「ういんど」第7号
1992年12月15日発行
登校拒否 約6万7000人!
――誰が火を止めるのか――
登校拒否が、91年度、6万6712人(年間30日以上欠席の小・中学生)に達しました。火は燃え続けているのです。
6万7000人の登校拒否児とその家族を単純に合計すれば、20万人以上。同様に、高校中退者(毎年12万人)とその家族、非行・粗暴少年(数十万人)とその家族、無気力児(統計無し)とその家族、などを推計すれば、直接の当事者の数は100万人以上です。さらに、担当教師、親戚、知人のレベルまで広げれば、この問題の当事者は、実に、数百万人という数になります。この情緒障害児達が親の世代になっている頃、当事者数はどんなに少なく見積もっても1千万人を越えているでしょう。
テレビドラマのマザコン男(冬彦さん現象)が話題になるのも、こうした統計が暗示する現実が、華やかな浪費社会の陰に黒く横たわっているからにほかなりません。
真実にしり込みするマスコミ
9年前、日本中が戸塚ヨットスクール報道に沸いた時、新聞系マスコミは戸塚批判派、出版系マスコミは戸塚擁護派という対立をなしたことがありました。
新聞と、その系列のテレビ・週刊誌が、「いたいけな子供にリンチを加える金儲け主義の暴力集団」といった調子でヒステリックなキャンペーンを繰り返したのに対し、出版系の雑誌・週刊誌は、「わずか数カ月で、親も見違えるほど明るい表情の子供に変わった例がある。戸塚のやり方で救われた家庭もあるのではないか」と、新聞側の一方的な攻撃ぶりに疑問符を投げかけるというものでした。
この報道合戦は約半年間続き、新聞系の圧倒的優勢で終わりましたが、その間に数億部の新聞・週刊誌が印刷され、数十(数百?)時間に及ぷテレビ報道がなされました。ところが、そにほど圧倒的な量の情報洪水にも関わらず、この問題の核である情緒障害問題を、正面から取り上げた報道はありませんでした。批判派も擁護派もです。これが、戸塚ヨットスクール報道を決定的にダメにしている元凶です。
戸塚ヨットを批判するにせよ、擁護するにせよ「情緒障害とは何か」を知らずに議論は成り立ちません。その意味で、戸塚ヨットスクールは、まだ1度も報道されたことがないのです。かっての報道は、誤解と偏見で始まり、憎悪と思い込みで煽動され、辻接合わせの虚報と捏造記事で糊塗することで終わったに過ぎません。最近は、過去の失敗を消し去ろうと、恣意的な黙殺が図られているかのようです。新聞の言う"戸塚ヨットの風化"は、早く風化して欲しいという彼らの願望を表しているに過ぎません。真実にしり込みしているのです。
けれども登校拒否、非行、校内暴力、家庭内暴力、子供の自殺、無気力、アトピー性皮膚炎、異常犯罪、子育て不安、出社拒否、健康不安、マザコン、老人問題……など、戸塚ヨットの「脳幹論」を無視しては一歩も先に進めない数々のテーマを、新聞はこれからも取リ上げないわけにはいかないでしょう。その度に、伝えるべき真実を伝えぬまま、時代遅れの権威にすがって、しかめつらしい論議を披瀝するのでしょうか。まるで、歪んだ礎石の上に家を建てるように。
重力を否定する愚かさ
巨大なろうとの内面に沿ってボールを思いきり転がすと、ボールは、太陽を回る惑星のように、ろうとの穴を中心にして周回運動を始めます。しかし、絶え間なく続く重力の作用にやがて疲れ、徐々にろうとの中心へと落ちていきます。
今、「体罰絶対反対!」、「登校拒否児に愛を!」などと迷妄を叫び続けている人々も、実は、彼らの嫌悪してやまない戸塚ヨットスクールから、<重力>の作用を受けています。その重力を否定しようとすればするほど、彼らの論議は、ますます現実からかけ離れ、的外れで陳腐なものになっていくことでしょう。目には見えない、必然の力によって……。
第一審判決、実質無罪
情緒障害児の証言能力を問う
92年7月27日、名古屋地裁(小島裕史裁判長)で、戸塚校長とコーチ達に実質無罪の判決が下されました。
同判決は、検察側の妨害工作を不問に付し、尚かつあちこちの面子を潰さぬように慎重な言い回しを選ぶなどの配慮が伺えます(この後に判決要旨掲載)。被告人は全員、執行猶予付き有罪でしたが、ほとんどの被告の懲役が勾留期間より短いため、形式上は有罪ながら内容の無い"有罪放免"になっています。また、「戸塚憎し」のムードに流されることなく、
・ 目的は正当
・ 金儲け主義の暴力集団ではない
・ 2名の死因は外傷性ショック死と認定できず、不幸な結果とも言える
などとした点は評価に値します。マスコミの煽情報道に触れぬ見識も示しました。
情緒障害児の"証言"とは
44件の起訴事実の中、横田コーチの強制わいせつだけは、証拠不十分で無罪でした。
この事件は、複雑な家庭環境を持つ虚言癖の非行少女が、検察とマスコミ一体のスクール潰しに便乗して、「コーチにいたずらされた」とウソをついたことに始まります。その後、相次ぐ逮捕騒ぎで事の重大さを知った彼女は、あれはウソでしたと申し出、拘置所のコーチにも手紙で謝罪の意を表しました。しかし、「今さら困る」と言われて起訴取り下げはできず、検察側の証人として出廷することになりました。そして、公判廷で、何と、やはりコーチにいたずらされた、謝罪の手紙は厭味のためだったと、またウソをついたのでした。
このように、当然過ぎるほどの無罪なのですが、この事件の顛末を取り上げたマスコミは皆無でした。9年経っても頬かむりしているわけです(この関連で、別の訓練生のウソをもとに"コーチ、婦女暴行も"と書いた毎日新聞は謝罪すべきでしょう)。
思春期の少女が、わいせつ行為という搦手からのウソで人を陥れ、(おそらく)敬愛していたコーチに濡れ衣を着せる――そういう異常で卑怯なことを平気でやるのが"情緒障害児"の特徴です。そして、実は他の43件の事件も、ほとんど似たり寄ったりの検事調書を基に事件がデッチ上げられたのです。しかも、大半が14才〜16才の未成年者であり、家庭内暴力、恐喝、万引き、シンナー、覚醒剤、不純異性交遊、校内暴力、窃盗、強姦、殺人未遂、精神科入院歴、などの経歴を持つ情緒障害児なのです。
――検察側は、戸塚、可児、東、山口、横田、内田の6名について「量刑不当」で控訴しました。溶岩が流れ出そうとする噴火口をセメントで塞ぐような行為であると申せましよう。
無知と偏見と嘘で捏造された44の事件
真の教育に情熱をかけた10被告がなぜ有罪なのか
<<判・・決・・骨・・子>>
一 吉川事件について
1 被告人らは、一連の暴行により、吉川幸嗣(当時21歳)の顔面、背部、腰部、上下肢等に多数の皮下出血、表皮剥脱等の傷害を与え、これにより吉川を死亡させた。
2 吉川の直接の死因については、証拠上外傷性ショックであるとする鑑定と出血性肺炎であるとする鑑定、意見書とがあるが、死体解剖に基づく所見から肺の出血に注目し、これを導く原因となるものの可能性を排除した結果、死因が出血性肺炎であるとした矢田昭一鑑定は、吉川の死亡に至る経過などを併せ考えると十分理由がある。
3 吉川の死体に認められる損傷の一部が被告人らの暴行以外の原因で生じた可能性はあるが、被告人らの暴行の部位、回数、程度、方法等を考えると、これをはるかに上回るその相当部分が被告人らの暴行によって生じたものと認めるに十分である。
4 外傷は、死亡の唯一の原因又は直接の原因であるとは認められないが、その部位、程度、吉川の死亡に至る経緯などから、寒冷暴露、過労といった状況下にあった吉川の体力を消耗させ、吉川死亡の原因となっていると認められる。
5 従って、出血性肺炎であるとの死因を考慮しても、被告人らの一連の暴行と吉川の死亡の結果との間には因果関係がある。
二 あかつき号事件について
1 被告人らは、水谷真(当時15歳)及び杉浦秀一(当時15歳)に対し、殴打などの有形力を行使してその身体を拘束した上、宮東合宿所に連行して戸塚ヨットスクールの特別合宿生として入校させ、その後、宮東合宿所及び奄美大島の夏期合宿施設等において、合宿訓練を行うため、有形力を行使したり、監視を続けるなどして、両名の意思に反してその行動の自由を拘束し、その結果、貨客船「あかつき」から、海に
飛び込ませ、両名を死亡させた。
2 あかつき号事件の公訴提起の手続きが、その規定に違反し無効であるから、公訴棄却を求めるとの弁護人らの主張は、理由がない。
3 逮捕監禁の方法は、状況に応じて異なりうるものであって一旦有形力を行使し、物理的な方法により行動の自由を拘束した後には、被害者の年齢、心理状態、現実に逃走を図る蓋然性の程度、逃走を図った場合にそれを阻止する態勢の程度などによって、より軽い方法で足りる場合がある。その意味で、監視、見張りといった方法も監禁にあたる。そして、あかつき船内で他に救助を求めることが可能であったとしても容易に行動の自由を回復することができないことは、水谷及び杉浦はもとより、被告人らもこれを認識していたと認められるから、本事件において、被告人らは、その時の状況に応じて、監禁状態を維持存続させていたものと認められる。
4 水谷及び杉浦の死体は発見されていないが、その失踪前の言動、行動等や船内捜索が徹底してなされたにもかかわらずその行方が不明であること、未だに音信不通であることなどから、両名は、被告人らの監禁状態から免れるため、あかつき船内から航路上の海中へ落水し、死亡したと認められる。
5 水谷及び杉浦の右行動が両名の精神的な異常や異常性格に原因するものとは、認められず、監禁と死亡との間には因果関係がある。
四 その他の事件について
1 被告人横田吉高の強制わいせつについては、同被告人が一貫して事実を否認し、目撃証人もないところ、唯一の証拠である被害者の証言については極めて強く疑問を入れる余地があり、証明が不十分である。
2 その余の全ての事件について、被告人らは有罪である。
五 正当業務行為として、違法性がないとの主張について
1 特別合宿生を受け入れるについて、父母などからの委託、承諾を得ていたことは、被告人らの行為の違法性の有無を判断する上での一要素に過ぎない。
2 違法性の有無については、目的の正当性、特別合宿生を家庭から隔離し、治療、矯正教育を施す必要性、緊急性、手段の相当性、結果の重大性なども考慮して判断すべきである。
3 個々の体罰の中には、被告人らが治療、矯正教育の目的とは全く無関係に、感情の赴くまま暴力を加えたものも認められるが、その多くは、特別合宿生の治療、矯正のため、あるいはそのための合宿生活の秩序維持のための体罰と認められ、目的の正当性は、概ね肯定できる。
4 特別合宿生の相当部分の者については、家庭内暴力等により、父母らが心理的にも肉体的にも悩まされていたと認められるが、その多くは、家族の生命、身体等に危難が迫っていて、有形力を行使し意思に反しても家庭から隔離せざるを得ないほどの緊急性があったとは認められない。
5 情緒障害の原因を精神の虚弱さに求め、戸塚ヨットスクールにおける海上訓練により、精神力を強化し、家庭内暴力、非行、登校拒否等の状態を解消するとの被告人戸塚の見解は、一部の者に対して効果を上げており、その意味において評価できるものではあるが、その海上訓練のために、合宿所における生活を強制して行動の自由を拘束し、訓練を強制するため特別合宿生の年齢、性別、身体的、精神的差異をほとんど無視し、殴打、足蹴りなどの有形力の行使による体罰を加えることは、直ちに手段として相当性を有することにはならない。
6 被告人らは、有形力を行使する必要性の有無、行使の内容、程度について、組織的な規制のシステムを持たず、有形力の行使は、具体的には各コーチの判断に委ねられていたが、被告人らが特別合宿生に対し行使した有形力は、その方法、程度などからみると、客観的には、教育、懲戒とは異質のものであると言わざるを得ない。
7 本件各事件の結果は、傷害の結果発生に至らないものから、死の結果を引き起こした重大なものまで様々である。
8 結局、被告人らの行為は、現在の法秩序のもとでは、正当業務行為として違法性を阻却するものとは言えない。
六 被告人らの共謀について
1 被告人らは、個々の訓練生を治療、教育するという目的のもとに、他のコーチらが加える体罰を認識、容認し、自らも体罰を加えていたものであり、被告人ら相互間に、訓練及び合宿生活の維持管理をするにあたり、殴打、足蹴りなどの有形力の行使による体罰を加えることについて、協力し、共同して行うとの基本的な合意が形成されていた。
2 しかし、この合意自体は、特別合宿生の入校前の段階では、未だ謀議成立の基礎となるに過ぎず、共謀の成立は、特別合宿生の入校が決定し、被告人らがその特別合宿生を認識し、これに対し殴打などの有形力を行使することを認識、容認する意思を相互に通じた段階で順次成立する。
3 もっとも、合宿所から逃走した者に対し制裁として加えられた暴行などは、特別合宿生の大多数に常に加えられていたものではなく、必ずしもコーチ全員が関与していたものではないから、その暴行に加功するか、そのような暴行を行ったコーチの行為に積極的に関与し、自己の手段としたと認められる状況がなければ、共同正犯は成立しない。
七 量刑の事情について
1 全体としての事情
@ 本件各事件の結果は、特別合宿生4名の生命を失わせたことだけをとらえても極めて重大であり、死亡した被害者はもとより、肉体的、精神的に健康でたくましい人間となることを願い、戸塚ヨットスクールに我が子の治療、教育を依頼した被害者の両親の悲しみ、無念の気持ちは察するに余りある。
A その他の監禁、監禁致傷、傷害、暴行、強要などの事件をみても、その多くの被害者は、その意思に反して長期間行動の自由を拘束されて訓練を強制され、あるいは、一方的に殴り付けられたり、足蹴りされたことなどから、その後も、戸塚ヨットスクールでの生活やコーチらに良い感情を抱いておらず、その被った精神的、肉体的影響は軽視し得ない。
B 本件各事件における有形力の行使をみても、被告人らの主観的な面においては、そのほとんどの場合が、教育、懲戒のための体罰であるが、その切っ掛け、必要性、方法、程度などからみると、客観的には、教育、懲戒とは直接の結び付きのない、異質な苛酷なものである。
C 被告人らは、ヨット訓練による情緒障害児の治療、教育の効果を重視する余り、この目的を効果的に達成するために、有形力行使による体罰を容認しながら、この危険性を顧慮せず、これを有効に規制し得なかったものであり、結果として、戸塚ヨットスクールのやり方に適合しない者に対し、より執拗、苛酷なものとなったことは否定できない。
D しかし、本件各事件は、被告人らがいずれも、特別合宿生として入校してきた情緒障害児などを肉体的、精神的に健康でたくましい人間となるよう治療、教育するという目的を持って、戸塚ヨットスクールの校長、コーチとして業務に従事し、その過程において生じた事件であることを無視できない。
E 本件各事件の被害者の相当部分の者について、家庭内暴力が認められるなど、その父母らが心理的にも、肉体的にも悩まされていたこと、また、いずれの者も学校教育以外の何らかの治療、教育を施す必要性が認められた児童等であり、多くの父母らが病院や公的な相談所等を巡りながら、なお有効な対処の方法が得られないという状況にあったことは、本件各事件の背景として無視できず、被告人らは、このような状況のもとにあって、自らの力による教育に困難を感じていた父母らからその子供を引き取り、戸塚ヨットスクールにおける独自の方法で治療、教育した上、スクールを卒業させようとの意欲に基づいて、訓練生と共にに合宿生活を送っていたものであり、専ら私利私欲もしくは私怨などのために引き起こした事件とは、その動機ないし背景事情において異なるものがある。
F 被告人らが、敢えて家庭内暴力等の問題を抱えた子の治療、教育に携わった心情については、利益の追及とするだけでは説明できないものがあり、また、被告人らの知識、能力にとって分を越えたふるまいとして批判することは容易であるが、家庭内暴力、非行、登校拒否等の問題を抱えた子を持ち、悩んでいる親、さらには、自らの行動、状態に悩んでいる児童等が現に存在しているという事態において、このように片付けてしまうだけでは、被告人らの行為に対する正当な評価とは言えない。
G 結果の重大性などからみて、最も量刑上重視すべき死亡事件のうち、吉川事件、小川事件については、いずれも死因を外傷性ショック死と認定できず、このことは、被告人らの暴行と致死の結果との間に、因果関係は認められるとは言え、被告人らにとっても不幸な結果であったと考える余地もあり、また、あかつき号事件については、水谷及び杉浦の両名が海に飛び込むという危険な行動をとった一因として、両名の年齢、性格、精神状態、判断の誤りも否定できず、このような事情は量刑上被告人らに有利に考慮すべきである。
H 被告人らは、公訴事実が多数に渡る本件各事件のほとんどについて争い、自らの行為の正当性を主張し、公判廷においても、多くの証人についての尋問、被告人質問を要した結果、審理に約8年間を要したが、死因、因果関係、元訓練生の供述内容の信用性など事実認定上の問題点や法律上の問題点、事件の特殊性を考えると、被告人らの公判廷における態度全てについて、反省の色が見られないとまでいうことはできず、一部そのように評価せざるを得ない部分もあるが、相当部分については、被告人らも法律的評価とは別に行き過ぎを認め、反省していることが認められる。
I 死の結果を生じた事件の被害者の遺族に対して慰謝の措置が講じられているのは、吉川事件のみであるが、事実関係などについて争っている本件被告事件が当番で係属中であったため、これらの措置が講じられなかった面もないではなく、今後その進展が期待できる状況は認められる。
2 被告人らそれぞれの事情
@ 被告人戸塚は、戸塚ヨットスクールにおいて、会社の代表者として、また、校長として、コーチらとの関係では絶対的な指揮、命令の権限を有していたものと認められ、同被告人の基本方針のもとに、コーチらはいわば業務として本件各事件の多くを引き起こしたものである上、罪となるべき事実も死亡事件4件を含む多数に上っていて、被告人らの中では、最も刑事責任が重い。
A 被告人可児は、戸塚ヨットスクールにおいて、副校長格として被告人戸塚に次ぐ権限を有し、合宿所を留守にすることの多かった校長に代わり、事実上合宿生活を維持管理する責任者であったが、コーチらの行き過ぎた行為を抑制すべき立場にありながら、むしろ自らこれを助長した行動が認められるなどの点において責任は重く、罪となるべき事実も死亡事件4件を含む多数に上っているのであって、被告人戸塚に次いで刑事責任が重い。
B 被告人東は、被告人らの中では最も激しい体罰を加えていたコーチであり、罪となるべき事実も死亡事件4件を含む多数の事件に上っているが、吉川事件、あかつき号事件においても、事件への実質的な関与の程度も強く、また、骨折の結果を生じた事件を2件引き起こしているなど、一般のコーチの中では最も刑事責任が重い。
C 被告人山口は、コーチとしての経歴も長く、罪となるべき事実も死亡事件4件を含む多数の事件に上っており、死亡事件についての実質的な関与の程度はいずれもそれ程強いというものではないが、一般のコーチの中では被告人東に次いで刑事責任が重い。
D 被告人横田、同内田、同藤浦、同境野は、いずれも、死亡事件に関与しているが、被告人内田を除くと、死亡事件への実質的な関与の程度はいずれもそれほど強いというものではない。特に被告人境野は、罪となるべき事実も吉川事件に関与しているのみで、吉川事件以後はコーチらの中では体罰を加えることが少ないコーチとして知られていたものである。被告人内田は、小川事件において、竹村コーチとともに実質的な関与の程度が強いが、死亡事件に関与しているのは小川事件のみである。
E 被告人加藤、同小杉は、いずれも死亡事件に関与していない上、被告人境野と同様体罰を加えることが少ないコーチとして知られていたものであり、被害者からも嘆願書が提出されている。
3 結論
@ 以上の事情を総合すると、被告人横田、同内田、同藤浦、同境野、同加藤、同小杉については、その犯罪への関与の程度のほか、被告人横田、同内田、同藤浦、同境野の未決勾留日数も長期に渡っていること、いずれも、前科、前歴がないか、特に考慮すべき前科がないこと、現在では戸塚ヨットスクールを離れて他の職に就き、安定した生活を送っていることなどを考慮し、いずれも、その刑の執行を猶予する。
A 被告人戸塚、同可児、同東、同山口については、先の個別的事情を重視すれば、実刑に処することも考えられないではないが、全体としての事情の中で述べたような同被告人らに有利な諸事情もある上、被告人東を除き、いずれも、最初の起訴日から保釈当日までの勾留期間が1100日を超えており、被告人東においてもほぼ1000日に達していること、被告人戸塚、同東、同山口は、現在においても、ヨットスクールの運営に関与しているが、体罰を加える従前の訓練方法を改めており、本件各事件と同様の事件を引き起こす恐れがないと考えられること、いずれも、前科、前歴がないか、特に量刑上考慮するほどではない罰金刑の前科があるだけであることを考慮し、これらの被告人についても現在においては実刑に処する意味はほとんど失われたものと考え、その刑の執行を猶予す。
人生の試練を見つめて
42歳、男性、会社員
私は、20歳半ばに発症した神経症に、20年近く囚われ続け、仕事も何度か変えました。それでも人並みに会社に通い、家庭を持ってこられたのは、社会生活の最低義務だけは辛うじて失わずに来たためでした。
しかしながら、歳を経るにつれ会社での責任が増し、対人折衝の機会の多い営業という仕事柄、気持ちが強く落ち込むことが多くなりました。いっそ会社も家庭も捨てて、山奥にでも篭るしかないのではないかと、真剣に思い悩んでおりました。
血眼で探したヨットスクール
戸塚ヨットスクールのことは、マスコミ報道程度のことしか知らず、90年末に「朝まで生テレビ」という番組で戸塚校長を見て、マスコミで言われたイメージとは随分違う印象を受けた覚えがありました。
その後、たまたま拾い読みしていた週刊誌の記事が目に止まり、自分の神経症には戸塚ヨットの訓練が最適なのでは、と考えるようになりました。そこで、校長の本や、スクールを紹介した本を血眼で探しましたが、見つかりませんでした。スクールの電話番号もNTTでは分からずに落胆しましたが、石原慎太郎氏がスクールを支持する発言をしていたのを思い出し、衆議院の事務所に問い合わせ、やっと"支援する会"と連絡を取ることができたのでした。
困難を糧とする態度を学ぶ
木曜セミナーで初めて校長にお会いした時、脳幹論は非常に素直に受け入れることができました。神経症のもとである"逃げ"を克服するには、生命に本質的な負荷を与えるヨット訓練が有効であることがよく理解できました。早速、91年の12月から入校し、河和の合宿所で2週間ほど集中訓練を受け、その後、毎週日曜日の東京スクールに参加しています。
最初の頃は、性急に訓練の成果を期待して焦ったり、訓練の効果自体に疑問を持ったりもしました。しかし、今では、着実にその効果が実感できています。
訓練を続けていて富に感じるのは、私が長年苦しんできた神経症の根本原因が、苦しみから逃れようとする消極的な姿勢そのものにあったということです。症状を理由にやるべきこともやらず、嫌なことを避け、できれば物事の解決を他人任せにしたいという甘えが奥深く根づいてしまっていたのです。そうした誤った認識や態度が、徐々に改められつつあるように思います。
東京では月1回のセミナーが開かれていますが、戸塚校長の人生に取り組む姿勢を学ぶために、できるだけ出席しています。氏の緊張感ある生き様に触れることで、己の弱さを戒めたいと思っています。
バルセロナ五輪の女子マラソンで銀メダルを取った有森選手が「あの過酷な訓練に耐えられたのは、選考会でのゴタゴタがあったからです」と言っていましたが、こういう物言いのできる人は本当に素晴らしいと思います。口はばったい言い方を許して頂けるなら、人が与えられた困難を前に挫折するか、それを糧に成長していくかは、個々人の基本的な人生態度であるはずです。
スクールでの訓練を通し、また校長や他の訓練生との交わりの中で、徐々にではありますが、人間本来の生きる姿勢が体得されつつあるように思います。
真の青少年教育に目覚めよ
有倫館義塾 総長 中村 ろく郎
戸塚ヨットに対する今回の地裁判決は、ダメ親、ダメマスコミの闊歩する世にあって、良識に属する見解であると思う。だが、今一つ踏み込んで、「戦後教育の偽善性」をも指摘して欲しかった。平和、愛、平等、人権などの声高な主張の陰で、大切なものが失われてきているのだ。
人間の育成には、女性的愛だけでなく、男性的な愛情が欠かせない。男性的愛は、厳しさを伴うものであるから、好きか嫌いかと問えば、「嫌い」が大勢を占めることになる。女性的平和ムードが大好きなダメマスコミは、それを煽る。しかし、「嫌いなものは悪い」という単純図式に飛躍してしまっては、人間は本来訓練されるべきものだという真理を見失ってしまう。「厳しくて嫌だが、素晴らしい」というものが、真の教育にはあるのだ。
塩は苦いが大切なもの
戸塚ヨットの訓練も、大学のヨット部の域を出ないものであるし、甲子園を目指す高校生達の訓練など、並大抵ではない。ダメマスコミは、高校野球の監督には敬意を表するくせに、戸塚はいわれなき殺人鬼に仕立てて中傷する。先般、相撲部屋の若者が急性心不全で亡くなったが、もしあれが戸塚で発生していたらどうであろう。戸塚は再びカメラの放列射撃に曝され、数百万部のダメ新聞、ダメ週刊誌が売りつくされたはずである。
入校生の家庭環境に異常のあることを見逃してはならないのである。大体、親達は、ヨットスクールに預ける時に、ダメ人間を普通人間にして下さいと頼んで入れて貰ったはずではないか。青少年教育には厳しさが必要なことに目覚めない限り、進歩向上、幸福への道は程遠いであろう。
戦前、戦中には皆無だった家庭内暴力、登校拒否などが、なぜ今あるのか――。ダメ評論家やエセ文化人共は、教育の神様のような顔をしてご託を並べるが、どれも役に立たないどころか、害毒を流す。
真の解決策を一口で言うならば、
<教育勅語の精神の実践>
である。これで万事解決する。
学校も家庭も、敬神崇祖、克已精励の生き方を取り戻せばよいのである。生意気盛りの中高生に、親や教師が、必要な時、拳骨ひとつできない阿呆があるか!
塩は苦く辛いが重要な食物要素であり、生きるために不可欠のものである。
戸塚行きの親達も、拳骨を貰ったら親子揃って「あのようなつまらぬ子を、よくぞ親身も及ばぬお手数を煩わしました」と深くお礼を言うことだ。さすれば事件の成立もなく、戸塚は全国のダメ少年の健全育成活動に専念でき、国家社会のためになった。残念でならない。
戸塚こそ、不法な戦争裁判に散った忠誠勇武なる将兵と共に、戦後日本の大被害者の1人である。
○ 編 集 後 記 ○
▼「登校拒否」は、
・ 本人は学校に行くつもりでも、朝になるとどうしても起きることができない
・ 朝になると、発熱、嘔吐、引きつけが起きる
・ 学校に近づくと、身体がすくんでしまう
などの症状を伴う神経症(乃至は心身症)です。高い所で足がすくむ高所恐怖や、手を何十分も洗い続けないと安心できない不潔恐怖などと同様の病と見ることもできるため、学校恐怖症とも呼ばれています。
しかし、この「登校拒否」という言葉は、字面だけ見ると、「登校するのを自ら(主体的、積極的に)拒否する」という意味にとることができます。これが原因で、今の学校はそんなにイヤな所なのか、などと勘違いする人々が出現することになります。彼らがそこで、「登校拒否」に関する本を読むなり、言葉の意味を調べてくれれば問題はないのですが、生かじりの知識に出発して、善意の思索をあれこれと始めてしまう場合が少なくありません。
その結果、
・ 管理が厳しいからだろう→管理反対!
・ いじめがあるせいだろう→愛の教育でいじめ撲滅!
・ とにかく子供がかわいそう→自由と優しさにあふれた学園作りを!
といった見当はずれが生まれます。
こうした基礎的概念をあやふやにした見解がマスコミに流布され、いつの間にか、テレビドラマや新聞社説にまで、首を傾げたくなるような議論が平気でなされるようになりました。しかも、それは次々に増幅されています。
「かつて教育に対する問いかけとして、学生運動の高揚があった。今、登校拒否というのは新しい学生運動であり、教育に対するストライキである」
(ある映画監督。「朝まで生テレビ」8/28)
などという途方もない大ボケ発言も、そうした延長線上にあるものと言えるのでしよう。
▼司会 「3年間の拘留生活の後スクールを再開し、今も闘い続ける戸塚さんのエネルギーは、一体どこから出てくるのですか」
戸塚 「復讐心ですよ、それは。あれだけのことをやっておいて、お前らただで済むと思うなよ、と検・警察やマスコミのバカどもに思い知らせてやらねば、腹の虫がおさまらないじゃないですか。」
司会 「例えばどんなことを?」
戸塚 「拘置所の中で、呪い殺せないものかと思ってやってみたけど、うまくいかんやった(笑)。今は、奴らの子供が登校拒否になったら俺の方法で直しちまうとか、もっといいのは、奴ら自身がガンになって死を宣告された時に、他でもないこの俺の方法で直してやろうと思っています。それが復讐です」
(92年10月、東京の講演会で)
▼ダ・カーポ、アトリエ・ゆう、らるご、クッキングハウス、オープンハウス、あじさいの会、くすの木会、フレンドスペースおひさま、おひさまむら、らくだ九州、りんごの木、ひまわり文庫、じゃがいも天国、パスの会、○△口、バクの会、フリースペース・あも、to Be、宇宙船、地球屋、虹の会、たまりば、くだかけ会、子供地球クラブ、お一ぷんはうす、ゲゲゲ・スクール、かげんどら、ニューパレットの会、地球学校、すぺ一す湧、素敵塾、プレイインザハート――。さて、何の名前かお分かりでしょうか。
喫茶店…×、ケーキ屋…×、清里村のペンション…×、女子中学生の同好会…×。
正解は、登校拒否や高校中退者のための相談所や親の会の名称です。こうしたネーミングセンスに、苛烈な現実から眼を背けようとする盲目的予定調和意識が感じられる、と言ったら言い過ぎでしょうか……。