめると、孔子が言う「楽に成る」事が出来ます。
「安上治民は礼より善きはなく、移風易俗は楽より善きはなし」(考経)。 「礼に立ち楽に成る」(論語)。 同じ事ですね、「礼の用、和を貴しとなす〜和を知りて和すれども、礼をもってこれを節せざれば、又行わるべからず」。 楽は、ただの和ではなく、特別の和であり、それには、礼が重要な役を果たします。 礼なくして楽はあり得ません、更に「君臣を使うに礼をもってし、臣君に事うるに忠をもってす」皆が忠(己をつくす、実力を発揮する)にならなければ楽は起こりません。 その為には、君に礼の能力が無ければなりません、忠には敬が含まれています、「上礼を好めば、則ち民は敢えて敬せざる事なし」。 更に「民をして敬忠にして以て勧ましむるには、これをいかん。 子の曰く、これに臨むに壮を以てすれば則ち敬す。 孝慈なれば則ち忠あり。 善を挙げて不能を教うれば則ち勧む」。 社会を楽にするには、民が敬、忠でなくてはならない。 その為には、支配者が壮(大物)でなくてはならない。
又、孝、慈(仁)でなければならない。 「善を挙げて不能を教うる」は、礼ですから、楽にする為には、リーダーが、礼を身につけた大人物でなくてはならないのです。「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」。 詩に興る、の説明はまだしてませんが、この言葉は社会のあり方、リーダーに対する重要な意味を含んでいます。 ある論語の解説書を読むと、「(人間の教養は)詩によってふるいたち、礼によって安定し、音楽によって完成する」とありますが、そんないいかげんな意味ではありません。二千五百年の歴史に耐えて生き残っている儒教なのですから、内容は真実であり科学なのです。 「安詳恭敬」と「六芸」の説明をしてみましたが、儒教を勉強しておられる方には、今までとは違う手応えを感じていただけたら幸いです。 「知・仁・勇」「仁・義・礼・智・信」「詩・礼・楽」「忠・恕」「命・性・誠」等をまず、現実に則して、定義して、もう一度儒教を読み直してみると、全く新しい世界が開けて来ます。 仏教も同じ事ですね。