安詳恭敬 (その3)


「安詳恭敬」は進歩の法則ですから、子供の進歩を願うなら、子供のうちに安詳恭敬の能力を高めておかねばなりません。安、詳については総論的に述べたように、主として感情と意志の使用法となります。安、詳は相関関係にあり、マルクスの言う相互浸透で進歩していきます。

靴下を履く例で述べた通りですが、もう1つ、ウインドサーフィンのセールアップで見てみましょう。

ウインドを始めた者が、先ず最初にぶつかる壁がセールアップです。水に浮いた不安定なボード。立つことさえやっとなのに、更に、水につかった重いセールを立てる、というのだから大変です。
「腰に力を入れろ」「背中で引け」「まず、ボードに立つ練習をしなけりゃ無理だ」「目は水平線」…色々なアドバイスが飛んできます。

どうしてもうまくいかない人は、アップホールライン(セールを引っ張り上げるロープ)を握っている手の平に、意識を集中します。"怒り"を集中するのです。すると、あれほど重かったセールが楽に上がり、水に落ちないという不思議なことが起こります。これは、安、詳の相関関係の応用です。

安定しなければ全力を出せない。だから、身体が不安定だとセールが重くて上がらない。この相関はありがたいことに、"逆もまた真なり"なのです。つまり、「全力を出せば安定する」のです。怒りも力も、つまり、精神も肉体も、手の平に集中できれば、肉体は慌てて安定してしまいます。

この時、「落ちるんじゃないか」とか、「どうせできやしない」とか、「人が見ていて恥ずかしい」とか考えていると駄目。淳子(長女)の階段のぼりの例のように、他のことを考えずに必死になって一所懸命やらなければなりません。

子供の危ない遊びは、安、詳のための、ハードウエアのトレーニングに思えますね。
「君子の行は、静以って身を修め…寧静(ねいせい)に非(あら)ずんば以(も)って遠きを致すなし。…静に非ずんば以って学を成すことなし。…険躁なれば則ち性を治(おさ)むること能はず」(諸葛孔明『子を戒むる書』)
――「寧静」とは安詳のこと。孔明ほどの人がそう言っているのですから、我々は信じるべきでしょう。

不快感が、人間を進歩させる

仏教のトレーニング方は八正道(はっしょうどう)で、その中でも「正念(しょうねん)」が一番重要です。ひたすら、自分の精神を観察し、それに怒りを集中するのです。試しに、ウインドをしている時に、行動と感情の関係を観察してみます。

風が良くて快調にプレーニングしている時は、「快感」と「怒り」の2つが湧いています。そこへ、一陣の突風が吹いてきて、飛ばされそうになります。するとまず、「驚愕」が湧きます。これは、急いで行動を変更せよ、という合図です。次にすぐ、「恐怖」が湧き、腰を引いたり、セールを緩めたりしてバランスを取り直し、安定します。そしてまた「怒り」が湧いてきて、その強い風でうまく走ろうとセールを引きなおし、バランスを取り直します。気がつけば、今まで走れなかった風の中で走っている。

この時には、「快感」「恐怖」「怒り」「驚愕」が混じっていますが、これを繰り返しトレーニングしていると、やがて、この風でも「快感」と「怒り」の2つだけで走れるようになります。つまり、進歩したのです。

このように、3つの基本的な不快感(恐怖、驚愕、怒り)が絡み合って、人間を進歩させますから、不快感を発生させる能力が大きければ、それだけ大きな進歩が期待できます。

大人は子供を叱ることにより、子供を進歩させようとします。叱られた子供は、突風を受けたウインドサーファーと同じメカニズムで進歩のためのトレーニングをするわけです。

不快感の弱い子供達

「驚愕」の弱い子は、なかなか新しい行動に移ろうとしません。つまり、グズで怠け者です。よく、スポーツ選手は、引退の時に「感動をありがとう」と言います。また、学校の先生が夏のキャンプ等で、「みんなを感動させるんだ」と演出を凝らしたりします。みんなが感動を求める、ということは、世の中に、感動が少なくなっているからでしょう。

本来、感動は人にさせてもらうものではなく、自分でするものです。ウインドで突風を乗り越えて走れるようになった時、我々は自分に感動します。「やったー!」という、あの快感が、次の快感を求めるチャレンジ精神を創ります。そのために、感動があるのです。「快を求め、不快を避ける」です。感動はその前提として、必ず「驚愕」があります。驚愕の弱い人は感動する能力も弱いのです。

「恐怖」が弱い人は、猪武者になりやすく、平気で実力以上のことをしようとして失敗します。時には、生命を失ってしまうほどに。攻撃型の性格の人は、充分に感情を強くしておかないと危険です。甘やかされた二代目タイプ。コマーシャルじゃありませんが、「伸びる前には縮むもの」。足元を固め、体勢を立て直して、次の行動に移らせます。

「怒り」が弱いと、臆病者、負け犬、チャレンジ精神が足りない!…等と罵倒されてしまいます。人間を進歩させるのは「怒り」ですから、こう言われても仕方ありません。逃避型の性格の人は、感情が弱いとこうなりやすいので、感情のトレーニングを怠らないようにしなくてはなりません。親は責任を持って、子供の感情を強くしてやりましょう。

「叱るより誉めろ」「言って聞かせろ」と、つまらないことを言う人達がいます。安、詳の立場から、これはナンセンスです。欧米流の、「理性はある」から来る結論なんでしょうね。理性を創ることを"進歩"と言うのですから、生まれながらに理性があると考えている人達にとっては、子供の進歩など不要です。

叱ると、子供の3つの不快感は、前述の経路をたどって子供を行動させ、進歩させます。叱る目的は、子供に不快感を発生させることです。だから、こちらも感情を込めてやらねばなりません。感情を込めずに叱るのは、子供に失礼な行為と知るべきです。