不登校・非行・引きこもり
教育荒廃の原因は、間違った精神論に基づいて教育を行ったことにあります。
世界人権宣言の第1条は、我々日本人には明らかに理解不能な代物です。日教組、マスコミ、文部省も、日本の教育をダメにしようと意図したわけではないのでしょう。しかし、彼らが正しいと信じ込んでいた精神論が、はなはだ非科学的だったため、その必然として教育荒廃に至ったわけです。
教育改革は「正しい精神論」を創ることから始めなければなりません。科学的精神論です。「正しい精神論」という基準なしに、正しい教育が行われるはずはないからです。日本は、戦前まで科学的精神論によって教育を行っていました。その経験を踏まえた上で(アナクロニズムではなく)、その科学的部分をすくい上げれば、「正しい精神論」を創るのはそれほど難しいことではありません。
「真理とは何か」に、西欧流の精神論は悩みます。ところが、東洋流精神論は、それを既に2,500年も前に見つけてしまっているのです。そして、それを「聖人」あるいは「如来」として具現化し、そこに至る道を「教育」と呼んでいます。仏教、儒教を正しく読み直してみると、その科学性にびっくりさせられます。
戸塚ヨットスクールで問題児を直すことができるのは、我々が正しい精神論を持っているからです。現場で実証されないものは"科学"ではないし、理論でもありません。今回の教育改革国民会議のように、現場を無視したメンバー構成ではうまくいくはずもありません。
報告には、「人間性」「社会性」という言葉が重要なこととして出てきます。ならば、その言葉の定義はできるのでしょうか。また、両者の関係は分かるのでしょうか。創り方が分かるのでしょうか。
大雑把に言えば、「人間性=本能」、「社会性=理性」となります。
教育とは、『正しく(知)・強く(情)・安定した(意)理性(=社会性)を創ること』です。この理性とは人間性(=本能)から創られますから、人間性も正しく・強く・安定していなければなりません。スクールで行っているのは、主にこの人間性のトレーニングです。ここが完成してさえいれば、社会性は自分で創ることができます。しかし、教育改革国民会議は「人間性の創り方」と、「社会性の創り方」をごっちゃにしています。つまり、教育改革国民会議のメンバーには、「人間性とは何か」が分かっていないのです。人間性の定義ができていません。社会性の定義についても同様です。
さて、現場の立場から考えてみましょう。ダメ先生、ダメ親、ダメ社会とののしられても、それが我々日本の持ち駒です。その持ち駒でできる方法論でなければ改革はできません。名人芸は普遍性に欠け、教育とは呼べないからです。
現場には正しい教育をしている先生がいくらでもいます。それを、経験もない文化人が理屈をこね、現場を指導しようとしてもうまくいくはずがないのです。それよりも、我々のように自信のある者を集め、学校を1つずつ任せてみてはどうでしょうか。1年後にはその結果は出ますから、それを見て文化人や学者がまとめ、より現実的な方法論を検討すればよいではないですか。こうした試みを繰り返せば、10年を待たずに正しい教育論ができあがるはずです。
戸塚ヨットスクール 校長 戸塚 宏

