「ういんど」第18号(その1)

2001年7月1日発行




戸塚宏は無罪!

東京事務所 横田 建文

 「情緒障害」は、戦後の日本社会が必然的に生み出した心の病です。専門家が頭を抱えるその病が、実は、「心を強くする訓練」で簡単に直せることを戸塚ヨットスクールは発見しました。家族や教師の手に余る問題児を次々と更正させて、それを証明して見せたのです。今から20年以上前のことです。
 その戸塚ヨットで死亡事故が起きた時、マスコミはろくな取材もせず「体罰が原因で死亡した」と決めてかかりました。自由とやさしさの教育を崇めるマスコミにとって、「体罰は何が何でも悪いもの」でなければならなかったからです。露骨な情報操作による戸塚潰しのキャンペーンが展開されたのはそのためでしょう。しかし、「情緒障害とは何か」を知らない人間が戸塚ヨット問題を語るのは、「原子核反応」に無知な人間がウラン濃縮液をバケツで扱うのと同様に危険で、無謀なことでした。
 "戸塚憎し"のムードの中でマスコミは集団ヒステリーと化し、「食事も満足に与えられない」、「毎日、殴る蹴るの暴行を受ける」等々のおどろおどろしい記事を洪水のように流しました。しかし、彼らの主たる情報源は、スクールの脱走生の話だったのです!即ち、後に社会を騒がした「酒鬼薔薇聖斗」や「てるくはのる」や「バスジャック」と同類の少年達(=情緒障害児)の証言を報道の拠り所にしたわけです。


ガリレイ裁判と同じ

 そうした情報操作で作られた熱狂の中で戸塚校長とコーチは逮捕され、「暴行を目的とした営利集団」という途方もない論理による起訴がなされました。この事件を「業務上過失致死」という極めて自然な容疑で立件していれば、検察側は順当な勝利を得ていたに違いありません。しかし、一時の熱狂に乗じて「傷害致死」で起訴したのは、あまりにも軽率でした。事件発生から18年を経た今、スクールの方法が教育界に燦然と輝くダイヤであったことが、ますます明らかになってきたからです。
 今、戸塚宏を有罪にすることは、「それでも地球は回っている」というガリレイを断罪した暗黒裁判と同じ愚行です。酒鬼薔薇聖斗やバスジャック少年を真人間に変える方法を知るたった一人の人間を犯罪者にすれば、この国は、自らの手で自らの未来を閉ざすことになるでしょう。

 戸塚ヨットスクール事件は、マスコミの虚報と一時の熱狂が作り出した虚妄の事件に過ぎません。故に、この事件は「訴因不当」で第一審に差し戻されるべきです。そして、裁判長期化による被告人の不利益に鑑みて無罪を宣せられるべきものです。
 最高裁の賢慮が望まれます。

戸塚宏は無罪です。



コーチ、てんてこまい!

延武 眞美

 合宿所はここ数年、徐々に生徒が増え始め、活気づいてきました。訓練メニューは変わらなくても、10人を越えるようになれば、体操や食事などに伴う業務は大幅に増えます。一方、量が増えたからといって、質の向上を怠るわけにはいきません。
 人数が増えたおかげで生徒同士のレースができるようになりました。レースには、生徒を急速に上達させる効果があります。しかし、コーチにとっては、レスキュー艇に乗り、マークを打ち、生徒のセール操作に目を光らせる、等々の業務が増えることになります。外部のレースに参加するとなれば、生徒が使う道具の準備、それを詰め込む作業など、事前の準備も大変です。
 夜、当直のコーチは落ち着いて眠りにもつけません。生徒が隙をついて逃げ出そうとするからです。一度脱走が起きればコーチ達は総出で捜索しますから、その間他の生徒は訓練になりません。かといって放っておけば他の生徒まで逃げてしまいます。
 こうした中で、1人のコーチが事情により退職、現場のコーチは3人になってしまいました。新入生は3人分くらい手が掛かかりますが、5月は入校が3件。脱走は延べ9回ありました。まさに24時間労働と言えるでしょう。
 こうした過酷な状況の中、コーチ達が本来の生徒指導に専念できるよう、ボランティアによる支援が望まれます。





お騒がせしました

戸塚 宏

 先般、参院選全国区で自由連合の公認を受けましたが、思い直し、公認を取り消して頂きました。自由連合と、支援者の皆様には大変ご迷惑をお掛け致しました。心よりお詫び申し上げます。
 現場の人間であることを誇りにしていた私が、議員になろうと思ったのは、いつまで待っても動き出さない教育改革に苛立ち、いっそ自分が議員になる方が早道なのではないかと思ったからです。ヨットスクールに入る少年・青年を毎日見ていると、日本の将来に対して暗たんたる気持ちになります。私がこのことを言い出してから、早18年が過ぎました。マスコミは当初私を極悪人扱いし、今は、無視しています。
 マスコミと教育関係者がつくり出した教育崩壊。それをその当事者たちが立て直すことは、泥水で洗濯をするようなもの、きれいになるはずがありません。
 政府は御用学者や御用文化人に何とかさせようとしますが、彼らのような"素人"に分かるくらいなら現場は苦労しません。
 「自信のある現場の人間に、実際に学校を任せ、その成果を見て方策を立てる」――これ以外に解決方法はありません。文化人や学者の知識など過去のものであり、今、日本が直面している教育崩壊は全く新しい事態だからです。
 ヨットスクールの方法論を実証する場、即ち、私の教育論で運営できる学校作りを目指す――この事業にまい進する決意には揺るぎがないと、改めて申し上げたいと思います。



 今回は、戸塚ヨットスクール卒業生の作文を集めてみました。

大検で大学合格

山口県 A(19歳)

(16歳の時、非行・夜間徘徊で入校)
 戸塚ヨットスクールに入る前の僕は、家族や周りの人達の気持ちを何も考えられず、高校も中退。昔から周りの友達に影響されやすく、その頃仲が良かった悪い友達に流され、家に帰らないで遊び歩いていました。親はいつも心配して探しに来てくれましたが、自暴自棄になっていた僕は、母親にも手をあげてしまいました。
 そんな頃、いつものように深夜まで友達と遊び、眠ったその朝、突然スクールに連れて行かれたのです。あまりにも急なことでとても驚き、納得がいかず不安でした。それでも「何とかなるだろう」という甘い気持ちを、その時の僕は持っていました。
 しかし、そこでの生活は予想していたよりもはるかにつらく、自分のことは全て自分でするのが当たり前という、今までの甘えが一切通用しない所でした。

スクールの暮らしは"つらい"

 最初のうち、一番つらかったのは朝の筋トレです。それまで自堕落な生活を送っていただけに、自分の体を思うように動かすことができません。さらに、ウインドサーフィンも思った以上に難しく、冷たい海の中でボードにしがみついているのがやっとでした。
 そんなつらい日が続く中、ついに耐え切れずに脱走したことが2度もありました。
 脱走しては友達の家を泊まり歩き、2〜3週間家に連絡しなかったこともあります。しかし、結局見つけ出されて、再びスクールへ。その末にやっと僕も腹をくくり、「やってやろう」という気になりました。
 時間が経つにつれ、最初の頃に比べるとスクールでの生活にも徐々に慣れ、ウインドサーフィンも筋トレもできるようになってきました。すると、時間の過ぎるのも早く感じられるようになり、とうとう卒業の日を迎えることができました。

自分の意志をもつ

 卒業してすぐ、僕はある全寮制高校に入学しました。もう一度、高校をやり直そうと思ったのです。しかし、そんな気持ちとは裏腹に、その高校は中退者のみの学校だったため、生徒の雰囲気がとても悪い所でした。「このままこの学校にいたら、また昔と同じ繰り返しになってしまう」、そう思った僕はその高校を辞め、大学入試検定試験を受けることを決意しました。
 大検は自分にとって最後のチャンスです。もう後はない。そう思って頑張ったせいか、それまではほとんど勉強していなかった僕でも、何とか大検に受かることができました。そして、この春からは晴れて大学生になります。
 もし、スクールでの経験がなければきっとここまで頑張れなかったでしょう。そして、ウインドサーフィンは今、僕の一生の趣味になりました。これからは、親やスクールに感謝しながら、つらいことや苦しいことを乗り越えていこうと思います。スクールでのつらさが今の僕の自信です。

親もつらいと思う

北海道 W(18歳)

(15歳の時、非行で入校)
 1999年12月、僕は戸塚ヨットスクールを卒業した。その時の喜びは、今でも昨日のことのように思い出せる。1年ぶりにかみしめた自由の味は、今まで味わったことがないくらい新鮮だった。
 僕はスクールになんか入りたくなかった。15〜16歳の期間は、僕にとっては"遊ぶ年頃"で、それを取り上げる権利は誰にもないはずだと思っていた。友達と毎日同じ所に集まり、たわいもない話を夜遅くまでしたり、万引きやカツ揚げをしたり…。もちろんいいことじゃないのは分かるけど、あの頃は何とも思わなかったし、やっぱり楽しかった。まぁ、そんなだから、スクールに入れられたんだろう…。

脱走はしたけれど…

 僕は、1度だけ脱走したことがある。本当はそんな気はなかったが、新人に誘われ、そいつが夜中に一人で窓を明けて出て行ったのにつられ、つい自分も出てしまったのだ。で、近所で鍵のかかってない自転車をパクり、6時間半かけて名古屋駅まで行った。お金がないのでホームで寝ていると、変なおじさんに声をかけられた。警官かと思ったがそうではなく、ご飯をおごってくれ、お小遣いをくれた。
 それからおじさんは映画を観に連れて行ってくれた。何で映画かと不思議に思っていると、映画館の中で、急におじさんが僕の体を触ってきた。つまり、"そっち系"の人だったのだ。かっとなって脅すと、おじさんは「3万円持ってくるから」と言って立ち去り、そのまま戻ってこなかった(僕はずっと3万円を待っていた)。気持ち悪かったが、これも今となってはいい思い出だ。
 この後、名古屋駅で先に逃げた新人と偶然に出会った。2人でカツ揚げをし、一晩を越すが、翌朝、僕は身なりが悪くて補導された。その時新人は僕を置いて逃げた。まったく、とんでもない奴だ。
 スクールに連れ戻されると、2階に校長先生が待っていた。殴られる心の準備をしていたが、なぜかその時、校長先生は僕を殴らなかった。一言二言何かを言われたが、それは良く覚えていない。とにかく、それから先は2度と逃げようと思わなかった。

入校させるのは、子育て放棄じゃない

 スクールで生活していると、自分で自分が「成長した」と思える時がある。入って良かったと思ったことはないが、「入る前の生活をやめられて良かった」とは思える。
 スクールに入るのは、当人はもちろん、親もつらいと思う。一年近く、自分の子供と離れるのだから。僕の親も、僕がスクールに入ってから随分心配してくれたらしい。入る前はもっと心配していたと思うが…。
 卒業後に父から聞いたが、スクールに入れるか入れないかで、相当悩んだらしい。しかも、決心して僕を入校させた直後に、逃げて帰って来られないように家まで売っていた。そこまでしても「入れて良かった」と言う。
 戸塚ヨットスクールに自分の子供を入れるのなら、親は子育てを放棄するつもりで入れないで欲しい。スクールは、子供が"どうにもならなくなったから"入れるのではなく、"どうにかしたいから"入れる所だと思うからだ。

 僕は、スクールを卒業してから自分に自信がついた。つらいことを成し遂げることは、自分が成長するための薬なのかもしれない――なんて、ちょっとかっこ良すぎるかな…。

誇りに思うスクール経験

大阪府 小林 加奈子(33歳)

(13歳の時、不登校で入校)
 はじめまして。私は今から20年前、中学を登校拒否していて、ヨットスクールにお世話になりました。
 私もようやくパソコンを始め、先日スクールのHPがあると聞いて早速のぞいてみると、何かとてもなつかしく、色々と当時を思い出してしまいました。 14歳の誕生日の2日前の早朝、コーチ達にいきなり起こされ、無理やり車に乗せられ、そのままスクールへ…。
 その後2回も脱走し、民家に逃げ込んだり、トイレに隠れていたのを見つかって合宿所に連れ戻され、押入れに入れられて鍵をかけられたり…。 卒業後、名古屋の拘置所へ校長先生の面会に行ったり、裁判所で証言(そんな立派なものじゃありませんが…)させてもらったり…。本当になつかしい思い出です。

修羅場をくぐって得をした

 私がスクールにお世話になっていたのは中学の頃で、スクール卒業後、中学も無事卒業でき、高校・大学と進み、今は自宅で学習塾を開いています。
 うちに来る子は、成績が平均ぐらいからそれ以下の子が中心で、中にはとてもやんちゃ(金髪・ピアス・盗み等々)な子もたまにいますが、スクールでの経験が役に立っています。何が?と言われても困るんですが、客観的に子供達・親達を観察できることや、色んな子供の目線に立てること。遊ぶ時は一緒に思いっきり楽しみ、どんな子でも誉める時はきちんと誉める、でも怒る時はとことん怒る。
 教える立場の人間としたら全部当たり前の事でしょうが、私はスクールに教えてもらいました。それと、言葉では言えませんが、精神的に鍛えられました。
 他の卒業生の方は知りませんが、私はスクールに行っていたことはものすごく自慢できることだと思っています。
 当時私が親にしてきたこと、登校拒否したことは決して自慢できませんが、そのおかげでスクールに行くことができたので、全く後悔もしていません。あの頃の私がなければ色々な経験もできなかったし、今の自分もありませんからね。普通に育ってきた友達に比べて、数倍の経験ができたと思っています。
 最近の友達に私の過去を話すと、「やっぱり…普通の子じゃないと思ってた。何があっても動じないというか、修羅場をくぐりぬけてきたような感じがしてたんや」と言われました。修羅場ってのは笑いましたが…別に普段普通にしてるんですけどねぇ。
 でもあの頃の色々な経験は私の宝だと思っています。なかなかこんな経験したくてもできませんから。得した気分です、本当に。

今では良き(?)相談役

 よく私は登校拒否、家庭内暴力で悩んでいるお母さんに相談されます。私の昔を知っておられるからではなく、偶然に相談を受け、実は私も昔…とお話すると、ものすごく驚かれます。
 私は今相談されると、子供の気持ち、親の気持ち、学校の先生の気持ちがそれぞれ分かります(私なりですが…)。親や先生は自分の考え・気持ちを言葉にして相手にぶつけることができますが、そういった子供達はなかなかそうはいきません。完全に気持ちが分かるわけではありませんが、あの頃の私の気持ちを思い出して、私なりに子供達の代弁をするようにしています。やっぱり登校拒否や家庭内暴力などは実際やってみないとその気持ちや考えは分からないと思います。
 子供達と直接話して癒してやる事は難しいですが、子供のことが分からない親に、子供達の気持ちを教えてあげることは多少できます。完全ではありませんが、少しでも伝えることができたら、親子をつないであげられるのでは…と思っています。
 今はかつてのスクールのような場がなかなかなく、短期間に立ち直ることが難しい世の中です。時間をかけてじっくり立ち直るしか方法はないのでしょうか…。

 長々と申し訳ありません。ついつい色々書いてしまいました。
 またHPに遊びに行きますし、メールも書きます。そして、私も微力ながら校長先生を応援させてもらいます。皆様もお体に気をつけて頑張って下さい。(電子メール)



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