「ういんど」第19号(その2)

2002年5月1日発行





子供を守るのは大人の責任

小金井市議会議員 木 真人

 私は現在43歳で、昭和の高度成長時代に少年期を過ごしてまいりました。教育も今日まで人並みに受けてきたと思っております。仕事はサラリーマン、自営業、塾先生、議員と、社会に出てから、こちらは人並み以上に色々な職業経験をしてまいりました。
 今思えば、仕事も教育も昭和神話が私の人生のベースとなっております。親世代の昭和を支えてきた人達の背に学び、そしてその姿勢を見本とし、つまり、人生の教科書と思いながら今日まで努力してまいりました。
 しかし、平成バブルがはじけてからのこの十数年、経済、社会、政治など、正しい教科書と思われていた近代史そのものが音を立てて崩れ去ろうとしております。政治腐敗、経済不況、教育問題、金銭第一主義等、私にしてみれば、これらの現象は、猿も木に登らんとしている挑戦時代に、足元のはしごを外されたことを意味します。つまり、白紙状態、いやマイナスからの出直しを余儀なくされました。
 そして、我々が、外されたはしごから落ちんばかりの時に初めて気が付いたのが「教育の重要性」だったのです。

戸塚ヨットは科学的教育の実践校

 戦後57年が経過しようとしている時、私は今も塾という場で子供たちの声を聞きながらふと思うのです。確かに、生活環境が変化し、私が子供であった時とは生活面の違いは雲泥の差があります。しかし、子供が本来持っている目の輝きというのは、昔も今も少しも変わっていないことが分かります。
 ですから、戦後の間違った学校教育を一日も早く改善するべきであり、日一日と成長していく、この大切な資産である子供たちを守ってあげるのが我々大人の責任であると私は考えます。
 戸塚ヨットスクールは、科学的に子供たちの伸びる方法を実践している実践校であります。人間、否動物、否生物は本能により動かされています。その本能を根本より鍛える戸塚式はこれからの教育界になくてはならないものであることを私は申し上げたいと思います。



自分の頭で考えよう!

広島県 長谷川 真美

 戸塚宏という名前、若い方には古い記憶がないかもしれませんが、私の記憶の中では「戸塚ヨットスクール」のイメージは"悪"そのものでした。
 昭和56年、訓練生の死亡事故が起こって戸塚さん達は傷害致死容疑となり、先頃上告が棄却され、実刑になったそうです。当時のマスコミ論調は、ヨットによる訓練=体罰=暴力=人権無視=悪、に終始し、体罰や強制に反対の日教組の教育方針とも一致してバッシングの嵐となったのです。当時の私達は、何の疑いもなく、「なんてひどい事件だろう」と、マスコミ報道を鵜呑みにしたものです。

マスコミはミスリードしている

 しかし、去年世間を賑わした歴史教科書問題に絡めてみても、マスコミの姿勢はやはり偏っているとしか思えませんでした。
 マスコミの情報発信は、中立を装いながら、一方のイデオロギーを流していると解釈した方がよいのかもしれません。なぜなら、多くのニュースがあっても、それを報道するかしないか、或いは、どのような大きさで扱うかによって、すでに一定の価値観が入り込んでいるからです。そして、戸塚さんによれば、情報には事実だけのインテリジェンスと、処理された解説付きのインフォメーションとがある。マスコミの多くはインフォメーションであって、世論をミスリードしている場合が多いということです。
 長い間、マスコミや日教組が提唱してきたのは、「世界人権宣言」を都合のよいように解釈し、自由、平等、人権を既にあるものとして捉える教育理論であり、その事が今日の教育荒廃を招いたということです。現実問題として青少年の犯罪はエスカレートし、学級崩壊は増え続け、無気力な子供達が大量生産されています。このことの責任を彼らはいったいどうとるのでしょう!
 講演を聴き、本を読み、私は以前自分の中にあった戸塚さんの印象は、マスコミによって刷り込まれていたものだった事がよく分かりました。第四の権力と言われているマスコミは、その大きな力を認識し、空気に動かされ易い日本人をミスリードしないようにしなければなりません。そして私達も漫然と流される事なく、自分の頭で考える癖をつけなければならないでしょう。



やっと探し当てた「答え」

石川県 宮竹 公美

 息子の登校拒否が表面化したのは、小学校高学年頃からでした。中学に入るとバレー部に所属し、始めは張り切っていましたが、次第に休みがちになり、とうとう一年の夏休み明けには自宅に引きこもってしまいました。
 高校へは何とか進学しましたが、それも休みがち。「このままでは卒業してもただの引きこもりになってしまう」と為す術もなく、悶々とした日々を送っていた時、雑誌で戸塚校長の論文を偶然読みました。体に電流が走るような衝撃を覚えました。
 「問題児は本能が弱い」「バスジャク少年もサカキバラも、非行も登校拒否も根は皆同じ」「いじめも差別も必要」…。今までかかっていたカウンセラーの誰もが指摘しなかった"真実"が、そこには書かれていました。
 これは本物だ。そう思ってホームページを開いたら、まさに、目から鱗が落ちる思いでした。マスコミからの一方的な情報しかなかった「事件」の真相やスクールの活動、そして不屈の精神で信念を貫いておられる先生方の姿が見えて来て、「これで息子は救われる」と確信しました。
 息子に入校を勧める時、言いました。「お前が『無くしてしまった』と言っていた時間を取り戻してもまだ、余りあるものを得られるから、一年間頑張っておいで」と。今まで自分の弱さを親や周囲のせいにして、それでも自分を変えたいと思っていた息子は、素直に入校してくれました。

豊かさが子供を壊す

 スクール在校中の様子は、最初はビデオで、それから直接会って、どんどん変わる息子の表情に驚かされました。家でも時々何かを警戒しているように緊張していた表情が柔和になり、自信のようなものさえ感じられました。「ああ、この子は安心しているんだ」と思い、とても嬉しかったです。
 息子の入校後、セミナーに参加したり、家族で先生のご本をじっくり読んだりして色々学びました。そして、「何でうちの子がこんなことに!!」と自問自答して来た答えがやっと見つかった思いがしました。
 昔の、まだまだ皆が質素で貧しかった私達の子供時代に、答えはあったのですね。ひもじい思いもしましたし、寒い暑いも我慢しました。恐いけれど優しくて頼もしい父親。そして、父親に従う母親。外では、悪いことをするとすぐに叱る近所のおじさん達。学校ではまだまだ威厳のある恐い先生が沢山いました。いじめもしましたし、いじめられもしました。
 そういうものが全部無くなり、子供と大人、子供と先生が平等だと言い始めた時、子供達がこんなにも簡単に、そして無惨に壊れてしまうとは。経済的に豊かになって便利になった代償がこれでは、あまりにも酷いです。今さらながら、無くしてしまったものの大きさに愕然とする思いです。

卒業、そして自立へ

 息子は今、スクールを卒業し、高校に復学して大学を目指すと言って歩み出しました。親元ではまた甘えるからと、アパートで自立すべく準備に取りかかっています。スクールで得た自信を糧に、しっかりと歩いて行って欲しいと願っています。
 お世話になった校長先生やコーチの皆様には、言葉では言い表せない位感謝しております。私達家族がどんなに支えられたことか。この度の理不尽な判決により、真の教育を提唱され実践されている先生方が投獄され、この教育崩壊を招いた"真犯人達"がのうのうとしている現実に、怒りと絶望を感じます。
 しかし、助けて頂いた親として今すべきことは、息子をしっかり支え、見守って行くことだと思っています。そして、スクールの存在や先生の教育理念を少しでも多くの人に知ってもらうよう、微力ながらお手伝いしようと思っています。


がっかりしている暇はない

東京都 矢野 秀明

 毎月第三木曜日に「木曜セミナー」で戸塚宏校長の御話を伺ふのは、私にとつて大きな楽しみの一つであつた。今、当分の間それを奪はれることになつて茫然とする一方、この十数年間、「脳幹論」を基本とする「戸塚人間学」の挑戦と展開とをつぶさに目の当りにして来られた幸福を、改めて誇らしく思ふ。
 そのセミナーの第百十回として開かれた三月二十一日の「緊急支援集会」にどうしても都合が付けられなかつた私は、十七日の名古屋での集会に参加した。多数の支援者の挨拶の後、校長は、「壮行会みたい」だと出席者を笑はせてから、普段と変らぬ口調で入所中の勉強予定を語り、更には出所後の小学校運営といふ、数年来の悲願について述べた(最近、陰山英男さんといふ小学校教諭の著書『本当の学力をつける本』を読んで、指導の現場から生れた氏の主張に感銘を受けたのだが、「読み書き計算」の基礎徹底といふ根本は、戸塚校長の考へとも完全に合致する。両者の実践の成果を取り入れられれば、正に理想的な小学校が出来上るに違ひ無い)。

我々も進歩しよう

 収監前日、校長の二女・洋子さんが、「お父さんのことでは全然心配してない」、「いつも一番ちやんとしたことをする人だから」と語つてゐたのが印象的だつたけれど、その通りである。校長は、獄中での何年かを決して無駄にすること無く、自ら語つてゐたやうに、「もっと進歩して帰ってくる」であらう。
 翻つて吾が身の十数年を省みる時、その遅々たる「進歩」に忸怩たらざるを得ないが、今後暫くの間は、校長から学んだことを自分なりに纏め、幾らかでも発展させ得る好機とも考へられる。次に御目に掛る際には、私もこれだけの成果を挙げましたと胸を張れるやうでありたい。問はれてゐるのは寧ろ、吾々支援者一人一人が校長の留守中に何が出来るか、といふことなのだ。さう考へるなら、がつかりしてゐる暇など無い。三年や四年は、あつと言ふ間に過ぎてしまふであらうから。




か ざ ぐ る ま

迷路の出口を教えてくれた戸塚ヨットスクール

北海道 平澤 知己

 私は1983年頃、「無気力」で戸塚ヨットスクールに入校した者です。
 当時は相撲取りを廃業し、人並みに生活しようとしても何をするにも気力が沸かず、人目を避けて生活するような毎日でした。
 訳もわからず親戚に付き添われ、戸塚ヨットに入校した時は、恐怖に似た衝撃を受けました。
 校長を始めコーチの方々の眼光鋭い目つき。「非行」生徒の粗暴な態度。10坪程度の部屋で60〜70人の生徒と寝食を共にする生活等々…。
 訓練は筋力トレーニングとディンギー(一人乗りヨット)が中心でしたが、無気力でダラダラした生活を送っていた身体には地獄の苦しみでした。
 筋トレは限界を越え、倒れるまでやらされ、ヨットはウエットスーツを着用しても突き刺すような寒さの中、出艇するのは嫌で嫌でなりませんでした。
 そんな訓練の隙をみて、ご多分に漏れず脱走を試みました。成功して名古屋まで行き着いたものの、知人宅で連絡され、また元の訓練生活に逆戻りです。

レースで心が変わった

 ヨットは沈(転覆)しやすい形状になっており、ヨットに些か心得のあった私でも難儀するほどで、何度も極寒の海に放り出され、寒さと悔しさに涙したこともあります。
 訓練はレース形式で行われ、多い時には30艇程でレースを行い、成績下位者には罰が待っていました。簡単に先輩に勝てるほどヨットの操縦は易しくありません。レースを続けるうちに、どうしたら少しでも速くなれるか必死で考えるようになりました。
 ある日、会心のスタートを切って一着を取った時から、自分の中で何かが変わった気がします。レースに出るのが楽しくなり、後輩への指導も自信を持って当たれるようになったのです。

戸塚ヨットを支援します!

 今振り返ると、スクールに入校させられる子供達(自分も含む)は、出口の見えない迷路の中でもがき苦しんでいたと思います。親や他の教育施設で救えればいいですが、それができないなら、戸塚ヨットに望みを託すしかないのではないでしょうか。
 私の場合、強制的な筋トレ、ヨット、校長先生とコーチ達による精神的なプレッシャー等がかえっていい切っ掛けになり、迷路から抜け出て来られたのだと思います。

 現在は当時に比べ、はるかに酷い社会情勢・教育の崩壊で、以前の自分と同じ状況に置かれている人が多いのではないかと思います。
 直接的にスクールでの教育に携われないのが残念ですが、スクールをサポートする立場で一人でも多くの子供達を救うべく、戸塚ヨットを志ある方と支援し続けていきたいです。



ここで逃げたら一生逃げてしまう

千葉県 S(14歳)

(中1の時、非行・夜間徘徊で入校)
 僕は今年の3月、一年の訓練を終えて卒業できました。この日を迎えられるなんて、一年前は考えられませんでした。
 当時、僕は父・母・兄の気持ちを考えず、やりたい放題やっていました。その結果、戸塚ヨットスクールに入れられてしまったのです。

自分自身を大事にしたい

 スクールでの生活は、それまでの"やりたい放題"とはまったく違いました。辛くて逃げたこともあります。でも、なぜか遠くには行けませんでした。「帰ろうかどうしようか。でも、帰ったらきっとコーチに殴られる…」。
 結局、一睡もできないまま、合宿所のそばを一晩中ウロウロして考えました。そして、朝、女性コーチに「そんな所で何してるの」と声を掛けられた時には僕自身、答えが出ていました。「ここで逃げたら一生逃げることになってしまう」と。だから、正直言うと、コーチに見つかってほっとしました。
 それからは、ウインドサーフィンに集中し、生活のリズムをつかむことに一所懸命でした。すると、いつの間にか、自然と逃げたいという気持ちがなくなっていました。逃げることは負けること。今は負けたくないので嫌なことでも頑張るようになりました。
 これからはヨットスクールで学んだことを実行し、また、自分自身を大事にして成長していきたいと思います。



○ 編 集 後 記 ○

▼私利私欲のためでなく、教育の犠牲者達を救うために頑張ってきた校長とコーチ達が、刑務所に入らねばならないという現実に言葉もありません。

▼「もう他に頼るところはない」という親の悲痛な叫びを受けて子供を預かり、寝ずの番をし、脱走したら探し回り、見つからなければ責められ、訓練中に怪我でもすれば監督不行届と言われる・・・。そんな理不尽に耐えて、黙々と働くのがコーチ達です。そうした過酷な条件の下で、校長と共にたくさんの子供達を立ち直らせたのに実刑判決!――手紙が多ければ仮釈放が早まる可能性があるそうです。コーチ達に、支援のお便りをお送り下さい(規則により、親族以外への返事は出せません)。
○可児熙允・・・福井刑務所(〒918-8101 福井県福井市一本木町52)
○東 秀一・・・三重刑務所(〒514-0837 三重県津市修成町16-1)
○山口孝道・・・豊橋刑務所(〒440-0801 愛知県豊橋市今橋町15)


▼現在、スクールは小杉、松木の2人のコーチが守っています。彼らの負担は、いくらコーチ補佐の生徒がいても、筆舌に尽くしがたいものがあります。ただでさえ24時間勤務なのに、たった2人では休む間もありません。このままでは2人の健康が心配です。スクールを見学がてら、励ましに行ってあげて下さい。そして、できれば生徒の見張りなど、手伝って頂ければと思います。
○戸塚ヨットスクール(〒470-2403 愛知県知多郡美浜町北方宮東70-1)

(眞美)



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